正装とは何か
「始まりの町」の商人たちの朝は早い。この町の露店商であるエルフの青年も例に漏れない。
いつも通り起床し、いつも通りの行動をしていても、今日はその表情は冴えない。
(自分が狙われるなんて、考えてもみなかった)
そんなことを知って普通でいられる者など少ない。まして彼は小心者なのである。
おそらく以前の彼ならば、即効で森の奥に逃げ込んで引きこもっただろう。だが、すでに自分だけの問題ではなくなっていた。
何か手を打たなければならない。
影から守られているのは確かなのかも知れない。それでもその実感がない以上、そんなものに頼る訳にはいかない。
森へ採集に向かう装備を整えた彼は、唐突に気配がして振り返る。
身構える彼の視界に半開きになった部屋の扉があり、そこからにゅと顔が出ている。
それは彼の同居人で、彼が守りたいと思う最優先の女性だった。
「な、なに?、どした??」
彼がエルフの森からこの町に来て、春を迎えると三年目に入る。
それはふたりが同居してきた期間と同じなのだが、まだ夜も明けないうちに同じこの寝室に居たことなどない。
というか、彼女がこの時間に起きていることが稀なのだが。
「んー?、なんとなく?」
家では欲望に忠実なただの食いしん坊と化しているが、実はするどい狩りの名手である脳筋娘の名はタミリア。
小心者で長く森で引きこもりをしていたのに、今では町の商人としてわりと評判が良いエルフの青年の名はギード。
ふたりはこの町にとって無くてはならない名物夫婦である。主に娯楽的な意味で。
彼女も眠れなかったのかなと思うと彼は申し訳ない気分になる。
「そうだ、タミちゃん。よかったら森に行ってみない?」
そろそろ彼も彼女に隠し続けることが難しくなってきていた。
ハクレイから式典の招待状を受け取って今日で三日。
明日は王都へ向かうため、準備するには今日しかない。
装備を整えたタミリアの腰に手を回す。
実はここまで密着しなくても良いのだが、部屋を覗いていた彼女がかわいくて仕方なかったのでやってみた。後悔はしていない。
一瞬で森へ飛ぶ。
到着するのはエルフの森、母なる木の根元だ。
まだ暗い森の中、他のエルフの気配はない。
「急ぐよ、こっち」
ギードは妻の手を取り駆け出す。
自分ひとりなら気配を消して移動するのだが、彼女は人族である。
すぐに森の防衛機能が動き出し、古木の精達がざわめき出す。
他のエルフ達が気づいて起き出す前に、森の最深部へ移動する。ここなら彼らも来られない。
一気に老木の精の元へ行き、事情を話すと、タミリアへ危害を加えないよう処置してくれた。
「ふぅ」
一息ついて座り込む彼の横で、タミリアは物珍しそうに老木を見上げている。
「ギードよ。珍しい者を連れておるの」
タミリアは老木がしゃべることに驚いている。
「えっと、いろいろと事情があってー」
実は人族のこの女性と結婚したのだと話すと、老木は驚いて目を見開いた。
木の模様だと思っていた部分に眼があったことに、今度はギードが驚いた。
「見張られているなんて分かってしまうと、落ち着かないからね」
彼女を連れてきた理由を話す。
ここならば、たとえ相手がダークエルフだとしても、森の防衛機能に引っかかる。
それは変身の魔道具を使ったとしても同じだ。たぶん。
どんな護衛よりも強い守護者に守られた空間なのだ。彼らもそれが分かっていれば近寄らないだろう。
ギードはタミリアを老木の根元にあるウロの中へ案内する。
そこは彼が長年引きこもっていた自分の部屋であり、女性どころか、他の誰も入ったことがない場所だった。
家具といっても自作の机と椅子と寝台があるくらいだ。
調理台が部屋の割りに大きく設置されているのは、彼が料理や調剤といったものに力を入れていたせいだ。
タミリアはその場所が今の家よりも大きな空間であることに驚いていた。
森の緑の清々しい香りがする。
これなら彼が何年も引きこもっていたのは頷ける。ここで彼の生活は完結していたのだろう。
何不自由ない、快適な空間がそこにあった。
タミリアのために少々お酒の入った、甘い樹液を薄めた飲み物を出す。
今までに見たことのないその飲み物に、これが彼の取って置きなのだと分かる。
「ありがと」
タミリアはうれしそうに椅子に座り、遠慮なくいただく。
ギードはどこからか木箱を引っ張ってきて座わった。
