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あの子の給食袋  作者: お寿司
第四幕 真実

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42/44

後でね

紙片の上の数字を見ていた。


台所のカウンターに置かれた白い紙に、電話番号がひとつだけ黒い印刷で記されている。〇九〇から始まる11桁の数字を端から読んだ。〇、9、〇。そこから先が読めなかった。読めないのではなく、目が滑っている。3桁目から4桁目に移るところで視線が弾かれて、何度やっても同じだった。


ソファの端に腰を下ろしていた。太ももの裏に座面の冷たさが残っていて、エアコンの送風口から22度に設定したまま変えていない空気が出ている。設定温度は変わらないのに、身体だけが冷えている。


台所の蛍光灯もリビングの天井灯も消えていて、スマートフォンの画面が暗くなってから何分経ったか分からない。カーテンの隙間から入る街灯の光だけが紙片の位置を教えていて、白い紙が暗がりの中で長方形に浮いている。


換気扇が回っていた。切り忘れた台所の換気扇が、暗い部屋の中で低く唸っている。


その音を聞きながら、残り時間を数えた。11月の東京の日の出は6時12分で、気象庁のサイトで調べたことがある。11日前、最初の写真が来た翌朝に日の出の時刻を確認した。なぜ確認したのか覚えていない。あの朝は夜明けまでにやるべきことがあったわけではなかった。今はある。


スマートフォンを起動した。画面の光が顔に当たった。1時17分。日の出まで4時間55分。電話をかけなければ、13日目のルールが適用される。かけなければ消える。かければ消す側に回る。


4時間55分。


手島がこの部屋にいた時間は40分ほどだった。5時間の7分の1にも満たない。7分の1の時間で全部が変わった。残りの時間に何が起きるか、見当がつかなかった。


何も起きない。


何も起きないまま夜明けを迎えて、消える。それが何も起きない場合の結末だった。


スマートフォンを膝の上に伏せた。画面が暗くなった。暗がりに目が慣れるまで数秒かかった。


台所のカウンターの紙片は、まだそこにあった。


手島の言葉を頭の中で巻き戻した。3つのエンド。解くこと。覚えること。消すこと。解くことは試した。パズルを解いて構造を読み解いて、サイトの仕組みを記事にした。覚えることも試した。消された人間を記録した。3000人以上に読まれた。SNSで拡散された。それでも10枚目の写真が来た。


13日間の調査で積み上げたデータが頭の中で回転している。写真の枚数。撮影距離が縮まる構図。参加者ログの消失パターン。遺留品のカタログ。レシートの日付。すべてのデータを持っている。すべてのデータが正確に記録されている。そしてそのすべてが、台所のカウンターの上の紙片1枚に集約されている。11桁の電話番号。かけるか、かけないか。データではどうにもならない2択。


スマートフォンの画面をもう一度起動した。1時23分。6分が過ぎた。残り289分。


数字が減っていくのを見ていた。


窓の外から車の音が聞こえた。どこかへ向かう深夜の車のエンジン音が近づいて、通り過ぎて、遠ざかっていく。部屋の中に音が戻った。換気扇とエアコンの送風音が交互にリズムを刻んでいて、人間が寝ていても起きていても、いてもいなくても、機械は同じリズムで動く。


手島が去ってから窓を開けていないし、ドアも閉めたままだった。部屋の空気は手島がいた40分間の空気と混ざっていて、手島の吐いた息がまだこの部屋のどこかに残っている。消毒液のような廊下の匂いはドアを閉めたときに消えて、残っているのは自分の部屋の匂いだけだった。慣れて分からなくなっている匂い。


1時28分。残り284分。


 ◇


渉のLINEを開いた。


トーク画面を上にスクロールした。最後のやり取りは18時間前だった。渉が送ってきた一行。


<終わりましたね>


私が返した一行。


<うん>


終わっていなかった。渉はそう言ったが、渉自身も分かっていたかもしれない。終わっていないことを。記事が読まれても止まらなかった。3000を超えるリアクションと、数え切れないシェアと、編集部への問い合わせと。それだけのことが起きて、それでも10枚目の写真が来た。


渉にメッセージを打とうとした。指が画面に触れた。何を打つのか考えた。「手島という人間が来ました」と打てば、渉は何を返すだろう。「3つのエンドがあります。消す側に回ることもできます」と伝えれば、渉は何と言うだろう。


打てなかった。


渉に伝えたところで、渉が何をできるのか分からなかった。渉はサイトに登録していない。13日間のカウントダウンの外にいる。外にいる人間に、中のルールを説明することの無意味さを想像した。


消す係のことを伝えたら、渉に何が起きるかを考えた。渉の弟——海斗の前にも手島が立った。選択を提示した。海斗は消す側を選ばなかった。消えた。渉にそれを伝えたら。弟が消えた夜に、消す係の人間が弟の前に立って、3つのエンドを説明して、弟はそれでも消す側を選ばなかったと。


