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I〈アイ〉の遺伝子  作者: YuYu
第二章 因-イン-
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幸福を舐めまわせ

 

 ――月が見ていた。


 熱い舌が首筋を伝い、唇を噛んで堪える天子をさらに責め立てるように、弥七は彼女の耳朶をきつく啄む。

 窪みにまで浸入して生々しい唾液の水音が響いた。頭の中が掻き回される感覚に、ぞくぞくと身震いが襲う。

 拘束する手首はそのまままに、弥七は天子の身体に顔を埋めた。


「な!?」


 駄目だ、間違ってる。こんなことは止めさせなければ。

 そんな思考が過ったのは最初だけで、肌に残る水滴を彼が優しく吸い取るたびに、天子の頑なな心が少しずつ打ち消されていった。

 唇が、指先が、触れられた所から彼の思念が鮮明に伝わってくる。

 声無き、声が。


 出逢った時から天子を好ましく感じていたこと。

 天子の憂いを晴らせず、何も言えない自分に無力感を抱いたこと。

 天子を守り抜くと十亀の遺体に固く誓ったこと。

 だからこそ天子が死ぬと口にしたことは許しがたく、胸を抉られるような悲痛に裂かれたこと。

 天子への劣情を抑えられない青臭さに自分でも困惑していること。

 しかしそれ程までに、愛しくて堪らなくなっていることを。


「弥七……」


 呼ぶと僅かに身を起こし、熱い吐息を漏らしながら天子を見下ろしている。

 月の逆光を背中に背負うその姿に息が詰まった。

 精悍でやけに男臭く、天子が初めて目にする雄の面持ちだったからだ。

 求められているのは他でもない、女である自分自身なのだと理解し、涙が溢れてくる。


 これは長年夢見たことではないか。

 叶うはずのない、叶えてはいけないのだと自戒していたこと。


 巫女としてではなく、女として生きてみたい。


 一体どうして彼の想いに抗うことが出来ようか? 喉から手が出る程に欲しかった切望が、ここにある。


「妾は、愛を知りたい……巫女ではない自分をずっと誰かに求められたかったのだ」


 天子は細くすすり泣いた。

 果たすべき天命を投げてまで情愛を欲する自分の弱さを、情けなさを、浅ましさを自覚したからだ。

 神との契りを裏切り、人の男を選ぼうとしている。

 これまで必死に保っていたものが音を立てて崩壊していく。それは恐怖であったし、同時に歓喜であったかもしれない。

 ただただ、胸が軋んだ。


「…………」


 止めなく天子の頬を流れる雫を、弥七が宥めるように舐め取った。

 拘束が解かれると、天子は何も言わずに彼の背中へ腕を回す。

 彼女に出来る精一杯の了承だ。


 そこからはもう、与えられるものに身を任せた。


 骨ばった指先に身体が暴かれ、未知なる感覚に全身が戦慄く。

 求めてやまないものであるはずなのに酷く恐ろしく、言い様のない後ろめたさが沸き上がる。

 うわ言のように神への赦しを乞い、大粒の涙が零れるたびに、弥七の舌先がそれをすくっていく。

 熱が互いの波動を溶かして二つが一つに融け合った。

 夜風の冷たさも、内側から火を灯された肌にとっては心地良い。

 やがて閃光のような強いエネルギーが仙骨から脊髄を一気に駆け上がり、頭から抜けていくのを天子は感じた。


「っ、弥七……」


 思わず傍らの草を握り締める。小さなそのこぶしを、弥七は自分の手の中に閉じ込めた。


「……もっと、もっと強く妾のことを抱き締めていて」


 幼子のように甘えながら天子が抱擁を強請る。

 渇いていた。注がれてようやく気付いた程に、愛に渇いていた。

 満たされて尚、渇くばかりだ。

 天子は生まれて初めて貪欲の感情を知った。

 巫女としての自分を捨て、一人の女になったのだ。



 ◆



 ついに彼女を穢してしまった。


 月を見上げながら、木の幹に腰を下ろす弥七はがっくりと肩を落とす。

 やんごとなき身分の巫女姫を、衝動に任せて押し倒したのだ。

