ある提案
黒い夜が明けた。王都はもうこりごりだ。
田舎者の露店商の青年エルフは早く帰りたくて仕方がない。
かといって、彼の拠点である「始まりの町」には家が無い。
あるにはあるのだが、引越しを考えないといけない状態である。
ふぅ、昨夜は少し疲れていたのか眠ることは出来た。
しかし今の状態が長く続くと、昨夜より酷い事が起こりそうな予感がする。エルフの予感は当たる、本当に。
「ちゃんと寝た?」
朝食をとりながら向かい側に座る女性が聞いてくる。
「あー、うーん」
(半分以上貴女のせいなんですがねー)
王都に来て四日目。そろそろ限界のエルフの青年の名はギード。
その妻は魔術師で脳筋で、今目の前にいる食いしん坊さんで名はタミリア。
二人はそろそろ結婚二年目になるが、実は全く甘い関係になれていない。
手はつなげるようになった。腕も何とか組んでもらえる。
でもそれ以上は殴られる覚悟の上でやらねばならぬー。
「そういえば殴られる約束だったねー」
先日、城の晩餐会に遅刻した彼は、彼女に後で殴られるという約束をしていた。
「ああ、あれはもういいよ。代わりに殴られ役がいたから、もうすっきり」
(えーっと、もしかしてそれは、あれ以来やたら従順になったカネルさんとかいうダークエルフですかね?)
ギードの足が震えていたのは内緒である。
ふたりは今、王都聖騎士団の宿舎に宿泊している。
食後のお茶をいただいていると、扉が叩かれ、いつの間にか護衛より雑用係りと化したカネルさんが入って来る。
「黒騎士団の隊長がお会いしたいので城まで来て欲しいと」
黒騎士団、ってあの黒い鎧の隊長さんかな。城と聞いてギードの顔がゆがむ。
「それ、どうしても行かなきゃいけませんか?」
カネルさんが「えっ」っという顔をしている。拒否する者なんて今まで居なかったのだろう。
「伝言を頼んでいいでしょうか。もう帰る準備で忙しいので会えないと」
どうしてもというなら、ここまで来てもらえればー。
小心者エルフにしてはアリエナイ言葉である。
タミリアもおや?っという顔をしている。
(あー、ごめんね。ほんとにもう無理なの。神経壊れかけてるんだよ)
「わ、わかりました」
慌てて部屋を出て行く。
そしてその後「少しの時間でいいので」「無理です」の応酬を繰り返し、カネルが気の毒になって来た辺りで向こうが折れた。
「昼食後にこちらにお伺いします、との事です」
「お疲れ様でした」
あまりにも気の毒だったので、エルフの強壮剤をひとつ進呈しておいた。
ここまでギードが強気に出られるのもタミリアという実力者が傍にいるからだ。
機嫌を損ねれば王都にも少なからず損害が出る。
実力のある者とは憧れであり、恐れられる存在なのだ。
それより今頭を悩ませているのは、お土産問題である。
「こんな感じでどう?」
タミリアに欲しい物を書いた紙を見せる。
「うーん、わかんないー」
だろうね。という訳で実はすでにタミリアの実家で、ご家族に相談済みである。
王都で服飾関係の大きな商会を営むタミリアのご両親。
昨日お邪魔した時に話ついでに「お土産は何を買って帰ればいいか」を相談していた。
兄夫婦や妹まで巻き込んで大論争になったが、ある程度は絞れた。
ま、ギードには渡す相手など二、三人しかいないのだが。
彼の話を聞いたタミリアの家族が細やかな神経に驚き、感心していた。
「あのようなエルフの若者がうちの娘の婿になってくれたとはー」
大勢の使用人たちといっしょに涙ぐんでいたらしい。
さて問題は、これらをどうやって手に入れるかである。
カネルに頼もうかと考えていたら、それは向こうからやって来た。
昼食に男性料理人付きで、妹のリデリアが現れたのである。
「これ、昨日お義兄様に推薦したお土産の品です。良かったらどうぞ」
箱に入ったたくさんのお土産品を渡される。
ギードが目をぱちくりしていると、今度は料理人が前に進み出て来た。
「昨日は大変失礼をいたしました。エルフ様のお好みも考えず、申し訳ありませんでした」
もう一度作らせてくれ、と乗り込んで来たのだ。
彼はギードが大量に残した事に衝撃を受けたそうだ。
「今までエルフ用の食事など考えたこともないでしょうから、それは仕方ないことですよー」
