混ざりし者へ
夢の終わりは、いつも突然にやって来るものだ。
二つ目の山を越えた日の昼下がり。
咄嗟に天子を抱き寄せた弥七の身体に、無数の弓矢が突き刺さった。
立ちすくむ天子が彼を見上げる。肩に、背中に、何本も立てられた矢が視界に入りどくりと動悸が早まる。
氷水を浴びせられたように血の気が引いてゆき、頭が白んだ。
「や……しち、しっかりしろ弥七!」
一瞬だけ、脳裏に十亀の最期の姿が浮かぶ。
胸のざわつきを振り払って、天子は彼の着物を握り締めながら何度も呼び掛けた。
矢を抜いてやりたかったが、血が噴き出すのが恐ろしくて手が震える。
何かを失くすかもしれないことが、こんなにも怖いものだったなんて。
苦痛に顔を歪ませる弥七は、天子を抱く両腕にさらなる力を込めて隣の樹木を睨み付けた。
「ふん、花籠の巫女を庇いおったか。元より娘を殺す気は無く、傷を負わせるだけのつもりだったがな」
「そうよーん。今ここで殺してしまっては駄目駄目!この子にはやってもらうことがあるのだから」
樹木の裏から次々と現れたのは薙刀や弓を構えた僧兵達で、同時に一人の女が前へ歩み出ると妖しく微笑む。
波打つ白銀の長髪をたなびかせ、豊満な肢体を強調させるような銀色のボディスーツに身を包む美しい女だ。
「は、承知しております。それにしても良くこやつらの場所がお分かりになられましたな、天女様」
「あはん。あたくしのことはフィーネと呼べと言ってるでしょう?
お前達に任せていては、いつまで経っても娘が捕まらないじゃない。あたくしならば波動を辿って探し出せるもの」
フィーネと名乗る女は、紫の瞳を細めて愉快そうに天子を眺める。
およそ常人離れした異質な彼女の風体に、天子はおぞましささえ抱いた。
この女は何かが違う。普通の人間が放つ“気”では無いのだ。
「そなたは何者だ……!」
「あたくしはオリオンの星人。と言っても、この時代の人間に天体が理解出来ると思えないけれど」
「天体……そなた天から来たのか?」
「ふふっ、そうよ。けど容れ物が無かったから、この肉体を奪ってあたくし好みに改変したのよ。どう、綺麗でしょう?」
フィーネは優雅に回って見せた後、口端を引き上げて命じた。
「さぁ、さっさとあの娘を捕まえておしまいなさいな」
「は……!仰せのままに」
僧兵達が一斉にそれぞれの武器を構えながら取り囲む。
重傷を負った弥七を連れて逃げられる程の力は、天子には無い。
もはやここまでか――と唇を噛み締めた時。
「……っ」
弥七は片腕で天子の身体を抱き、逆の手をかざして周囲の樹木を全て根こそぎ浮き上がらせた。
それを一気に僧兵達へ投げ飛ばす。
地面に落とされる際の轟音が鳴り渡り、樹木の重さに身体を潰された者、避けようと逃げ惑う者とで騒然とする。
難を逃れた僧兵のリーダ格の男が、恨めしげに吐き捨てる。
「くそっ、この法術はいつぞやの……あれは小僧の仕業だったのか」
「ま、素敵!異能を受け継いだのね」
フィーネは持っていた羽扇子を広げると、口元を隠すように仰ぎながら弥七を見つめる。
「お前はどこの星系に造られた結合種の子孫なのかしらん?
