6話目 面倒なことこの上ない
週も半ばに差し掛かり、時村は警衛と呼ばれる、駐屯地警備に上番した。
警衛隊は駐屯地に所在する部隊が日替わりで人員を出して24時間警備を行うものであり、仮眠は少ないものの下番したら休務、つまり休みが与えられる。
ちなみに自衛隊法にて、警衛下番した隊員は数時間、当直や警衛など他の特別勤務に上番させてはならないという規則があるあたり、やはり警衛は負荷が大きいものだ。
「……静かだな」
時間は午後2時、駐屯地表門に置かれた電話ボックスのような警戒ポスト前、時村は立哨として警戒にあたっていた。
数人で交代しながら表門を守り、入出門するものの身分証等を確認する役目ではあるが、朝夕を除いては人通りもなく、暇な時間が多い。
かと言って歩哨は許可なく座臥してはならないし、スマホなどいじってサボっていようものなら懲戒処分だ。
警衛に留まらず、実際の戦闘中でも陣地を守る歩哨の役目は重大であり、それに伴う責任も大きい。
歩哨が居眠りしたせいで陣地に敵が侵入するのを防げず、幹部全員を討ち取られた、なんて話はどこでも聞くものだ。
そういった歩哨の責任は重々理解しているものの、やはり何もないところで立ったまま見張り続ける集中力を保つのは並大抵のことではない。
暇を潰すように腰の警棒を触れているが、そんなことをしても時計の針はその速度を変えたりはしない。
「誰もこなきゃ楽なんだが」
こういう時に業者の入門があったりすると、その手続きでちょっとは眠気も覚める。
それならまだ歓迎だが、随分と前には銃を奪おうとした過激派が自衛官を刺殺した事件があったし、車で表門を強行突破して暴走した挙句、自衛官を轢き殺した事件もあった。
そんなことを思い出せば、少しは油断した身が引き締まるし、口が裂けても何か起こらないか、などとは言えなくなる。
かといってそれがどれほど長持ちするかというとまた別の問題であるので、今度は右や左を見て変なものがないかを探し、耐えるしかない。
いつもなら右も左もバカばかりで飽きないのに、表門の外には何もない。
そういえば那覇駐屯地の話だっただろうか、表門のすぐ前にビーチがあるらしく、夏の警衛はビキニギャルを眺めて目の保養をすることができるとか。
残念だが桜庭駐屯地の目の前は道路しかなく、行き交う車や買い物のおばちゃんくらいしか通らない。
夕方くらいに小学生が帰る時間になると、元気な男子が敬礼の真似事をしてくれるので心が癒されるものだ。
「交代だぞ。なんか変わりあったか?」
ようやく交代の皆坂がやってきて、時村は安堵のため息を漏らす。
交代したら哨所裏で休憩を貰えるので、横の自販機でコーヒーを買って一服するのが密かな楽しみであったりする。
「変わりが無さすぎて眠気ヤバし、コーヒー必須」
「飲みながら立っていいならいくらでも立ってやるよ。ほら、一休みしてこい」
サンキュ、と一言告げて時村は警戒ポストを離れる。
ポストより少し後ろ、道路脇の平屋が哨所という、業者や面会の受付兼詰所になっているので、朝は工事業者でごった返す窓口も今は閑古鳥が鳴いていた。
「交代しました。異常なしです」
哨所に戻り、中央のデスクに座る近衛に報告する。
今日の警衛をまとめる警衛司令は近衛であり、何かあったら彼に報告することとなっているのだ。
「りょ、15分くらい休んどいで」
「じゃあ休憩いただきますね」
休憩を得た時村は早速外の自販機で缶コーヒーを買い、外から見えないように隠れてそれを飲む。
相変わらず苦く、まあまあ香りもいいそれは苦味とカフェインで無理矢理眠気を飛ばすのには向いているかもしれないが、なんだか物足りなく感じる。
「あのコーヒー飲んだ後じゃなぁ……」
週末に飲んだマスターのコーヒーに比べたら、これは泥水というべきか。
こうして飲み比べてみてその価値がわかる。
缶コーヒーの方がはるかに安いし、マスターのコーヒー1杯分で3本は缶コーヒーを飲める。
それでも、3本の缶コーヒーよりあの1杯を求めてしまうのが人間というものだ。
それに、ここに美優はいないのだから。
「溜息なんて吐いて、どうしたよ?」
顔を上げてみれば、そこには繁藤3曹が立っていた。
彼も時村と同じ分隊に所属しており、今日は受付担当として警衛に上番している。
どうやらコーヒーを飲みに来たようだが、そこで溜息を吐く時村を目撃してしまった、というわけだ。
「先週飲んだコーヒーが美味すぎたもので、缶コーヒーがなんとも泥水のように……」
「警衛中のコーヒーなんて、眠気飛ばせりゃそれでいいんだよ」
何を贅沢をと言う繁藤だが、奥さんに財布を握られてコーヒー一杯にしても可能な限り安く抑えたい身の上だから致し方ないのかも知れない。
それに、警衛中のコーヒーに求められるのは美味さよりカフェインであることは確かな事実であるので、安く眠気覚ましができればいいと言う考えも分かる。
「そりゃそうですけど、ほっと一息」
「それは警衛終わってからの楽しみだ。警戒中に気を抜いてどーすんよ」
それを言われたらぐうの音も出ない。
苦笑いを浮かべる時村を、繁藤は怪訝な表情で見つめていた。
「なんだ、コンさんといった店で店員に一目惚れでもしたんか?」
「どーしてそうなるんすか」
「コンさんが言ってたぞ、バイトの娘といい感じだったってよ。お前に春が来たかと感激してたわ」
「冗談っすよね?」
「確かめてみるか?」
「いやーな予感がするのでやめときます」
中隊において、彼女なしの代名詞とされる時村に春が訪れたなどと噂が飛ぼうものならば、たちまちゴシップ好きな先輩上官その他大勢によって拷問にかけられてしまうだろう。
自衛官は暇なのか、ゴシップが大好きだ。
特に身内のゴシップには敏感であり、誰に女ができたとか、誰が店行って卒業したなど、そういうネタにはパパラッチよりも嬉々として飛びつく。
だからこそ年齢イコール彼女なしの時村が同年代の女の子といい雰囲気だった、など噂が立つだけでも中隊は水を得た魚の如く湧き立つ。
「まー、お前さんが身持ち固めるならそれはそれでいいことだけどな」
「繁藤パイセンは嫁さんの尻に敷かれてますけどね」
「おうおう、なんか言ったかぁ?」
繁藤の恐妻家ネタを持ち出した時村は腕つねりの制裁を受ける羽目になった。
繁藤は中堅3等陸曹として序列もそこそこであるのに、家ではおっかない奥さんの尻に敷かれ、家庭内序列最下層であると、中隊ではかなり有名な話である。
「いでででで!マジの話じゃないですか!」
「うるせーよ、思い出させんな!さっさと表戻れ!」
扱いが酷えや、などとぼやく時村はヘルメットを被り直し、哨所内での見張りに戻る。
「おう時村、ようやく女ができたって?」
戻って1番にそんな言葉が投げかけられた。
それから警衛下番まで、このネタを引きずられたのは言わずもがな。