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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
1/11

森から帰った男

石畳の通りに、乾いた靴音が響く。

昼下がり。

人通りは多い。

声。

荷車。

金属音。

その中で。

一つだけ、浮く音。

――

ユーリイが歩く。

速度は変わらない。

視線も動かさない。

――

「ユーリイ、今日も良い男だねぇ」

通りの端。

女が声をかける。

――

ユーリイは目だけ向ける。

「男見てないから皆良く見えるんだろう」

――

女は笑う。

「ああ違いない!」

「私の知ってる男って、親父とあんたとパン屋のタッカー位だからね」

――

ユーリイは小さく苦笑する。

――

「それをぬいてもあんたはいい男だよ」

女は一歩近づく。

距離を詰めすぎない。

――

「どうだい、私と一晩どうだい」

――

ユーリイは何も言わない。

代わりに、袖を少しだけ上げる。

――

焼き印。

――

「……やめとく」

「知ってんだろ?」

――

女は一瞬だけ目を細める。

だがすぐに笑う。

――

「生殖だけが男女の仲ってわけじゃないよ」

――

ユーリイは肩をすくめる。

それ以上は続けない。

――

歩く。

――

空気が戻る。

雑踏が戻る。

――

その先で。

軍曹が足を止める。

――

ほんの一瞬。

迷ったように見える。

――

だが、すぐに背筋を伸ばす。

「……っ」

鋭く敬礼する。

通り過ぎていく男に向けて。

――

周囲の視線が遅れて集まる。

理由が分からないまま。

――

腕。

焼き印。

――

近くにいた若い兵が小さく声を漏らす。

「あれ……」

目を細める。

「男……?」

違和感。

――

「一般人の男が……一人で?」

視線が腕に落ちる。

焼き印。

意味を探る。

――

一瞬、息を呑む。

「あの印……生殖不能者、ですよね?」

――

軍曹は眉をわずかに動かす。

それだけ。

「声を落とせ」

短く言い切る。

――

視線は外さない。

男の背中から。

――

「英雄だ、我が軍の」

――

若い兵が目を見開く。

「……は?」

――

繋がらない。

理解できない。

――

軍曹は続ける。

声をさらに落として。

――

「……捨て石隊って聞いた事あるか」

――

若い兵の表情が固まる。

――

ユーリイは振り返らない。

――

周囲の人間は、無意識に道を空けている。

――

誰も命じていない。

――

それでも、空く。

――

軍曹は小さく付け加える。

――

「……あの森に入って、帰ってきた」

――

「森……?」

――

「国境の森だ」

――

一拍。

――

「帰らずの樹海」

――

若い兵は言葉を失う。

想像できない。

したくもない。

――

「分からなくていい」

――

「分からないままでいろ」

――

それ以上は言わない。

――

ユーリイの背中は、人混みに紛れて消えていった。

――

だが。

――

誰も、その背中から目を離さなかった。

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