01
「おー」
俺以外に誰もいないというわけでもないのに何故教室はこんなに落ち着くのか。
可能ならこのまま明日学校が始まるまでゆっくりしたいところだが、それはできないと。
やらなければいけないことをすっぽかしてのんびりしているわけではないからいい方に働いている。
「ん?」
だという状態から一気に嫌な予感がし始めた。
急に大声が聞こえてきたとかも、急に話しかけられたとかでもないのに何故なのか。
「うわっ」
えぇ、椅子の脚が壊れるってそんなの現実で起こるのか。
家なんかにある木の脚とはまた違うのに……。
「ぷっ」
しかも、全く関わりのないクラスメイトから笑われる始末。
なんだこれ、ついていないどころの話じゃないだろ。
これはもうさっさと帰れと言われているかもしれないから帰――る前に担任の先生に椅子が壊れたことを話してから学校をあとにした。
「あ、お兄ちゃん」
「円か」
友達と帰っているところでなんか申し訳なくなった。
これだとなんか合わせているみたいに見えてしまうのも不味い。
「ふふ、お兄ちゃんにしては早い下校だね」
「あ、俺は寄りたいところがあるから」
「いつものところ?」
「いや、また後でなー」
寄りたいところなんかないが……まあ外で時間をつぶそう。
でかい川とかでかい公園とかもないからできることは歩くぐらい。
店もコンビニぐらいしかない、だから買い物も楽ではない。
もう十六年ここに過ごしてきたが……なんだここは。
家ぐらいしかないから殺風景だ。
教室でのあの感じが外にも適応されたらいいのにと思う。
だが、どれだけいても寒いだけで得なことはないからたった十五分ぐらいで帰ることになった。
「ただいま」
「おかえり」
なんだ、遊びにいったりしないのか。
受験生でも連日というわけではないならいいと思うが。
「お兄ちゃん牛乳飲む?」
「おう?」
「あともう少しで終わるところだったからさ」
あるときから急に牛乳を飲み始めた妹の身長はいま百六十四ぐらいだったか。
俺が百六十七ぐらいしかないからもうほとんど負けそうなぐらいには効果が出ているみたいだ。
よく寝て、よく食べて、色々なことに真剣に向き合っていた妹だからこそかもしれない。
まあ、言ってしまえばたまたま牛乳をいい方に働かせることができる体質だっただけかもしれないが。
「はい」
「ありがとう」
うんまあ、普通に美味しいな。
「この後って暇?」
「ああ」
「だったら私の部屋に来てよ、勉強を頑張っているところを見ていてほしいんだ」
「分かった」
まだまだ寂しがり屋なのかね。
小さい頃は両親に張り付いたり、俺に張り付いたりと忙しい子だった。
好きな友達がいても「い、いいよ」とかなんとか言っていかなかったりもした。
男子、女子、どちらも友達が多かったからもったいないと感じていたぐらい。
「お兄ちゃんも受験生のときは勉強を頑張っていたよね」
「いや」
「え、が、頑張っていたでしょ?」
いやいや、なにかと理由を作って向き合っていなかった。
授業中なんかもぼうっと別のことを考えたりした。
こうして無事に志望した高校に通えていてもとてもではないが、頑張ったなんて言えない。
「ぶ、部活っ、部活は大好きで頑張っていたよね?」
「全然だな」
練習辛い、早く終われ、それでいざ実際に最後の大会が終わったときには内でガッツポーズをしたぐらいだ。
「どうした? 無理して褒めようとしなくていいんだぞ」
「無理しているわけじゃ……」
「分かった、あんまりやる気がないんだろ」
「うぐ……」
両親はしっかり者だから残念な俺に引っ張られすぎない。
そもそも、現在進行形で妹はちゃんとできているわけだから少し休むぐらい問題ないのだ。
「あ、足貸して!」
これも昔からそうだった、特に母にしてもらうのがお気に入りだった。
でも、父と俺の男子組相手にもしてもらっていたぐらいだから柔らかさとかはそこまで大事ではないのかもしれない。
「友達にはお姉ちゃんがいるんだけどさ、その人と同時に付き合い始めたって言われて驚いてね」
教室の女子も彼氏云々の話をしていたな。
好きになって付き合う、そのうえで色々としたことで俺らが生まれてきたわけだが、俺にとっては別世界の文化のようにすら感じる。
まず、どうやったらそういう意味で好きになれるのか。
人としてであっても好きとまではいかない、変だと言われたら受け入れるしかない。
「羨ましくなったのか?」
「んーどうだろう」
「別に受験生だからって恋をしてはいけないというわけじゃないからな、それこそ勉強を一緒にやることで仲を深めることも余裕だな」
「男の子の友達はいるけど、ただ一緒に過ごすぐらいだよ?」
「じゃあ、女子か」
