第91話 艶紅に託された想い
レヴィード達はアクツ家の騒動の翌日にはゴッチエから旅立った。
「それにしても正義の姿無き剣士って誰なのかしらね?」
「ん?なんだいその話」
「レヴィード様ご存知ありませんか?アクツ家の騒動の時、忠剣組が突入する前に既に屋敷の護衛の武士達が全滅していたって噂ですよ」
「へぇ…」(うん。それ僕だ)
「案外お前じゃないのか?」
「まさか」
恐らく忠剣組の隊員から情報が出てきたんだろう。しかし、まさか自分がやった事が都市伝説のようなものに昇華していようとはさすがのレヴィードにも予想外で、内心苦笑いするしかない。
「グルルルル…」
レヴィード達がそんな雑談をしながら街道を歩いていると大きなモンスターが巨体を揺らしながら森から走ってきた。
「あれはツキヅメグマですぜ!」
ツキヅメグマはその名の通り三日月の弧のような巨大なかぎ爪を持つ熊のモンスターで、レヴィード達に向かってくるのは体長2.5m程の中の上くらいのサイズの個体である。
「じゃあ」
「待ってくれレヴィード。この剣の威力を試してみたい」
構えるレヴィードを制してラティスが前に出る。
「そう言えば鑑定終わったもんね。…まぁ、あのくらいなら大丈夫だろうし、僕も見てみたいから任せたよ」
「ああ」
ラティスはレヴィードからの許可を得るとアーノイの村で貰った翡翠色の魔剣を抜いた。
「蝕め、ヒュドゥア」
ラティスが命じると翡翠色の魔剣が禍々しい濃い紫色に変色する。その状態でラティスはツキヅメグマへ向かっていく。
「グルゥアアアアッ!」
「はっ!」
ラティスはすれ違い様にツキヅメグマを一閃し、横腹に傷を負わせた。
ぐちゅ…ブシャアァ…
「グルァァ…」
するとヒュドゥアで斬った傷口の周囲が一瞬で紫色に変色、腐敗していき、そこから腐蝕した内臓がドロリと流れ出てくる。その激痛でツキヅメグマが悶え苦しんだ後、パタリと絶命した。
「…」
そのおぞましい光景に斬ったラティス本人はもちろん、その場の全員が身の毛がよだつが、ヒュドゥアが具体的にどういう効果のものかを確かめるためにツキヅメグマの周りに集まった。
「うっ…」
レヴィード達が近付いてまず気付いたのはとんでもない腐敗臭である。それは腐って半分溶けた内臓と体液が混じったどす黒い液体から発せられ、文字通り鼻が曲がる臭さは即座に全員を離れさせ、匂いに敏感である獣人種のティップを数秒で嘔吐させるレベルである。
「毒の魔剣ってことだね」
「ああ…だが、これ程とは…」
「…毛皮も肉も使い物になりませんね」
毛皮は腐敗による損傷もそうだがこんな腐敗臭を纏ってしまえば商品として価値がなく、肉を食べようにも食べるべき部分が全て毒に冒されてしまい食べられる気が全くしない。
故にレヴィード達は毒の魔剣ヒュドゥアは強いことを認めるが、強すぎて逆に扱いにくいので少々勿体無いが普段は普通の剣として使う事を決めた。
毒に冒されたツキヅメグマの死骸は臭くて迷惑になると判断したレヴィード達はアインスの魔法で火葬してから再び歩き出した。
「ん?」
「なんか嫌な雲だなぁ」
「…一雨来るかもしれませんね」
レヴィード達が空を見上げると向こう側から暗い灰色の雲が流れてきた。
「あ!あそこにちょうど町がありますよ」
「よし。じゃあ全員駆け足で急ごう」
(あの町は確か…!)
