うたかたを享受せよ
それから二日が経った。
あの日、やっぱり足首を捻ったらしく歩行もままならなくなっていた天子に、お婆さん達が暫く村に留まるよう勧めたのだ。
最初は断っていた天子も、痛む足を恨めしそうに眺めながら、渋々それを受け入れた。
お婆さん達の生活に余裕が無いことは私でも分かる程なのに、貧しい中で自分達の分の食事から少しずつ天子に分け与えているようだ。
特に弥七さんは、冷たく濡らした布で天子の足を手当てするべく、小屋と川とを往復したりと甲斐甲斐しい。
「そなたらはうつけ者よの」
昼下がり。足首に新しい布を巻き直されながら天子がぽつりと呟く。
「己の暮らしで精々というに、妾の面倒を看る羽目になって後悔しておろう。だからあのまま捨て置けば良かったのだ。
己を犠牲にしてまで他者を労るなど、愚の骨頂というもの。妾は……他者になど期待してはおらぬ」
弥七さんは天子の足から顔へと目線を移すと、長い睫毛を伏せて唇をへの字に結んでいる彼女を眺めた。
奥に座って着物の繕い物していたお婆さんが、皺だらけの目蓋をくしゃりと細めて微笑む。
「おやおや、天子様は人嫌いで?」
「……人の業深さを知っておる。花籠は代々呪術を操る家系である故、他者を貶めて己の願いを成就せんとする者達が押し寄せるのだ。
それが一族に生まれし天命であると修業にも耐え、やがて妾の霊力が世に認められる頃、妾は巫女として朝廷へ入るよう命じられた」
天子はぎゅっと奥歯を噛む。
「父と母は大成であると喜んで妾を差し出した。公家に仕えれば、見返りに高名と幣物を得られるのだからな。
欲にまみれた父達にとって、妾など初めから道具でしかない」
自嘲するように吐き捨てた後、弥七さんに目線を合わせる。
「あの時、悪僧に斬られた者達は朝廷から寄越された使者だったのだ。あやつらに連れられて都へ参る途中であったのだが……よもやこんなことになろうとはな」
「…………」
天子は、朝廷という場所に連れて行かれる道中の竹林で僧兵達に襲われたらしい。
朝廷とは、やっぱり昔の日本にあったあの朝廷のことなんだろうか?
「すまないが裏で銀杏の実を拾って来ておくれ、弥七」
お婆さんが言うと弥七さんは頷いて、再び天子の様子を窺うように暫く見つめた後、竹籠を持って外へ出て行った。
それを見送ってからお婆さんは静かに口を開く。
「あの子……弥七は、実のせがれではありませぬ」
「何だと?」
「竹藪の中で泣いておった身寄りの無い童子を、わっちが拾い育てました」
「そうであったのか……あやつが話せないのには理由があるのか?」
「分かりませぬ。その時には既に、物言わぬ子でございましたから」
お婆さんは繕い物を片付けて立ち上がり、天子の隣に腰を下ろした。
「今では本当の家族と思うております。わっちは夫と子供を病で亡くしてから、失意のままこの村へたどり着きました。
そこで幼き弥七と出逢い、互いの欠けを埋めるように寄り添い暮らすうち、かけがえの無い息子になっていた。
人は独りで生きることは出来ませぬ。独りで生きてはならぬのです。
例え愚かと言われようとも、天子様のような――寂しそうな御方を放ってなど置けませぬ、わっちも弥七も」
そっとお婆さんに抱き締められ、天子は目を大きく見開いて動揺する。
「そっ、そんな綺麗事など口ではどうとでも言えよう。婆殿は何を叶えて欲しいのだ、誰を呪って欲しい?
どうせ妾の力が目当てなのだろう……皆がそうであったように。人など信じられるものか。血を分かつ親でさえ、妾を贄にしたのだから!」
叫んだ後に天子は微笑する。その瞳の奥には、悲しみと虚しさと諦めがぐちゃぐちゃに混ざったような色を宿しながら。
「誰も妾など好いてはおらぬ、愛しいのは妾の力だけなのだ……」
お婆さんは天子の頭を撫でやった。
「いいえ、弥七は貴女様のことを好いております。もちろんこの婆も……天子様さえ宜しければ、ずっとここに居てもらいたいと思う程に」
「……妾は好かれるようなことは何もしておらぬぞ」
「昔からわっちは、娘が欲しゅうございました。それに天子様のように愛らしい女子が居て下さるだけで、わっちらの心も明るく華やぐのですから」
「そ、そういうものなのか?」
「そういうものにございます」
お婆さんの笑顔を、天子はどこか試すような眼差しで見据えていた。
やがて気が抜けたみたいに深い息を吐き、唇を緩ませながら言う。
「娘と思うてくれるなら妾にも何か仕事をさせよ。そなたらばかりを働かせたのでは、いつまでも客人のままであるからな……」
◆
翌朝、銀杏を剥く作業を早速任された天子が、むしろに座り込みこぶしを握って声を張り上げる。
「うがーっ!何故だっ、何故中身まで潰れてしまうのだっ!」
お婆さんがお手本としてやって見せたのは石で軽くトントンと叩いて割るやり方なのだけど、天子は不器用なのかどうも力加減で苦労していた。
何度やってもぐしゃりと中身まで砕いてまうのである。しかも、潰れた実は酷く臭うのだ。
頼みの綱であるお婆さんは、洗濯をしに川まで出掛けてしまった。
天子が自暴自棄に陥っていると弥七さんが横から近付いた。
彼女の手の銀杏と石を取り上げて、優しく銀杏を叩く。すると殻の表面に割れ目が出来て、つるんとした中身がその姿を見せる。
「おぉっ」
天子は目を輝かせて感嘆を漏らす。
「もはや職人の域であるな。……しかし前から訝しく思っていたのだが、そのように目を覆っていては何も見えぬのではないか?」
そう言いながら、天子が手を伸ばして弥七さんの長い前髪をすくう。
初めて現れる彼の双眸は――確かに日本人であるはずなのに、薄い榛色をしていた。
「そなた――異人の混血であったか」
「……!」
ぱしん、と天子の手が払われる。
両手で前髪を押さえて取り乱したように腰を抜かしながら、弥七さんは天子との距離を取った。
一瞬、呆気に取られていた天子が慌ててフォローする。
「す、すまぬ……別に気に病む必要は無いと思うぞ、その色も銀杏の実のようでなかなか風流ではないかっ」
「…………」
弥七さんは相当嫌だったらしく、細い長身を折り曲げて膝を抱えながら、そこに頭を埋めて何の反応も返って来なかった。
天子はますます困惑して、忙しなく視線をさ迷わせて唸るばかり。
二人の間を気まずい沈黙が包んだ。
「……うぬ分かった」
暫くの間、険しい表情で腕を組んでいた天子が重々しく頷く。
「そなたの秘密を暴いてしもうた代わりに、妾の秘密もそなたに見せよう」
言うや否や、袴の帯結びをするりとほどき始めたのだ。




