表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/94

沈黙の水瓶 (背負う少女)



地平線が赤く染まった。

少女は、水瓶を頭に乗せて歩いている。


乾いた大地。ひび割れた地面。

風が吹けば、細かい砂が目に入る。


村には水がない。

政府の援助も、誰かの慈悲も届かない。


生きるには、毎朝、数キロ先の井戸へ行き、

飲み水を運ぶしかなかった。


少女はまだ10歳だった。

学校に行きたかった。

字を読みたかったし、本も開いてみたかった。


でも、母は病気で寝たきり。

父は去年の干ばつで命を落とした。

弟はまだ5歳。

水を運べるのは、自分しかいなかった。


水瓶を支える腕は、もうしびれている。

でも転ぶわけにはいかない。

この中には、家族の命があるのだから。


井戸に着くころには、汗で服が肌に張り付いていた。

誰かと話す余裕もない。

今日も、生きるだけで精一杯だった。


村への帰り道。

空を見上げると、雲ひとつなかった。


その瞬間——


世界が、止まった。


鳥の羽ばたきも止まり、

風も止まり、

空気さえ凍りついたようだった。


水瓶の中の水は、まるで空の鏡のように凪いでいる。


少女はふと立ち止まり、

水瓶を地面にそっと置いた。

そして、座り込む。


こんなこと、今まで一度もなかった。

水を運ぶことが「義務」じゃなくなった瞬間。

重荷を、初めて、地面に下ろせた気がした。


涙が、頬を伝った。

言葉も出ず、ただ、小さな声がこぼれる。


「……つかれた……」


その声も、世界には届かない。


でも、誰かがいる気がした。


少し先の木陰。

自分と同じくらいの年頃の少女が、

水瓶を持って座っていた。


その子は、笑っていた。


少女は思い出す。


まだ父が生きていたころ。

母と3人で井戸に行った日。

父が冗談を言って、みんなで笑った。

小さな水瓶を持って、お手伝いをしたあのとき。

父も母も、何度もほめてくれた。


「——わたし、笑ってた」


水を運ぶのは、大変だけど、

家族の「ありがとう」が、嬉しかった。

この瓶には、命だけじゃなくて、

「信じてもらえている責任」が詰まっていた。


少女は、立ち上がる。

水瓶を再び、頭に乗せる。


そのとき——


世界が、動き出す。


風が吹き、地面が軋む。

遠くから、ヤギの鳴き声が聞こえる。


少女は、歩き出す。

さっきより、少しだけ背筋が伸びていた。


もうすぐ村だ。

水瓶は重い。でも、心は軽くなっていた。


村に戻ると、母は寝ていた。

弟が走り寄ってくる。


「おねえちゃん、すごい!」


少女は照れくさそうに笑った。

その笑顔に、母が静かに涙を浮かべた。


「背負わされていた水瓶」が、「誇り」に変わった日だった。


——その日、世界は3分間だけ止まった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