渉がそれを聞いたら何を思うだろう。弟に選択の余地があったことを知ったら。消す側に回る選択肢が弟の目の前にあったことを知ったら。


渉の傷を広げるだけだった。


 ◇


消す係を選んだ場合。次の対象者はサイトに登録した人間だと手島は言った。登録した順番に。次が誰かは分からない。


記事が読まれた。3000人以上に。あの記事には代替現実ゲームの存在が書いてある。サイトのURLは伏せた。伏せたが、検索すれば辿り着ける程度には手がかりを残した。テックライターとして必要な透明性だと判断した。読者が自分で確認できるようにすることが記事の信頼性を担保すると。


記事を読んだ誰かが、検索して、サイトに辿り着いて、アカウントを作る。興味本位で。あるいは怖いもの見たさで。登録した瞬間に13日間が始まる。


私が消す係になっていたら、その人間の前に立つのは私だった。


カメラを首から下げて暗い通りに立ち、レンズを向ける。対象者の生活圏に入って、1日に一歩ずつ近づいていく。手島がそうしていたように、夜の10時から深夜2時まで。


その人間は気がつくだろうか。窓の外に誰かが立っていることに。真奈が気がついたように。「見られてる気がする」と笑ったように。


13日目の夜に、ドアの前に立つ。名前も知らない人間のドアの前に。「手島といいます」の代わりに「久野木といいます」と言う。3つのエンドを説明する。解いても止まらない、覚えても止まらない。止めるには消す係が途絶えるしかない。消す係が途絶えたら、対象者は消える。


その人間の顔を見ながら、同じ言葉を言う。手島がそうしたように。5年間、7人に。


渉の知人かもしれなかった。記事のコメント欄で渉にメンションした見知らぬアカウントの向こうにいる人間かもしれなかった。


海斗の顔が浮かんだ。会ったことはなく、渉のスマートフォンに入っていた写真でしか知らない22歳の丸い顔で、前髪が目にかかっていた。スマホの画面の中で笑っていた。


手島は海斗の前に立って選択を提示した。海斗は消す側を選ばなかった。消えた。


私が消す係になって、渉の知人が次の対象者になったら。渉はもう一度、外から見ることになる。弟のときと同じように。


手島の目を思い出した。感情を使い切った目。5年間で7人を消した人間の目。ひとり目を消したとき。二人目。3人目。毎回同じ言葉を言って、毎回相手が消えていくのを見る。7回。その間の時間をどう過ごしたのか。フリーのWebエンジニアとして昼は仕事をして、夜はサイトを管理して。スーパーで買い物をして、洗濯物を干して、確定申告をして。


5年間それを繰り返した人間の目が、あの目だった。


スマートフォンの画面を見ていた。渉のトーク画面が開いたまま薄暗い光を放っている。1時49分。


エアコンが切れた。送風口から出ていた空気が止まって、換気扇の音だけが残った。タイマーだった。2時間で切れる設定のまま変えていなかった。部屋の温度が下がり始めるまで少しかかる。身体はもう冷えている。


何も打たずにLINEを閉じた。


 ◇


スマートフォンの画面に、通話履歴が並んでいた。


指が勝手に開いていた。LINEを閉じた後、ホーム画面に戻る前に通話アプリをタップしていた。


画面を下にスクロールした。


非通知の着信。渉への発信。その下に、真奈への発信が並んでいる。11月1日。真奈が消えた翌日。発信、発信、発信。すべて応答なし。


その下に、着信が1件あった。


10月31日。2時17分。真奈からの着信。通話時間8分32秒。


2時17分。手島のサイト管理は午後10時から深夜2時。管理を終えて外に出た直後の時間だった。


その数字を何度見ただろう。17日間で。何10回、通話履歴を開いて、この数字を確認しただろう。8分32秒。そのうち真奈の声が聞こえたのは3分41秒まで。残りの4分51秒は沈黙だった。


真奈の声が蘇った。


速い声だった。息が浅くて、パニックではなかったが普段の真奈とは違っていた。見たことを正確に伝えようとしている声で、デザイナーの目が色と形と距離を報告していた。


窓の外に人がいて、コンビニの前の通りに立っていた。コートを着て、首からカメラをぶら下げていて、レンズの部分が光っていた。


静ちゃんのマンションの方、撮ってた。


あの夜、私はその言葉を聞いた。聞いて、撮影位置の分析に変換した。距離が縮まっていること。画角から推定した撮影距離のこと。真奈の報告をデータとして処理した。


「撮ってた」の主語を考えなかった。


真奈は「静ちゃんのマンションの方、撮ってた」と言った。誰が。真奈は言っていた。「男の人」と言った。「コート着てて」「手に何か持ってた」「カメラだと思う」「黒くて、首からぶら下げてた」「レンズの部分が光ってた」と言った。主語は「コンビニの前の通りに立ってた男の人」だった。


手島だった。


真奈が深夜の2時に窓から見た人間は手島だった。コートを着てカメラを首から下げた手島が、コンビニの前の通りに立って、私のマンションの方にレンズを向けていた。レンズの部分が光っていたのはシャッターの反射光だった。


真奈はそれを見た。見て、2時17分に私に電話をかけた。


真奈の記憶——「撮ってた」の意味が今なら分かる。

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