第7話
「ユリス! 心配したんだぞっ! 一体どこに行っていたんだ!」
「お父様に話すことなんてありません。それより――客人をお連れしました。……誰か、客室の用意をお願い」
「客人? この状況で、なぜ私に断りもなく屋敷へ通すんだ!」
「“この状況”も何も、全部お父様が勝手にやらかしたことでしょう? 私には関係ありませんからっ!」
ルメリアでも特に富裕層が住む区画へと入り、ユリスの屋敷に足を踏み入れた愛たちは、早くも修羅場の真っ只中にいた。
応接間には、怒りを滲ませた父親と、毅然と立つユリスが対峙している。
ユリスの父は、人族の中でも小柄で痩せ型。
険しく吊り上がった眉と細い唇のせいで、神経質さが際立つ印象だった。
ユリスを迎えに来た部下たちが慌てて間に入り、親子をなだめようとするが、言葉の応酬は激しさを増すばかり。
もはや収拾のつかない口論に、使用人たちも遠巻きに息を潜めていた。
「帰るのが不安って言ってた割には、ずいぶん強気ね、あの子……」
愛が呆れたように囁くと、隣のオズウェルが肩を竦める。
「僕たちが居るから言えるんだろうね。……まぁ、大人しくしてたら、すぐにでも結婚話を強行されそうだし、今言わないでいつ言うんだって感じなんだろう」
二人はそう言いながら、そそくさとソファから立ち上がり、親子の喧騒から少し距離を取った。
すると、その気配を察したかのように、一人の執事がスススと静かに近づいてくる。
恭しく会釈した彼は、愛たちに小声で何事かを告げ、促すようにして部屋の外へと導いた。
案内された客室は、まるで上級貴族の宿泊するスイートルームのような造りだった。
扉続きのリビングルームの奥には、寝室、浴室、そして化粧室までが揃い、どこも整然と磨き上げられている。
リビングの椅子に腰を下ろすと、いつの間に手配されていたのか、数名の侍女が姿を現し、紅茶と菓子を上品な所作でテーブルへと並べていく。
香り高い湯気とともに、甘やかな香りが室内に満ちた。
侍女たちが一通りのサーブを終えて部屋を辞すと、その場に残った執事が静かに一礼し、穏やかな声で口を開いた。
「私はこの屋敷の管理を任されております、家令兼執事のグレイブと申します。先ほどは、旦那様とお嬢様の口論に巻き込んでしまいまして――誠に申し訳ございません」
「あ、いえ。こちらこそ、急に押しかけてしまって……。その、彼女から事情はある程度うかがっています」
「さようでございますか。……差し支えなければお尋ねいたしますが、お嬢様とは、どのようなご関係でいらっしゃいますか?」
グレイブの問いは、至極もっともなものだった。
しばらく家を飛び出していたユリスが、突然見知らぬ客人を連れて帰ってきたのだ。
不審に思わない方がおかしい。
本来であれば、屋敷の敷居をまたがせることすらためらうのが常だろう。
それでもこうして即座に客室を整え、上等なもてなしを用意できるのだから――フォルナート商会が優れた人材を抱えていることは疑う余地がない。
愛たちは、グレイブの丁寧な態度の裏に、鋭い警戒心が潜んでいることに気づいていた。
下手な取り繕いは逆効果だと判断し、できるだけ穏やかに、事の経緯を包み隠さず話すことにした。
ルメリアに来たばかりの旅人であること。
宿を探していたところを偶然ユリスたちの騒動に巻き込まれ、結果的に宿を取る時間を失ってしまったこと。
そして騒動の詫びとして、ユリスの申し出により屋敷へと招かれたこと――。
一通りの説明を終えると、グレイブは深く頭を垂れ、静かに言葉を継いだ。
「この度は、当家の内輪のいざこざに巻き込んでしまい……誠に申し訳ございません」
グレイブは深く頭を下げたのち、ゆるやかに顔を上げる。
先ほどまで張りつめていた警戒の色が、ほんのわずかに和らいだのが分かった。
その口元には、控えめながらも穏やかな笑みが浮かんでいる。
「旦那様には、お二人のご事情について後ほど私の方からお話させていただきます」
「助かります。……ちゃんとご挨拶もできなかったので、少し気になっていました」
愛としては、屋敷の主人に一言も挨拶せずに客室へ通されたことが、やはり落ち着かなかった。
グレイブはそんな彼女の安堵を見て、わずかに表情を曇らせながらも、穏やかな声音で続けた。
「ただ――お二人のほかにも、現在この館にはお客様がお見えでして。もしかすると……少々、ご不快な思いをさせてしまうやもしれません」
歯切れの悪いその言葉に、愛の胸中に緊張が走る。
その瞬間、彼女の脳裏には、ユリスが語っていた「懸念」の影が過った。
――まさか、彼女の予感はすでに現実になりつつあるのだろうか。
グレイブは、例の客人と鉢合わせしないようにとの配慮からか、「どうか客室でごゆっくりおくつろぎください」とだけ言い残し、静かに部屋を後にした。
去っていく彼の背を目で追いながら、愛はユリスの置かれている状況の悪さに、何とも言えない歯がゆさを覚える。
「アイ、僕たちが関わる問題じゃないよ」
愛の心中を見抜いたように、オズウェルがそう言葉にする。
「彼女の抱える事情は大変なことだけど、僕らが介入するのは違う。これは彼女が自分でどうにかしなければならないことだ。僕らをここに呼んだ理由も、ここに人を呼ぶことで手荒な真似ができないようにする――彼女なりの牽制だよ。僕らはここにいる時点で、すでに彼女にある程度協力している。これ以上は必要ないはずだ」
その言葉に、愛ははっとする。
自分が無意識のうちにユリスへ同情を寄せ、助けたいと思っていたことに気づいた。
けれど、それは優しさというより――何不自由なく、家族の愛の中で育ってきた者の傲慢さなのかもしれない。
「……そうね。私たちはあくまで旅人。外の人間が口を出すことじゃない。……わかっているけれど、それでもどうにかしてあげたいって思ってしまうわ」
「アイは損な性格をしているよね。僕のことも拾っちゃうくらいなんだから」
おどけたように肩を竦めるオズウェルに、愛は思わず小さく笑みを零す。
出会った時のオズウェルを思い出すと、確かに――情に訴えられるのには弱いのだと、自分でも思ってしまう。
「ふふ、あんなに縋られたら、拾わざるを得ないでしょ? まったく、男の人に泣いて縋られたのなんて初めてだったのよ?」
「君が振り向いてくれるなら、どんな弱い姿でも見せるさ。現に君はここにいる。――僕の隣にね」
ウインクを送るオズウェルから目をそらし、愛は照れ隠しのように目の前の茶菓子を頬張った。
けれど、その耳は羞恥を隠しきれないほど赤く染まっている。
この竜は、自分の魅せ方というものをよくわかっている。
人の姿をとったときの美しさも、愛が彼の穏やかな性格を少なからず気に入っていることも承知の上で、こうして時折、意地悪な言葉を投げかけてくるのだ。
それもまた、愛にとっては抗いがたい魅力であり、恋愛経験の乏しい彼女には、毒のような甘さだった。
旅を重ねるうちに、二人の距離は少しずつ近づいていった。
今では軽口を交わせるほどには、互いを知り、信頼もしている。
それでも――まだ始まったばかりの旅路。
時間はたっぷりある。オズウェルが彼女の歩調に合わせてくれていることを感じながら、愛は表には出さずとも、胸の奥で静かに喜んでいた。




