四章⑩『愛と大切の絶叫』
奇妙な光景だった。
一人だけ裸になったアルテミシアが、モリオンを抱いて湯船につかっている。そして、目隠しをし、ブーツを脱いで裸足になったクラウズェアが、椅子に座っている。ジャックはアルテミシアの影に潜んで出てこない。
こうなった経緯をを説明しよう。
一行が風呂場に行くとすでに湯船は一杯となり、湯と水は勝手に止まっていた。入り口付近に茶色の彩化晶があり、それに触れると石扉が降りてきたので、暖気が漏れる心配はなくなった。そうしてアルテミシアがこう言ったのだ。
『ローズも一緒に入るでしょう?』
この言葉には、さすがの幼なじみも慌てふためいた。
アルテミシアは、毎日側仕えの巫女達から体を洗われていた。盲目の少年は、産まれた時からそうだった。
また、女人禁制の神殿に閉じ込められて育ったので、男女の性差というものに疎かったし、そもそも“女子”として育てられた。
だから、女の服を着ることも、ジャックから『お嬢ちゃん』と呼ばれることも、そして女性相手に肌を晒したり一緒に風呂に入ることも抵抗はなかったのだ。
だが、クラウズェアは違う。
男勝りな性格をしてはいるが、れっきとした女性であり、花も恥じらう乙女だ。ましてや貴族のご令嬢なのだから、平民よりも慎み深い。
アルテミシアを守りたい一心で剣を取り、ズボンを穿き、馬にまたがりこそすれ、男子と全く同じという訳ではなかったし、それ以前に異性に――アルテミシアをよく知る彼女ですらその事実を忘れそうなこともあったが――男の子に肌を晒すなど、貞淑な彼女には考えられないことだった。
だから、部屋の外で待っていようと思ったのだ、ジャックがこう言うまでは。
『そいじゃあ、クラウズェア姐さんはほっといて、あっしら二人で入りやしょう? シア嬢ちゃんと二人っきり。裸のおつきあい~。おお、アルテミシア、あなたはどうしてそんなに白い肌をしているの? それはね? このジャックに食べられるためさ~! ジュルリ』
下品な舌舐めずりの音が風呂場に反響し、クラウズェアの怒りに火を点けた。
『シア? そこの汚物が悪さをしないように、見張ることにしたわ』
勿論、少年に嫌と言える訳が無かった。
こうして、この奇妙な状況が生まれる事となった、という訳だ。
ちゃぷちゃぷという湯が波打つ音と、ぽたりぴちゃりという天井で結露した滴が落ちる音が、風呂場に反響する。
「シア? ジャックはちゃんと影から出てきていないでしょうね?」
腕組みしている監察官が、椅子にどかりと座ったまま質問した。
「今は目が見えないから判らないけれど、ジャックさんは約束を破る人じゃないよ」
モリオンを両手で抱いたアルテミシアが、頬を黒い球体にくっつけたまま返事した。抱っこされているモリオンの方は、赤い光をゆっくりと穏やかに点滅させている。
ところで今のアルテミシアの姿だが。
リボンを解いているので、全方位に垂れ下がった白い髪が顔も裸身も覆い隠し、さながら繭に包まれたかの様だ。目が見えていたとしても、これでは周りはよく見えない。
白い少年と黒い球体。見る者があったのなら、きっとかなり驚いた事だろう。
「信用ないっすねぇ、あっし」
白く長い髪の内側から、ジャックのぼやきが聞こえた。
いつものような地面に落ちた影からではない。この浴室は、床も天井も側面の壁も四方八方が光っている。影ができにくいのだ。だから、今は白い髪と白い肌の隙間にできた影に潜んでいるのだ。
「仲間としては信頼している。だが、お前の特殊で破廉恥な性癖は信用ならん。もし言いつけを破って影から出てくれば……わかっているな?」
恐ろしい声で脅しつけるクラウズェアに「ひえぇ」と恐怖の声を漏らす破廉恥影人間。
「もう、そんな風に言ったらダメだよ? 本当はジャックさんとも一緒に入りたかったのに。ねえローズ? 本当に一緒に入らないの? 後で一人で入るなんて、手間じゃないの?」
