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どうしようもない


 傷は癒えたが跡は消えず。

 この火傷の跡のことはわかりきっていたとサイは思っていたが、街に出てみて彼は理解を改めた。

 

 町を往来する人々の視線が嫌というほどに、サイを見ているのだ。

 焼けてしまった自分の手腕に。

 焼けてしまった自分の胴に。

 焼けてしまった自分の首に。

 焼けてしまった自分の顔に。

 最早どうしようもない傷跡に、人々の好奇心を引きつけ気味悪がるような目を向けられ続ける。

 しかしサイが視線を返すと人々は彼と目を合わせようとはしない、みんな揃って目を逸らし足早にその場を立ち去るだけだ。


「まったく、教養もくそもないな。たしかこの辺りだよな」


 そう呟いて、誰かの手で紙に書かれた地図に目を通す。サイが目指していた場所は武器屋だ。

 領主のお嬢様のありがた迷惑なお願いごとは一般人のサイにはあまりにも無理難題であった。ベルがサイに狩って欲しい動物は、動物と呼ぶには相応しくない。

 正確に言えば魔物に近い、魔物ほど凶暴で、魔物ほど残忍で、魔物ほど巨大でもある。


 数時間前のことだ、サイが火傷の治療を受けてちょうど一週間経った朝、ベルがサイの元へいつもの騎士鎧を着たまま現れる。


「火傷の具合はどうかしら」

「だいぶ良くなった、動かしても問題ない」


 サイはベッドから起き上がりながら、左肩を回して異常がないことを伝える。


「狩にはいけるわね」

「ああ、それで何を狩って欲しいんだ?」

「シルバーグリズリー」


 それを聞いてサイは冗談だろうと笑って返すとベルは拳を軽く握って突き出し彼の顔の前で寸止めをしてみせる。

 どうやら冗談ではないようだ。シルバーグリズリーとはクランシェルの町からそう遠くない西の方角にある森に生息している熊の一種だ。しかし西の森には魔物も生息していて、過酷な環境下で生き残るために普通の動物達も独自の生態系を築き上げ、人間にとってはとてつもない危険性を秘めているのだ。


「命を助けたのよ、命をかけて恩を返してこそだと思うわよ」

「ふざけんなっ! それとこれとじゃ訳が違うだろ!」

「違わないわ、あなた確か村を襲った魔術師と王国騎士たちの情報が欲しいのでしょう。地下牢にいた村長から情報を吐かせたわ、その情報と王都イシュガルドまでの資金を報酬として用意してあるわ……いらないのなら他の人に任せるわ」


 サイからしてみれば、それは喉から手が出るほど欲しい報酬だ。たとえ無理だとしても、復讐を遂げるためにはやらなくてはならない。


「なら俺にも考えがある」

「なにかしら?」

「お前が腐女子であることをこの町の人間にバラす!」

「なっ! バラしたら殴るわよ!」

「殴ってどうぞ。殴ってバレてしまったことが消えるなら」


 サイは知っている、最初にこの屋敷に連れてこられた時にベルの部屋に寝かされていて起きてから部屋を物色した時、偶然「真夏の夜の男達」という題名の本が本棚にしまわれていることを。

 ベルにとっては絶対に知られたくはないことではあったが、不覚にもサイに知られてしまっている。


「わ、わかったわ、それなら狩をこなせたら報酬を倍にするし、なんなら狩の準備も手配するから、お願いそれだけはやめて」

「……そもそも狩にいきたくないんだが」


 サイにはやらなければならないことがある。魔術師と王国騎士たちを殺すということが今の彼の生きる意味であり、死んでいった村の住民達の無念を晴らすことだ。恩を返すにしても限りある時間と命を無駄にはできない。


「殺しても殺し足りないだろうな、なぁベル騎士は何を思って騎士になるんだ?」


 唐突な質問にベルは驚く、ベルが見たサイの表情はとても真面目だった。


「騎士にも色々あるわ、私は領主でありながら町の人々や周りの村の村民を守るために剣術を学び騎士になった」

「そうじゃない、お前が騎士の恰好をしている理由を聞いたんじゃない。例えば弓矢ができる人間は僕みたいに狩人になる、剣術や戦うことが得意なら騎士を選ぶ人間もいる、中には生きるために金のために食うためにって奴らもいるんだ」