キチマル以外の一行は町の正体を知らずに一斉に駆けていった。
数分後、レヴィード達はまだ雨がポツポツ降る程度の時に町に到着し、冒険者ギルドの建物に避難した。
「ん?」
しかし、レヴィード達は入ってすぐに異変に気付いた。本来、いつでも賑わっている筈の冒険者ギルドには冒険者はおろか職員すらおらず、照明がなくて辛うじて見えるくらいの薄暗い空間が広がっていた。人がいなくなって久しいのか、テーブルの上を指でなぞると埃が指先にごっそり付き、天井を見れば蜘蛛の巣がそこかしこに張られている。
「タマミの村みてぇに、みんな猫になったりしたのかなぁ」
「それにしては気配が無さすぎるぞ」
「…分析結果。町内に人間クラスの生命反応は確認されません」
ソシアスの能力からも完全に無人のようである。
「キチマルさん。ここってどういう町なんです?」
「ええ…。実は大変申し上げにくいんですが、ここはミヤビっていう数年前に住民全員が出て行ってしまった町なんですよ…」
「ミヤビ…」
ミヤビという名前にレヴィードは覚えがあった。勇者武芸大会で共に逃走し、サラーサで別れたカエデの出身の町である。
「どうして町の人がいなくなったんですか?」
「それがですね…コレが出るそうで」
キチマルは両手首を曲げて前に出すポーズをする。
「幽霊…ですか」
「へい。噂によるとこの町にあった道場の娘が成仏できないままこの世に怨霊として残り、自分と家族を殺した仇を探し回っているとかいないとか」
「…」
キチマルの怪談調の語りに全員が息を呑む。
ピッシャーン!ザー…
「…!」
突如雨の音が強くなり、雷まで鳴り始めて不穏な空気が濃くなっていった。
レヴィード達はしばらく待ったものの、雨足は弱くなるどころか強くなり、幽霊が出るらしい町での1泊を余儀なくされ、全員が身を寄せて座っていた。
「オラ、おっかねぇだよ…」
「ふん。亡霊とはいえ所詮はモンスター。充分対処できる」
「まぁ、魔法を使えばそうですよね…」
「…解析。ぺルルの心拍数上昇。大丈夫ですか?」
「…あ、ああ。も、問題ない」
「うーん。光の魔法にはゾンビや幽霊を一瞬で払う魔法があるらしいけど…」
「今度習得してみたらどうだ?」
一行の中でも幽霊は怖い派と怖くない派に分かれているが、レヴィードは恐怖以外に気になることがあった。
「キチマルさん。その死んだ娘の道場って何処にありますかね?」
「なっ!?まさか若旦那、自ら幽霊に会いに行くんで?」
「まぁ、その道場の人とは全くの無関係ではないというか……」
レヴィードの想像ではその幽霊の正体はブゾウに殺されたカエデの姉のボタンではないかと考えており、カエデとは浅くない縁もあって墓参り代わりに道場を訪れるのも悪くないと思ったのだ。
ガタッ!ズゥゥ…
暗闇から何か引き摺る音がする。この場にはレヴィード達以外誰もいない筈なのにと全員が音がした方向に注視する。
フワッ、ビュンッ
「はっ!」
突如、ギルド内にあった木製の丸椅子が飛んできて、ラティスがヒュドゥアで斬り払った。
ビュン!
「ふんりゃ!」
今度はテーブルが飛んでくるがティップが大斧で両断した。
「椅子といい、テーブルといい…。誰かが投げたというよりも、まるで自分の意思で飛んできたような…」
「…レ、レヴィード様、お止め下さい…」
冷たい風が吹いた訳でもないのに全員の背筋に冷水が垂らされたようなゾクッとした悪寒が走る。
「…」
仄暗いの闇の中、ギルドの入口から蒼白く揺らめく人の形をした影のようなモノ、幽霊が入ってきた。
「…」
幽霊はスーっと滑るように空中を動き、レヴィード達の前に止まる。
「…」
幽霊なんてものに会ったことのないレヴィード達はどうすれば良いか分からないが、とりあえず警戒する。
「…」
一方の幽霊の方も襲う訳でもなく、レヴィード達を観察するように全く動かない。
「…もしかして貴方はボタンさんですか?」
「…」
レヴィードの問いかけに幽霊は何も答えぬままスーっと後ろに下がっていき、影が薄れて最終的に消えてしまった。
「…ねぇレヴィード。ボタンさんって誰なの?」
「そう言えば言って無かったね。サラーサで別れたカエデさんのお姉さんだよ。…それでさ、ちょっとあの幽霊を追おうと思うんだけど…」
「えっ!?」
レヴィードのとんでもない提案に驚嘆の声が暗闇に響いた。
外は傘を差さずとも良いくらいの小雨に弱まり、その中をレヴィード達が行く。道案内のキチマルを先頭にレヴィード、ターシャ、ラティス、アインスが行く。
「一応、ここなんですがね…呪われたりしてもあっしは責任取れやせんよ?」
「いいですよ。案内ありがとうございます」
「それじゃあ、あっしはここで…」
キチマルは幽霊に会うなんてとんでもないと、そそくさと他のメンバーが待つ冒険者ギルドへと帰っていった。
「さてと、じゃあ行こう」
レヴィード達が案内された道場はどれほど放置されたのか、塀や門の木が朽ち、看板の文字はほぼ消えて判読出来なかった。そんな門を潜って敷地内に入ると、さらに荒れ放題な状態であった。道場の屋根瓦は所々剥がれ、縁側のあちこちに蜘蛛の巣が張られ、庭には雑草がボーボーに生い茂り、池は藻が生えて緑に染まっていた。
「幽霊屋敷と呼ぶに相応しいな」
レヴィード達は草を踏んで縁側から上がり、カビ臭くギチギチと軋む廊下を歩く。廊下をまっすぐ進むと道場の稽古場らしき広い部屋に出た。