 不相応どころか打ち首に値する重罪である。下劣だ、俗悪だ、獣以下だ。


 まさか、自分がこれ程までに堪え性の無い人間だとは思わなかった。

 それだけ彼女に焦がれているということなのだが、しかしあまりにも情けなく、激しい自己嫌悪が腹中を蝕んでいた。

 大切にしたいと思えば思う程、気持ちばかりが募って空回る。


 はぁ、と何度目かの嘆息を付く。


「ええいっ、いつまでもうじうじとシケた顔をするでない!」


 行為の後、再び滝水で身を清め終えた天子が近付いて叱咤する。

 きちんと衣服を着てはいるが、髪はまだしっとりと濡れていた。

 一向に沈んだままの弥七の姿に眉をしかめ、天子は瞳を揺らして俯く。


「それとも後悔しておるのか、妾とまぐわったことを」

「……!」


 ――しまった、間違えた。


 そんな悲しげな顔をさせたくは無かったのに、心を晴らしてやりたいと思っていたのに、余計不安にさせてどうする。何をやっているんだ。

 弥七は内心慌てながら首を左右に振りかぶった。


 ほっとしたように天子が微笑む。


「なら良いのだ。仏門とは違い、妾はまぐわいを穢れなどとは思わぬ。そなたが気に病む必要は無いのだぞ」


 本来、巫女というのは女の身体を用いるものなのだから。

 巫女が操る数々の呪術の中には、性交によって相手の波動を増強させる術もあるくらいだ。

 (いにしえ)の神道では“性”は“聖”であり、神に通じる崇高な儀式であったと言われている。

 天子はまだ実際にはその術を使ったことは無いものの、知識はあり術法も学んでいた。


「穢れとは思わぬが……花籠の神に対しては不敬であったな」


 決して後悔はしていない。しても意味が無いからだ。

 一度考え始めると果てしない罪悪感に襲われてしまう。

 だが同時に清々しさも感じていた。


「もう花籠の巫女ではいられぬ。人と番ったこの身では、朝廷へ上がることも許されぬであろう。そなたの前に居るのは、行き場を失くした出来損ないの女だけだぞ。

だからその……あの……な?」


 急に天子の歯切れが悪くなり、頬が微かに赤く染まる。

 どことなく落ち着きが無く、視線をあちこちに泳がせていた。


「……?」

「うぅっ、ゆくぞ!」


 天子は訝しむ弥七の隣に座ると、彼の頬に両手を添え、ゆっくりと唇同士を重ね合わせた。

 途端、弥七は微かに身じろいで逃げ腰になったが、天子がそれを許さなかった。

 つかの間の静寂が訪れる。

 暫くして離れると、天子は自分の唇をなぞりながら、はにかんだ表情で弥七を見つめた。


「……そなた、先程これ(・・)はしなかったであろう?」


 彼女の身体の様々な場所を愛でたが、弥七は唇にだけは触れなかった。

 何故かそれをするのは酷い背徳感を覚えて、はばかられたのだ。


 天子が弥七の胸に身体を寄せる。


「そなたが好きだ、弥七……これからずっと妾の傍に居てはくれぬか」


 弥七は天子を強く抱き締め、返事の代わりに口付けを落とした。

 もう遠慮も負い目もいらない。

 触れるだけのものでは無く、深い所まで存分に味わう。

 愛していると伝えられないことだけが残念だった。




 二人は山並みを何日も歩き続けた。


 もはや目的の無い旅だ。何のために旅をしているのか、どこへ向かっているのかすら見出だせないままに。

 ただ漠然と、どこか遠く静かな土地で小さな所帯を構えようと決めた。

 天子の足は随分と良くなった。

 昼はひたすらに歩みを進め、合間に川で捕った魚を食べ、夜は炎を焚き付けながら寄り添う。

 そして時々、熱を分け合った。


 旅はラクなものでは無かったが、厳しくもままごとのような日々は、二人にとっては幸福と呼べるものだ。

 誰にも何にも邪魔されない。

 この世界には、自分達しか存在しないとすら思えてくる。


 確かに幸せだった。幸せ過ぎてどうしようもない。


 

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