「ど、同性同士の恋って本当にあるの?」
そりゃまあ、あるだろう。
考えられる脳があって感じる心があれば影響を受けてもおかしくない――と、普通でいられているかどうかも分からない俺としては考えている。
うん、いまはまだ十一月だからあれだが、十二月のクリスマス頃に変わりそうだな。
誰かと付き合い始めたらなにか買ってやろうと決めた。
「はは」
「え?」
急に目の前にこられて、急に笑われたら怖い。
矢代奈央子先生、この人が俺らの担任の先生だ。
「ああいや、悪いな」
「いえ」
「我妻にしてもらいたいことがあってな」
そうだな、俺も最初からそのつもりで来ている。
「この紙の山を一緒に運んでほしい」
「分かりました」
紙の山と言ってもクラスメイトのノートをかき集めた厚さよりも薄いぐらいだ。
冗談なのか本気なのか、どちらにしても大袈裟に言うところがある人なのでこれも先生なりのソレかもしれない。
担任の先生的に俺みたいなのは扱いづらいだろうしなあ。
「助かった」
「いえ、それでは――まだなにかあるんですか?」
なんか生徒がいないところではタバコを吸っていても似合いそうな人だ。
まあ、タバコ臭くないし、なにより吸ってはいけないだろうからそんなこともないのだが。
眼鏡をかけていても合っていたかもしれないな。
「我妻、そろそろ新しい情報を教えてくれないか」
「あ、円のことですか? もうそんなに気になるなら家に来たらいいと思いますけど」
一緒にいたところを見られてからこんなことが続いている。
とにかく、先生は妹ファンみたいなものだ。
あと、俺が勝手に教えているわけではなく、妹に許可を貰っている状態だから益々そう思う。
「いきなり大して知らない人間が来たら怖いだろう」
「それなら連絡先を教えましょうか?」
「ふむ、そういえば許可を貰っていたか」
「はい、そうでもなければ妹のこととはいえ、勝手に話せませんよ」
高校に連れていくわけにもいかないし、どうしても外で会わなければならないのならそれが一番だ。
無理ならまあ連絡先さえ交換してしまえばいまよりは変わる。
「だが、このことに関しては別だろう、改めて許可を貰えたら動こう」
「はい、それじゃあこれで失礼します」
「ああ、また頼む」
「はい」
話したことがあるからあっさりと上手くいくだろう。
ただ、先生のことだから「本当か?」と疑り深いところを見せてくるかもしれない。
「あの人マジで格好いいな」
俺と同じぐらい身長があって、髪も中途半端なところで結っているだけなのになんかいい。
実は自覚できていないだけで昔から結構人のことを気に入っていた……?
まあ、進んで人を嫌うよりはいいことだから別に恥ずかしいことではないか。
今日は途中で遭遇することもなく、家で待っていると「ただいま」と昨日とは逆バージョンに。
「二日連続でお兄ちゃんの帰りが早いなんて大丈夫かな……」
「なあ、先生が円に興味ありまくりなんだ、連絡先を教えてやってくれないか?」
「矢代先生はなんで私にそんなに興味を持ってくれるんだろう?」
「真面目に頑張れる子だからかもな」
おいおい、なんで褒められてこんな顔をするのか。
バッテリーを抜かれたロボットみたいに固まってしまっていることも気になる。
「じゃ、じゃあ……お兄ちゃんが矢代先生に教えておいてよ」
「おう」
このまま遊ぶような仲になったら面白いな。
「お兄ちゃんも?」
「いや、あくまで興味があるのは円にだけだよ」
「そっか」
先生からしたら俺は言うことは聞く男子生徒というところか。
まあ、人といられていないうえに言うことも聞かない奴なら面倒くさすぎて俺なら担任であっても無視しそうだ。
実際はそれができないから頑張って理由を作って近づいているだけ。
あの人、仕事とはいっても大変だな。
「そうそう、あと今度昨日話した友達とそのお姉さんがここに来るんだ」
「分かった、そのときは出ておくよ」
「そ、そんなのしなくていいよ、部屋で遊ぶから普通にゆっくりしてくれれば」
妹的によくても向こうにとってどうかは分からない。
外にいってやりたいことなんかはないが、俺のせいで来なくなっても嫌だから出ようと思う。
「そういえばっ」
「お、おう」
「確か友達が『円のお兄さんがどんな感じなのか気になる』みたいなことを言っていたから一緒に遊ぶのはどう?」
「うん、無理だな」
某コーヒーショップに寄るぐらい場違い感が凄くて無理だ。
「それならお兄ちゃんも女の人を連れてきていいから!」
「矢代先生を誘うのは流石にな」
「妹が会いたがっていますから」と何度も重ねてもあの人は絶対に頷いたりはしない。
それこそ遠回りなやり方を選ばないで自分で誘うぐらいでなければ駄目なのだ。