「それでさ、明日のことなんだけど」
もう腹は括った。諦めたともいう。こういう切り替えはギードは早い。
王都はもちろん、式典など見たこともない。何を準備すればいいのか。
「特に何もー」
といいつつも、タミリアは一つだけ、と人差し指を立てた。
「服がいるわー。たぶんいっしょに式典に出ることになるから、正装ねー」
ハクレイはいつも奥様を伴って出席するらしい。
滅多に人前に出さない大切な奥様だが、この時とばかり自分は既婚だと主張しておかないと、いろいろ面倒なのだそうだ。
「そ、そうなんだ」
独身の有名人など、実情を知らない者たちからすれば、格好の餌食である。
次々と縁談を持ち込まれるだろう。何せハクレイは高給取りでもある。
「ま、私は関係ないけどー」
とタミリアは笑っているが、そうは思えない。
いくら脳筋といえど、その魔力は魅力的だ。そしてエルフにも引けを取らないその美貌。
(おそらく師匠が画策してそうだな)
王都でなら彼女の護衛はばっちり行っていただろう。
しかし正装と聞いてギードは困ってしまった。
他のエルフ族とさえ交流がほとんどなく、見たことも聞いたこともない。
タミリアはおそらく何度か式典には出ているのだから、もちろん持っているのだろう。
「じーちゃん、どうしよう」
「服で、良いのか?」
老木の声が部屋に響いた。
「うん」とまるで小さな子供が甘えるような声でギードが頷く。
タミリアは、小さな子供のエルフが、ひとりでこの部屋で過ごしている姿を幻視した。
老木と話がついたのか、ギードが紙を広げていた。
「タミちゃん、悪いけど。ちょっと遺跡の調査を手伝って欲しい」
「うん、いいよ。あとでお菓子出してくれるなら」
あはは、と笑いながらギードは「わかった」と承諾した。
遺跡は大昔の戦時の要塞のようであった。
未だにすべてを把握出来ていない。どこに何があるのか、相当広いため分かっていないのだ。
「未回収の武器とか、罠とか、いろいろあるからね。念のため」
ギードの武装は珍しい。弓と矢筒、腰には短剣を挿している。
森の中であれば古木の精たちが主力となって戦ってくれるため、彼はほとんど手を出さない。
タミリアならおそらく大丈夫だとは思うが、それでも初見の敵や、いきなりの罠など危険も多い。
彼女を守らなければ、森の守護者、の使いっぱしりは名乗れない。
結界を抜けるためにタミリアの手を握る。
タミリアは違和感の後、森の中を歩いていたはずなのに、目の前に広がった空間に目を見張った。
「う、わぁ……」
森の木々や草に侵食されてはいるが、そこには王都でも見たこともない大きさの城壁があった。
ギードが広げていた紙は地図だった。それをぶつぶつ呟きながら見ている。
やがて歩き出した彼の後を、タミリアは慌てて追いかけて行く。
森の中であればエルフに敵う者などいないのである。
彼の手を借りて崩れた城壁から内部に入る。
そこには小さな村程度に建物が並んでいた。
キョロキョロしているとギードがどんどん行ってしまう。
追いかけていると、彼は一番奥にあった石造りの大きな建物に入って行った。
中は石の壁が崩れ、屋根も一部分は空が見えている。
床の石畳も所々草が飛び出しており、年月の長さを物語っている。
カツカツと靴音をさせて、ギードが先を歩いている。
そんな彼の背中を見たのは初めてでタミリアは新鮮に感じていた。
いつもの彼の印象は背中を丸めた無口な商人の姿と、台所での後姿だった。
(あれも好きだけど、これも悪くない感じー)
少しニヤケながら彼の後を付いて行く。
「ここかな」
かなり複雑な道順を歩きながら、ようやく到達したのは大きな扉の前だった。
一度少し開いて中を見てから、力いっぱい開く。
そこはまるで衣裳部屋だった。
「うへぇ、ここから探せって?。じーちゃん、無理だよぉ」
頭を抱えて座り込んでしまったギードの横を、タミリアは目を輝かせてすり抜けた。
あれこれと引っ張り出したり、小物が入っているらしい箪笥の引き出しを開けたりしている。
「タ、タミちゃん?」
少々形は古いが、おそらく保存の魔法がかかっているらしく、生地自体は新しい。
老木の意志を理解した彼女はその後、結構長い時間をかけてギードのために服を選んでいた。
いくら脳筋といえ、女性である。タミリアもこういうのは嫌いではない。
まして自分のではなく、ギードを着飾るのだ。何だか楽しい気分になっていた。
