02 選定された伴侶
マナとシイナが向かうその先で、
長身の青年がガラス越しに温室を眺めていた。
初めに彼に気づいたのは、マナだった。
続いて、シイナも気づき、二人は立ち止まった。
「――」
マナはじっと彼を見つめた。
見たことのない男性で、
シイナと同じくらいの年代だということはわかった。
視線に気づいたかのように青年は振り返る。
しかし、そこには何の感情の揺らぎも見えない。
逞しい、または、男らしい――そんな形容を、
青年は持ち合わせてはいなかった。
すらりと痩せて、華奢なようにも見える、美しい、
だがどこか退廃的な翳りを漂わせる青年だった。
「やあ、シイナ」
声をかけられたシイナは、無表情に青年を見ている。
「部屋で待つようにと伝えておいたわ。なぜ廊下に?」
「ああ。退屈だったからね。温室を見ていたんだ」
言いながら、初めて彼はマナに目を向けた。
興味深げな眼差しで。
「君が、マナかい?」
「ええ」
「はじめまして。君の〈夫〉になるフジオミだ」
優しく微笑う長身のフジオミを、マナは驚いて見上げた。
表情を見せると、途端に先程の退廃的な名残は消え失せ、
人懐こい和らかな印象になる。
「まあ、あなたがあたしの〈旦那様〉なの。
はじめまして、あなた。マナと呼んでください。
お風呂になさいます? それともお食事が先ですか?」
「は?」
突然の、わけのわからない発言に戸惑うフジオミに、
マナの背後でシイナが噴きだした。
「――どういう教育をしたんだい、君は」
「マナは今、歴史で『家族』について学んでいるのよ。
古い創作書が教科ディスクなの。
少し間違った概念を持っていても大目に見てあげて」
「――まあ、いいけれどね」
肩を竦めるフジオミに構わず、シイナはマナに視線を向けた。
「さあ、マナ。残念だけど、もう勉強の時間よ。行きなさい」
「でも博士。あたし、まだフジオミといたいわ。お話したいの」
「〈学習〉が終わったらいいわ。今日はそれで終わりよ。
レストルームで待っているわ。いいわね」
「――はぁい」
膨れた顔をしながら、それでもマナは頷いた。
こういうとき、シイナは決して譲らない。
そして、約束を破ることも決してないのだ。
廊下を駆けて曲がり角まで来たとき、
マナはそっと立ち止まり、振り返った。
「――」
シイナとフジオミは何か話をしているようだった。
マナには気づいていない。
もう一度、マナはじっとフジオミを見つめた。
「彼が、あたしの〈伴侶〉になる人なのね」
ほうっ、と、息をついてマナは笑った。
「すごく素敵。優しそうだし。よかった」
話には聞いていたのだ。
〈夫〉となるフジオミのことは。
だが、マナはそれまで一度もフジオミに会ったことはなかった。
――否、シイナ以外の人間と、彼女は接触したことはこれまでになかった。
シイナ以外ここにいるのは、
ドームを維持するためにオリジナルである人間から複製された、
クローン体ばかりなのだ。
初めて見る、自分と同じ立場の異性であるフジオミに、マナの興味は尽きない。
じっとシイナとフジオミを見ているマナに、しかし、彼らのほうが気づいた。
マナは驚いたように振り返ったシイナに手を振ると、
予定された今日の〈学習〉を終えるために学習室へと向かった。
「どういうつもり?」
マナがいたときとはがらりと変わった、
突放すような口調。
さきほどまでの柔らかさは跡形もなく、
冷たい刃のような声だった。
シイナは苛立たしさを隠さずに
フジオミを振り返り、見据えた。
視線を受けとめるフジオミは、
さほど気にしたふうもない。
まるでなれっこだとでも言いたげに。
「まだマナの〈教育〉は済んでいないわ。
計画が完全に終わってもいないし、
あなたのことを事前に説明する間もなかった。
あの子はこちらが驚くほど勘が良すぎるの。
余計な刺激を与えられては困るのよ。
一体どういうつもりなの!?」
強い口調に、フジオミは微笑した。
「いいのかい、マナが見てるよ」
シイナが振り返ると、
慌てたように手を振り、すぐに少女は消えた。
小さく舌打ちして、シイナはフジオミに向き直る。
「私の質問にまだ答えていないわよ」
「君は確かにこの計画の責任者だが、
あくまでもそれは名目上にすぎないということさ。
カタオカにも、僕を拘束することはできないしね」
カタオカとは彼等の議長で、現存する二つのドームを統括する
彼らの社会の実質的な指導者でもある。
だが、指導者は存在しても、独裁はなかった。
完全な権利をもつ人間の数が少ないために、直接民主制なのだ。
この社会での決定権を持つものは、クローンではない人間。
彼等は全て議員となり、指導者の下、議会を召集し、決議する。
議会の承認を得なければ、何も事が運ばないようになっている。
それは、かつての彼等の世界にあった政策の名残だった。
だが、何事にも特権がある。
フジオミもまた、特権を持つべき人間であった。
「しばらくはここにいる。部屋の用意はさせてあるから不都合はないよ」
「また勝手に話を通したのね! 私に何の断りもなく」
「じゃあ、許可を」
フジオミは言う。
「今、許可をくれ。君が許してくれれば、それですむ」
「――」
その口調は、拒否されることを全く念頭においていないようにも聞こえた。
フジオミはもう一度繰り返す。
「シイナ、許可を」
シイナは強く唇を噛んだ。
「――好きにすればいいわ。
私よりあなたに決定する権利があるのだから」
「結構」
シイナの反応を楽しむように、フジオミは微笑った。
彼に対する、憎悪に近い感情がわいたが、
辛うじて、シイナはそれを表情に出さずにすんだ。
「なぜここへ来たの。
あなたはこの計画に乗り気ではなかったはずよ」
きつい口調にフジオミは軽く肩を竦める。
「君に会いたかったからだと言ったら?」
シイナは表情を変えることもなく、じっとフジオミを見つめた。
それ以外、何の反応もない。
あきらめて、フジオミは吐息をついた。
冗談の通じないことはわかっているらしい。
「――正直なところ、考えが変わったのさ」
「考え?」
「ああ。食わず嫌いはやめることにするよ。
相手を知らなきゃ、好きになりようもないだろ。
なるべくなら、相手にもいやな思いはさせたくないしね」
シイナは、侮蔑の感を隠さずに嗤った。
「あなたに、相手を思いやる気持ちがあるというの?
自分のことにしか興味がないくせに。
あなたにとって重要なのは、自分の楽しみだけでしょうに」
だが、シイナの言葉にも、フジオミは気にしたふうもなく頷いた。
それが事実であることを、彼自身が認めていた。
「だからこそ、楽しめるよう努力するのさ。せめて自分が不快にならない程度にね」
フジオミは軽く笑った。
その笑みの奥にある本心は、相変わらず読めない。
シイナは答えず、ただ彼を見据えた。
胸の奥で、何かが静かに軋んだ気がした。