少しだけ不満の滲んだ少年の声に、赤毛の少女は慌てた。
「ダ、ダメよ! そういうのは慎み深い人間がするものではないわ。異性が肌を晒して良いのは、結婚した相手だけよ? 側仕えの神殿巫女達だって、装束を着たまま湯浴みのお世話をしてたはずよ?」
大仰に手を振った後、落ち着かない風に素足で床を探るような動きをした。
温かい床だった。床だけではない。光を発する壁全てが温かいのだ。
クラウズェア達には知る術が無かったが、発される光には可視光線だけでなく、赤外線と紫外線も含まれていた。光量の少ない太陽みたいなものだ。赤外線で保温をし、紫外線で屋内の殺菌をする。が、肌が焼けるほどではない。よくできている。
話はそれるが、体の白いアルテミシアが妖精境の強い日差しで肌を焼かれないのは、モリオンのおかげだった。アルテミシアが酒場で『なんだか体も元気だし』と云っていたのはこういうことも含んでいたのだ。
それはさておき。
足を温めて心を落ち着けているクラウズェアに、ジャックが揶揄するような問いかけをした。
「しかし、ここまでしやすかい? 愛ゆえの行動でやんすねぇ?」
目隠しをしてまでの女騎士の行動を指しているのだ。だが、ジャックの意図したものとは違う部分にクラウズェアは反応した。
「わたしはその『愛』という言葉が好かん。東の大陸で流行っている宗教の教えの一つらしいのだがな。我が国でも、最近の若い連中が“愛”という言葉を使うことに気触れておるようだが、本来、我が国には愛などと言う言葉は無かった」
結婚できる年齢とは言え、『若い連中』の範疇に入る少女が、腕組みしながら不愉快そうに鼻を鳴らす。
「それまでは?」
「“大切”だ」
ジャックの興味深げな問いに、女騎士が重々しく答えた。
「素朴で、飾り気が無く、それでいて心にせまるものがある。愛などという浮ついた言葉ではなく“大切”という言葉こそ、まことに人を想い、また分け隔て無く天地自然のもの全てにかかる言葉だ」
熱のこもった言葉に、ジャックがしめたと言葉をつなぐ。
「ほうほう? ほんじゃあクラウズェア姐さんからしたら、シア嬢ちゃんなんて一番大切なんじゃあねぇですかい?」
「当たり前だ。わたしにとってシアは一番大切で、一番大事で、他の何にも代えられない、わたしの宝物だ」
間髪入れぬ返答だった。話に熱中していた。目隠しで目が見えていないこともあり、同じ部屋にアルテミシアが居る事を失念しているのだ。
「ぼくも、ローズのこと、すごくすごく大切に思ってる。他の誰にも代えられない。ローズはローズだけ」
「ありがとう、シア……え?」
堂々と言ってのけるには恥ずかしいことではあったが、嘘や誤魔化しは嫌だった。大切な気持ちなら尚更だ。それに、ジャックには人の胸襟を開かせる不思議な魅力があった。だから話してしまった。それはいい。ジャックと二人での話ならば。
だが――
「いやぁ、熱烈な愛の告白でしたねぇ。いやいや、愛じゃあなくて大切か」
はやし立てるような声の前に、確かにアルテミシアの声も聞こえた。
「……シア?」
恐る恐る少女が問うと、
「なぁに?」
ちゃぷりという身じろぎに合わせた湯の音と、確かに少年の声が聞こえたのだ。
「き、聞いてたの?」
「ん? うん、聞いてたけれど」
当たり前だ。同じ部屋に居るのだから。目が見えなくなったからと言って、人が居なくなる訳ではないのだから。
「わたしはっ、わた、わたしはぁっ?」
「なに? どうしたの?」
恥ずかしさのあまり、頭を抱えて絶叫し始めた幼なじみの少女に、驚いたアルテミシアはびくりと身を震わせた。
「ローズ? ねぇ、どうしたの?」
「シアに聞かれたぁ!」
「あ~らら」
しばらくの間、浴室に少女の絶叫が響き渡ったのだった。




