20 37歳元ラノベ作家、自転車を盗まれる
昼間、デジタルチューナーをつなげたブラウン管テレビでBSの『税務調査官 窓際太郎の事件簿』シリーズを見ていると、一般人の女性がすごい笑顔で、うんこがどっさり出たの出ないのと熱心に喋る整腸剤のCMがよく流れる。
俺も生活は不規則だし、食物繊維はまったく摂取していないしで、その辺はあまり健康的とはいえない。朝、必ず出るのではなく、いつ出るのかわからないというタイプだ。
で、ただいまの時間、夜の9時、駅に隣接するパチンコ屋の温水洗浄トイレで用を足し、すっきりとした気分で自動ドアをくぐった。
四日ぶりかな、出たの。
夜に外出することはあまりないが、たまに本屋で新刊をぱらぱらめくりたくなる。そして、めくっているとアレが急に来た。青木まりこ現象というやつだ。本屋にいると催すというのはよくいわれることだが、ほんと、なぜだろう。
ふと空を見上げると、まぶたに小さな雨粒がぽつっと当たった。
そういや、雨になるんだった。
雨量はそれほどでもないということだったが、さっさと帰った方がいいなと自転車を置いた場所に行ってみたところ、ない。
「……ん?」
置いたはずの場所に立ち尽くし、古畑任三郎のものまねをする人みたいに人差し指を額に当てる。
まさか撤去された?
これまで何度か、生きがいセンターとかなんとか書かれてある軽トラに自転車を持っていかれている。遠くの保管所まで取りに行き、二千円ぐらい払ったあと、タイヤの空気が抜けている自転車を渡され、「空気入れはないんで、どっかで自分で入れてください」と係の老人にいわれたときは、さすがに一言、二言返したくなった。
あらためて周囲を見渡す。
いや、でも、ほかの自転車はそのままだ。
置いた場所を錯覚している?
よくあるんだよなあ。ここだと見せかけて実はあっちだった的な。
自転車を置いたときの記憶を引っ張り出してみたが、んー、ここに置いたのは間違いない。
別の場所にどかされた?
チッ、てめーのチャリ、邪魔なんだよ! 的な。あるよ、あるある。よくあるんだけど、並んでいる自転車を端から一台ずつ指さし点呼していっても俺の自転車はない。
じゃ、盗まれた?
……。
だな。
つーか、鍵かけてなかった
瞬間的に頭に血が上り、馬鹿な自分と盗んでいった奴への怒りが湧く。
雨が降ってきたから、借りていっちゃおう。鍵かかってないやつ……お、あった。
ま、そんなところだろう。
大股でパチンコ屋の目と鼻の先にある交番に駆け込む。珍しく警官がいた。一人は二十代の細身、もう一人は俺と同い年ぐらいの小太り。
「すみません、自転車盗まれちゃったんですけど」
怒りの感情を抑えながらいうと、若い警官が黙って机の引き出しを開けた。しかし、小太りの警官の言葉を聞いて彼の手が止まる。
「防犯登録のシール、貼ってました?」
「いえ、貼ってませんけど」
その言葉に、若い警官はなにも取り出すことなく引き出しを閉めた。
「じゃあ、ちょっと探せませんね」
「え、なんでですか?」
俺の問いかけに答えることなく、小太りが逆に質問をしてくる。
「ちなみにどういうタイプの自転車ですか?」
「ママチャリです。黒の」
小太りと若い警官は「はぁ」とでも言いたげな表情で目を合わせ、なぜか若い方が裏の方に引っ込んでしまった。
「そういうのって区別がつかないじゃないですか。だから、防犯登録シールが貼られていないと無理なんですよ」
「いや、つきますよ!」
「どうやって?」
「サドルが破れていて、中からスポンジが飛び出してるんです。見ればすぐわかります」
年季が入っているママチャリは多数あれど、スポンジが飛び出してそのままになっているのはそう見たことない。
だが、小太りの警官は特に表情を変えず、言い放った。
「旦那さんは持ち主だからわかるでしょうけど、私らはそれだけじゃ見分けつきませんよ」
は?
