15.目が覚めたら銀世界でした
お披露目会が無事に終わった。
正確に言えば、お披露目会は無事に終わった、と言うべきか。
目を覚ますと、そこは、一面の銀世界だった。
祝福の拍手の残響が、まだ耳の奥にこびりついている気がする。
太陽に輝く雪面の美しさを感じたいところだが、今のエルフィリアにそんな余裕はない。
「痛い……!」
エルフィリアは今、後ろ手に縄で縛られた状態で、雪面に放り出されていた。
体中にあたる雪が冷たく、痛い。
エルフィリアをここに運んできたであろう人間は近くにはおらず、目が覚めたらこの状態だった。
太陽は昇っているので早朝だろうか。
「とにかく、動けるようにしないと……」
エルフィリアは魔法で縄を切ると、体を起こした。
衣服に乱れはないものの、お披露目会の時の服装なので、雪山には適していない。
魔法を使えるエルフィリアに対して、拘束が適当だったのも、放置しておけば死ぬという目算があったからだろう。
あたりをぐるりと見回しても、ここが山であることしかわからない。
風が強く、太陽は分厚い雲の中に消えていく。
このままだと吹雪になりそうな空模様だ。
「どうしてここに……?」
前後の記憶は曖昧だが、確か、アレンが呼んでいる、と言って呼び出された。
――彼の声を、直接聞いたわけではない。
胸の奥が、ひやりと冷える。
まさか。
そんなはずはない。
……けれど。
そして、今、ここにいる。
つまり、助けが来ない可能性も視野に入れたほうがいい。
まずは自力で生きることを考えよう。
――雪山で迷ったら、まず風を避けなさい。体温を下げないことが肝要よ。
母の声が、遠い記憶の奥から浮かび上がる。
どうして母が、南部生まれのエルフィリアに雪山での教えをといたのか分からないが、その教えを活かす時が来たようだ。
「風を避ける……」
木の一本も生えてないこの場所だ、風避けになるものを作る必要がある。
「確か、雪でちょっとした風除けを作れるって言ってたわ」
魔力はまだある。
元気なうちに作業はしたほうがいいだろう。
風に雪が混じり始めてきたので、急がないと視界が悪くなってしまう。
エルフィリアは魔法で雪を掘り、両脇に積み上げていく形で自分が入れるスペースを確保していく。
崩れてくると困るので、魔法で強度を上げて、固めるようにした。
ちょうど屋根もあって風除けできるぐらいの大きさになったところで、中に座ってみた。
風が避けられるだけでかなり体感温度は違う。
しかし、雪に面したお尻と背中が冷たすぎて、体温を奪っていく。
「雪と直接触れないようにすべきだけど……ずっと魔力で防護壁を作るのは無理ね。何か……ないかしら」
考えを巡らせていると、左腕にしている腕輪がふんわりと光った。
「え?」
しかし、その光も一瞬で、すぐにもとの腕輪に戻ってしまう。
「……余計なことを考えてる場合じゃないわ。……あ、ローブを付与魔法で加工すればなんとかなるかしら」
手が上手く動かなくなってきている中、エルフィリアはローブを脱いだ。
そして、ローブに撥水と保温の魔法を付与する。
雪山の中なので、歌うことにも抵抗はない。
歌いながら付与して、それを背中とお尻を守るように敷いて、座る。
今度は、無事、体温を守ることができそうだ。
エルフィリアの作業は、ギリギリのところだった。
雪のかまくらの中で座ると同時に、風が強くなり、吹雪で視界が一気に悪くなる。
「考えないと……」
少し落ち着けたので、この後の動きについて考えることにした。
吹雪の間はどうせ動けないのだ。
止んだらどうするかの方針は今、決めておくべきである。
「この拉致の犯人がアレンか、そうでないのか……」
これによって動き方が変わるのだが、この要素を確定するのは難しい。
「一応、レオナールの姫なんだから、誰が主犯にせよ、大々的には私を殺せないはず。どう生存を知らせれば国際問題にならずに生還できるか考えないと……」
エルフィリアの手持ちは少ない。
ヴァルデンには知り合いもほとんどおらず、誰を信用すべきかも分からないのだ。
「1番いいのは、堂々と城に帰ることだわ。あたかも予定していた外出だったかのように」
