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姉弟

 広々とした玄関を上がり、飴色に磨かれた廊下を進む。

 女性の腰を過ぎるほどの長い髪が、歩くたびにさらさらと揺れるのを見ながら、清滝は後に続いた。

 廊下の左手は雨戸で閉ざされている。右手は、皴一つなく張られた障子の戸がきっちりと閉ざされいる。

 天井近くに置かれたランタンの蝋燭の小さな明かりがまっすぐに連なる。わずかな灯りを頼りに行くと、雨戸が開けられている場所があった。春の暖かい風に花びらが一片、清滝の足元へと舞い降りた。開け放たれた雨戸から外を伺った清滝は思わず息を飲んだ。

 庭を覆うように枝を広げる桜の大木が、今をさかりと咲き誇っていた。太い幹は、大人二人でも抱えきれるだろうかというほどで、大きな枝が幹の中ほどの位置から二つに分かれ、さらに四方へと伸びている。満開の花は月光のもとで薄墨で描かれたように、繊細で幽玄に見えた。

 かすかに咳をする音がして、清滝は我に返り視線を前に戻した。女性は、ここですと言うと、開けられた雨戸の正面にあたる部屋の前で膝をついた。

十楼(じゅうろう)さん、お医者様をお連れしました」

 ごほっ、と強く咳が聞こえた。

 流れるような動作で女性が障子を開けると、八畳間の中ほどに敷かれた布団に男性が寝ていた。

「遅い、十桜子(とおこ)! この愚図が」

 最後はかすれてはいたが、伏せているとは思えないほどの声でなじる。ここの部屋にも電灯ではなく、四角い行灯がぼんやりと部屋の闇ににじんでいた。

「はやく俺を看ろ、藪医者」

「十楼さん……すみません、弟は口が悪くて。先生お願いいたします」

 呼ばれてもしばらくの間、清滝は廊下に立ったままだった。布団に伏せる青年は、十桜子と呼ばれた女性とあまり似てはいなかったが、整った顔立ちをしていた。わずかに切れ上がったまなじり、形の良い額。長く病床にあるせいか、髪は肩くらいまで伸びている。そして……。

「俺に驚いているのか? ああ、これは生まれつきだ」

 言い当てられて、清滝は怯んだ。青年は、白髪だった。


 脈を測るためにとった青年の腕は細く筋張っていた。

「お、おいくつで……」

 清滝の問いかけに、青年・十楼は鼻先で笑った。

何歳(いくつ)に見える?」

 十楼の瞳は廊下のカンテラの火を映すのか、赤く光った。その目をすがめて清滝にむける。

「はたち、くらいです?」

 十楼は皮肉めいた笑いを方頬に浮かべ、口をとざした。まともに取り合う気がないらしい。十桜子を見ると、かすかにうなずいた。姉とは少し年が離れているように清滝は感じた。

 威勢のいい言葉とは裏腹に、十楼の脈は弱々しい。

 断りを入れ、上掛けをめくり、体全体を確かめる。浴衣をはだけると、あばらの浮き上がった胸があった。聴診器をあて、耳をすませる。触診、どこか異常に腫れているところなど、見当たらない。

 足の筋肉は落ち、かかとは柔らかい。もうながいあいだ、歩いたことのないように思えた。

「俺は、治るのか」

 清滝は返答に詰まった。

「俺がこの家を残していかねばならんのだ」

 食いしばった口から、卑下するような言葉がもれた。

「みろ、おまえが縁組を拒んでいるうちに、誰もいなくなった」

 広い屋敷からは物音ひとつせず、静まりかえっている。この二人以外に住人の気配は感じられない。

 これほど広い屋敷に、使用人の一人もいないのだろうか。清滝は首をかしげた。

 ただ満開の桜の枝がわずかな風にそよぎ、花びらを散らす。

「花の盛りを無駄に過ごしおって……このままでは血筋が絶えてしまう」

 なじられた十桜子は、ただ黙して目を伏せた。

 これといった病は感じられない。ただ衰弱しているのだ。高齢者のように。まだ二十歳だという、この若者は。

 上等な絹の夜具のうえで、熱く浅い息を繰り返す。

 血液を持ち帰り、検査をしたほうがよいだろう。極度の貧血の可能性もある。

「ち、血を」

 注射器を用意して十楼の腕をまくる。刹那、十楼の腕が透明に透け、骨も血管も何もかも見えた気がして清滝は思わず目をこすった。

 白く薄い皮膚の下に走る血管に針を刺し、血を抜き取った。

「それで分かるのか、俺はよくなるのか」

 清滝は消毒綿をひじの内側に挟み、そっと布団をかけなおす。

「けん、検査をして……」

「ではまたここに来るのだな。分かった」

 清滝がうなずくと、意気込むように十楼は目を見開き、頬にわずかに血色が戻った。検査の結果が届くまでには、数日を要する。できればそれまでに少しでも体力を回復して欲しい。

「えいよ……ぅのあるもの」

 十桜子へ清滝は声をかけた。栄養のあるものを食べさせて欲しいと。十桜子は、どこかぼんやりとしたままで、かすかにうなずいた。

「おまえ!」

 とつぜん、十楼が叫んだかと思うと、枕元に合ったガラスの吸い飲みを十桜子へ投げつけた。

 水をまき散らかしながら、吸い飲みは無防備な十桜子の額に当たった。

「! だっ!」

 清滝は思わず立ち上がり、十桜子のもとへと駆け寄った。十桜子は右目を手で覆い、うずくまっている。手をどけて確かめると、幸いなことに切れていはいなかったが、見る間に赤く腫れてきた。

「どうせ、早く死ねばいいとおもっているんだろう! 俺は、死なぬ、死なぬからな」

 あまりの権幕に、清滝は十桜子を背後にかばい、無理やりに体を起こした十楼を見た。

 感情の高ぶりに体が付いていかなかったのか、十楼は激しく咳き込んだ。清滝は、十桜子にそっと廊下へと下がるように手で示し、十楼の元へと戻った。

 背中をさすり、落ち着いたところで布団へと戻すと、十楼は天井を見上げて大きく息をついた。

「藪、俺を治せ。女を抱けるほどに」

 片づけをしていた清滝の手がびくりと止まる。青年が口にするには、あまりに生々しく感じられた。

「……なんだ、女の一人も抱いたことがないのか、先生」

 目が合うと、十楼は見下すような視線を清滝に向けた。ふいに胸を殴られたように感じた清滝は白衣の胸元を掴んだ。

「で、では」

 十楼の問いに答えず、清滝は慌ただしく和室から退出した。背後から、壊れたような笑い声がした。






予定まで進まず(◎_◎;)


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