「自分は元々少食なんです」と言っても理解してもらえず、勝手に騎士団の厨房を借りてすでに作り始めていた。
(裕福な商家のお嬢様、舐めてたかも)
タミリアはくすくす笑っている。
騎士団の厨房の方々も事情を聞いて、快く貸してくださったそうだ。
そして昼食は、ギードがその料理人を一緒にテーブルに着かせ、料理談義しながらの食事になった。
それまでの彼らの料理はたくさんの食材とたっぷりの調味料でたくさん作る事が最上とされていたらしい。
おそらくそれは裕福な家庭、もしくは身分のある人達だけだとは思うが、料理人達はそう教えられてきた。
エルフならではの自然の食材を必要量だけ使うというギードの料理の話にいたく感激し、彼は帰って行った。
ギードは料理の味より、彼の情熱に満足した。
タミリアとリデリアは、ちゃんと自分達の量は確保していたので不足はなさそうだ。
リデリアは帰りにアレを送ることの念押しまでして行った。
さすが食べる事に関してはしっかりしてる。誰かさんにそっくりだとギードは感心した。
(さあ、これで後は帰るだけかなー)
エグザスは聖騎士団の仕事のため、すでに今朝方、町に帰っていた。
ハクレイ夫婦は都合があり、他の町へ回って帰るそうだ。
タミちゃんとふたりで大丈夫かな?と思ったら、カネルさんが同行してくれるそうだ。
「えーっと、カネルさん、あんまり無理しないで下さいね」
と、話していたら最後の難関がやって来た。
「失礼します」
盗聴避けの魔道具まで持って。
隊長さんだけでなく、イヴォンまで入って来た。
そして見知らぬ女性騎士が一緒に来ていた。
暗い赤の髪をした、深い茶色の瞳の人族の女性騎士。体格は男性に劣るが、気迫が怖い。
国の実力者の一人だ、とイヴォン師匠が教えてくれた。
年齢はおそらくタミリアより下だろう。
お構いなく、と扉の横にカネルさんと一緒に立っている。
普段であればビクビクして、集中など出来ない小心者エルフだが、今はとにかく壊れかけている。
さっさと用事を済ませたい。森が待っている。
魔道具がちゃんと作動しているか確認した上で隊長さんが話し始める。
「ふたりのグループの事情をお聞きした」
よかったら新しい家を用意するのでそこへ入って欲しいということだった。
真新しい地図を渡される。
「始まりの町」は新しい教会の建設と同時に、町の北西側に高級住宅地が造成されていた。
今まではあの町には簡単な柵しか無かったが、そこだけは頑強な魔法結界付き鉄柵が周囲に設置されている。
同じ町民でも認知されている者しか出入り出来ない仕組みだ。
(そんなものが何故あの町に)
ギードは違和感を覚えた。
「建物はこれからなので、今なら好きな場所が選べる」というが、ギードには何の魅力も感じない。
地図を隊長さんに返す。
「申し訳ありませんが」
隊長が助けを求めるように横を見るが、タミリアも興味なさそうにしている。
「そんなに嫌われてしまいましたか」
ギードは、ため息をつく彼を見つめて、「違いますよ」と苦笑い。
自分は庶民で商人なのだから、高級な家など必要ない。
どうしても必要なら森に帰ればいいだけなのだから。
タミリアにしても収入はそこそこあるので、宿でも全然かまわないそうだ。
「しかしこれから君達は大変になる。いろいろな者たちが接触を求めてくるだろう」
それこそ、ギードは森に引きこもるから関係ない、と一蹴する。
隊長は悔しそうに眉を寄せる。
イヴォンはお手上げだね、と両手を挙げて見せる。
これ以上強制すれば、対エルフ戦争の二の舞になりかねない。
「ぬるいな、タンタン。どきな」
黒騎士隊長がバッと立ち上がり、発言した女性騎士に詰め寄る。
「本名を呼ぶなああ」
(ああ、そっちなの。タンタン、かわいいじゃないかー)
ギードが冷めた目で見ていると、隊長の椅子にその女性騎士が座る。
「ねえ、タミリアさん。あんた、いい旦那見つけたねえ」
雑談から入るようだ。
「私にも紹介してよー」
「えー、やーよー」
割と脳筋同士で話が合うのかも知れない。
「でも甘いよね」
「まあ、そーねー」
ギードはそれで良くても、他のエルフ達は、町の人達はどうするのか。
ふたりのために何にも知らない者たちが右往左往することになる。
王都の出来事など、彼らは何も知らないのだから。
「それこそまたエルフの若造が狙われる事件になるよ」
