誰もが孤独に侵される
「こやつを使えば、あの方も――」
はっとして見上げると、私達の前に片膝を付いたリーダー格の僧兵が薄ら笑いを浮かべていた。
その手が巫女に触れようとした時、
「何だ、これは!?」
他の僧兵達の驚愕の声が聞こえたかと思うと、彼らの持っていた薙刀がふよふよと宙に浮いたのだ。
それを見上げながら僧兵達は狼狽えた様子で後ずさる。
薙刀は天高くまで上がり、やがて意思を持ったように遠くのほうへと飛んで行った。
リーダー格の僧兵が、忌々しげに舌打ちをして薙刀を構え直す。
「どこぞに術師が居るのか……?」
だけどその僧兵の薙刀も浮上した。
僧兵は必死で離すまいと抵抗するも浮上する力のほうが強いようで、このまま掴んでいたら彼の身体ごと浮いてしまうのではないかと思う程だ。
「くそっ……術師相手では分が悪い。一旦引くぞ!」
僧兵が薙刀から手を離して叫ぶと、他の僧兵達も素早く身を翻して、霧深い竹林の奥地へと走り去って行った。
「――難儀なことよ」
いつの間にか意識を戻していた巫女が起き上がり、竹に背中を預けて座ったまま大きな溜め息を付く。
「ところで、ずっとそこに隠れておるつもりか?」
巫女が呼び掛けると、藪の中から一人の青年が姿を見せた。
長身痩躯で、浅黒の肌に随分と古びた着物を着ている。ざんばらな髪を後ろで結び、伸び過ぎた前髪で瞳は全て覆われていた。
「そなた、妙な力を持っておるの。なかなか見事な念動であったぞ……まぁこの妾ほどでは無いがの」
微かに笑みを浮かべて立ち上がろうとした巫女が小さく唸る。形の良い眉を寄せながら、右の足首辺りを押さえていた。
(……足を怪我したのかな)
不思議そうに首を傾げた青年が巫女の元へ歩みを進めると、
「妾に近付くな!」
毅然とした声が飛び、青年はぴたりと止まってまた首を傾ける。
「いや、助けてくれたことは感謝しておる。妾のことは良いからさっさと退ち去れと言っておるのだ」
ふい、と巫女は青年から顔を俯けて呟いた。
「妾は……少し休んでから参る」
青年は、長い前髪の隙間から無言でじっと巫女を見つめていた。
だけどすぐに、雑草を踏み締めながら彼女の元へと近付いて行く。
「やめよっ、来るなと申しておろうに……!?」
青年が軽々と巫女の身体を持ち上げて横抱きにすると、彼女の頬が仄かに赤く染まった。
「なっ、離せと言うのが聞こえぬか!そもそも何故ずっと黙っておる、何とか言わぬかこのヒョロ長がっ!」
彼女は手足をばたつかせていたけれど、突然驚きの表情に変わって青年を見上げる。
「そなた……口が利けぬのか?」
僅かな沈黙の後、青年は返答の代わりにこくりと頷いた。
すると天子は暴れるのを止めて、感慨深そうに息を吐いてから言う。
「そうか。すまぬ――弥七」
「……!」
青年は驚いたように身じろぐ。弥七というのが彼の名前だろうか。
一言も話していないのにどうして名前を知っているのか、私と同じく彼も疑問に感じたようだった。
「見くびるでない。妾は人が言葉を放つ前の“想い”を視る。その気になれば、声なき声を拾うことなど造作も無いわ。そなたの声は、この妾が聞いてやろうぞ」
何だか得意そうに言う彼女に、弥七さんの唇が緩く綻んだ。
彼女の華奢な身体をしっかり抱え直すと、踵を返して歩き出す。
「待て、どこへ行くつもりだこの人攫いがぁっ!」
また喚き声を上げる巫女の姿を眺めながら、私はイヴァンカにそっと呼び掛ける。
「えっと……もしかして私もあの二人に付いて行くべき?」
【もちろん!】
イヴァンカは軽快に答えた。
身長差があり過ぎるせいか、歩幅の大きな弥七さんに合わせて小走りになっていた私はすぐにヘトヘトになってしまった。
(アエトスが居てくれたらなぁ……)
ふぅと嘆息が出る。きっと彼なら私を抱えて移動してくれると思うのだ。
巫女と弥七さんの後ろ姿を見ていると、アエトスの存在が無性に恋しい。
自分でも気付かないうちに、あの力強い温もりが当たり前のものとなっていたなんて。
【――理花は彼を好きなの?】
「うん、好きだよ?」
【じゃあ彼とセックスしたいと思う?】
「セッ……!?」
衝撃的な言葉に絶句する。拍子に足がもつれて転びそうになった。
【アナタも薄々は気付いているでしょう?少なくとも、彼の好意はそういう意味だと】
「あぅ、だ、でもっ、だって人間じゃないから出来ないんじゃ」
【もちろん構造が違うから肉体としては無理だけど、霊体や感情体で交わることは可能だよ。
実際――彼は理花を襲いかけたわ。何とか踏み止まったようだけれど】
ふとシャワールームでのことを思い出して、顔が一気に熱くなる。
あの時は――何故か身体が酷く高ぶっていて、何も考えられなかったけれど変な気分だったことは確かだ。
今さらながら羞恥心が押し寄せてしまった。
(だけど私は……)
【アナタの好きと彼の好きは同じじゃない。それが分かっていたから、あの時彼は自制したんだと思うわ。
だけどもし、アナタ達が本当に結ばれてしまったらその時は】
「イヴァンカ?」
【その時は、アタシと理花の――】
そこでイヴァンカは言葉を切ってしまった。冷たい風が身体に吹き付け、私はぶるりと身震いした。
◆
暫く歩いて竹林を抜けると、遠くに小さな農村が見えてくる。
太陽の下に田畑が広がり、木片と藁で造られたらしい掘っ立て小屋がぽつぽつと並ぶのどかそうな村だ。
そんな村から外れた場所に、隠れるようにひっそりと建つ小屋の中へと入って行った弥七さんの後を追う。
「お、お邪魔しまーす……」
誰にも聞こえないんだろうけど、一応小声で断ってみた。
小屋の中は薄暗くて正直狭い。
一間くらいの土間に、藁で編まれたむしろを敷いてあるだけの内装だ。
炉の前に座って薪をくべていたお婆さんが顔を上げた。
弥七さんの腕に収まる巫女の姿に目を止めてから、ぱちぱちと緩慢な瞬きをする。
「おやまぁ、弥七。お前その方は一体どうなすったんだい?」
「…………」
「早く降ろせ、弥七」
巫女が、弥七さんの肩先を叩く。
弥七さんは静かに頷き、むしろの上へと降ろされた彼女は正座になる。ぴんと背筋を正しながらお婆さんへ向き合った。
「花籠大社が一の姫、春日天子と申す。旅の道すがら悪僧に襲われた所を、この弥七に救われたのだ」
「それはそれは……やんごとなき巫女姫様を、せがれがこのような不浄へお連れしまして誠に申し訳ありませぬ」
お婆さんが深々と座礼すると、弥七さんは立ったまま首を傾げていた。
「うぬ。確かに妾は由緒正しき花籠の生まれで、才に溢れた有能な巫女ではあるが、そう畏まらずとも良いぞ」
自慢げに胸を張る巫女――天子は、どうやら花籠大社という神社の巫女さんらしい。
花籠大社……何故かとても懐かしい。