「そうね、それが?」

「王国騎士って奴らは騎士の中でも王に絶対なる忠誠を誓い、戦闘において右に出るやつはそうそういない。そんな奴らが無抵抗の村民を皆殺しにするなんてな。俺の村を襲った騎士を率いていたのはメシアだ」

「え、あのメシア様が、うそでしょう」


 メシアと呼ばれる騎士がいる。

 彼は騎士の中では最強と称されていて、幾多に渡り他国との戦争において最前線にて戦う者達を先導してこの国ロンギヌス帝国を勝利に導いて来た。

 騎士になる者は皆、メシアを憧れの対象としている者も多くいる。ベルもそれに漏れなかった。


「じゃあ貴方はメシア様を殺すつもりなの?」

「ああ、メシア含めた王国騎士と魔術師を根絶やしにしてやるつもりだ。それも俺の家族にしたように、愛する者を目の前で殺し、最後はそいつの命を奪う」

「…………」


 ベルはたった一人の狩人であるサイがそんなことを考えてるなんて思いもしなかった。そしてそんな復讐はできるはずもない、力の差がありすぎると思い理解できず苦悶する。


「多分できるわけがないと思ってるんだろうけど、ここで僕が仮にシルバーグリズリーを狩り報酬を貰ったとしたら、君は人殺しの助けをしたことになるんだ。だから……」

「時間をちょうだいメシア様が確かに村を襲ったのか知りたいわ、それに狩りをするなら下準備はいずれにせよ必要でしょう。私は少し町を回って情報を集めるわ、あなたは武器屋にでもいってくるといいわ」


 そういってベルはサイに大量の硬貨が入った袋と地図を書いたメモをサイに渡して、部屋を出て行った。


 そして今に至る、サイはある程度の準備を済ませるために武器屋に来たという訳だ。

 弓矢だけでは西の森「フィアーザフォレスト」に入るには無謀すぎる。

 武器屋の中に入る、ガラス張りの棚に展示されている数々の剣や槍、どれもこれも全部一般人には手に入らなそうな額が武器の値札に付けられている。

 武器屋の中の空気は鉄の匂いで充満していて店の奥からは、カンカンと何かを力いっぱい叩く音が聞こえる。


「森に入るなら剣くらいは必要だろうけど、ベルがくれたお金で足りるかな?」


 サイは一人でそう呟くと、鉄を叩く音が止む、店の奥から中年のヒゲを伸ばした男性が現れる。


「らっしゃい兄さん、何を探してんだ?」


 首にかけてある手拭いで汗を拭きながら男性はサイに尋ねた、サイは剣を見たままその質問に答えた。


「えーと、初心者にオススメの剣とかを」

「初心者ねぇ、俺が鍛えて作る剣なんてのは使い手を選ぶもんだ、兄さん手を見せてみな」


 サイはそう言われて店主の男に右手の手のひらを見せた。店主はサイの手をひっくり返したり質感を確かめるように揉んでみたりする。

 その途中で店主はサイの左手を見て右手と同じように質感を確かめる。


「この左手はどうした? よくみりゃ顔や首も焼けてらぁ」

「まぁちょっとした事故で」

「嘘は良くねぇな、こりゃ魔法でやられたんだろう俺にはわかるぜ。しかもこの傷まだ少しだが魔力の力を秘めてやがる……なるほど兄さんがサイか」

「なんで僕の名前を」

「ベル様が来たんだよ、ついさっきな『火傷の傷跡がある私と同じくらいの若い子が来たら、戦闘に適した服と武器を見繕いしてあげて』なんて言ってきたぜ、兄さんに合う武器があるとしたら今作ってる所だ、しばらく待っててくれよ」


 言われた通りにしばらく店内の武器を眺めて待つサイ、よく店内を見回すとベルが持っていた剣もある。値札に書かれている金額は500ゴールド、狩人のサイが鹿を狩り売ると1シルバー。

 1シルバー10枚で1ゴールドになる。もし買うとなると鹿を5000頭も狩らなくてはならない。到底サイには買えるような金額ではない。

 この剣の刀身は細く軽い、女性でも扱いやすい上、魔法を切ることにより魔術的攻撃を消滅させる魔術除外(マジックアウト)の効果もあるようだ。値札の下の説明文にはそう書かれている。


