ブラジラン・ジウジウ
いつも『遺伝子の小さな箱庭』を読んでいただき、ありがとうございます。
しばらくの間、更新ペースを一日一話に変更させていただきます。
物語も100話を超え、一話ごとの内容や描写をこれまで以上に丁寧に仕上げたいと考えたためです。
更新頻度は少し落ちますが、その分、一話一話をより良い形でお届けできるよう頑張ります。
今後とも『遺伝子の小さな箱庭』をよろしくお願いいたします。
情報センターへ入ると、いつものようにクエスの声が響いた。
『おはようございます。ユーリイ・シーゲル。』
「おはよう、クエス。」
ユーリイは近くの端末へ向かうと、昨日の感覚を思い出すように腕を軽く回した。
まだ少し痛む。
ヨシーカに極められた腕。
ヤースに絡め取られた脚。
どちらも大きな怪我ではない。
だが、あの何もできずに負けた感覚だけは妙にはっきり残っていた。
「クエス。」
『はい。』
「ブラジラン・ジウジウについて教えてくれ。」
『ブラジラン・ジウジウですね。』
わずかな沈黙。
『申し訳ありません。ブラジラン・ジウジウという名称の記録は見つかりませんでした。』
「いや、確かにブラジラン・ジウジウって言ってたって……。」
思わずぼやく。
双子は、確かにそう言っていた。
少なくとも、ユーリイにはそう聞こえた。
『それはいったい何の名称でしょうか?』
「格闘技だ。武器を持たないで相手を制圧する。」
ユーリイは昨日極められた腕をさする。
「組み技と締め技が主体だった。」
『ありがとうございます。』
『ブラジラン・ジウジウという名称は確認できませんでしたが、ブラジーリャン・ジウジツという、組み技と締め技を主体とした格闘術があるという記録があります。』
『資料や試合映像をご用意できますが、ご覧になりますか?』
ユーリイは少し首を傾げた。
「……。」
「なら、その動画を見せてくれ。」
『承知しました。』
画面が切り替わった。
映し出されたのは、広い平らな場所で向かい合う二人の男だった。
二人は軽く礼を交わし、すぐに組み合う。
片方が腰を落とす。
もう片方が足を引く。
一瞬の後、二人は地面へ倒れ込んだ。
「おっ。」
ユーリイは身を乗り出した。
倒された方が、そのまま負けるわけではない。
足を絡める。
腕を差し込む。
相手の重心を崩す。
下にいたはずの者が、いつの間にか上になっている。
さらに腕を取る。
身体をひねる。
相手が地面を叩いた。
映像が止まる。
『腕関節を制圧した例です。』
ユーリイは思わず自分の肘をさすった。
「ああ。」
「これだ。」
昨日、ヨシーカにやられた感覚とよく似ている。
続いて別の映像が映し出される。
今度は足を絡める技だった。
倒れた状態から相手の脚を挟み、逃げようとする相手の動きに合わせて角度を変える。
最後には相手が身体を硬直させ、地面を叩いた。
「……これもだ。」
ヤースにやられたものと同じではない。
だが、考え方は近い。
逃げようとする力を利用する。
相手が踏ん張れば踏ん張るほど、自分の身体が不利な位置へ運ばれていく。
『基礎解説映像を表示しますか?』
「ああ。」
「頼む。」
それからユーリイは、かなりの時間を情報センターで過ごした。
立ち方。
組み方。
倒し方。
倒された後の守り方。
上になった時の押さえ方。
下になった時の返し方。
一つひとつは地味だった。
剣術のような派手さはない。
だが、見れば見るほど分かる。
これは力だけの戦い方ではない。
身体の向き。
重心。
腕の位置。
足の置き方。
わずかな違いが、そのまま勝敗を分けていた。
さらに映像を見続けて、ユーリイは思わず息を吐く。
「……奥が深いな。」
腕を極める技だけでも何種類もある。
脚を絡める技も、首を制する技も、それぞれ派生が存在する。
似ているように見えて、細かな身体の使い方がまるで違う。
数日で身につくような代物ではない。
