大きな影の存在
ダンジョン区域であるプィーラーの円形広場には多くの冒険者がいた。
彼らは一様に鼻先を赤くしながら寒そうに体を縮め、白い息を吐いている。それは私たちも同じことだ。
「午前中はさすがに冷えるわね。アズラ、そんなに格好で大丈夫なの?」
「ああ、問題ない」
彼は普段通りに薄着だ。長袖と長ズボンなのが唯一の救いである。
「心配だわ」
「エーヌのことか?」
違う、あなたのことよ……と、いうことは心の内に秘めておく。
広場へ視線を這わすが、目立つはずの『赤毛の子犬ちゃん』は見当たらない。
周囲にぐるりと店を構えている露店主に尋ねてみると、有益な情報を得ることが出来た。
「ああ、怪しい風貌の運び屋な。今日も見たよ。誰にも相手にされてないんで、ひとりで広場をぐるぐると回っていたよ」
辺りに常駐していた運び屋も先ほど姿を見かけたと言う。
そして、同業者である冒険者の集団が重要な証言をしてくれた。
「そのバックパッカーなら、さっき広場ですれ違ったぜ。なんかフラフラーっと森の迷宮へ向かって行ったから、もしかしたら自殺者かもって話をしてたところさ。門兵に一応、報告しとかなきゃだからな」
それを聞いて顔から血の気が引いていくような気がした。
まさか、彼は本当のことを言い当てられてショックを受けたのか。そのせいで自棄なっていたとしたら……。
わたくしのせいだわと、あらぬ不安が脳内に浮かんできた。
「エーヌってば、弱虫なのに一人でダンジョンへ向かうなんて。そんなの本当に自殺行為よ。……彼に何かあったら。ど、どうしましょう」
「テレジア」
そう名前を呼ばれて、情けない顔を彼の方へ晒した。
だけど、アズラは真剣な眼差しをこちらへ向けていた。彼はそのまま、私の両肩にそっと手を乗せてくる。
「……落ち着いてくれ」
微かに震えを感じるその温もりに、私は目が覚めたようだった。
彼は他者に触れることも、触れられることも嫌なはずなのに。
惑っている場合じゃない、と。
彼の姿は、私を冷静にさせて、勇気づけるのには十分であった。
……アズラ、ありがとう。
「すぐにあのおバカを連れ戻すわよ。アズラ、着いていらっしゃい!」
私は強く頷いた彼を引き連れて、森の迷宮を目指した。
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ダンジョンの周囲は高い塀で覆われている。唯一の入り口には二人の兵士が立っていた。
彼らは何故か長い槍をで行く先を塞いでいる。兵士の一人が強い口調で言う。
「立ち止まって貰おう。今、この迷宮区には凶暴な魔物が出現中との情報が入っている。兵団が調査を開始するまで、新たな冒険者は入れてはならぬ規則だ」
その話を聞いてグッと息を呑む。私の口から飛び出したのは隠しきれない焦りだった。
「友人が一人で入ってしまったかも知れないの。お願い、通して」
「駄目だ、駄目だ。何人も通さんぞ」
「お願いよ。早く行かないと、彼が怪我をするかも知れないわ」
「中にはまだ冒険者もいる。何かあれば助けて貰えるだろう。そもそも、実力がない者が一人でダンジョンへ入ることが間違いだ。そうは思わないか?」
フンと息を巻く兵士の態度に、カッと頭に血がのぼる。
「ふざけないで、人の命がかかっているのよっ、退いてちょうだい!」
必死で槍を退かそうとするが、屈強な兵士たちは微動だにしない。
切羽詰まってだんだんと額に汗が滲んでくる。はぁはぁと荒い息をはいたところで、アズラが上着を脱ぎながら前へ出てきた。
彼の体から瞬時に黒茨の蔓が伸び、二つの槍先に絡みつく。
槍先が消失していくと、驚いた兵士たちはそれを手放した。
「……行こう」
一足早く、アズラが彼らの間を駆け抜けて行く。
いつの間に、彼はこんなに頼もしくなったのだろう。
いや、本当は出会った時からそうだった。
彼は強くて、優しくて、暖かくて。その体には罪なんて背負っていない。
その清らかな背を追い抜く勢いで走り出す。
杉のような高い木々の間を抜けて行くと、息の荒い男性の冒険者、二人組とすれ違った。
無視して進もうとしたが、彼らは何を思ったのか側へ走り寄ってくる。
片方の男が、森の奥を指さす。
「早く逃げろ、この奥でとんでもねぇ魔物が暴れているぞ」
それを耳にしたとたんに「なんですって」という悲鳴じみた声が漏れた。
「ああ、エーヌ、いいえ。あなた方、フードを被ったバックパッカーを見なかった!?」
そう訪ねると、男たちは急に挙動不審となる。一人が目を泳がせながら言う。
「えっ、バックパッカー? ああ、獣人の……」
「彼を見たのね!? どこに居たのか教えて、お願いっ」
はやる気持ちを抑えながら頼み込むが、男たちは「いいや」と首を振った。
「バックパッカーなんて知らないよ。それよりあんたらも早く逃げた方がいいぜ」
「待って!」
私の前から逃れるように足早に去って行ってしまった。
「テレジア。奥へ、行ってみよう」
アズラとしっかり頷き合う。
再びそこを目指そうと足を向けた時だ。
深い木々の向こうから、男女の冒険者が現れた。彼らはどうやら傷を負っているようだ。
「何があったの、大丈夫!?」
すぐに駆け寄ると、二人はその場に膝をついて荒い息をはいた。男の方が絞り出すように声を上げる。
「……男の二人組を見なかったか」
先ほどの男たちを思い起こすと、反射的に肯定の言葉が出た。
「み、見たわ。なんなの?」
「あいつら魔物にビビって、その場にいた俺たちを囮にして逃げやがったんだ」
「なんですって!?」
「まだ、バックパッカーが取り残されているんだ。頼む、助けに行ってやってくれ!」
バックパッカーが取り残されている。それは、エーヌのことかも知れない。
私の中に『彼の死』という最悪な光景が浮んでしまう。それを振り払うように夢中で駆け出した。
――お願い神様、間に合って!
木の枝が頬を掠め、目の前に現れる木の幹に肩先を擦り、石につまずいて転んで膝を打つ。
それでも立ち止まる訳にはいかない。
視界が開ける前に、金切り声のような咆哮が響いた。
沢山の木々が無造作に投げ倒されていた。そこには、魔物と呼ぶには相応しくないほど醜い悪魔がいる。
獅子のような頭、胴はまるで山羊、尾は蛇で背中にコウモリのような翼が生えた獣。四メートルもありそうな巨体である。
獣の足下に緋色の髪が見え隠れしていた。
地面に伏したエーヌの姿。それを目の当たりにして、私は目を見開いた。




