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あの子の給食袋  作者: お寿司
第四幕 真実

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39/44

十枚目

通知音で目が覚めた。


暗かった。部屋が暗い。カーテンの隙間から外の光は入っていない。深夜だった。


スマートフォンの画面が光っている。枕元に置いたスマートフォンの画面が、暗い部屋の中で白く光っている。


通知。


カメラロールの同期通知。


指が画面に触れなかった。触れるまでに時間がかかった。何秒か。5秒か10秒か、分からなかった。画面の光を見ていた。通知のアイコンを見ていた。カメラロール。同期。更新。新しい写真。


2日間、何もなかった。写真は来なかった。記事を公開して、読まれて、拡散して、渉が「終わりましたね」と言って、うんと答えた。洗濯物を干した。おにぎりを食べた。テレビをつけた。眠れた。朝食のトーストのバターの塩気を思い出した。銀杏の葉が歩道を転がっていた。


通知はカメラロールの同期通知だった。記事のコメント通知ではなかった。ブックマークの通知でもなかった。


指が画面に触れた。


開いた。


カメラロールが表示された。最後の写真の後に、新しい写真が1枚追加されていた。10枚目。


サムネイルをタップした。


写真が展開された。


玄関のドアだった。


自分の部屋の玄関ドア。外側から撮影されている。ドアの表面。塗装の色。右上の角に2年前にぶつけた傷がある。郵便受けの口。そして部屋番号。自分の部屋番号がドアの上部に刻まれている。


外側から撮っている。廊下に立って、自分の部屋のドアを正面から撮っている。ドアノブの高さのアングル。撮影者の立ち位置が分かる。ドアから一歩、あるいは2歩の距離。手を伸ばせばドアノブに届く位置。


指がスマートフォンの側面を握り込んでいた。


詳細情報を開いた。Exifデータ。撮影時刻。


今日の日付。Day 15。午後11時47分。


止まっていた2日間ではなかった。今日だった。今日撮られていた。記事を公開した後の2日間、写真が来なかった2日間、終わったと思った2日間——その後の今日。今日の午後11時47分に、この写真は撮影されていた。


午後11時47分。今は何時だ。スマートフォンの時計を見た。午前零時3分。


16分前。


16分前に、誰かがこのドアの前に立っていた。


布団の中にいた。身体がまだ布団の温もりの中にあった。さっきまで安心して眠っていた身体が。おにぎりを食べて、シャワーを浴びて、歯を磨いて、布団に入って、眠った身体が。


16分前。自分が眠っていた16分前に、ドアの外に誰かがいた。


記事を書いた。公開した。読まれた。拡散した。3000人以上がブックマークした。光を当てた。暗闇の中で起きていたことを白日の下に晒した。渉が「終わりましたね」と言った。うんと答えた。


終わっていなかった。


写真が止まったのではなかった。送信が止まっていただけだった。撮影者は2日間、写真を送らなかった。送らなかっただけで、撮影は続いていた。


記事が公開された後も。3000のブックマークが積み上がっている間も。


今朝、トーストを焼いた。バターを塗った。いちごジャムをすくった。コーヒーを飲んで、洗い物をした。洗濯機を回した。ベランダで洗濯物を干した。風が気持ちよかった。買い物に行った。コンビニでおにぎりを買った。帰り道の銀杏が黄色かった。テレビをつけた。日曜日の番組を流していた。


その間ずっと、撮影は続いていた。


そして10枚目は9枚目より近かった。


9枚目はバスターミナル。建物の外。公共の場所。そこから10枚目——自分の部屋の玄関ドア。建物の中。マンションの廊下。自分のドアの前。


外から中に入ってきていた。


エントランスはオートロックではない。築年数の古いマンションで、エントランスのドアは誰でも開けられる。階段を上がった。廊下を歩いた。ドアの前に立った。カメラを構えた。シャッターを押した。午後11時47分。


自分は布団の中で眠っていた。


ドア1枚の向こうで。


スマートフォンを持つ手が震えていた。画面の中の写真が揺れている。自分の部屋のドア。部屋番号。郵便受け。塗装の傷。知っている傷だった。2年前に引っ越しの荷物をぶつけた傷を、撮影者も知っている距離で撮っている。


渉に連絡しなければと思った。スマートフォンを握っている手が動かなかった。LINEを開くことは、写真の画面を閉じることだった。写真を閉じることが怖いのではなかった。写真を閉じてLINEを開いて、そのあいだにドアの向こうで何が起きているのかが分からないことが怖かった。


ベッドの上で身体を起こした。掛け布団がずり落ちた。部屋の空気が冷たかった。暖房は切っていた。さっきまでは布団の中の温度だけで10分だった。


写真から顔を上げた。


暗い部屋の中。ベッドの上。エアコンは止まっている。壁時計の秒針が暗闇の中で刻みを落としている。台所の蛇口から水滴がひとつ落ちた。パッキンの劣化した蛇口。昼間は気にならなかった音が、深夜の暗がりの中では部屋全体に広がった。


玄関のドアが見えた。ワンルームの部屋。ベッドから玄関まで、5メートルもない。


写真のドアと、目の前のドアが同じものだった。画面の中のドアと、暗い部屋の奥にあるドアが。


ドアノブは動いていない。チェーンはかかっている。寝る前にかけた。かぎも閉めた。


ドアの下の隙間から廊下の蛍光灯の光が細く漏れている。白い光の筋が、玄関のタイルの上に横1文字に伸びている。


その光の筋を見ていた。


スマートフォンの画面の光を消した。部屋が暗くなった。ドアの下の光だけが残っている。


光が一度、揺れた。


蛍光灯の光が、ドアの下の隙間から入ってくる光が、一瞬だけ暗くなって、戻った。何かがドアの前を横切ったように。あるいは何かがドアの前に立って、足元の光を遮ったように。


呼吸を止めた。


蛇口の水滴が落ちている。換気扇のモーター音が低く響いている。それ以外の音を探した。廊下の音。足音。衣擦れ。呼吸。何も聞こえなかった。


ドアの向こうに、気配がした。


音ではなかった。物音ではなかった。ドアノブが動いたわけでもない。何かが聞こえたわけではなかった。壁時計の秒針と、蛇口の水滴だけが、部屋の中で時間を刻んでいた。


廊下の蛍光灯の光が、ドアの下の隙間で、もう一度揺れた。


ドアの向こうに、誰かがいた。

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