沈黙の本性(新しい窮地)
沈黙の本性の男がお気に入りになりました。
鋭い目つきに整ったスーツ姿、落ち着いた声色。
ダンディな面持ちの男がいた。
人は彼を「冷静な人」と呼んだ。
その男が、今日は大きな会議室にいた。
大きな契約の会議で、朝から張り詰めた空気だった。
参加する誰もが緊張で息を詰めていた。
男だけが背筋を伸ばし、淡々と書類をめくっていた。
——すべて順調に進むはずだった。
ドアが突然、大きな音を立てて開いた。
「失礼しますッ!」
名札もつけていない見知らぬ男が、ボサボサの髪で書類を握りしめて立っていた。
場違いな空気が、瞬く間に会議室を飲み込む。
「私は取引先の者です! 直接しないといけない話があるんです……!」
男は荒い息を吐き、たどたどしい言葉を吐きながら
資料を会議机に叩きつけた。
しかし中身は無意味な紙切れの束だった。
役員の一人が呟いた。
どう見ても不審者だ。と。
止めに入ろうとする社員もいるが、男はテーブルを叩き、大声を張り上げた。
「お前ら俺を騙したな!? 訴えてやるからな!!」
声が会議室の空気をひび割らせる。
男の手がカバンの奥へ潜った。
何かを取り出そうとしている。
誰もが息を呑んだ。
会議室が凍りつく。
隣にいた女性社員が、顔を強張らせて小さく言った。
「……なんとか……できませんか。」
それを聞いた男は、わずかに首を横に回し女性社員をみる。
そうして
低く、静かに告げる。
「問題ない。」
ただ一言。
それだけで場の空気は少し和らいだ。
男は立ち上がると、不審者の真正面に歩み寄った。
「……なんだてめぇ……!」
相手の声が揺れる。
冷静な眼差しに、威圧されているのが誰の目にもわかった。
「要件を伺いましょう。こちらへ。」
そう言って、不審者の腕を取る。
少しも力は入っていないのに、相手は何も言えずに会議室を出ていった。
ドアが閉まった瞬間だった。
——世界が止まった。
人のざわめきも、足音も、遠くの空調音も、すべてが凍りついた。
男は周囲を冷静に確認した。
「なるほど」
止まった世界を理解した。
そうして、男は廊下に不審者を立たせたまま、小さく吐息を漏らす。
「……くそ……なんで俺なんだ……。」
眉間に皺を寄せ、背中を壁に預ける。
「こえぇよ……何持ってんだコイツ……。
刃物? 爆弾? 洒落になんねぇだろ……。」
静かに、でも必死に不審者のポケットを探る。
上着の内ポケット、ズボンの裏、靴の中まで。
世界が止まっている間だけが、自分が取り乱せる時間だ。
「なんだよ……ただの菓子パンか……飴玉……。」
胸の奥の冷たいものが少しずつ溶ける。
「はぁ……問題ない……問題ないっぽいな……。」
息が荒くなる。
冷たい額を袖でぬぐう。
「……こえぇのは……嫌なんだよ、マジで……。」
ポケットから、隠していた小さなマスコットを取り出した。
元気キャラのぬいぐるみ。
小さく笑って、自分に言い聞かせる。
「お前みたいに……好き勝手言って笑っていたい……。」
ポケットにマスコットをしまい込む。
ガラスに映る自分の目を睨み返す。
「……でも、大丈夫。」
ネクタイを締め直す。
口角をわずかに引き上げる。
——世界が動き出した。
不審者が何かをわめく。
男は一切表情を崩さず、落ち着いた声で告げる。
「ご要件は伺いました。あとはこちらへ。」
不審者の肩をゆっくりと押さえつける。
逃げ場のない圧力が、一瞬で空気を支配する。
誰も気づかない。
心臓がさっきまで喉の奥で暴れていたことなど。
男は不審者を警備へと引き渡し、何事もなかったように会議室に戻った。
周囲は彼をほめたたえた。
彼に助けを求めた女性社員が小さく礼をいった。
男は一言
「問題ない。」
そう告げただけだった。
その日、世界は3分間だけ止まった。