完璧人間なんかいないからあの人でも気になって引っかかってしまうことがあるということなのだ。
「お兄ちゃんもしかして矢代先生のことが大好きだったりする?」
「あの人は格好いいな」
「先生を狙ったら駄目だよ……?」
自分で言うのもあれだが、仮に相手が先生ではなくても女心というやつを分かってやれないから向いていない。
他の人が頑張ってくれればいい。
そうすれば日本の人口が分かりやすく激減なんてことにはならないはずだった。
「登録できました?」
「ああ。だが、だからといって使用はできないがな」
出た、まあこういう人だ。
「もう先生の家を教えてください、円と一緒にいきますから」
「私の家を知ってどうするつもりだ?」
「円が相手のときだけは俺以上に動けなくなる先生をどうにかしたいんですよ」
「な、なかなか言うな……それでも我妻以下はないはずだ」
「そうですか? 俺は別に頼まれれば女子の集団にだって近づいて話せますが」
昨日のは本人から頼まれたわけではないから断っただけで、実際はそんなものだ。
「ふっ、よく言う、同性とすら一緒にいられない我妻にできるわけがないだろう?」
「とにかく、先生はさっさと勇気を出してください」
早く終わらせて教室に戻りたい。
空き教室とはまた違うんだよなあ。
やっぱり普段当たり前のように使用する場所だからか。
自分の机、椅子、その二つがなければ教室も変わらないかもしれない?
「なんでいまはスイッチが入っているんだ? 我妻はいつもぼーっとしているだけの男子生徒のはずだ」
「放課後の教室にいるときぐらいだと思いますが」
「いやいや、話しかけたのに無視されたって苦情が出ているぐらいだぞ」
「え、それ本当に俺ですか? 自称、断れない人間我妻なんですが」
あと、俺に話しかけてくるような人間はいない、少なくとも係とか委員会関連のことでなければいない。
「ふむ、確かに私が頼むと断らないな。はは、なんだ? もしかして私のことを気に入っているのか?」
「先生は格好いいです、身長も高いですからね」
「お、おお……本当に我妻か?」
「そうですね、我妻です」
よし、先生ごと連れていってしまおう。
「その積極さを普段から見せてもらいたいものだな」
「そのまま先生に返したいですね」
「分かった、それなら今週の土曜日に私のところまで妹さんを連れてきてほしい」
土曜日か、今度が被らないといいな。
被って無理になったらこの人は気にしてしまいそうだ。
「はい」
「いい子だ」
「それ、円相手にもしてあげてください」
「ま、機会があったらだな」
いや待て、先生を連れてきたのは間違いだった。
クラスメイトが一人か二人、先生限定ではなくて教師自体がいない状態でなければいつものアレはこないらしい。
「今日は我妻一人か」
「珍しいですね」
いつもここで本を読んでいる女子がいるのに今日は用でもあったのだろうか。
「いつもここにいるのは今城と我妻だけだな」
「この前、椅子の脚が壊れたときに笑われました」
「はは、私でも急にそんなことになれば笑うよ」
「少しは『大丈夫か?』みたいにならないんですか?」
「ならないな」
な、なんて人だ。
あ、まあ、こんなのは冗談で結局はすぐに動いてしまう人か。
「先生も素直じゃないですね」
「待て、なんかその顔むかつくな」
「どんな顔をしているのか分からないのでどういう顔かを――」
「こんな顔だ」
「やっぱり先生も女性なんですね」
手鏡とか持ち歩いたりしているのか。
「最初からそうだが?」
「だからこそ円相手に遠慮する必要はないんですよ」
「いやそれは……また別の話だろ」
なんで俺相手にこんな感じなのに妹の話になると弱々しくなってしまうのか。
今度集まれたときに色々と見ておかないとな。
そうしないとお互いにとってもったいない時間の使い方になってしまう。
「矢代先生っ」
「おお、今城はまだ帰っていなかったんだな」
「はい、図書室にいって本を借りてきたんです」
な、なんか自意識過剰とは言えないぐらいちらちら見られているぞ……。
「えっと、昨日は笑ってごめんね?」
「気にする必要はないぞ、面白かったら笑えばいいんだ」
先生よ……。
「でも、意外だな、我妻君って他の誰ともいないのに矢代先生とだけは楽しそうに話しているからさ」
「ああ、年頃の男子的に私みたいな若い教師というのは魅力的なんだろう」
いや待て、なんで全部先生が答えるんだよマジで。
そろそろ今城だって違和感を感じて、
「矢代先生は奇麗で格好いいです!」
「はは、ありがとう」
ないどころか上手く乗っかって先生を褒めていた。
出しゃばるのも違うため、黙って見ておくだけにしておいた。