加護のすごさを、図らずもギードは示してしまったのだ。国王他、高位の者達の前で。
むぅ、と渋い顔になる。
「だからさ、もうひとつの案に乗らないか?」
そう言って先ほどの地図をもう一度広げる。
「始まりの町」の教会は、町の中心から北東にある。
元々は港町なので、東の港と職人街の南、中心に商店街がある町だ。
西の街道沿いに穀倉地帯があるため、農民は西に多く、グループといわれる狩りなどを行う若者などの家や宿は北に多い。
その間の北西に住宅地を新たに造成し、他の町から優秀な人材を入れる予定なのだという。
(すいぶん警備が厚い。呼び込みたいのは文官やその家族かな、武人ではなさそうだ)
そして彼女が指差したのは教会、その前の家だった。
「二階建てで一階の一部が店舗になっている。地下倉庫もある」
部屋数は八つ、充分な広さがあるそうだ。食堂や他の設備も充実している。
怪訝な顔をしてその女性騎士を見ると、にたぁと笑われた。ゾクっと寒気がする。
「あるグループがここを所得した。どうだ、そのグループに入らないか?」
それなら文句ないだろう?と言う。
住む住まないも自由、商売も自由。ただし家賃はグループに納めてもらう。
「ギードさん、商人の札をお持ちと聞きました」
そう、それがあれば店を出すことは出来る。グループの家なら家賃も安めになるだろう。
悪くない、魅力的な提案だった。
「そうですね、少し考えさせてください」
教会が近いということは聖騎士団も近い。何かあれば駆けつけるだろう。
ギードの様子に安心したような隊長。
ニヤついた女性騎士に何だか負けたようで悔しいが。
ふたりだけで話し合いがしたいので、と皆さんには引き取ってもらう。
これ以上話す事もない。ギードはさっさと帰り支度を始めていた。
タミリアは黙って彼に従う。特に問題なし。
荷物をまとめると、来た時の倍くらい荷物があって驚いた。
ほぼタミリアの実家からの贈り物だった。
ギードは少し頭が痛くなった。
大きな荷物はカネルが持ち、忘れ物が無いのを確認した上で移動魔法陣へ向う。
「始まりの町」の広場に着いたのはもう暗くなり始めた頃だった。
カネルが先頭で歩き出し、ふたりは町の空気を吸いながら懐かしそうに歩く。
たった四日くらいだったが、濃い日々だった。
(疲れたー)
そう思いながら歩いていて、ふと周りの景色が見慣れない事に気づいた。
「どうぞ」
とカネルが一軒の家の扉を開けてふたりを導く。
「は?」
そこは教会前の真新しい白い壁も美しい、例の家だった。
「ちょっと!、まだ決めてないよ」
ギードはカネルに詰め寄るが、タミリアはさっさと中に入って行った。
灯りを付けようとすると、その前に明るくなった。
「お待ちしておりました」
あの女性騎士がいた。
ギードは口をあんぐり開けたまま動かない。
上等な調度品が配置されている。そこは共有の居間のようだ。
柔らかそうな長椅子に、タミリアは固まっているギードを引っ張って行く。
そしてふたりが座ったのを見て、女性騎士が一人の高貴そうな少女を伴って戻って来た。
その少女をふたりの前に座らせた後、紹介が始まった。
「この家を所有するグループのリーダー、シャルネ様だ」
「おふたりにお会い出来て光栄です。本日はごゆっくりお泊り下さい」
少女らしくかわいらしい声だが、顔は利発そうな意志の強さが見える。
とにかく夕食にしましょう、とすぐに料理が運ばれて来た。
ギードはまだ固まっている。
(町に帰って来たはずなのに、どうしてこうなった!!)
「わあ、美味しそうだねえ」
食欲魔女と化したタミリアはあてにならない。
(知ってる知ってるよ。シャルネ様ってこの国のお姫様じゃないかあああ)
国王とある良家の子女の間の子供で、表向きは王位継承権の無い外戚の子となっている。
しかも国王にとって一人娘なので溺愛しているという有名な話だ。
知らなきゃよかった知識に吐きそうになる。
(だ、だれかだずげでぇー)
涙目になるギード。ぱくぱくと食べ始めるタミリア。荷物を部屋へ運びこんでいるカネル。
(我の出番か?)
(ま、待て!、伏せ!)
自分の中の黒い何かが動き出そうとするのをギードは必死に抑える。
(まずいまずいまずい)
ギードはそのまま意識を失った。




