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 もう何度も見直し、完璧に内容を覚えてしまった報告書に、シイナはもう一度目を通していた。

「――」

 結果はどうあっても同じだった。

 だからこそ、マナを育てたのだ。

 未来のために。

 ただそれだけのために。

「母体が、必要なのよ。完全な生殖能力を持つ女性体が――」

 出来得る限りの精子と卵子は、凍結保存してあった。

 だが、マナがいなければ、それも意味をなさない。

 生殖能力を備えた子供の誕生には、その子を産む母親の存在が必要不可欠なのだ。

 シイナはもう一度、書類に視線をやった。


 唯一絶対の条件。

 女性の体内で育てられること。


 妊娠・分娩は母子ともに多大な負担をかける。よって、どちらにも安全な方法として科学技術の粋を懲らし、極めて完璧に近い人工子宮なるものまで作り上げた。

 初めは、彼等も安心していたのだ。いつでも欲しいときに子供を得られるようになったのだから。そして、それにより結婚という概念も、彼等の意識の中では徐々に重要性を失くしていった。

 誰でも、いつでも好きな時に子供を得られるのだ。精子か卵子、己れの持つものとは異なるどちらかを提供してもらえれば。

 しかし、世代を重ねる内に、人工子宮で育った子供はクローンであるなしに関わらず、肝心の生殖能力を持たなくなっていった。

 原因に気づくまでには、世界の人口は驚くほどに減っていたという。そこまで至って、ようやく彼等は自分達の現状に危機感を抱いたのだ。

 このままでは、人類は滅んでしまうと。

 今や人工子宮はクローニングにのみ使用される。

 出来得る限りの技術を駆使して母体に近い環境を整えてものこの事実は、一体何を意味するのだろう。

 やはり生命の領域は、人の手には負えぬ代物なのか。

「もっと母体がいれば――」

 全てが枯渇してきている。

 終末が、近づいている。

 産まれない子供。

 産まれない女。

 本来、女児のほうが生存率が高いはずなのに、産まれてもすぐに死んでしまう。

 ようやく育っても、生殖能力をもたない女が多かった。

 だが、それでも、子宮さえあれば、人工受精は可能なのだ。卵子も精子も、ストックはいくらでもある。

 前世紀の人間達は愚かだったと、シイナは思った。

 彼等の代なら、まだ未来を救うことは出来たはずだ。女性は、まだたくさんいたのだから。

 だが、彼女等は未来を考えなかった。

 兆しはあったろうに、未来を救うことを放棄した。

 女達は、自分達の子供を産むことに、あくまでもこだわった。自分達に連なる子供を産むことにだ。その結果が、今の未来だ。

 己れのエゴで、未来が滅ぶというのに、なぜ、誰も、強制的にでも彼女等を従わせなかったのか。

 そして、そのつけを、なぜ、今自分達が支払わなければならないのだ。

 わずかに血を繋いできた人間がこのドームで暮らしてきてからすでに2世紀が経とうとしていた。

 いくら耐久性に優れていても、当時の科学力で造られたものでは年月には勝てない。

 新たに造り出すには、人員も、技術も、資源も、少なすぎるのだ。


 このままでは、半世紀も待たずに人間は滅びる。


 いきつく思考に、シイナは身を震わせた。


「――いいえ。まだよ、まだだわ。まだ、私達は救われる。マナが、救ってくれる」


 きつく、シイナは唇を噛みしめた。



「シイナに、会っているかね」

 カタオカは独り言のように呟いた。背を預けた皮張りのソファーが、ぎしりと音をたてる。

「ええ。マナの居所がつかめないので少々焦っているようです」

 カタオカと向かい合って座るフジオミは、グラスを口へ運んだ。

「マナ――か。いくつだったろうか、その子は」

「十四です。もう五年もすれば、ユカのように美しい娘になるでしょう」

「ユカ――そうか、彼女が死んで、もう十四年も経ったのか……」

 ユカは、カタオカの伴侶であった女が産んだ子供だった。もちろん彼の子供ではない。

 子供の産まれにくいこの社会では、いつしか一妻多夫制を取り入れていた。

 身体の弱かった〈妻〉は、二人目の子を産むとすぐに亡くなった。それがツシマとサカキの血を引くマサトとユカの兄妹だ。

 カタオカ自身は、自分の子供をとうとうその腕に抱くことはなかった。

 ユカは何度も身篭ったが、そのほとんどは流産であった。

 生殖能力があり、妊娠することができるのに、なぜか育たない子供達。

 その度に衰えていく彼女の身体。

 カタオカはユカに数えるほどしか会っていなかった。彼女自身に、興味すらなかった。

 妊娠、出産は、多大な疲労を、肉体とその精神にかける。

 子供を産むためだけの道具のように扱われる彼女。

 そのためにユカは複数の〈夫〉を持っていた。

 それでも、彼女はそれを不満に思うことさえないようだった。


 未来のために。


 誰もが口をそろえて言う。

 その内の一人に、かつては自分も入っていた。

 若かった自分は未来を考えながら、その実何も理解してはいなかったのだと苦々しく思い知る。

 現実を見るがいい。


(未来など、何処にある――?)