塩基配列が違うから普通は種を宿すことは出来ないけど、そんなの遺伝子操作でどうとでもなるし、あらかじめ造っておいた種を人の母胎に注入して産ませたりもしてるみたいね。
まぁ、そんなことはどうでも良いわ。
ふふっ、か弱いお姫様を懸命に守ろうとする若い男……良いわ、とっても美味しそうじゃない」
恍惚とする表情で呟き、やがて扇子をぱちんと閉じた。
「決めたわ。この男はあたくしのペットにするから生け捕りよん」
「……な、しかし!」
「あら、聞こえなかったのかしら?下がれと言っているの」
「!?」
抗議しようと口を挟んだリーダ格の男に扇子の先を向けると、男は突然に白目を剥き出して気絶した。
震撼する他の僧兵達を尻目に、フィーネは閉じられた扇子を見せ付けながら愉しげに言う。
「これには電磁波放射機能が内蔵されているわ。殺せなくとも脳にダメージを与えることは可能。
この宇宙でもっとも偉大な力はテクノロジーよ。科学を正しく理解した者のみが、弱者を支配する権利を持つ」
フィーネが、抱き合う天子と弥七にも扇子を向ける。
「オ・ヤ・ス・ミ」
「弥七!」
「……!」
びくりと身体が戦慄いて、一瞬にして天子の意識は跡絶えた。
◆
灯台の炎が揺らめき、薄暗い座敷の中を仄かな橙色に照らす。
目を覚ますと、見知らぬ畳の上に転がされていて飛び起きた。
「うっ……」
酷い頭痛と耳鳴りだ。身体を起こして周りを見渡す。
だだっ広い座敷に家具らしいものは何も無く、静寂が不安を駆り立てる。
ここは一体どこだろうか。弥七は無事なのだろうか。
「弥七……妾のせいで弥七が……」
彼を愛している。愛されたから愛したが、今は弥七が死んでしまうかもしれないと考えると泣きたくなる程に依存している自分が居る。
こんなことに巻き込む前にやはり離れるべきだったと思う。
そうしなかったのは、一度得た温もりを手離すのが惜しいからだ。
愛し過ぎてしまった。
天子はずっと空虚だった。
父も母も娘を利用することしか考えてはおらず、彼女の力を求める人々は皆どこか歪んでいる。
いつしか心は廃れ、他人と同じだけ自分自身も嫌いになった。
だからこそ焦がれる夢がある。
誰かを、愛し愛されたい。
しかしそれを望むたびに、大切な者達が傷付いていく気がする。
十亀も弥七も、天子に関わりさえしなければ平穏に生きられたはずだ。
望むことすら罪だと言うのなら、罰を受けるのは自分だけで良い。
愛しい人が傷付くのは、自分が傷付くよりもっと痛かった。
「とにかく、ここから出て弥七を探さねばならぬ」
決意して襖に手を伸ばした直後、戸が引かれ人影が立ちはだかったことで天子は身を強張らせる。
雄々しく端正な顔立ちで、筋肉質の逞しい巨躯に法衣をまとう壮年の僧侶が、天子を見下ろしてにやりとした。
「よう、やっとお目覚めか。部屋から出ることは許さんぞ」
「……妾をどうするつもりだ。そなたからも妙な気を感じる、あのフィーネとかいう女人と同じ天上人か?」
「ふむ……まぁ言いようによっちゃそうかもしれないが、今の儂は一応この延暦寺の僧侶どもの長でもあるぞ」
僧侶が顎を擦りながら言い、天子は目を見開く。
「ここは……延暦寺なのか!?」
「そうだ。悪僧どもにお主を連れ帰るよう命じたのはこの儂だ。奴らはお主と同じく儂らを天上人として崇めておるから、この寺を拠点にすることにしたのだ。
だが奴らに痺れを切らしたフィーネが直々に出向いたらしいな。……全くあやつは困ったものだ。
人類への直接的な介入は混乱を生むが故に避けねばならんというのに。あくまで、人が人を襲うという形に仕向けるのが理想なのだがな」
「ごちゃごちゃ訳の分からぬことを申すでない、そなたらの狙いは何だ!
妾の力に用があるのならそなたの求めに応じてやっても良い。その代わり、今すぐに弥七を解放しろ。
あやつは……弥七はどこに居る!」
天子は毅然とした態度で僧侶に詰め寄った。
巫女というのは悪霊の類いと対峙することもあり、脆弱な精神では決して務まらないのだ。
隙を見せたほうが負けだ。だから眼前の僧侶を強く睨み付ける。
この男は悪霊以上に危険な人物であると、本能で感じていたからこそだ。
白衣の下で、冷や汗が背中を伝う。
僧侶は一瞬眩しそうな眼差しで天子を眺めてから、破顔する。
「お主の連れの男なら、治療を施されて生きてはおるぞ。その条件をのむかどうかは今後のお主の働き次第だと思うがな」
唐突に左肩を掴まれる。逃げる間もなく首筋へ太い注射針を刺され、じくりとした痛みに声が漏れた。
「いっぅ」
「案ずるな、ただの麻酔だ。お主の波動を調整する為のな」
針が抜かれると頭が朦朧とし始め、目蓋の裏に強烈な光を感じながら視力が失われていく。
恐怖に襲われた次の瞬間、再び視界が開けると天子の周囲が何もかも一変していた。
部屋全体が銀に輝く世界だったのだ。
無機質な銀色の壁と床に、手術台のような硬いベットがぽつんと中央に置かれており、その傍らには金属の機器が数多く並んでいる。
異様な光景に天子は言葉を詰まらせる。
「何だ、ここは――」
「座敷とは別次元に造った空間だ。普段は人間には見えぬが、麻酔の作用でお主の波動が変化したため見えるようになったのだ」
「別次元、だと?」
「ああ、お主らが生きる地球は三次元的なものだが、他にもあらゆる次元が存在するということだ。
それらは三次元空間と密接に重なり、連なり、影響し合っている訳だが――理解出来るか?」
「……何を言っておるかさっぱり分からぬが、妾が神の声を聞き、交霊を行えるのは現世とは別の霊界に通じているからであろう」
出来るだけ平静を装いながら答えると、僧侶が頷く。
「お主ら人間達の言う霊界というのは、まぁ……五次元空間のことだな。
宇宙の万物は物質や非物質に関わらず、常に振動しながら存在しておる。
それぞれ固有の振動数があり、物質と非物質を分かつのは振動数の違いだ。
通常の人間は、己と似た振動数を持つものしか認識することは出来ん。
だがお主は巫女の中でも特に霊力に秀でておる。異なる次元の住人を感知することもあろう。
恐らくお主が信仰する花籠の神とやらも、遥か昔この惑星に来訪した龍蛇族の成れの果てだぞ?
