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四章⑨『四季の間』

「もう、意味が解らん。わたしは頭がおかしくなったのか?」

 クラウズェアが呆然とするのも無理はなかった。


 右の分かれ道へ進んだ一行は、またもや突き当たりと茶色の〈石〉を見付けた。今度はクラウズェアが触れてみたのだが壁はうんともすんとも言わず、アルテミシアが触れると浮いて天井に消えた。

 一歩踏み入ると明かりの点いたそこはやはり部屋になっており、縦横一〇mほどの広い空間に、ずらりと並んだ(たん)()や本棚や大きな机と何かの器具、それとベッドが一つ。いくつかの扉も。

「理科室と保健室を合わせたみてぇな部屋だな、こりゃ」

「それはどんな部屋?」

 ジャックの感想にアルテミシアが食いついた。

「理科室は色んな植物や動物や鉱物を使って様々な事を試す部屋です。保健室は傷の手当てをしたり、色っぺぇ養護教諭――薬師から誘惑される部屋です」

 ずいぶん偏った説明であった。

「なんとなく(きょ)()の説明を受けた気がするのは、わたしだけか?」

 クラウズェアは疑いの目で影人間を見つめた。

「そんな事よりお二人さん、奥に四つばかり扉がありやすぜ?」

 黒い指が指し示した方向には、確かに扉が四つあった。近寄ると、どの扉にも石はついておらず、普通に取っ手を回すタイプだった。

 まず最初に、左端の扉をクラウズェアが開けた。そして、中の光景を見た彼女は、冒頭の通り呟いたという訳だ。

 ――そこは、春だった。

 どこまでも続く広い空間。広い土地。

 ぽかぽか陽気が満たすそこは、青い空の下を種々の草花が色とりどりに咲き乱れている。向こうの方には山があり、山桜が白っぽいのやら赤っぽいのやらその中間色やらの花をわんさかと咲かせている。

 また別の方へ目をやると、地平線が遠く霞んで見えた。桃の花が咲き誇る枝々を小鳥が飛び交い、黄色い菜の花畑を兎が跳ね、白い水芭蕉が揺れる隣の川を(こい)が泳いでいる。

「洞窟の出口に出た……にしちゃあ今まで見た天焦山の風景と違いすぎる。何より、空にお天道様が浮いてねぇ」

 ジャックの言う通り、空は明るいのにも関わらず、太陽の姿は無かった。

「銀の霧が濃いよ?」

 アルテミシアの赤い目には、辺り一面に漂う霧が見えている。

「あとに、しよう」

 そう言って、クラウズェアが扉をそっと閉じた。見なかった事にしたかったのだ。

 一つ右隣の扉を開けると――今度は、夏だった。

 蝉の鳴き声があふれ出る。

「出口に出たようだな」

 クラウズェアの言葉を、ジャックが否定した。

「現実逃避してぇようですがね? お空にお天道様が無い。生えてる木や草も、天焦山の物とは趣が違いやす。……っていうか、向日葵(ひまわり)畑とかあるし。なんじゃこりゃ?」

 元気よく天を向く向日葵たちや、赤紫と青紫の鮮やかな紫陽花(あじさい)、今はもう(しお)れてしまったが朝顔もあり、そしてもう充分に驚いた三人を更に驚かせた物は、

「海ですね」

「海、なのか?」

「あれが、うみ?」

 遠くの方に白い砂浜が広がり、その向こうは広大な大海原が果てしなく続いていた。上空を、鳥が飛んでいる。

「こいつぁ、たまげた」

「それ以前に、おかしいだろう?」

 ジャックの感想に、クラウズェアが抗議するような声を上げた。

「海って、本当に大きいんだね」

「そう、海は大きいの……待って? おかしいでしょ?」

 アルテミシアの感動に、思考の追い付かない女騎士は待ったを掛けた。

「おっしゃ、テンション上がってきた! 外からスイカ持ってきて、あの砂浜でスイカ割りしやしょう! そいで、カチ割ったスイカを貪り食って、誰が一番遠くまで種を飛ばせるか、競争です! 優勝者は負けた奴に何でも命令できるルールで」

