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01

内容はなんちゃってSFですが、少々ハードな展開や部分もあるので、お読みになる際は注意が必要です。

 その部屋に、窓はなかった。

 外部からの有害なものを全て遮断するよう作られたためである。空調の行き届いた完璧な空間に、換気としての役割を担う必要はなかった。

 だが、観賞としての役割を補う代わりに、部屋の側面にはスクリーンパネルが窓を似せて張り巡らされ、外の景色を投影するようになっている。もちろん、好みの景色に切り変えることも可能である。

「綺麗ね――」

 マナは無意識にそう呟いていた。

 今彼女が見ているものは、そこに本当の窓が存在したならばそのままに映る、青い空だった。明るさを含んだ青に、はっきりとした大きな白い雲が形を変えながら流れていく。

 このスクリーンから見る外界の景色を、マナはとても気に入っていた。それは、彼女の瞳がじかに見ることのない、決して触れることも感じることもないものだからだ。

 マナの知っている世界は、この白い壁の中だけだ。彼女は太陽の光の下に立ったこともなければ、暗闇を照らす月光も、星の瞬きも見たことがない。草の間を抜けていく風に吹かれたこともなければ、柔らかな地面の感触も知らなかった。

 識ることはあっても、感じることはない。

 それがマナの全てだった。

「本当の風って、どんなものなのかしら。あんなに草を揺らして、もしそこにいたら、どんな感じがするのかしら」

 最近、マナはよくそんな感慨に囚われる。この白い壁の向こうの、まだ本当に見たことのない世界へ出ていきたいと。

 自分を育ててくれた優しいシイナは、外は人間の生きていけるところではないと教えてくれた。太陽が沈んで、一夜明ける前に、人間は自然のもたらす暗闇の恐ろしさに耐え切れずに発狂しているのだと。実際にそれを試して、発狂して死んでしまった人間がいたということも記録に残っていると。

 それを聞かされた時、幼いマナは泣いてしばらくは明かりを消して眠ることはできなかった。そして、太陽が沈んだ後の外の様子を見ることは、生まれてから十四年間、一度もなかった。

 それでも、マナは外界に対する憧れを止めることはできなかった。スクリーンに映る外界の景色は穏やかな雰囲気を漂わせ、いつも以上に彼女の憧憬をかきたててやまない。

「――そうよ。太陽が沈むまでなら、いいんじゃないかしら。今度博士の機嫌がいい時に頼んでみよう」

 マナがそんな風に心を飛ばしている間に、オートドアが開き、静かに部屋へ入ってきた人物がいた。

「マナ。もう時間よ。いらっしゃい」

 自分の名を呼ぶ声に、マナは振り返った。

「博士」

 マナを呼んだのは、二十代後半に見える美しい女性だ。マナの育ての親とも言える。色素の薄い髪は襟足にとどくほどで切られて、少々男性的な感を与えている。すでに三十を超えていたが、年齢よりは若く見えるその面差しは、些か感情に乏しく、冷ややかな美貌を際立たせていた。

 対照的に、マナは腰までとどく黒髪を揺らして、少女らしいあどけない笑顔で、シイナのもとへとかけよる。大きな瞳が印象的に映るあどけない顔立ちは、無邪気さもそのまま表わしていた。

 自分より大きなシイナを見上げるマナは、時には冷酷とさえ見えるその美貌が、自分に向けられるときは暖かく慈愛の深いものになるのを知っていた。透き通るような、感情に乏しい声も優しく響く。

 マナは母親に対する愛情を知らないが、劣らぬ想いでシイナを愛していた。この閉ざされた世界に存在する数少ない人間の中で、唯一彼女だけが同性であったことも、その理由と言えよう。