暗殺はできても、目撃者のいる場面で殺すことはできないはずだ。
つまり、目撃されながら城に帰る方法を考えるのが、リスクが低い。
ーーーくだらない嫌がらせをされたら私に報告しろ
そこまで考えて、ふと、アレンの声が蘇った。
あの言葉を信じたい自分もいる。
それと同時に、他人を信用して自分の選択肢を狭めることに抵抗を感じている自分もいた。
「……アレンが主犯じゃなかったら、謝ろう」
エルフィリアは、己の生存に執着して生きてきた。
ーーーどうか、生き抜いて。
優しかった母の、最期の言葉が、エルフィリアの生きる意味だった。
母との約束を果たすため、レオナールで何度も殺されかけても、必死に生き延びてきた。
ここで、アレンへの情のせいで、生存確率を下げることはできない。
母に死後に会ったとしたら、私は生き抜いたと言えなければいけないから。
「……寒い」
風を凌いでいるとはいえ、寒い。それに先ほどから少し、意識が飛びかけている。
ここで眠ると、死が近づくことは、自覚していた。
エルフィリアは、左腕を思いっきりつねった。
腕の痛みで意識が少しだけはっきりした。これを後、何度繰り返せば吹雪が止むのだろう。
そんなことを考えてため息をつく。
それでも、エルフィリアは歯を食いしばり、両ほおを叩く。
生きるためになんでもやるのだ。
自分にそう、言い聞かせた。
その後、どれほどの時間が過ぎたのか分からない。
風は何度も強まり、何度も弱まり、やがて音だけが残った。
夢か現か分からなくなる中、突然、体が落ちるような感覚に襲われて、ハッとして目が覚めた。
気がつくと吹雪が止んでいる。
エルフィリアは自分の服に保温魔法をかけなおした後、かまくらの外に出た。
吹雪が止んだ後、曇り空ではあるが明るく、視界は開けている。
このままずっとここにいるわけにはいかないものの、試してみたいことがあった。
狼煙だ。
魔法で狼煙をあげてみて、人が近くにいるかを探りたかったのだ。
狼煙を見て猟師などに出会えれば、この場所がどこか分かるかもしれない。
人がいないならいないで、自力でなんとかするしかないので、この場所を移動する決意ができる。
そのため、エルフィリアは魔法で狼煙をあげてみた。
魔力は無尽蔵ではないので、本当はなにかを燃やせればいいのだが、あいにく燃やしていいようなものを持っていない。
そのため、魔法で直接煙を作りだす。
しばらくの間、狼煙をあげたが、寒さに耐えかねて、かまくらに戻る。
煙は真っ直ぐ空へ伸びていた。この曇天でも、目立つはずだ。
気づく者がいるかどうかは、運次第だが。
ため息をつき、かまくらの内側に戻った瞬間だった。
遠くで、低い遠吠えが響いた。
風の音ではない。
獣だ。
そう認識した途端、冷や汗が止まらない。
エルフィリアは攻撃魔法はほとんど扱うことができない。
戦うのは現実的ではなく、防戦一方になるだろう。
静まり返った山に、もう一度、遠吠えが重なる。
今度は少し近い。
雪山に棲む獣のことは、話に聞いたことがある。
飢えた雪狼は、吹雪の後に獲物を探すのだと。
「でも、どうして近づいて……? あ」
狼煙。
あれが目立ったのかもしれない。
あるいは魔力を感じ取る魔物なのか。
ひとまず、エルフィリアはかまくらの入り口を雪で塞ぐことにした。
魔法で内側から崩落しないように強化する。
魔法がある限り、窒息はしないように維持はできる。
エルフィリアは気配を殺すように息を潜めた。
自分の鼓動の音ですら、うるさく感じられる中、雪を踏む音が近づいてきた。
まばらな足音から察するに、明らかに一頭ではない。
低体温で鈍っていた感覚が、一気に冴える。
雪を掘る音がする。
硬い雪を削るような音と共に、嗅ぎ回る荒い鼻息が、すぐ外から聞こえた。
雪を踏みしめる重い足音が、かまくらの周囲を囲むように散開する。
入口を覆っていた雪が、内側に崩れ落ちた。
白い隙間の向こうに、灰色の毛並みが見えた。
鋭い黄色の目が、こちらを覗き込んでいる。
包囲された。
エルフィリアは唇を噛んだ。
魔力を練り、かまくらの壁をさらに強化する。
しかし、持久戦になればこちらが不利だ。
ーーー何か、攻撃に向いてる魔法……!