「うん。競争しよう? 最初は、あそこまで走って行く競争をしよう?」

【キョウソウ、キョウソウ】

「位置に着いて、ヨーイ」

「待てい!」

 浮かれ(とん)()()になって今にも駆け出しそうな二人を、クラウズェアの一喝が止めた。

「走って行ってどうするっ?」

「そういや、スイカを持ってきていやせんでしたね。ジャックうっかり」

「違うだろう!」

「あ、ジャックさんはぼくの影にいるんだから、楽ができるね。ぼくだけ走ることになっちゃう。ずるいよ」

「そうじゃないでしょう? だいたい、走るとか言う以前に、二人は一緒に着いちゃうでしょう? それじゃあ競争にならないわ。いえ、そうではなく」

 興奮気味の少女は、肩ではあはあと息をしながらそれそれに突っ込んだ。

「何故、海がある? ここは山のはずでしょう? そしてどうして昼間なの? いえ、太陽が昇ってないから昼なのかどうかも判らないけど、外は夜でしょ? ええ、夜だったわ」

 だんだんと怪しくなってくる自分の認識をしっかりさせようと、ことさらはっきりクラウズェアは断じた。

「おかしいね?」

「おかしいですねぇ」

 二人も、駆け出すのは取り敢えずやめにして、クラウズェアに追従した。

 まあ、生真面目な少女のように状況を()(あく)したかった訳ではなく、単にこの怒ると恐ろしい少女を刺激したくなかっただけなのだが。

「取り敢えず、残りの二つも見てみやしょうか?」

「そうだね」

「うーむ」

 ジャックの提案に二人は従い、三つ目の扉を開けることにした。

 秋だった。

 赤や黄に色づいた木の葉が美しい。

「次」

「え? もう?」

 一瞥しただけで発された言葉に、ジャックが背の高い少女を見上げる。

「次」

 逆らえる雰囲気では無かった。アルテミシアは黙っている。ジャックも黙って従うことにした。

 四つ目の扉は冬だった。

「なるほど」

 雪景色を一瞥した女騎士は、そう言って扉を閉めた。

 誰も、何も抗議しなかった。

「どうしやしょうか?」

 ジャックがお伺いを立てると、

「まだしも解りそうな所から。まずはこの部屋を調べる」

 女騎士の下知に、アルテミシアは「うん」と答え、ジャックは「へへぇ」と土下座した。



 そうして三人で調べた結果。

「書庫兼本草庫ほんぞうこですね」

 ジャックが言った。

「本草とはなんだ?」

 クラウズェアの問いかけに、

「植物・動物・鉱物の中で薬になる物を本草って言うんです。ここは、それを加工したり保存したり調合したり処方する用途で作られた部屋でしょうね。本棚にゃあ本草書があるし、箪笥の中身は本草を加工した(しょう)(やく)で一杯です。あっしの国じゃあそれを漢方って言いますが」

 どこか懐かしむような物言いに、赤い目が黒いのっぺらぼうを見つめた。

「帰りたいよね」

 ぽつりと呟かれたその言葉に、クラウズェアは神妙な顔をし、ジャックはへらへらと笑った。

「いや、どうでしょうね?」

 誤魔化すような、はっきりしない返答に、アルテミシアは目を伏せて考え込み、クラウズェアは思い切って問いかけた。

「やはり、影の国は遠いのか?」

 育ての親のことで不用意な発言をしてしまったと悔いていたクラウズェアだったが、それでも()かずにはいられなかった。なんのかんのと言いながら、ジャックには助けられている。危機を救って貰いもしたし、何よりもアルテミシアの心を救ってくれた。

 恩人と呼ぶに相応しい。

 できることは少ない身だったが、それでも何とか力になってやりたいと思った。

 それはアルテミシアも一緒だった。少年にとって、この楽しい影人間は幼なじみの少女や胸中の子供と同じくらい、大切な存在になっていたのだから。

 そんな二人の気持ちを察して、ジャックは明るい声を出した。

「ま、遠いっちゃあ遠いんでしょうねぇ。けど、いますぐ戻れるってぇ訳でもねぇですからね。最初は驚きもしたし、焦りもしやしたが、今じゃあお二人とー、あ、モリオンとも含めて四人でぶらり旅をすんのが、えらい楽しくなってやしてね? へへ」

 偽りなく零れた笑い声に、クラウズェアは「そうか」とだけ答え、アルテミシアはじっとジャックを見つめた。

「それよか、随分と時間が経っちまいやした。とっとと風呂でも入って寝る事にしやしょう」

 しんみりした空気を追い払うように、明るい声で少年少女を促した。

「入るのか、風呂に」

「【楽しみだね】」

【タノシミタノシミ】

 先程とはまた違う重い口調というか、緊張をした声のクラウズェアと、実際に楽しみなアルテミシア親子が、それぞれの反応を見せたのであった。


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