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跳ね起きた。
荒い息が収まらず、焦点もうまく合わせられないほど動揺している。思わず自分の体に触れる。傷一つなく、視界も閉ざされてはいない。
「……あなた、どうしたの……?」
妻は私の様子を心配して台所から声をかけてきた。その声が、先ほどの恐ろしい記憶を呼び起こす。目に焼き付いた男の姿、耳にこびりついて離れない叫び声が、数刻の間に何度も反芻した。
死ぬ、死ぬ、また死ぬ。いや、私だけではない。妻も、娘も、みんな殺される。ドアを開けても、開けなくても、ここにいる限り、やつは私たちを殺しにやってくるんだ。
「おーい、大丈夫? 何か変な夢でも見てたの?」
……逃げるしかない。どうして奴がこの家を襲いに来るのかはっきりとはわからないが、ニュースの強盗殺人犯なのだとすれば、一旦この家を空ければ殺されはしない。どれだけ奪われようと、命より大事なものなどありはしないのだから、ここはとにかく逃げて、警察に連絡しよう。
「……話がある。」
「うん……? どうしたの。」
口が止まる。今から家族でこの家を出る理由を、なんと説明すればいい? 殺人犯が来るから逃げようと言って、信じてくれるものか? だが、良い理由が思いつかない。
「……今から、マヤを連れてこの家から一旦全員離れる。」
「……何言ってるの?」
「今からこの家を出るから。支度しろ。」
「な、なんで?」
「……。」
沈黙が流れる。私は未来がわかるんだ、と言って、果たして信じてもらえるだろうか。答えは否、だ。私だって自分がループしていることを信じ切るまでに何度かの死を経験した。急に目の前で私はループしていて未来がわかるんだと言われたら怪しすぎる。間違いなく病院に送られる。もうすぐ奴は来るのだから悠長なことは言ってられないし、事実男は来るのだがら、その時がくればみんなわかってくれるはず……。
「……ねぇ、何か隠してるの? それなら今のうちに教えてほしいけど。」
「……今から恐ろしいことがこの家で起きる。だから出るんだ。」
「なにそれ、どういうこと……?」
「いいから頼む、私の言うことを聞いてくれ!」
「き、急にそんなこと言われても……。」
私と妻が言い争っていると、階段からいつもの音が聞こえてくる。
「おはよう。お父さん、お母さん、どうしたの……?」
娘の不安そうな顔に、私と妻は思わず黙る。
「大丈夫よマヤ。朝ごはんできてるから、ちゃんと手を洗って食べなさいね?」
「はーい。」
洗面所に向かう娘を、私は見送った。
「……マヤもいるんだから、変なこと言わないでよ。」
「本当なんだ。本当に、今すぐここを出ないと大変なことになる。」
私たちはマヤに聞こえないよう、小さい声で話を続ける。
「大変なことって何? 本当に何言ってるの? 変な夢でも見た? 一回落ち着きなさいよ。」
「これが落ち着いていられるか!!!!!」
思わず、大声を出してしまった。リビングに静寂が訪れる。ハッとマヤの方を見ると、不安そうにこちらを見つめていた。
「……あなた、ほんとにどうしちゃったの? マヤのこともこんなに怖がらせて。今のあなたはどうかしてる。一回部屋に戻ってたら?」
「……どうして、どうして私の言うことを聞いてくれない? さもないとみんな……。」
「もういいから。自分の部屋に戻りなさい。」
強い口調でそう言い切られた。マヤは、妻の傍で不安そうな、しかし怖いものを見る目で私を見る。
黙ってしまった。しばらくして、私は部屋に戻った。
……ダメか。もうすぐ奴はこの家の前につく。今から逃げようとしても間に合わない。私一人ならともかく、妻と娘は……。
部屋の片隅のゴルフクラブに目をやる。前回は窓からくることを想定していなかったからこそ何もできなかった。しかし、ドアを開けなければ窓からくる。それがわかっているなら……。
私はゴルフバッグを手に取る。あいつが入ってきた位置はだいたい覚えている。忘れるはずもない。その脇、カーテンで外からは姿が見えないように隠れ、相手が室内に入って来た瞬間に振り上げておいたゴルフクラブを振り下ろす。相手は殺人鬼だ。ためらわず、頭を割るつもりでいく。ドアのときはこちらから開けなければならないため初動が遅れてしまったが、相手からこっちに踏み込んできてくれるのなら……。