ちょっ待て。
今、なんつった?
なんだよ、『旦那さん』って呼称は。
なに、おまえ、俺を年上の子持ち中高年認定してんの?
おめーの方が見た目全然おっさんだろうが。
つーか、今思い出したが、職質されたときも旦那さん呼ばわりされたな。
おめーら警官は、ママ友かなんかと話してるつもりなわけ?
それはともかく、なんで盗難届書かねーの?
「いや、見分けがつくかどうかはとりあえず置いといて、盗まれたんだから盗難届は出せますよね?」
「そりゃ出せることは出せますけど、意味ないですよ。だって探せないんですから。それでよかったら書きますが」
小太りは面倒くさそうに椅子に座り、引き出しに手をかけた。
防犯登録シールを貼っていないというだけでこの邪険な扱いはどうだ……!
なんという理不尽。
そして矛盾。
『02 37歳元ラノベ作家、職務質問をされる(https://ncode.syosetu.com/n9710cu/3/)』
ってことが以前あったが、俺が自転車に乗っているとき、おまえらの仲間が職質してきて、防犯登録シールが貼られていないのを確認したあと、無線で色がどうだ、形がどうだといって、盗難届が出ているものと一致していないか問い合わせてたじゃねーか! 防犯登録関係ねーじゃん。
書いてやってもいいというのだから書いてもらおうかと思ったが、惨めな気持ちがどんどん大きくなってきて、いたたまれなくなり、「もういいです」と言って交番をあとにした。
パチンコ屋を出たときよりも強く、冷たい雨が体を打ちつける。
かろうじて電車に乗って帰れるぐらいの手持ちはある。ただ、自転車を失った今、家の最寄り駅から二つ離れたこの街にちょくちょく来るのは難しくなった。気晴らしにネットカフェで漫画を読むことも、本屋で新刊を立ち読みすることも簡単ではなくなってしまった。
気晴らしのための電車代よりも生きるための食費が優先されるのだ。それに、家から一時間かけてここまで歩いて来るのは現実的ではない。
じゃあ頑張って自転車を買い直す? 盗まれた自転車は一万円ぐらいだった。今、買い直すとしたら値段は同じぐらいだろうが、はっきり言おう。
無理。
年収37万円なら、月3万円程度の収入はあるだろう、だったらそれで自転車買えるじゃんと思うかもしれないが、以前にも書いたように3万円を一度に手にできるわけではない。
毎日、空き缶を拾って売っているホームレスの話を聞いたことがある人は少なくないと思う。彼らは文字通り今日という日を食べていくために必要なお金を今日稼いでいるわけだが、俺も似たようなものだ。
500円だったり、2000円だったり、細かい収入が積もり積もって年間で37万円になる。
さらに、収入の使い道は生きるのに必要不可欠なものでほぼ固定されている。そこから1万円をひねり出すのは相当困難だ。
公務員の小太り警官には、まあ、わかんねーよな、そんな暮らしは。
交番から駅へ通じる細い砂利道をとぼとぼ歩いていて、ふと「自転車泥棒……」とつぶやいた。
俺の自転車を盗っていった奴のことではない。
古いイタリア映画のタイトルだ。
第二次世界大戦で負けた直後のイタリア。
同時代の日本同様に大抵の市民は貧乏だ。
そんな中、仕事を始めるために自転車を手に入れた貧困者が、その自転車を盗まれ、犯人とおぼしき人間を見つけるもののしらを切られ、やむを得ず別の人間の自転車を盗んだら見つかってしまい、フルボッコにされる、そんな話だ。
実は見たことねーが、名画ってことなのであらすじだけは知っている。
もちろん、俺は他人の自転車を盗ろうとは思わない。
でもさ、今の日本にもいるんだよ。
一度、自転車を盗まれたら、それを探し出すか、人の自転車を盗む以外、手に入れる術がなくなってしまう人間ってのが。
砂利道が終わり、コンクリートの歩道に足を掛ける。小さくため息をついて、駅の階段を見上げた。
……ま、しょうがねえ。
近場で気晴らしできるとこ、探すかなあ。