「やっぱり領主って金持ちなんだなー」

「兄さん、出来上がったぜ」


 店主が店の奥から出てきて、サイに出来上がった剣と服を持ってきていた、赤と黒のツートンカラーで飾り気はないがシンプルでとても動きやすく、左手のみ肩まで入る手袋もついていて火傷を隠せる、フードを被れば顔もだ。至る所にベルトがついていて道具を固定したりできる。

 剣は細身でやや反りのある長い刀身をしている剣。サイはこんな剣を見たことはない、おまけにこの店のどこにもそんな剣はなかった。


「随分と変わってるな、この剣」

「それは剣というより刀だ、遥か東の遠い国が発祥地でなぁ、見た目に反して頑丈で鉄をも斬り裂いちまう代物だ、扱いには気をつけろよ」

「あ、そうだベルから貰ったお金があったな……これで足りますか?」


 袋を開けるとサイは中の硬貨を店の机の上に全部出した。店主はそれを見て「まいどっ!」と言って硬貨を全て回収し、また店の奥に消えていった。


 サイは新しい服装に身を包みフードを被り、刀を腰に下げるようにベルトで固定すると店を出た。

 今回の買い物で使われた金額は7000ゴールド、サイはそれを知る由もない。もちろんベルよりも上等な装備になっていることも。

 

 新しい服のおかげで傷跡が目立つことはない、人々がサイをジロジロと見ることはなくなった。ホッと一息ついて屋敷に戻る途中、町を行き交う人々の中、遠くにサイを見ている黒いローブに身を包んだ人物がこちらを見て立っていた。

 サイもその人物に気がつく、次の瞬間サイは肩にかけていた弓矢を素早く構えて狙いを定める、見間違うはずがなかった。サイに火傷を負わせた魔術師だ。

 魔術師は自身の腰ほどまでに長い杖を構えて何かを呟いた。

 サイが構えるより早く魔術師は魔法の詠唱を済ませると、炎の火球が町の人々をも巻き込み飛んできた。一気に阿鼻叫喚の嵐が巻き起こる、その時サイの目の前に剣を抜いたベルが立ち炎の火球を斬り裂く。炎が剣の刀身に渦を巻きながら吸収され消える。


「ぼさっとしない!」

「うるせぇわかってる!」


 サイはその瞬間を逃さず魔術師にめがけて弓矢を放った、しかし杖で簡単に弾かれてしまう。


「ほう、これは驚いたまだ生き残りがいるとはな。その傷……呪いが浮き出ておるなぁ、さすが彼の方の血統をひく者だ、今は生かしておいてやろう。またいずれ」

「待ちやがれ!」


 サイは刀を抜いて魔術師のいた所に駆けるが既にいなくなっていた。

 敵の放った魔術のせいで町の人たちが何人か死んでしまった。

 サイは惨状を目の当たりにして怒りに打ち震える。

 焼け死んだ人々の姿がユリアの死に様とまったく同じであることが彼の怒りをさらに大きくした。

 刀を持ったまま、辺りを見渡し血眼になり魔術師を探す。


「殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」


 何度も繰り返し叫ぶ。

 刀を手に振り回し、通りに出ている屋台や民家を荒らし回り、完全に理性を失い怒りの感情にまかせたまま邪魔な物を斬り続けている。


「サイ、やめなさい!」

「邪魔だぁ、どけ!」


 止めに入ったベルにすら刀を振り、斬りつけよとするがベルの方が上手だ、今まで一度も使ったことのない武器を経験者に向かって振った所で、軽く弾かれるのは当たり前だ。

 後ろに仰け反ったサイに目掛けて蹴りを入れて転ばせる。転んだ勢いでサイは刀を手放した、拾おうとするがベルに手を踏みつけられてしまう。


「がぁっ! く、くそが!」

「わからない奴ね、少し寝てなさい」


 ベルはサイの後頭部を勢い良く蹴る。騎士として鍛え抜いた足から放たれたその一撃は彼を気絶させるには充分だった。

 