ピンポン
インターホンの鳴る音が聞こえてきた。覚悟を決めて、私は部屋を出る。
ゴルフバッグをもって部屋から出てきた私を、妻は訝しげに見る。
「あなた、何それ……まだ頭冷やせてないの? とりあえず玄関出てくれる?」
「インターホンが壊れてるみたいだ。念のため、一旦窓から外の様子を見てみるよ。」
私はそういうと、そっと窓から外を見る。奴は、やはりドアの前にいた。
「……玄関の外に黒ずくめの怪しい男がいる。もしかしたら危険なやつかもしれないから、当てがないなら玄関のドアは開けないでおいた方がいいと思う。」
「ええ? 危険なやつって……まぁ心当たりはないけど。一応出ておいた方がいいんじゃない?」
「いや、強盗殺人の事件もあったし、油断してはいけない。」
「強盗殺人?」
「知らないのか。隣の●●区で起こってた事件だよ。他人事じゃないぞ。」
「うーん、とはいえうちにそんなのが来るとは思えないけど……まぁ黒ずくめの人は流石にちょっと怪しいかもね。」
なんとか説得することはできた。
「で、そのゴルフバッグは何なの。マヤもびっくりしてるから何の意味もないならしまってよ。」
「……。」
ピンポン
二度目のインターホンが鳴った。確か、奴は三度インターホンを鳴らした後に窓を割って入って来た……。
「……もし外の奴が危ないやつなら、一応持っておいた方がいいんじゃないか。」
「でもドアは開けないんでしょう?」
「そうだけど、相手が強盗ならなんらかの手段で入ってくるかもしれない。」
「そ、そう? ……そもそもこんな休日の朝に強盗なんて来るものかしら。それは流石にないんじゃない?」
あり得ない状況すぎて考えていなかったが、思えばそうだ。なぜこいつはわざわざこの時間に強盗しに来ているのか。まぁ、強盗の事情など知ったことではないが。
「念のためだ。例えば、窓からとかな……。」
窓際にゴルフバッグを置く。そしてチャックを開けた。中から、お気に入りのクラブを取り出す。手になじむ。重さも振りやすさも申し分ない。
「ねぇ、やっぱりあなたおかしい。疲れてるの? それなら今日は休んだ方がいい。遊園地は私とマヤで行くから。どうかしてるよ。急に変なこと言いだして、クラブ取り出して、強盗がうちに来てるかも? かもしれないけど、それでも今日のあなたはおかしすぎる。」
妻が厳しい口調で私を咎める。マヤは朝食を食べながらも、不審な目を私に向けている。わかってくれ、これは、これはお前たちを守るためのものなんだ。
ピンポン
三度目のインターホンが鳴る。もうすぐだ。もうすぐやつが来る。
「黙ってないでなんとか言って。マヤも怖がってる。とりあえずもう部屋で休んでて。」
「お父さん……。」
妻と娘は不審者を見る目で私を見つめる。何もわかっていないくせに。私は、何度も死の恐怖を繰り返しながら、お前たち二人を守るために、これだけ体を張っているんだ。それなのに、そんな目で見てくるな。不審者扱いするな。
そんな思いをぐっとこらえる。客観的に見れば私がおかしいやつなことは間違いないんだ。誰も悪くない。悪いのは、あいつだけだ。もうすぐ来る、あの男……。
男が来るであろう窓の脇でクラブを振り上げる。娘の「ひっ」という小さな悲鳴が聞こえてきた。
「ちょっとあなた、ほんとに何やってるの! どうしちゃったの!? ねぇ、怖い、怖いよ。もうやめて、落ち着いて!」
妻が騒ぎ出す。勝手にやってろ。私はお前たちを守るためにやってるんだ。
「今日のあなたはあなたじゃない。け、警察を呼ぶわよ。それとも病院? とにかく、もう変なことしないで、お願い……。」
くそ、どうしてだ。私はこんなにも献身的に、自らの危険を顧みずにこんなことをしてるのに。なんでだよ。なんでそんなことを言われなければいけない。それもこれも、あいつのせいだ。今回で絶対に終わらせてやる。あいつにこれまでの分をぶつける。
クラブを持つ手に力が入る。まもなくだ。まもなく、あいつは来る。
「もういい! 警察に電話する!」