「博士、今日は何か起こりそうな気がするの。とても、不思議なこと」

「まあ。マナには隠し事はできないわ。何でもお見通しなのね」

「どうしたの、博士。何かあったの?」

 好奇心を隠さずに、マナはシイナの腕に絡みついた。

「そうね。〈学習〉が終わったら教えてあげるわ」

「何なの、博士。隠さないで教えて」

「それは見てのお楽しみよ。さあ。行きましょう」

 二人は部屋を出て、大きく緩やかな弧を描く長い廊下を歩いた。

 この科学技術の粋を懲らして造られた建造物――ソーラーパネルで外面を覆った半球のドーム――が、マナの世界の全てだった。

 地下十階の更に奥の最下層に動力維持のための設備を据え、底部の中心点からは頂点へとエレベーター八台を据えている。

 内部は、一階をホールと倉庫にして、二階から十階までをケーキを配分するように均等に四区域に分けており、管理、研究、居住、生産と、それぞれの機能別に各技術者によって統制されている。各区域は偶数階ごとに全ての区域と通じるようになってはいるが、それぞれの職種に応じて立入が厳しく規制されている。

 今、マナとシイナがいるのは研究区域である。シイナはこの区域の責任者でもあった。

 マナはこのドームの構造を知識として理解していたが、実際に彼女が知っているのは、研究と居住区域のごく一部分だけだった。

 だが、マナにはそれが苦にはならない。それは知る必要のないことだからだ。

 マナは選ばれた人間なのだ。だから、それ以外は何も重要なことではない。そう、教えられてきた。

 今も彼女は、何も知らずにシイナに連れられて、居住区の自分の部屋から平行に移動し、研究区二階の学習部屋へと移動している。

 研究区の三階から八階分までは存在しない。その空間は、床をぶちぬいて造った植物用の大きな温室となっており、エレベーターへ向かう直線の廊下側面は特殊コーティングを施したガラスが張り巡らされていた。

 マナとシイナが向かうその先で、長身の青年が、ガラスの向こうの実験用植物の温室を眺めている。

 初めに彼に気づいたのは、マナだった。続いて、シイナも気づき、二人は立ち止まった。

「――」

 マナはじっと彼を見つめた。見たことのない男性で、シイナと同じくらいの年代だということはわかった。視線に気づいたかのように青年は振り返る。しかし、そこには何の感情の揺らぎも見えない。

 逞しい、または、男らしい、そんな形容を、青年は持ち合わせてはいなかった。すらりと痩せて、華奢なようにも見える、美しい、だがどこか退廃的な翳りを漂わせる青年だった。

「やあ、シイナ」

 声をかけられたシイナは、無表情に青年を見ている。

「部屋で待つようにと伝えておいたわ。なぜ廊下に?」

「ああ。退屈だったからね。温室を見ていたんだ」

 言いながら、初めて彼はマナに目を向けた。興味深げな眼差しで。

「君が、マナかい?」

「ええ」

「はじめまして。君の〈夫〉になるフジオミだ」

 優しく微笑う長身のフジオミを、マナは驚いて見上げた。表情を見せると、途端に先程の退廃的な名残は消え失せ、人懐こい和らかな印象になる。

「まあ、あなたがあたしの〈旦那様〉なの。はじめまして、あなた。マナと呼んでください。お風呂になさいます? それともお食事が先ですか?」

「は?」

 突然の、わけのわからない発言に戸惑うフジオミに、マナの背後でシイナが噴きだした。

「どういう教育をしたんだい、君は」

「マナは今、歴史で『家族』について学んでいるのよ。古い創作書が教科ディスクなの。少し間違った概念を持っていても大目に見てあげて」

「――まあ、いいけれどね」

 肩を竦めるフジオミに構わず、シイナはマナに視線を向けた。

「さあ、マナ。残念だけど、もう勉強の時間よ。行きなさい」

「でも博士。あたし、まだフジオミといたいわ。お話したいの」

「〈学習〉が終わったらいいわ。今日はそれで終わりよ。レストルームで待っているわ。いいわね」

「――はぁい」

 膨れた顔をしながら、それでもマナは頷いた。こういうとき、シイナは決して譲らない。そして、約束を破ることも決してないのだ。

 廊下を駆けて曲がり角まで来たとき、マナはそっと立ち止まり、振り返った。

「――」

 シイナとフジオミは何か話をしているようだった。マナには気づいていない。もう一度、マナはじっとフジオミを見つめた。

「彼が、あたしの〈伴侶〉になる人なのね」

 ほうっ、と、息をついてマナは笑った。

「すごく素敵。優しそうだし。よかった」

 話には聞いていたのだ。〈夫〉となるフジオミのことは。

 だが、マナはそれまで一度もフジオミに会ったことはなかった。否、シイナ以外の人間と、彼女は接触したことはこれまでになかった。シイナ以外ここにいるのは、みんなドームを維持するためにオリジナルである人間から複製された、クローン体ばかりなのだ。