 通りを行き交う人々はすっかりいなくなった後、死体の処理をしていたベルは一人の死体がおかしいことに気がつく。その死体は女性で焼かれた身体の部位は腕の一部だけだというのに息絶えていた。


「この死体おかしわね」


 ベルは女性の死体を見た後、気絶しているサイを見る。サイの火傷後は左半身をほぼ覆っているにも関わらずサイは生きている、それに比べ女性の死体は奇妙なほど外傷となる火傷が少ない。この程度では人は死なない。

 他の死体も同じくらいの火傷しかない。おそらく火系統と闇系統の混合の上位魔術だったのだろう、火傷が呪いとなって人を死なせていたのだ。

 もっと早く屋敷に戻ろうとすれば多くの人が助かったのにとベルは悔やんだ。


 ベルはサイを担ぐと町の外へ向かった。ふとベルは担いだサイを見て思う、サイは自分の力で復讐をしようとしていたのに自分は命推しさに人任せ過ぎると、そしてそもそも人任せでは仇を討つとは言わない。

 自分自身でそいつを殺してこその復讐なのだから。


 ベルは町の外へ出ると街道の少し開けた場所にサイを投げ降ろす。そして持っていた剣をサイに向けて振りかぶる。


「おきてまぁーすっ!」


 さっきの激情とは一変、ふざけた表情をして、サーカスのピエロの真似事でもしているかのように目を見開いた。ちなみに仰向けだ。

 

「いつから起きてたのかしら?」

「町出た辺りから」


 再びベルは剣をサイに向かって振りかぶる。

 サイは地面を這ってベルから遠ざかると、自分の刀を腰から抜いて構えた。


「な、なんだよ……マジで殺す気か?」

「あんまりふざけてるとそうするわよ」

「あい」


 ベルとサイはお互い気を取り直してから、これからシルバーグリズリーを狩る準備は万全か確認した。サイは新しい装備と弓矢の矢の本数を確認。

 ベルは先程の魔術の炎によって剣に負担がないか確認する。ベルの剣は魔術を斬り裂き消すことができるが、刀身にその分無理をさせることになる。手入れを怠れば折れたりしてしまうだろう。お互い準備はできているようだ。


「矢の数はきっかり30本だ、邪魔な魔物には奇襲攻撃をして一撃で仕留められるが逃した時は間違いなく死ぬ。それとメシアのしたことは確認できたのか?」

「ええ、間違いないようね。王国騎士がこの地を訪れてリスティーヌの村を焼く数週間前にメシア様の指名手配が発令されてる……しばらくすれば王国全体に知れ渡るわ。真実を確かめる為に私もあなたについて行くわ、シルバーグリズリーを倒したらね」

「そうか、じゃあな……生きて森から出てきたら頼むわ」


 サイは手を振って歩き去ろうとするが、ベルが「待って」と一声かける。


「なんだ?」

「ついて行くのは今からよ、シルバーグリズリーは私が倒す。父の仇は私が取るわ、それにあなた剣の使い方も知らないじゃない」


 確かに剣の扱い方も知らないサイでは近くに魔物がひょっこり出てきたら食べられて終わりだ。しかしベルと連携すれば遠くの敵はサイが倒し、近くの敵はベルが倒す。生存率は確実に上がる。