妻がそう言ってスマホに手をかけたとき、私の目線の先で銃声と、窓が割れる大きな音がした。室内に、妻と娘の悲鳴が響きわたる。
来る。来る。もう失敗しない。男が入ってくるまで我慢だ。踏み込んできたら、今振り上げているこれを振り下ろすだけ。ためらわず。頭めがけて振り下ろせ。そうすれば、絶対に無力化できるはず。
もう一度、ガラスが割れるけたたましい音が室内に響く。妻は娘のもとに寄り、覆いかぶさる。
そして、黒ずくめの男が、リビングに踏み込んできた。
私は勢いよく、クラブを振り下ろした。
クラブは男の頭めがけ一直線。振り下ろす位置も完璧だ。いける。
そう思ったのだが、クラブは男の脳天に直撃する間際、奴の手によって阻まれた。
奴は、室内に入ってくると同時に、手で頭を守る仕草をしたのだ。私の振り下ろしたクラブは、男の手に直撃した。
なぜだ。わかっていたとでもいうのか。私の行動が。
同時に、男はもう一方の手に持った銃をこちらに向けようとする。
まただ。またやられる。恐怖と痛みが、蘇ってくる。どうして、ここまでしても、だめなのか。
くそ、くそ、くそ、くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそ
「ああああああああああああああああああああ!」
私は叫びながら、目の前の男にとびかかった。
男が放った銃弾が私の目の横をかすめ、耳を撃ちぬくと同時に、私は奴の右手にかみついた。
勢いと怒りのまま、歯を強く、強く強く食い込ませる。
男は小さくうめき声をあげ、銃を地面に落とした。
男は左の手で私の横顔を殴る。しかしクラブで殴られた痛みからか、全力ほどの痛みはない。
口が男の右手から離れる。私は、素早く地面の銃を台所の方向へ蹴った。
やった。今こいつは銃を持っていない。今ならやれる。
ゴルフクラブで男に殴りかかる。一振り、二振り、三振り。男は素早い身のこなしで躱していくが、銃のある台所からは遠ざかっていく。台所の方向にはいかないように、男を追い詰めていった。
「ああああああああああああああああ!」
クラブは男の横を掠め続ける。花瓶は割れ、棚から本が落ち、部屋は荒れていく。妻と娘の悲鳴と、私の獣のような叫び声が部屋に響き渡った。
いける。
そう思った次の瞬間、何度目かの私の攻撃は、男の手に阻まれた。私が振ったクラブは、男の左手につかまれてしまった。
素早くゴルフクラブを手放し、男にとびかかるが、後ろに下がり、躱されてしまった。
武器を失った。しかし、まだやれる。この家のことは私の方が熟知しているんだ。肉弾戦なら、まだ可能性はある。
男を見上げる。奴は右手を黒いコートの中に入れていた。
取り出された男の手には、銃が握られていた。
新しい銃。もう一丁、もう一丁持っていたというのか。
「あ、あ、ああ。」
私の口から絶望の声が漏れる。思わず、地面にへたりこんだ。
短い死への旅路で、思考が頭を巡る。
銃を手放させても、もう一丁あった。奇襲は、まるでわかっていたかのように防がれた。
どうして、どうして勝てない。繰り返しても、策を講じても、こいつを止めることはできない。
妻からそしられても、娘に怪しまれても、こいつを倒せるならと、思っていた。が、ここにきて勝てるビジョンを失ってしまった。
なぜ、なぜ私がこんな目に遭わなければいけない? こいつは、一体なんなんだ。
思いもしなかった。自分の家が強盗に襲われるなんて。考えもしなかった。テレビの向こうの出来事が、この身に降りかかってくるなんて。自分の命が、こんなに突然奪われるなんて。
悪魔だ。まるで悪魔。突然やってきて、理不尽にも私の全てを奪っていく。私は何も悪くないのに。私は何も悪くないのに。
……そうだ。私は悪くない。悪魔には勝てない。誰もが常に抱える理不尽な可能性が、たまたま私のところに来てしまった。それだけだ。この国に生きる何千万人の中から、私が貧乏くじを引いただけ。どうしようもないのだから、誰も、誰も私を非難できはしないだろう。
たとえ、大切な家族を見捨てて一人で逃げ出したとしても。
悲鳴と銃声が渦巻くリビングで、私の視界は暗転した。




