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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
15/23

会合

夜明け前。


王都はまだ眠っている。


完全な静けさではない。


水を汲む音。


荷を動かす軋み。


火を入れる前の、低い気配。


一日の準備だけが、薄く広がっている。


ユーリイは屋根の上にいた。


手の中の紙を閉じる。


三つの候補。


場所。


時間。


動線。


もう見終えている。


目を閉じる。


地図は頭の中にある。


南市場裏。


人が多すぎる。


隠れるには向かない。


水路沿い。


逃げやすい。


だが、逃げる前提の場所だ。


残る一つ。


西門近くの空き屋敷。


動くための場所。


集まり、散る。


その両方が成立する。


「……そこだな」


小さく言う。


誰もいない。


屋根から降りる。


音は立てない。


そのまま歩く。


王都は目を覚まし始めている。


人が増える。


視線が動く。


だが、ユーリイを止めるものはない。


西門近く。


空き屋敷は、通りから少し外れた場所にあった。


石壁。


低い門。


庭。


荒れているように見える。


だが、よく見ると違う。


踏まれている。


草の向き。


土の固さ。


最近の出入りがある。


一度ではない。


繰り返されている。


ユーリイは正面には立たない。


通りを外れ、裏へ回る。


塀に手をかける。


登る。


屋根に上がる。


そこから屋敷を見る。


窓は閉じられている。


裏口も閉まっている。


人影はない。


だが、気配はある。


中ではない。


外でもない。


境目。


庭の奥。


物置。


しばらく待つ。


風の音だけが流れる。


やがて、物置の戸がわずかに動いた。


女が一人出る。


服は地味。


動きは軽い。


視線は動かない。


周囲を見ない。


見る必要がない。


守られているか。


あるいは、ここが安全だと知っている。


どちらにしても、油断がある。


女は裏口へ向かう。


戸を叩く。


二度。


間を置いて一度。


中から開く。


女は入る。


戸が閉まる。


ユーリイは動かない。


すぐには動かない。


会合なら、まだ来る。


時間が経つ。


馬車が来る。


紋章はない。


だが車体は良い。


隠すなら、もっと粗いものを使う。


女が降りる。


年は中年。


衣装は控えめ。


だが質が良い。


そのまま屋敷へ入る。


続いて若い女。


小箱を持っている。


軽そうに見える。


だが持ち方が慎重だ。


中身に価値がある。


ユーリイは記憶する。


顔。


歩き方。


癖。


袖口。


靴。


すべて。


三人目は徒歩だった。


顔を隠しすぎている。


隠す者ほど目立つ。


歩き方が硬い。


慣れていない。


だが、使われる側ではない。


何かを持っている。


袖に触れる。


確認する仕草。


小さい。


紙か。


印か。


鍵か。


屋敷に入る。


これで三人。


ユーリイは屋根から降りる。


位置を変える。


壁際へ。


排水溝の近く。


耳を当てる。


声がある。


言葉は拾えない。


だが分かる。


人数。


間。


主導する者。


従う者。


低い声が中心。


他はそれに合わせている。


だが、そこに不自然な空白がある。


話の流れが、一度外へ向く。


ここにいない誰か。


その存在を前提にしている。


ユーリイは目を細める。


構造が見える。


この場は中心ではない。


末端でもない。


中継点。


「……上がいる」


小さく呟く。


予想通り。


だが、確定はしない。


証拠はない。


音だけだ。


情報としては弱い。


それでも無視はできない。


会合が終わる気配がする。


椅子が動く。


箱の音。


立ち上がる足音。


ユーリイは離れる。


屋根へ戻る。


人が出てくる。


順番も覚える。


誰が先に出るか。


誰が最後か。


それも情報だ。


最後に出てきた女。


中心に近い。


だが中心ではない。


馬車に乗る。


馬車が去る。


徒歩の女が残る。


彼女は別の道へ向かう。


ユーリイは追う。


距離を保つ。


近づかない。


離れない。


女は何度か振り返る。


だが、何も見つけられない。


水路沿い。


橋の下。


別の女がいた。


待っていた。


二人は短く接触する。


物を渡す。


封書。


会話は短い。


ほとんど聞こえない。


だが、一つだけ残る。


断片。


敬称。


はっきりとは聞き取れない。


だが、響きは分かる。


貴族。


それも、下ではない。


少なくとも中位。


あるいは、それ以上。


ユーリイはその言葉を切り分ける。


名前は出ない。


特定はできない。


だが、位置は見える。


この動きの上にいる存在。


それだけで十分だった。


封書を受け取った女は去る。


中心区へ向かう。


つまり、上へ。


ユーリイは追う。


人が増える。


朝が完全に始まる。


市場が開く。


声が広がる。


その中で、女は溶ける。


慣れている。


ただの使いではない。


役割を持った動き。


女は露店の前で止まる。


果物を見るふり。


別の女が通る。


視線が合う。


それだけ。


何も渡していない。


だが、何かが伝わっている。


ユーリイは顔を覚える。


線が増える。


だが、追うのは一つ。


最初の女。


彼女は小さな書店に入る。


扉は開いている。


だが客はいない。


朝にしては早い。


裏へ回る。


荷車。


動かされた跡。


出入りがある。


だが、今は入らない。


中の人数が分からない。


無理はしない。


屋根に戻る。


待つ。


動きを見る。


時間が経つ。


別の女が出てくる。


店主のような顔。


包みを持っている。


本ではない。


硬さが違う。


それを持って去る。


ユーリイは追わない。


ここで切る。


十分だ。


初日としては。


線は繋がった。


空き屋敷。


水路。


書店。


そして、その上にいる誰か。


だが、名前はない。


証拠もない。


あるのは構造だけ。


それでいい。


ユーリイは通りに戻る。


人の流れに混じる。


誰も止めない。


誰も問わない。


王都は、それを許す。


夕方。


鐘が鳴る。


ユーリイは足を止めない。


報告にはまだ早い。


だが、動きは見えた。


使える。


まだ弱いが。


始まりには十分だ。


懐の中の紙。


頭の中の線。


それをどう組むか。


ユーリイは空を見る。


朝とは違う色。


一日が終わる。


だが、任務は続く。


「……面倒だな」


小さく呟く。


昨日と同じ言葉。


意味は少し違う。


面倒だからやめるのではない。


面倒だから、外さない。


ユーリイは歩き続ける。


次の動きへ。

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