結局、ユーリイが実際に使えそうだと判断したのは、その中でも二つか三つだけだった。
それでも十分だった。
まずは、その二つを確実に自分のものにする。
そう決める。
昼過ぎ。
情報センターを出たユーリイは、村の広場でちょうど良い相手を見つけた。
タッカー・ナークニーである。
タッカーは水桶を抱え、どこかへ運ぼうとしていた。
「タッカー。」
「ん?」
「少し付き合え。」
「嫌だ。」
即答だった。
「まだ何も言ってないだろ。」
「お前がそういう顔してる時は、大体ろくでもない。」
「練習だ。」
「ほら見ろ。」
「少しだけ。」
「その少しが信用できねぇ。」
それでも結局、タッカーは捕まった。
芝生の上へ連れて行かれ、渋々向かい合う。
「怪我させるなよ。」
「大丈夫だ。」
「今、一番信用できない返事したぞ。」
組み合う。
映像通りにはいかない。
タッカーも好きに動く。
二人まとめて芝生へ転がる。
「ぐえっ!」
「悪い。」
「悪いじゃねぇ!」
また組む。
また転ぶ。
また失敗する。
「違うな……。」
「俺で研究するな!」
何度も繰り返した。
押されたら引く。
引かれたら押す。
相手の力を利用する。
少しずつ感覚が掴めてきた。
夕方にはタッカーが芝生へ大の字になっていた。
「……俺はパンを焼く方が得意なんだが。」
「今日は良い練習相手だった。」
「嬉しくねぇ。」
それから数日。
ユーリイは時間を見つけては情報センターへ通った。
そしてタッカーを捕まえた。
時にはマースに逃げられた。
ミークニーには「忙しい」の一言で断られた。
結局、一番付き合わされたのはタッカーだった。
そして数日後。
広場では、また双子がスパーリングをしていた。
「お。」
ヨシーカが気付く。
「来たか。」
ヤースも笑う。
「リベンジ?」
「もちろん。」
ユーリイは上着を脱いだ。
「今日は俺からだ。」
「自信あるな。」
「ある。」
「じゃあ、俺だ。」
ヨシーカが前へ出る。
「始め。」
前回と同じように飛び込んでくる。
だが、今回は違う。
押し返さない。
力を受け流す。
肩が前へ出た瞬間。
半歩ずれる。
「え?」
ヨシーカの重心が浮く。
腕が伸びる。
身体を回す。
芝生へ転がる。
今度はユーリイが上だった。
「いてて!」
肘が伸びる。
ヨシーカが芝生を二度叩く。
「参った!」
「一本。」
ヨシーカは呆然とユーリイを見た。
「……数日で覚えたのか?」
「少しな。」
「誰で?」
「タッカー。」
「……かわいそうに。」
ヤースが吹き出した。
「次は俺。」
二人は組み合う。
ヤースは慎重だった。
前回とは違う。
簡単には崩れない。
それでも。
ヤースが足を絡めにきた瞬間。
ユーリイは身体をずらした。
腕を差し込む。
肩を押す。
二人が回転する。
「うわっ!」
ヤースが下になる。
逃げようとした首元へ腕が回る。
動けない。
数秒。
ヤースが芝生を二度叩いた。
「参った。」
「二本。」
ヨシーカとヤースは顔を見合わせる。
そして声を揃えた。
「「この負けず嫌いめ!」」
ユーリイは満足そうに笑った。
「借りは返した。」
「普通、数日でやり返しに来るか?」
「負けっぱなしは性に合わない。」
「それは知ってる。」
「知ってる。」
三人は芝生へ寝転がる。
しばらくして、ユーリイが思い出したように口を開いた。
「ああ、そうだ。」
「ところで、この寝技の名前だけど。」
「ん?」
「お前ら、ブラジラン・ジウジウって言ってたけど、正式にはブラジーリャン・ジウジツって言うんだぞ。」
双子は顔を見合わせた。
「は?」
「だから最初からそう言ってたじゃん。」
「ブラジーリャン・ジウジツ。」
「……。」
ユーリイは黙った。
いや。
絶対に違う。
少なくとも、自分にはブラジラン・ジウジウと聞こえた。
クエスまで少し困らせてしまった。
その張本人たちは、何事もなかったような顔で空を見上げている。
「……。」
(この野郎。)