「これは…」
レヴィードはカエデから又聞きしただけだが、やはり凄惨な事件だったのだろう、壁と床に大量の乾いた血の痕が残っていた。
「っ!」
レヴィードは背後に気配を感じてバッと振り返り、それにつられて他のメンバーも振り返る。
「…」
気配の正体は冒険者ギルドで見た蒼白い影だった。いざ眼前にいると幽霊なんて恐くないと息巻いていたアインスやラティスも言葉を失い、ターシャに至ってはガタガタ震えていた。
「…ボタンさん、ですか」
「…」
レヴィードが問い掛けると、蒼白い影はフワッと浮いてレヴィード達の周囲をゆったり泳ぐように廻った。何事かとレヴィード達は一瞬身構えるが、不思議と敵意を感じず、自然体で様子を窺う。
「…」
「なっ…」
蒼白い影が急に速度を上げてアインスに突っ込み、中に入ってしまう。受けたアインスも力無くガクッと崩れた。
「アインス、大丈夫!?」
「…ふーん。アインス君、って言うんだ」
「えっ…アインス?」
レヴィード達の心配を余所にアインスが立ち上がるが、様子は違っていた。姿と声色は変わらないが雰囲気はお淑やかに、口調も女性なものになっていた。
「男の子ってこんな感じなんだ。幽霊になってみないと分からないものね」
「あの、アインス…?」
「もしかして…アインスさんに取り憑いちゃったとか?」
「物分かりが良くて助かるわ。その通り。私がボタン・ムミョウインよ」
ボタンは自信満々に名乗るが、アインスの姿のままなためレヴィード達は違和感しかなかった。
(女口調のアインス…変だね)
(気持ち悪いです…)
(可笑しいな…)
「それで、そこのボク?どうして私を知ってるの?」
「あ、妹のカエデさんから聴いて…」
「えっ!?カエデが生きてるの!?本当に!?」
ボタンは必死にレヴィードに掴みかかかる。
「え、ええ…」
「今、どうしてるの?ちゃんとご飯食べてる?彼氏とかデキちゃったりしてる?」
「お、落ち着いて下さい!順を追って話しますから」
レヴィードはボタンを宥めて床に座らせ、ボタンにカエデとの出会いから逃走中に聴かされた身の上話、サラーサで別れたところまで話してあげた。
「そう…。私の仇を取るために…」
「はい。自分の目的を見据えて一人で進んでいます」
「そういう風に想ってくれるのは嬉しいけど…、ちょっと悲しくもあるかな」
「悲しい…ですか?」
「あの子は優しいから、人を傷つける剣術とかとは縁遠い人生を送って欲しかったなぁって…。復讐なんかしなくても友達とワイワイ遊んだり、好きな子と恋したりして幸せに生きてくれるだけでも、カエデを生かせて良かったって思えるんだけど…」
「はぁ…」
アインスの姿で乙女っぽい仕草を交えて愚痴をこぼすボタンに吹きそうになるレヴィード達だが、妹を想う真面目な話である以上笑う訳にはいかず、なんとか平静を維持する。
「そうだ!今度カエデに会ったら渡して欲しいものがあるの」
ボタンはパンと手を叩いて急いで立ち上がって稽古場を出ていったので、レヴィード達もそれを追う。
トテトテとボタンが入った部屋にレヴィード達も足を踏み入れると稽古場よりも凄惨に乾いた血が部屋の畳や襖に広がっていた。
「これよ」
ボタンが奥の部屋から持ってきたのは掌に乗るくらいしかない小さな桐の箱である。
「開けてみても?」
「ええ」
レヴィードはボタンから許しを得て桐の箱を開けると白い円形の陶器があり、細かで華やかな牡丹の花の絵が付いていた。
「艶紅よ」
艶紅とは唇を美しく見せるために赤く塗る化粧道具である。
「小さい頃お姉ちゃんのお化粧羨ましいって言うから、ちょっと早過ぎる気もしたけど誕生日の贈り物として買ったのよ。カエデはもう大人だからきっとお洒落で似合うんだろうなぁ~」
「そうですね」
ボタンはカエデの綺麗な大人の姿に想いを馳せるが、すぐに真面目な顔でレヴィード達にある頼み事をする。
「明後日渡す予定だったのに死んじゃったから、それが私の心残りなのよね…。だから私の代わりにこれをカエデに渡してくれないかな」
「僕達が渡して良いんですか?カエデさんをここに連れてきて直接渡した方が…」
「ううん、いいの…。カエデが仇討ちを果たしたら、過去に縛られずに自由に生きて欲しいから。私には会わずに、たまに墓参りに来てくれるくらいで私はそれで充分嬉しいわ」
「そう…ですか」
「レヴィード君、って言ったかな。カエデが無事で元気に生きていることを教えてくれてありがとう」
「いえ…」
「それじゃあ、カエデに宜しくね…」
アインスからスウッと蒼白い影が抜けると、その影にボタンの綺麗な生前の姿が映る。ボタンは穏やかな微笑みをレヴィード達に向けると天へと昇って逝った。
「ん…?俺は一体何を…」
ボタンに憑依されていたアインスが気が付いたようである。
「お前ら。何を泣きそうになっているんだ?」
「…いいや。実はさっきまでアインスはボタンさんに憑依されててね。乙女チックなアインスが面白おかしくて笑いを堪えるのに必死だったんだ」
嘘である。本当はボタンのカエデへの想いと願いが愛しくも切ない気持ちにさせて涙を溢しそうになるが、あんなに穏やかに天国に逝ったボタンを涙で見送ってはいけないと思ったレヴィード達は無理に笑った。
ボタンから貰った桐の箱を持ってレヴィード達が道場から出た時には外の暗い空は晴れていた。