 彼女を、シイナを、マナを、女達を犠牲にしてまで繋ぐ未来に、何の価値があったというのだろう。

 いきつく先は、すでに決まっていたことだったのに。

 それはすでに、同胞達にも、考えればわかる簡単なことだったのだ。そう。考えさえ、していれば。

 自分達は、どこかで何かを間違った。

 今になってそれに気づく自身の愚かさを、カタオカは自嘲した。

「カタオカ?」

「いや、すまない。考え事を、していてね。もし計画が失敗しても、私は別にもう、どうでもいいのだがね。シイナには聞き入れてもらえなかったが」

「シイナにも、本当はそんなことはどうでもいいんですよ。彼女に必要なのは、自分に何ができるかということです」


 そして、フジオミから逃れること。


 マナがいれば、彼女はフジオミから自由になれる。

 フジオミ自身それに気づいていた。が、別段気にも止めなかった。自分が満たされていれば、相手などマナでもシイナでも変わりないと思えた。

「フジオミ、君は自分の立場をどう認識している? その義務を、どう考えているんだね?」

 カタオカにとって、それは真摯な問いであった。だが、フジオミには愚問だった。

 なりたくてなったわけではなかった。

 ただ生まれたときから、決められていただけだ。

 全てが自分の意志ではどうにもならないことだったから、彼にとっては全てがどうでもいいことだった。その点では、フジオミもまた、マナと同じく『自身』を持たない人形に過ぎなかった。

「僕には何も考えることなどありませんよ。義務は果たしましょう。ですが、それ以上を望まないでください。望まれても、僕には期待に応えるだけの気力も情熱もありはしないんです。

 あなた達が、僕等をそう造った。ならばあなた達もそれ以外を考えるのはやめてください。今更後悔されても、何にもならない。

 中途半端な優しさを見せるより、彼女を殺してでも止めてやったらいかがですか。それさえもできないのなら、見え透いた偽善を振りかざすのもやめるべきです」

「――」

 黙り込むカタオカを、フジオミは憐れにも思う。確かに彼はシイナを傷つけただろう。義務を優先して、その信頼を裏切ったのだから。

 だが、彼だけを責められようか。

 カタオカもまた、自分達と同じに義務を強いられた人間であるに過ぎないのだ。

「すみません。言いすぎました」

「いや。いいんだ」

 大きな吐息をついて、カタオカは首を振った。

「実際、我々は袋小路に追い詰められている鼠のようなものだ。マナと君の子供が産まれれば、それで最後だ。それ以上増えることはないだろう。そして、マナにも正常な子供が産めるとは思えない。ユカがいい前例だ。今更過ちを繰り返すつもりはない。いずれ終わるなら、今終わらせても、大して変わりはないとも思えるのだよ」

「シイナにとっては、もっと前に言ってほしかった言葉ですね。なぜ、今更それを僕に言うんですか」

「あの頃は、私もまだ、ありえない可能性に縋っていたんだよ。そして、シイナを傷つけた。私は後悔しているんだよ。君のために、シイナを犠牲にしたような結果になったことを」

 フジオミは大して気にした風もなく肩を竦めた。

「正直、僕には全てがどうでもいいことなんです。シイナのように何かに情熱をそそぐ対象もないですしね。僕はただ――」

「ただ、何だね」

「したいことのある人間がいるなら、そちらを優先させてやったほうがいいと思っているだけです。そんな風に何かに夢中になれるなんて、尊敬に値しますからね」

「だが、シイナの情熱は危険だ。すでに一度、殺人まで犯しかけている。生命の尊さを、彼女は真に理解していない。生命の重さはみんな同じだ。例え、それがどんな生命でも」

 フジオミはカタオカの言葉に、純粋に驚いた。彼の口から、生命の尊厳を聞こうとは思ってもいなかったのだ。

「平気でクローニングを繰り返してきたあなたとは思えない言葉だ」

 フジオミの揶揄に、カタオカは表情を強ばらせた。誰にでも触れられたくない部分はある。痛みを伴う後悔であるなら、それは尚更だ。

 カタオカは強ばった口調で告げる。

「私が常に平静であったと、信じたいのならそうすればいい。だが、問題は私ではない。

 シイナだ。彼女を、止めなければ――」

「止められますか、あなたに」

「いいや。できないだろう。シイナは二度と、私に心を開くまい。私は彼女の信頼を裏切った。君では、止められないかね」

「できません。信頼を裏切った点では、僕も共犯でしょう。僕等は彼女に義務を強いた。それを続ける以上、それ以外で彼女を拘束することはできませんね」

 シイナの面影が脳裏をよぎる。

 フジオミの知っているシイナは、いつも怒りと嫌悪しか彼に向けない。フジオミの方は、いつもそれを興味深く観察していた。シイナを見ていると飽きなかったのだ。

 あの決して殺せない情熱は、一体何処から生まれるのだろう。同世代で生まれていながら、この違いは一体何なのだろう。

 フジオミにはわからなかった。彼等の立場が、その魂の形成を大きく変えてしまっていたことを。


 選ばれた者と、選ばれなかった者とに。


「――彼女を、自由にしてやってはいけないかね?」

 カタオカの思いがけない言葉に、フジオミは我に返る。

「すみません。今なんと?」

「シイナを、自由にしてやってはどうだろう」

 ためらいがちなカタオカは断定を避けてはいるが、フジオミにはそれが明白だ。

 自分から、彼女を自由にしてやってくれとカタオカは頼んでいるのだ。

 随分虫のいい話ではないか。今更。

「では、マナを見つけてください。マナがいるなら、シイナはいりません。いつでも自由にしてやっていい」

「フジオミ――」

「それができないなら、お断わりです。あなたと同じように僕だって自分が大事だ。見返りもないのに奉仕なんてできませんよ」



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