思考を巡らせた瞬間、衝撃が走った。
雪壁が大きく揺れる。
エルフィリアの作ったかまくらに体当たりされているのだ。
隙間から見える姿は、ただの銀の美しい毛並みの魔物ーー雪狼だ。
エルフィリアが何もできないでいる間に、もう一撃体当たりされた。
雪壁が軋む。
雪の塊が肩にぼとりと落ちた。
ーーーどうしよう……! 何か、何かしないと!
腕輪が、淡く光った。
鼓動と連動するように、脈打つ。
「……どうして、今?」
腕輪は、まるで外の存在に反応しているかのようだった。
そうこうしている間にも、衝撃は続き、ついに雪壁にヒビが入った。
もう、長くは持たない。
内側から破られる前に、自分から出るしかない。
かと言って、入り口から呑気に出ることはできない。
「一か八か……」
エルフィリアは自分の持てる魔力を込めてかまくらを吹き飛ばした。
白い雪煙の中、エルフィリアは即座に立ち上がり、周囲に防衛魔法を張った。
爆発によって舞った雪が収まると、少し離れた位置で、ぐるりと取り囲むように3体の雪狼がこちらをみていた。
「3体……」
雪狼は、警戒しているのかすぐには襲って来ず、エルフィリアの周りをぐるぐると回っている。
もともと多いわけでもない魔力で、魔物3体を倒すのは無謀と言っていい。
それでも、やるしかない。
エルフィリアが覚悟を決めた時だった。
左腕の腕輪が強く光った。
その光に驚いたのか、雪狼が首を低くしながらそれぞれ横に飛んでエルフィリアから離れた。
包囲の円がそれにより一段広がる。
雪狼は足を止め、喉の奥を震わせていた。その目は、エルフィリアの腕輪を見ているように感じられた。
ーーーもしかして、襲ってこない?
このまま立ち去ってくれるなら、こちらから攻撃しないでやり過ごしたい。
防衛魔法の維持だけを続けるか、エルフィリアが悩んだその瞬間、パンッと銃声が鳴り響いた。
エルフィリアはとっさにしゃがみ、周囲を見渡す。
狼たちもエルフィリアから意識を離し、山頂の方に向かって駆け出していく。
ひとまず、雪狼に食われる危機は遠ざかった。
そう思ったら腰が抜けた。
体が崩れ落ちて、しゃがみこんでしまった。
まだ、銃を撃った人間がいるはずだが、立てない。
ーーー立たないと。立て!
自分自身に喝を入れているところで、雪を踏む音が聞こえた。
ハッとして顔をあげると、白髪の男が、そこにいた。
エルフィリアの祖母と同世代ぐらいだろうか。
分厚い毛皮の外套を来て、長銃を肩に担いでいる。その銃口は、まだ細く煙を吐いていた。
男は大股で歩いてくると、エルフィリアの前に立った。
「……立てるか?」
低い声だった。
敵意はなさそうに見える。
「はい」
声が震えないように返事をして、エルフィリアは気合いを入れて立ち上がった。
男の視線がゆっくりとエルフィリアの頭から爪先まで動いた。
「どうやってここに?」
こんな雪山に、ドレスの女が放り出されていたら、当然の反応である。
身売りしようとしないだけ、良心的な人間だと思うべきだろう。
「分かりません。意識を失って、……気づいたらここにいました」
「あんた、貴族だな?」
「はい」
正確には王族だが、この文脈で問われている意味としては相違ないだろう。
どうやってこの男に協力してもらうか悩んでいると、腕輪が再び光った。
「っ!」
男は息を飲み、明らかにエルフィリアの腕輪の方を見た。
この腕輪を認識できたのは、母と祖母以外で初めてだ。
「この腕輪が見えるんですか?」
「……なるほど」
男は質問には答えなかった。ただひとり、納得したようにうなずいた。
「歩けるか?」
「ええ」
「ひとまず、俺がいる山小屋に来い。明日、麓まで送ってやる」
エルフィリアは一瞬悩んだ。
しかし、ここで1人になっても生存の確率はあがらない。
男について行くのは割りにあう賭けだ。
「小屋には親族の娘もいる」
エルフィリアの迷いを察したのか、男は淡々と付け足した。
「……お世話になります」
「ついてこい。足跡を踏め」
男の指示の意味がわからなかったが、歩いてみて、理解した。
雪山にまったく向いていない靴でも、男が踏み固めた雪の上のほうがわずかに歩きやすい。
この選択が良いかは分からない。
ただ、雪山に1人で残るよりはマシに思えた。