服や靴だけでなく、上着から小物まで、何点もの獲物を抱えて戻って来た。
それからその場で軽く食事を取り、何故かギードの着せ替えが始まった。
「大丈夫、任せて」
タミリアの目は確かだった。
「実家は服飾の老舗商店なの。女物はゴテゴテして苦手だけど、しっかりした男物は好きよ」
(ああ、なんか師匠との会話の中にあったなあ。実家は商家だって)
黙って言いなりになるギードの目は完全に死んでいた。
しかし、タミリアにも誤算はあった。
(人族とはやっぱり違うのね)
人族の男性の正装となるとやはり黒や白、銀といった色が主流になる。
しかしここにあるのは金や銀の糸を使い、宝石をちりばめたような煌びやかな衣装が多かった。
普通のエルフの正装がコレなのか。それとも古い時代のモノなのか。
タミリアは腕を組んで考え込んでいた。
ギードは、この豪華な衣装が自分には似合わないことは分かっている。
今はタミリアの好きにさせておこう、と思っていた。目が肥えている彼女なら、そのうち諦めるだろう。
しばし考え込んでいたタミリアが意を決したように衣装の波の中に潜って行った。
戻ってきた彼女が持っていたのは一つの木の箱だった。
「ねえ、これ開けてみて」
ギードは一瞬、目を疑った。その箱は子供の頃見た覚えがあったからだ。
彼女が開けようとしても開かなかったらしい。
ギードが頷き手を伸ばすと自然に蓋が開いていく。中にあったのは薄い緑を基調とした男性用の衣装だった。
相当疲れていたのだろう。
ギードは暗い表情のまま、何も言わず彼女の指示に従っていた。
いくつかの荷物を抱え、木のウロに戻ったのはだいぶ暗くなり始めた頃だった。
少し休憩した後、夕食の用意をするギード。
部屋の隅でタミリアが服や小物を広げていた。
「それを選んだか」
老木の声がした。タミリアが「これしか似合うのが無かった」というと、低い笑い声が響いた。
「まあ仕方なかろうな。ギードの物はそれしか無いゆえ」
タミリアが首をかしげると、老木は話を続けた。
「その衣装箱はギードがこの森に現れた時に一緒に現れたのだ」
その箱を開けることが出来たのはギードだけだったので、おそらく彼の持ち物だろう、と老木は話した。
広げてみるとその衣装は質素だが思ったより高級感がある。
全体に施されたつる草のような淡く光る銀の刺繍も目立たないが美しい。
それでいて魔力のある者が見ると、それはかなり高度な魔法がかかっていることが分かる。
「……彼は何者なの?」
「さあな。それはワシにもわからん」
老木とタミリアはギードには聞こえないように小声で会話を続ける。
「あれはあの子の両親からの贈り物だろう。あの子は間違いなく愛されておる」
タミリアも頷く。
やがて森の食材をふんだんに使った料理が並ぶ。
きのこや木の実、薬草や香草、何の獣かは分からないが多少の肉もある。
タミリアには分からなかったが、それはギードが今までここに保管していた食料のほとんどすべてだった。
ひとり分なのでそんなに多くはなかったが。
「美味しいね〜」
微笑む彼女にギードも微笑み返す。
ギードは、ふたりきりの食事はこれが最後になるかも知れないと思っていた。
自分は明日、王都という見知らぬ地へ行く。
そこに待っているのは自分を「暗殺」しようとする者なのだ。
それが何であるのか見極めなければ遺恨は続くだろう。
最悪、町や彼女に迷惑がかかる。それだけは避けねばならない。
食後に約束のお菓子が出た。
それはタミリアが今まで見たこともない、見た目も豪華な、味も特別なものだった。
ギードの作るモノは質素で最低限必要とされる材料で作られたものが多い。
しかしこれは異常だ。タミリアは怪訝な顔で彼を見る。
「いらないなら、全部もらっちゃうよ?」
ギードが手を出そうとすると慌ててタミリアが皿を奪う。
冗談だよと笑いながらお茶を入れる。
その夜はその部屋で泊まることになった。ギードもタミリアも精神的に疲れていたのだ。
タミリアが横になったベッドの脇の床に、毛皮を敷いたギードが横になっていた。
これだけ近い距離で眠るのは初めてだった。
「ギドちゃん。分かってると思うけど」
深夜、もう眠っていると思われた彼女の声が聞こえた。
「私を怒らせないでね」
眠った振りをしていた彼の背中が、わずかにビクッと動いた。