 それはいい、問題はお嬢様育ちのベルが、泥で汚れて騒いだり砂埃で文句を言わないかサイは心配だった。


「森は汚いぞ」

「知ってるわ」

「動物のフンとかそこらじゅうにある」

「うっ、あまり考えたくわないわね」

「我慢できるのか」

「するわよ!」

「言ったな、もし騒いだりしたらその場に置いていくからな、お嬢様」

「お嬢様扱いしてればいいわ」


 すこし不機嫌になるベルを連れてサイは西の森を目指す。街道から道を外れて、しばらくなにもない平原を歩く。

 すこし進んだ所でベルが質問をしてきた。


「あなた花って好き?」

「急になんだ、花をつみにいきたいならすこし待っててやるから早く済ませろよ」

「そういう意味じゃない! 本当に口が減らないわね。私が聞きたいのはあなたが屋敷にいた時、花を持ってたからよ。ほらこれ、大切なんじゃないの」


 ベルは一輪の綺麗な薔薇(スカーレットナイト)をサイに渡した。サイはそれを受けとるとポケットにしまう。

 クランシェルの町に着く前に何故か大切な気がしてこの薔薇を採った。自分の村、リスティーヌでは死と滅びの予兆とされているにも関わらず。


「スカーレットナイト……実は探していたんだ、お前が持っててくれたんだな」

「なぜそんな花を持ってたのかしら」

「そうだな、なんか身体の一部のような感覚がしてなんとなくだな、それにこの花が好きなんだ」

「私にとっての剣みたいな物かしら」

「これは剣にはならないが、そうだな強いて言うならそうかもしれない」


 サイは薔薇を見つめてこれが自分の身体の一部であると確信したような表情をする。薔薇に込められた魔性の魅力に魅せられているようにも他人の目には写る。

 目的の森に近づく、この中に入れば常に死と隣り合わせになることは間違いないだろう。二人に緊張がはしる。


「森に入る前にサイ、あなたに剣の構え方を教えるわ。多少は扱えたほうが良いと思うから」

「ああ、頼む」


 まずベルはサイに刀を抜かせて目の前に立つと刀の先を相手の眉間に合わせて両手で持つように指示、これが基本だというと次に振り方を教えた。

 剣の先を上に上げてそのまま下に降ろす、斬るというより叩きつけるような感覚を意識するように伝えた。


「これだけか?」

「あとは状況に合わせて自分で判断して使って、戦いの中でも学べることもある……といいたい所だけど、もし相手が2体以上来たらまず私に知らせて」

「わかった」


 お世辞にも充分とは言えない剣術の指南を受けて、森に入ろうとすると森の中で何かの鋭い眼光がこちらを見ていることを全身の肌で感じたサイは、ベルを止める。


「待てベル」

「なに?」

「ウェアウルフ共だ、こっちを見てやがる……森に入るなって警告だな、妙だ」

「ウェアウルフ共って言ったわね、何匹いるのかしら」

「数は分からないが、本来繁殖以外で群れるような奴らじゃない。どのみちこのまま入ったら危ない」

「ならこれね……冷ややかなる氷の精霊よ、汝の道を妨げる邪悪を退けたまえ」


 ふたりを睨みつけるウェアウルフ達がいなくなる、ベルは引き抜いた剣を天に掲げるようにして魔術の詠唱を行った。


「魔術使えたのか?」

「ええ、氷属性の魔除けをしたけど火系統の魔物だけには効果がないから頼んだわよ」


 森に入る、鬱蒼と生い茂る木々をかけわけ獣道を進む。鳥や動物の声はまったく聞こえず、かえって森らしくない不気味な雰囲気が漂う。

 サイはすこし森を深く入った場所で腰を低くすると、ベルにもしゃがむようにジェスチャーで伝えた。


「……地面の足跡が見えるか?」

「え、どれ?」


 地面をよく見ると人の足跡のような痕跡が残っている。それだけなら大したことはないが、その足跡が素足によるものなのだ。森の動物にこんな足をした奴らはいない、本能的にサイは違和感を感じると弓矢を構えた。


