絶望は侵食していく
それは悪夢よりも酷い現実だ。
業火のように襲う激痛に堪えかねて意識を手放すたびに、痛みの衝撃で再び飛び起きることを繰り返していた。
傍らの僧侶は、様々な機械を駆使しつつ淡々と手術を進めていく。
あらゆる感性が欠落した彼らは痛みに対しても鈍感で、だからこそ天子の苦しみを理解出来ない。
ただ作業的に頭を開き、眼球を刺し、皮膚を剥がし、内臓を削り、細胞を抉り取っていく。
人が実験動物にそうするように。
「バイタルがかなり低下しておるな。おい天子、まだ死ぬんじゃないぞ。お主は儂の貴重な検体なのだからな」
意志の失われた天子の顔を覗き込み、冷たく僧侶が言い放つ。
生かさず殺さず、制限無く続く拷問から逃れたくて舌を噛み切ろうにも、口内に入れられた器具のせいで死ぬことすらままならない。
時折流し込まれる電流に悶絶し、切り裂かれる苦痛でむせび啼く。
ふぅふぅと縋る場所を求めてデタラメに呼吸する。上手く飲み込めない唾液が溢れて、口の端からだらりと垂れた。
普段なら不本意な相手に屈したり、涙を流して許しを乞うことは耐え難いものだったが、そんな些細なプライドはとうに崩壊している。
もはや言葉ならない嗚咽を漏らしながら、殺してくれと願い続けた。
しかしメスの刃先が生殖器に触れた瞬間、天子の声色が一変する。
『小僧……ソレ以上の愚行は許サん、コノ巫女はオレのモノだ……』
天子が発したものでは無かった。
唾液の採取のために口を僅かに開かされて器具で固定された状態では、まともに動かすことは出来ないからだ。
天子は未だ虚ろな表情で意識を彷徨わせている。
その唇から、地を這うような唸り声が僧侶だけに聞こえていた。
僧侶――ヤコブは、平静な表情を崩すことなく思念のみで答える。
『やはりお主、天子の胎内に取り憑いておったな?虫の分際で随分とデカい口を叩きおる。
いくら龍蛇族と言えど、その様に弱体化していては何も出来まい。何故そうなったかは知らぬが、人の身体に頼らなければもはや存在することさえ危ういとは……哀れなものだな』
『黙レッ!自らノ我欲からこの娘の身体ヲ弄った貴様に言エたことか!?
この惑星ノ歴史と生命に手を出せば、貴様とて無事デハ済まないぞ。オレと同じカルマに縛られて、永久に戻ルことなど出来ないッ!』
『承知の上だとも。そもそも、儂らに帰還するべき母星など無い。遠い昔――数多の闘いの果てに散った我が母星の代わりとなる地を儂らは探しておったのだ。
地球に順応し得るための遺伝子を自らに組み込み、生殖機能を取り戻すことが出来れば、この惑星は我らオリオンにとっての新たな楽園になるだろう』
『貴様……ッ!』
『同じ宇宙の同胞としては温情をかけるべきなんだろうが、儂らとて引けぬ事情というものがあるのでな。
潔く立ち去るが良い、依り代を失えば生きてはいけまい?』
『止メろォッッ!!!!』
ヤコブは僅かに生殖器を切り、そこへ細長い棒状の器具を差し込む。棒の先から照射されるレーザーによって、子宮が焼かれて綺麗に削り取られていく。
天子の悲鳴と重なるように別の雄叫びが室内に響き渡った。
直後、彼女の全身に浮かんでいた刻印がゆっくりと消えていったのだ。
◆
――鳥が飛んでいる。
ふと格子の隙間から差す陽光に目を向けると、広い境内で大きな鳥が飛び回っているのが見えた。
格子へもたれるようにして座っていた天子は微かに身を乗り出す。
全身が真っ白で、野兎より遥かに大きく肉付きもしっかりした鷲である。
あれ程に立派な鳥も珍しい。
何のしがらみも無く自由自在に羽ばたく姿は、自分とはまるで正反対だ。
手術の後、天子は境内に建つお堂の一室に軟禁されていた。
かろうじて生かされてはいるが、食事と排泄でさえ監視付きの日々だ。
「……逢いたい」
もう幾度となく呟いた言葉を漏らす。
この一月の間、弥七への想いを巡らせなかった日は無い。
彼のことを考えると胸が軋む。
無事でいて欲しい。生きているならば一目だけでも逢いたい。
だが今は叶わぬ願いだ。
部屋の外には常に見張りの僧兵が待機しており、もう二度と立ち上がれないだろうこんな身体では。
神経を切断されて感覚の無い足を擦りながら、渇いた笑みを浮かべる。
さながら――翼をもがれた籠の中の鳥といった所だろうか。
眼前の格子は、自分を閉じ込める檻のようだと思えた。
これからどうなってしまうのか。
いっそ、一思いに殺されていればどんなに良かったか。
「何故いつも、妾ばかりが……」
華々しく見える巫女という役目の裏で、修練を怠らず仕えて来た。
神や人々に求められることに応えようと、真摯に向き合ったつもりだ。
その結果がこのあり様では、一体自分の人生とは何だったのかと良からぬ想いが沸いてしまう。
悶々とした気持ちを追いやるように、天子は深く息を吐き出した。
(それにしても――)
いつの間にか、身体の刻印が消えているのには驚いた。代わりにあちこち切り裂かれた生傷が付いてはいるが。
神はもう居ない。とヤコブに聞かされたにも関わらず、それ程の哀しみを感じていない自分自身に驚く。
あるいは神より大切なものを知ってしまったからだろうと、天子は薄っすらと思う。
弥七と過ごした一時だけが、呪われたようなこの人生に与えられた救いだったのだと。
好機が訪れたのはそれから七日後。
月の見えない夜だった。
周囲が深い常闇に沈んだ頃、ござの上で寝入っていた天子はぱちりと目を開いた。
どうにも外の様子が騒がしい。
格子ごしに境内を窺うと、遠くのほうで僧兵達が忙しなく駆け回っているようだ。
「火事だッ、本堂が燃えておるぞ!」
「おい急げ、寝てる奴らも全員叩き起こして火消しにあたるのだ!!」
本堂から離れた天子の居る建物内でも、あちこちで怒声が飛びかい、廊下を軋ませて足早に走る音が響く。
襖の外で天子を見張る僧兵にも、別の僧兵が呼び掛けていた。
「お前何を呑気に突っ立っておる、俺達も火消しに参るぞ!」
「いや、俺は巫女の見張りが……」
「歩くことすらままならん小娘だ!しょせんここから逃げられはせぬ!
今は一人でも多くの人手が要ることぐらい分からんのか!」
「あ、ああ……分かった」
そうして二人の僧兵は、天子の部屋からバタバタと立ち去って行く。
「…………」
暫く聞き耳を立てていた天子は、部屋の周囲に人の気配が無いのを確認するとすぐに行動へ移した。
手早く髪を一つにくくり、息を潜めながらそっと襖を開く。
襦袢姿のまま薄暗い廊下へと這い出て、赤子のように腕の力だけで身体を引きずって進んだ。
計画など無い。だからと言ってこのまま動かず、大人しく待っていても何も変わらない。
こんな場所で終わってやるものか。