 初めて見る、自分と同じ立場の異性であるフジオミに、マナの興味は尽きない。

 じっとシイナとフジオミを見ているマナに、しかし、彼らのほうが気づいた。

 マナは驚いたように振り返ったシイナに手を振ると、予定された今日の〈学習〉を終えるために学習室へと向かった。



「どういうつもり?」

 マナがいたときとはがらりと変わった、突放すような口調。シイナは苛立たしさを隠さずにフジオミを振り返り、見据えた。

 視線を受けとめるフジオミは、さほど気にしたふうもない。まるでなれっこだとでも言いたげに。

「まだマナの〈教育〉は済んでいないわ。計画が完全に終わってもいないし、あなたのことを事前に説明する間もなかった。あの子はこちらが驚くほど勘が良すぎるの。余計な刺激を与えられては困るのよ。一体どういうつもりなの!?」

 強い口調に、フジオミは微笑した。

「いいのかい、マナが見てるよ」

 シイナが振り返ると、慌てたように手を振り、すぐに少女は消えた。小さく舌打ちして、シイナはフジオミに向き直る。

「私の質問にまだ答えていないわよ」

「君は確かにこの計画の責任者だが、あくまでもそれは名目上にすぎないということさ。カタオカにも、僕を拘束することはできないしね」

 カタオカとは彼等の議長で、現存する二つのドームを統括する、彼らの社会の実質的な指導者でもある。

 だが、指導者は存在しても、独裁はなかった。完全な権利をもつ人間の数が少ないために、直接民主制なのだ。この社会での決定権を持つものは、クローンではない人間。彼等は全て議員となり、指導者の下、議会を召集し、決議する。議会の承認を得なければ、何も事が運ばないようになっている それは、かつての彼等の世界にあった政策の名残だった。

 だが、何事にも特権がある。フジオミもまた、特権を持つべき人間であった。

「しばらくはここにいる。部屋の用意はさせてあるから不都合はないよ」

「また勝手に話を通したのね! 私に何の断りもなく」

「じゃあ、許可を」

 フジオミは言う。

「今、許可をくれ。君が許してくれれば、それですむ」

「――」

 その口調は、拒否されることを全く念頭においていないようにも聞こえた。

 フジオミはもう一度繰り返す。

「シイナ、許可を」

 シイナは強く唇を噛んだ。

「――好きにすればいいわ。私よりあなたに決定する権利があるのだから」

「結構」

 シイナの反応を楽しむように、フジオミは微笑った。彼に対する、憎悪に近い感情がわいたが、辛うじて、シイナはそれを表情に出さずにすんだ。

「なぜここへ来たの。あなたはこの計画に乗り気ではなかったはずよ」

 きつい口調にフジオミは軽く肩を竦める。

「君に会いたかったからだと言ったら?」

 シイナは表情を変えることもなく、じっとフジオミを見つめた。それ以外、何の反応もない。

 あきらめて、フジオミは吐息をついた。冗談の通じないことはわかっているらしい。

「――正直なところ、考えが変わったのさ」

「考え?」

「ああ。食わず嫌いはやめることにするよ。相手を知らなきゃ、好きになりようもないだろ。なるべくなら、相手にもいやな思いはさせたくないしね」

 シイナは、侮蔑の感を隠さずに嗤った。

「あなたに、相手を思いやる気持ちがあるというの? 自分のことにしか興味がないくせに。あなたにとって重要なのは、自分の楽しみだけでしょうに」

 だが、シイナの言葉にも、フジオミは気にしたふうもなく頷いた。それが事実であることを、彼自身が認めていた。

「だからこそ、楽しめるよう努力するのさ。せめて自分が不快にならない程度にね」



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