不帰の樹海㉔
朝。
目を覚ました時。
最初に聞こえたのは風ではなかった。
水だった。
遠い。
だが。
確かに聞こえる。
誰も言葉にはしない。
それでも。
足取りは昨日より軽かった。
出発する。
今日もエリスが先頭だった。
樹海を進む。
樹。
霧。
湿った空気。
相変わらず変わらない。
だが。
今日は違った。
聞こえる。
全員に。
水音が。
昼頃。
再び地面が揺れた。
今までで一番大きかった。
何人かが足を取られる。
樹々が大きく揺れる。
枝葉がざわめく。
揺れは長くは続かなかった。
だが。
全員の顔色が変わった。
「急いだ方が良さそうだな」
タッカーが言う。
誰も反対しなかった。
理由は分からない。
それでも。
この場所に留まるべきではない。
そんな気がした。
歩く。
歩く。
歩く。
そして。
先頭を歩いていたエリスが立ち止まった。
誰も声を掛けない。
その背中を追う。
樹々の隙間。
薄暗い森の向こう。
そこだけが明るかった。
「……あ」
誰かが息を呑む。
次の瞬間。
森が途切れた。
川だった。
広い。
深い。
そして速い。
白い飛沫を上げながら流れている。
誰も動かなかった。
しばらく。
本当にしばらく。
誰も言葉を失っていた。
川。
本物だった。
幻ではない。
音の正体だった。
ミトゥが力無く笑う。
「本当にあったな」
誰かが笑った。
また別の誰かも。
小さな笑いだった。
それでも。
久しぶりの笑いだった。
タッカーが川を見つめる。
「夢じゃないよな」
「多分」
ユーリイが答えた。
それだけだった。
それだけで十分だった。
ユーリイは川沿いへ歩く。
岸辺を見る。
流れを見る。
上流を見る。
下流を見る。
川は続いていた。
どこまでも。
その時だった。
「風」
マルグリットが呟いた。
全員が顔を上げる。
川の上を風が吹いていた。
森の中では感じられなかった風。
湿っていない風。
久しぶりだった。
森に閉ざされていない空気は。
メローペも川を見ていた。
川そのものではない。
その向こう。
少しだけ明るく見える景色。
錯覚かもしれない。
それでも。
樹海の奥とは違って見えた。
夕方。
その日は川辺で野営した。
誰も遠くへは行かない。
川を見失いたくなかった。
焚火を囲む。
炎が揺れる。
川の音が聞こえる。
それだけで安心した。
同じ場所へ戻るかもしれない。
霧が出るかもしれない。
また地面が揺れるかもしれない。
何も解決していない。
それでも。
初めてだった。
明日も進めると思えたのは。
不帰の樹海の夜は長い。
だが。
川の音だけは。
どこか人の世界を思い出させた。