奴らはカルマに捕らわれ地球から出られなくなり、人の信仰心やネガティブな念を餌として生き永らえる虫だ。
そして儂らもまた、別次元宇宙から目的を持ってこの地球へ来た」
僧侶が天子の顎を摘まみ、顔を近付けて彼女を覗き込む。
男の面持ちは人のそれだが、漆黒の瞳の奥には何の感情も宿してはいないような、底の知れないおぞましさにぞくりと悪寒が走る。
駄目だ、臆するな。何度も自分にそう言い聞かせてぐっと唇を結ぶ。
「儂らには繁殖能力が無い。進化の過程に置いて、合理性以外の全てを切り捨てたからだ。
結果として科学技術に優れた文明を築いたが、生命のエネルギー源である情緒を失った代償は大きい。
皮肉なことに、心などという電気信号こそが生命を動かす核だったのだ。
クローニングで造り出された身体では魂の定着率が悪い。かと言って、他の星系の奴らのように劣性の結合種を造る気にはなれん。
そこで儂ら自身に微量の人間の遺伝子を組み込み、繁殖機能や情緒面を得ることは出来ないかと考えた。
理論上は可能なはずだ。だが、そのためにはサンプルが必要でな」
シュッという機械音が聞こえ、壁だったはずの場所から突然現れた扉が開く。
そこからぞろぞろと室内に入って来たのは六体のグレイだ。
全身が薄い灰色の肌をしており、童子のように小柄で手足も細い。毛髪の無い頭だけが異様に大きく、不気味な黒い眼球をぎらりと光らせている。
――何ておぞましい生き物だ。
「ひ……や、やめよっ!」
グレイ達は天子の両腕を驚く程の力で掴むと、手術台へと誘導していく。
必死に抵抗して足を踏ん張るが、逆に腕が千切れんばかりに無理矢理引きずられて、手術台へ寝かされると衣服を全て取り払われた。
身体を押さえ付けられて満足に動かせない。手を真横へ、足は大きく開かされてそれぞれに金属の拘束具がはめられる。
僧侶も手術台の傍に立つ。手には棒状の刃物――メスが握られていた。
「サンプルは人間の中でも優れた遺伝子を持つ者でなければならん。健康面はもちろんだが、霊性が高い人間であることが絶対条件だ。
この時間軸では、天子。お主が一番適任だったのだ」
「妾に何をっ!」
「今きちんと説明したろう。儂ら種族を滅亡の危機から救うためのサンプル採取と、生体実験だと」
天子には男の言葉は半分も理解出来なかったが、何か恐ろしいことをされるということだけは分かった。
混乱して自分でも情けないと思う程に上擦った声が出る。
何もかもが許容範囲を超えている。もう体裁を取り繕うことが出来ない。
巫女としての力を求められるのだとばかり思っていたのに。
天子の全身ががたがたと震えて、激しく脈打つ心臓のせいで呼吸も浅くなっていた。
「い、いやだ……嫌ぁっ、誰か、誰かぁっ、っ、弥七――――!!」
「けぜわしい声だのう、もう少し淑やかに出来んのか?」
僧侶は呆れたような表情を作り、涙を流して叫ぶ天子を見下ろす。
その双眸は、やはり何も感じられない冷たいものだった。




