29.意志
エントールを揺さぶり試すような真似はしない。
ただ。
以前、フローフィリィアは、ララに傾いていくエントールに文句を言った。
『私が、他の男性と二人きりで、仲睦まじく話す機会を何度も設けたら、トールはどうするのです? 嫉妬なさらないの?』
あの時、エントールは具体的な答えを返さなかった気がする。
嫉妬を、なさっていますか。
だとしたら、あの時の事を、詫びてくださいますか。
いいえ。具体的に詫びなくても良い。ずっと私だけを見て下さればそれで良い。
「・・・早く今日が終われば良いのに。そうしたら、リィアを独り占めできる」
小さく、フローフィリィアにだけ聞こえるように絞った声で弱音が聞こえた。
クスリ、とフローフィリィアは笑ってみる。
「どなたと踊ろうとも、トールにしか惹かれませんわ」
「・・・そうか」
安心したようにエントールが頬を撫でた。
キャァ、と周囲から二人の様子に黄色い声が上がった。二人で我に返って共に頬を染めた。
***
学校生活も、もう終わりだ。
荷物が運ばれていく部屋を少しだけ眺める。フローフィリィアももう移動する。
ここで。
私は、フローフィリィアになった。
ここで。
本物は死んだ。誰にも知られずに。
私が、フローフィリィア。
この世で一番の貴族令嬢。王子様に相応しいお姫様。
全て借りモノ。だけどもう私のモノ。
ここを出て、私は新しい場所に立つ。
本物が見た事のない場所に踏み入る。新しい人たちにも会うでしょう。
さようなら。
私は、幸せに生きていく。
***
フローフィリィアは実家に戻った。
両親と弟2人がフローフィリィアを出迎えた。
父は厳しい人物だが、フローフィリィアがエントールと婚約してからはフローフィリィアを自分より格上とみなして丁寧に接する。
家族との久しぶりの顔合わせは、何の問題もなく終わった。
フローフィリアが変わった事にも全く気づかない。
ただ、フローフィリアが、学校周辺の人気の菓子を使用人全てに行きわたるように買ってきた事には驚かれた。
「思い出を皆にも分かち合って欲しいと思いましたの」
とフローフィリィアは笑ってみせた。
使用人は皆フローフィリアの優しさに心を打たれ褒め称えているらしい。
フローフィリアは、食べ物の有効性を十分に知っているだけだ。
貴族なら歯牙にかけないはずの人間が、たくさんこの世にいると知っている。それらもフローフィリアの力になりえると、人間関係からも学んだだけ。
協力者は、多ければ多いほど良い。
***
王城に移るのは1か月後。
実家にいる間に、学校にいる友人たちから手紙が来た。フローフィリアは丁寧に返事をする。
もう、学校の日々はフローフィリィアにとって過去。なのに、あの場所では、あのまま時間が流れているのを不思議に思う。
トルーティアからも手紙が来た。
モーリスと婚約する事になったという知らせ。
良かった。フローフィリィアは目を細める。
トルーティアはフローフィリィアにとって親しい友人だ。モーリスと幸せになって欲しいと心から願う。
喜びと励ましの返事をしたためる。
ところでエントールは、準備で忙しく、この1ヶ月間は会えないそうだ。
代わりに、こちらも手紙を贈り合う。
再会が楽しみ。
1か月後、ますます焦がれてくれるように、魅力磨きにも励まなければ。
アリアとモリノと、美容に良いものを探しながら楽しみながら準備をする。
なお、ノルドはフローフィリィアの傍から離れた。寮では護衛代わりであったのが、実家に戻って他にも人がいるので配置換えが決まったようだ。
モリノが寂しそうで、フローフィリィアとアリアで励ましている。
学校でのフローフィリィア魅力アップ作戦中に、モリノは随分ノルドにアプローチをしかけた。フローフィリィアが使う前の実験を兼ねて。
ノルドはかなり照れていた。
***
昔。
エントールとの顔合わせは、城ではなく、フローフィリィアの家にエントールを招いて行われた。
一目で、エントールはフローフィリィアに惚れてしまった。
その後は、親同士で話が進んだ。
だから。
今、フローフィリィアは初めて目にする。
王城の中、王族が実際に住む建物への門が開いたところも。厳選された騎士たちが並び自分を出迎えるところも。
建物の上から、着飾った貴婦人が自分を眺めている事も。
少し遠くだけれど。
ひょっとして、あれは王妃様かしら。
つまりエントールの母親。
華やかさを好む美人。ただ、気難しい人だという密やかな噂も。
エントールを愛しているが、子どもは嫌いで、あまり若い者のいる場所には顔を出さない。
フローフィリィアは緊張を覚えた。
私は、あの方に気に入ってもらえるかしら。
トールは私を一番に決めてくれているけれど。
何か嫌な予感がする。
王妃様を味方につけなければならない。私の幸せのために。
馬車が停まる。
フローフィリィアの到着を中に知らせる声が上がる。
扉が開く。
連れてきて良い使用人は1人だけ。アリアを選んだ。
「いよいよね」
フローフィリィアの緊張した声にアリアが驚いた。それから気を引き締めたように礼をとった。
馬車を降りる。
皆がフローフィリィアに礼を取る。
並んだ人たちの間。フローフィリィアの歩む道。道の先に。
エントールが満面の笑みで出迎えてくれている。
フローフィリィアは安堵した。エントールの顔を見ると、ほっと己の顔がほころんでしまう。
ゆっくりと優雅に。気品高く。全ての輝きを集めたように動く。
「フローフィリィア。やっと迎えられる」
たどり着いた先、エントールの耳が赤い。照れている様子。
ニコリとフローフィリィアも笑んでみせる。
「緊張いたします。ここに入るのは初めてですもの」
「大丈夫。私が全て案内するよ」
「ありがとうございます」
エントールが腕を差し出してくれる。フローフィリィアは手を添える。
歩き出す。
全てがフローフィリィアとエントールに礼をとる。
本物でさえ未知の場所。
私の手の中から、零れ落ちるものが無いように。
微笑みながら、願いながら、フローフィリィアは気づく。
緊張を、この場所に感じる。
全身全霊で流れを読んで生き抜かなければならないような。まるでエナの世界のように。
エントールのエスコートで歩みながら、フローフィリアはそっと目を閉じた。
大丈夫。
私は。自らたくさんのものを掴み、ここに来たのだ。
離れていくものも引き戻した。多くのものを味方につけた。
フローフィリィアは目を開ける。
隣のエントールに少し甘えて笑みを向ける。
エントールが、熱の籠った眼差しで見つめ返した。
私は必ず、この世で一番の貴婦人になる。
相応しいと私は知っているのだから。
目を開けて、私はこの世で一番の貴族令嬢。本物は死んでしまったから。 - END -