「ウェアウルフ共の群れての警告、この足跡……間違いないヤバいのがいる」

「火系統の魔物かしら?」

「ただの火系統なら大したことはない、そもそも火系統は森に出ない」

「それもそうね」

「何かの人型の魔物が『はぐれ』でこの森に入り込んだんだ」


 嫌な予感が絶えない空気の中、サイはすこし腰を上げて遠くに目を凝らす。


『クォォォォォォッ!』


 奇妙な鳴き声が森に響き渡り、木々を揺らしさっきまで静かだった動物達が一気に移動を始める。まるで何かに怯えるように。


「姿勢を低くしたまま、ついてこい」

「なにがどうしたの」


 再び腰を降ろしサイは屈んだ体制を保ったまま、森の中を素早く移動する。しかし不慣れなベルはサイからかなり離れてしまった。このままだとはぐれてしまう。

 サイが木の影に隠れつつ、また遠くの様子を伺う。奇妙な鳴き声のした方向に何かいるようだった。

 追いついてきたベルの顔を見る、サイは血相を変えて汗を流しながらベルに質問をした。


「髪の変わりに蛇が頭に乗ってて、人でいう肌が鱗みたいになってる魔物なんて見たことがあるか」

「嘘、冗談でしょう……それってメデューサじゃないの」

「めでゅ?」

「メデューサよ、知らないの? 目が合ったら最後よ石にされてしまうの」


 メデューサをよく知らないサイはその話を聞いて鳥肌をたてて恐怖した。そんな危険な奴がいる中、狩りなんてとんでもない。今すぐ町に戻って討伐隊を呼ぶべきだとベルに言ったが、ベルは首を縦にふらなかった。そうなると予想していたのかサイはやれやれと手を頭に当てた。


「近づきさえしなければ、大丈夫よ」

「……いやだめだあいつをなんとかしないと、ここに縄張りを作っていた動物も戻ってこないんだ」

「わかってるわよ、どうするの?」

「ここで待て、木の上から周りを見てくる、僕たちでメデューサを殺るしかない」


 サイの視界から見てメデューサは遠い、こちらにはまだ気がついていない。それ以外に魔物も見当たらないが、シルバーグリズリーはまだ見つけられていない。木から一度降りる。

 メデューサを避けるようにして動物達は動いているようだ、サイは弓矢を構えて蛇を象徴するような魔物に向ける。


「ベル、いまから弓矢を打つこの距離だと致命傷を与えられるかわからない。なるべくあいつに接近してくれるか?」

「わかったわ、ギリギリまで近づいたら合図するからその時に打ってちょうだい」


 サイは頷いて返事をする。ベルは木に隠れながら障害となる魔物へ近づいていく、ゆっくりとゆっくりとそれでいい。バレたらふたりとも石にされて一貫の終わりだ。

 メデューサは森林を歩いて移動しているがその歩みは非常に遅い、この速度ならサイも弓矢をはずすことはない。

 ベルもかなりメデューサに近づいてきた、木の影に隠れて背後を取る。


『クォォォォッ!』


 また鳴き声を上げる、この鳴き声に何の意味があるかは分からないがサイはベルの合図を待った。しかしかなり近づいているのに合図を出してこない、それどころかベルは木の影に隠れたままで動こうともしない。


「どうしたんだ、ベル?」


 メデューサが踵を返しゆっくりとベルの隠れている木の影へと向かう。


「まさかバレたのか! このままだとまずいな」


 メデューサがこのままベルを見つけたら石にされてしまう、既にベルの首には死神の鎌が掛けられているのも同然だ。サイはこの一瞬で今までの経験と狩人としての知識を頭の中で一気に回転させる。

 弓矢を打てばベルは助かるかもしれない、だがその後自分が無事でいられるかの保証はまったくない、ならばどうするかサイは答えを探した。そしてその答えを行動で示す。

 弓矢をメデューサではなく明後日の虚空へと放ったのだ。

 矢はまっすぐと上空へ上がり続けるその時、一陣の風が森を吹き抜ける。

 矢は風に煽られて曲がりながら落下、メデューサの右脇腹に命中する。


『グギャアアアアッ!』


 メデューサは苦しむような叫び声をあげ、矢が飛んできた方向を見る。しかしそこにはサイとベルのふたりの姿はまったく見当たらない。

 その隙を逃してなるものかとばかりにベルが木の影から飛びたして、背後からメデューサ首を切り落とした。

 サイは急いでベルに駆け寄る。


「やったな、これでこころおきなくシルバーグリズリーを探せる……おいベルどうした?」

「やられたわ……」


 サイはベルの足もとをみる、するとベルの両足が膝のあたりまで石になりかけていた。


「そんな、どうして」

「声よ……鳴き声と叫び声……メデューサの声を聞いた途端に」

「それで動けなかったのか、くそ!」


 メデューサの声にまで石化の効果があることはベルも知らなかった。

 みるみるベルの石化は進んでいく、何か手はないのかとサイは考えるがなにも思い浮かばない。


「切り落としてちょうだい足を」

「なにを馬鹿なことを……」

「はやく! 剣の振り方は教えたはずよ!」

「くっ……」


 ベルに習った通りに刀を構えて振りかぶる。なぜこんなことをしなくちゃならないんだとサイは頭の中で何度も同じ言葉を繰り返す。

 一時的な協力関係とはいえ、自分と同じくらいの女の子の足を切り落とすなんてことはしたくないと思うのは当たり前だ。

 躊躇いが顔に現れて、手汗がサイの行動を邪魔した。


「サイ早くしなさい!」

「ど、どうなってもしらないからな」

「黙って、早く斬って!」


 サイは自らの刀でベルの足を両方とも切り落とした、まだ剣術に関しては素人だというのに膝の上あたりから、綺麗に切り落とした。

 ベルは声ひとつあげなかった。切られた断面からは滝のように血が流れているのに苦悶の表情すらせずに氷の魔術で凍らせて、止血をするとそのまま氷で義足を作る。

 サイはうなだれたままだった、騒いだりしたら置いていくだと? 女の子にこんな苦渋の決断をさせておいて何が狩人か。自分の不甲斐なさに苛立ちを覚えた。

 氷の義足では動ける範囲も限界がある、今日はひとまず森を出ようとサイは提案したがベルはまたもや首を縦にふらなかった。


「ここまで来ておいて帰るなんてもったいないわ」

「その脚でこの森は危険すぎるだろ、少しは自分を大切にしろよ」

「あなた言ったわよね、ここに縄張りを作っていた動物がいるって、あなたその時地面に出来た熊の足跡を見てたじゃない」


 ベルはサイのことをよく見ている、狩人が獲物を追う時は、痕跡をよく見るように、領主が民を率いる時は民をよく見るのだ。ベルにはその資質が充分にあるが故に出た言葉だった。


「魔物除けの効果はいつまで持つ?」

「日暮れまでは」

「わかった、日暮れまでだな……シルバーグリズリーは日中の活動が多い、縄張りに戻るならすぐだろう」

「奴がきたら教えてちょうだい、脳天を串刺しにしてやるわ」

「その足じゃそんなのは無理だ、僕が弓矢で動きを止めるその隙に攻撃してくれ」

「しょうがないわね」


 悪態をつくベルを尻目に木を登り周りを見渡す、シルバーグリズリーの影は見えないが他の動物達は自分達の居場所に戻っていく様がサイにはわかった。


「どうかしらぁー?」

「まだだ、ん? 待てよ」


 サイは木から降りて、地面を注意深く観察する。


「獲物の足だけ、動物達が逃げた方向と逆を向いてるな……バックトラックか」

「ばっくとらっく?」


 バックトラックとは熊が後ろ向きに歩いて足跡をわざと残し、自分を追う者を撹乱するいわば動物の知恵である。

 熊以外にもキツネやイタチ、ウサギなどが行うとしてよく知られている。

 サイはベルに熊がそれをしたことを伝える。


「なら足跡と逆を辿れば」

「いや、バックトラックを追っても無駄だな。バックトラックは途中で途切れるからこそ意味があるんだ、足跡を残した後に草むらや木に登らなきゃ意味がない。ここで奴の帰りをまつべきだ」

「気長ねあなたは」

「慎重と言って欲しいな」


 ベルはサイに言われた通りに地上で周りを観察しつづける、サイは木の上から周りを見渡し獲物の気配を探るがシルバーグリズリーは一向に姿を見せない。


「場所を変えるぞ、縄張りを移してる可能性がある」

「日が暮れるわよ?」

「もっと森の奥に縄張りを作ってるかもしれない」

「大丈夫なの?」

「ああ、おそらく奴は弱ってるんだ……疲れてると言ったほうがいいかな、今がチャンスだ」


 ふたりは更に森の奥へと足を踏み入れる、ベルの足に負担はかけられないが彼女は諦めないことをサイは知っている。

 ベルは自分の足を失ってでも獲物を仕留めたい理由については、自分と同じ思いをしたからだとわかっていた、父の仇だということを。

 

 森の奥に入り続けしばらくしたころ、またサイは地面を注意深く観察した。


「妙だな……今度は僕たちがきた方向とは逆に足跡が残ってる」

「なによそれ、元の場所に戻るしかないじゃない」


 ベルがそう言った瞬間だった、サイがベルを突き飛ばす。

 木の上からシルバーグリズリーがその大きな両腕を飛び降りながら振り下ろしてきたのだ。

 サイは直撃はさけたものの、右肩に攻撃がかすり肩が外れてしまっていた。かすっただけでこの威力だ、次はないだろう。

 サイは走りながらベルの近くにいく。


「はめられたっ! 奴は俺たちが追ってることを先に知ってたんだ」

「今はそんなことどうでもいいわ! あなたの弓矢には期待できそうにないわね、いいわ……私の本気をみせてやるわ」


 シルバーグリズリーは唸り声にも似た声をあげた、まるで獲物が自分の罠にはまって笑っているかのようにサイには聞こえた。

 足跡ばかりを見て物を追うと、上がおろそかになる、だからあえてわざと地面に足跡を残した。人間の追う心理を良く理解しているように思える。

 偶然だったにしても、恐ろしいことに変わりはない。サイの弓矢は封じられてしまったのだから。


「我が肉体に宿れ、虚構の(ことわり)……いくわよっ!」


 ベルの身体に白い光が宿る。


「無属性の魔術、使い手が極端に少ないって話を聞いたんだがな……まさかベルが使えるとは」


 サイは右肩を抑えながら、苦笑した。ベルは熊の繰り出してくる一撃一撃を丁寧に剣でさばく。

 無属性の魔術は単純使えば身体能力の向上をはかる物だ、熊一頭なら充分通用するが、熊は知っている。

 ベルの抱えている弱点を。


 熊はベルの足元を狙い腕を降った、さばかれるはずの一撃は通ってしまい、ベルの氷で出来た義足を砕いた。


「しまった!」

「ベル! 逃げろ!」


 倒れたベルの胴体に熊の右腕から振り払うような攻撃があたる、まともに食らったせいか骨がひしゃげるような音を立てながら彼女は吹き飛び、吐血した。

 かろうじて息はあるもののうごけるような状態ではない。

 サイは外れた右肩を激痛がはしるのを我慢して骨を鎖骨に入れた。ベルに駆け寄りベルを抱き上げて走るが、とても逃げ切れるような速さはだせなかった。

 サイも続けて背中に攻撃を受ける、ベルが食らった攻撃とは違い威力があまりないのか、こける程度だった。

 熊の前にベルが転がる。

 サイはその光景をみた瞬間、自分の村の惨状を思い出す、転がる無数の死体の影と今のベルが重なって見えた。


『また自分は守れないのか』

『また自分は後悔するのか』

『また自分は傷を負っていくのか』

『また自分は救えないのか』


 誰も守れない、誰も自分の傷を拭ってはくれない、誰も救えない、後悔は絶えない。

 ここでベルを守れなかったら、また後悔が増える。


 彼は頭の中で何度も同じ言葉を繰り返し繰り返し、そして怒りを感じた。


「殺シテヤル……焼キ尽クシテ消シ炭二返シテヤル!」


 サイは左腕を覆っている肩まである手袋を外して火傷を露わにする。すると左腕は燃え上がり炎を纏う。

 そのまま雄叫びをあげて走り近づき、シルバーグリズリーの腹に目掛けて拳を放った。

 拳が腹に抉りこんでいき、反対側に突き抜けると炎は強さを増した。熊の体内に炎が広がり、熊はその場に崩れ倒れる。

 やがてサイの左腕の炎はゆっくりとその勢いを失っていく、サイの怒りの感情も炎と同じように鎮まっていった。荒い呼吸を整えようと胸に手を当てて摩ってから、少し離れてからベルの元に近づく。


「サイ……」


 次の瞬間、ベルがサイに向かって剣を投げた。

 何のつもりだとサイはベルを見やったが背後で何かが音を立てたので振り向くと、熊が起きあがりサイに襲いかかる体制だった。

 それをベルは剣を投げて間一髪サイを助けたのだ、剣は熊の喉を突き抜けていた。


「なんて生命力だ、まぁ助かった」

「これで私が倒した、これでいい。あなたは詰めが甘いわ、剣を引き抜いた後で私の足を拾っていって、屋敷でくっつけるわ」


 くっつくのかよ! とサイは心の中で叫んだ。ベルを抱き上げて彼女の足を拾い、サイは町にある屋敷へと向かった。

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