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第一部 第二話 侯爵令息ジョフロワ・ペタンの扼腕


 入学式が始まった。

 ジョフロワ・ペタンは入学者全体の真ん中よりも後方、左端に並んでいる。この入学式の序列は、入学試験の得点順である。

 入学式だけではない。

 クラス編成もクラス内における名簿の順番も、すべてが試験の得点によって決まる。クラスは上からファースト、セカンド、サード、フォース、フィフス・・・と続いてイレヴンスまで。そして固定ではなく、試験によって入れ替わる。毎月の定期テストの得点がありとあらゆる場面に反映され、親の爵位など、いっさい忖度されないという。たとえ王族でも、得点が低ければ下位クラスに配され、名簿の上でもクラスの席位置でも末席を余儀なくされる。実際、今、上級生に第二王子と第三王子が在籍されているが、あまり上位のクラスではない。

 そんなふざけたことが許されるのか、とジョフロワは憤っているのだが、これは貴族学校の伝統であり、厳格なルールである。完全なる実力至上制。周囲の誰も特に疑問に思う様子も無く華やかにして厳かな春の祝典に高揚していて、ひそやかなさざめきの中、学長式辞、来賓挨拶と、粛々と進行していく。が、入学試験の得点上位者の先頭に、最高得点者はいないままだ。それだけが唯一、ジョフロワの留飲を下げている。あのいまいましい田舎者は、守衛に追い出されて途方に暮れているのだろう。あるいは侯爵邸の屋根裏に与えられた狭い部屋に帰って蹲っているか。さっさと入学辞退届を出して、田舎に帰ればいいのに。

 左端なのですぐ横は来賓席で、OBである著名人や王政府の高官などがずらりと列席しているので、迂闊に欠伸すらもできない。じっと身じろぎもせず、退屈な来賓挨拶をてきとうに聞き流していたジョフロワは、新入生代表挨拶、という進行係の声に顔を上げ、新入生代表、アルフォンス・ヴェルディエ、と名を呼ばれて壇上に上がっていく人物を見て、衝撃に瞠目した。

「?!」

慌てて目を擦って二度見する。きちんと制服を着て壇上に上がっていく背中は。

―――田舎者・・・?―――

いや、髪がキレイに整えられている。あの田舎者の頭は、ぼっさぼさだったはず・・・。

 学長の前で朗々と代表挨拶文を詠みあげる声は、聞くたびにいまいましい、アルフォンスの声だ。しかしどういうことだろう。家ではいまいましいだけだったはずのアルフォンスの声が、今は下手をすれば陶然と聞き惚れてしまいそうになる。朗々と読み上げられる新入生代表挨拶の内容はいたって普通で、よくある定型文なのに、アルフォンスが読むとまるで高位の神父様のありがたいお話か、もしくは高名な舞台俳優による名演であるかのように惹きこまれてしまう。

―――どういうことだっ!―――

ジョフロワはギリギリと歯をくいしばり、壇上のアルフォンスの制服の背中を睨みつける。もしも自分がアルファで、ダイヤモンド・アイと言われるアルファの威嚇でも殊更に特別な眼力の持ち主だったら、その力であの背中に火がつくのではないかと思われるくらいに憎悪を込めて睨むけれど、ジョフロワはベータなので、いくら睨んだところでなにも起こらない。アルフォンスはまだ声変わりしていない高く幼い声ながらも、つっかえたり間違えることなく、落ちついて堂々と新入生代表挨拶をまっとうした。

 後ろの父母席や在校生の席から、大きな拍手が湧く。劇場じゃあるまいし、ブラヴォー! と声があがる。アルフォンスが称賛されることが悔しくて苛立たしくて、ジョフロワははらわたが煮えくり返った。




 式が終わると、ジョフロワはアルフォンスを怒鳴りつけるべく人目につかない場所へ連れ込んでやろうと近寄った。しかし、アルフォンスは入学試験上位の生徒たち・・・すなわち同じファーストクラスの生徒たちに取り囲まれていて、ジョフロワは近寄ることができない。

 アルフォンスを取り囲んでいる生徒のひとりに、制服の上衣を纏っていない者がいる。ジョフロワが睨みつけているのを全然気づかないアルフォンスは、その生徒の手をしっかりと握って深々と頭を下げた。

「制服を貸してくれて、どうもありがとう!」

アルフォンスの声が聞こえる。なるほど、彼奴が余計な真似をしやがったのか、と、ジョフロワはお節介な奴だと敵認定した。

 やきもきしながらアルフォンスを連れ出す機会をうかがっていると、先ほどのアルフォンスに制服を貸したお節介野郎と、もうひとり小柄な生徒、ふたりの肩をがしっと掴んで抱き寄せる立派な紳士の姿があった。

―――あれは・・・!―――

ジョフロワはうろ覚えながら、紳士に見覚えがあった。

―――マクロン辺境伯・・・、だよな?―――

国内最大の貿易港がある広大な領地を治め、国内最強と言われる軍勢を率いる、第二の王室とまで言われる、名家中の名家。筆頭公爵であるボワイエ公爵すら一歩引いて丁重に遇する存在。

 そのマクロン辺境伯が、アルフォンスのことも親しげに肩を抱く様子に、ジョフロワは心臓が止まりそうになった。あの田舎者の出身地はマクロン辺境伯の領地とはまったく違う方角のド田舎で、接点など無いはずなのに、肩を抱かれるほど親しいなんて、そんなバカなと、愕然と立ち尽くす。

 そこに、

「ジョフロワ・ペタン君。ちょっとよろしいでしょうか」

呼ばれて振り返る。学校の事務職員が、書類とジョフロワの顔とを確認するかのように見ながら立っていた。

 事務室まで御足労願いたいと請われ、赴くと、事務職員数人と教師がいる。

「ジョフロワ・ペタンです。なにか御用でしょうか」

「ああ、貴方に会いたいという御方がいらっしゃいます。ちょっと、お待ちください」

事務職員に言われて待っていると、マクロン辺境伯と、さきほど肩を抱かれていたふたり、それからアルフォンスが来た。なんでお前がと言いたいけれど、かろうじて我慢しておとなしくしていると、マクロン辺境伯が寄ってきた。

「ジョフロワくんだね、ペタン侯の子息の」

「は、はい」

マクロン辺境伯のような有力者に顔や名前を覚えていただいているのかと、ジョフロワは舞い上がった。実際には、事務員にあれがペタン侯爵令息ですと言われただけなのだが。

「ペタン侯は領地で大きな水害があったと聞いている。きみの晴れ姿を見ることができなかったとは、運が悪かったようだ。お見舞い申し上げると伝えて欲しい」

一瞬、イヤミを言われたのだろうかと思ったが、そうではないらしい。紳士の高雅な顔は穏やかで、心からの気遣いで言ってくれているらしい。

「お心遣いいたみいります」

動揺を押し隠して頭を下げるジョフロワに、マクロンはまったく一切含むものなど無い太陽の笑みで、爆弾を差し出してきた。

「多忙な父君の代理に、きみのサインでも受領するように、わたしが口添えしよう。この書類にサインを」

「なんですか?」

「父君は多忙すぎて、庇護すべきいたいけな者にまで手が回らないのであろう? これはヴェルディエ子爵令息の制服に関する書類だ。彼は最高得点者でしかも大惨事を未然に防いだヒーローだからね、今日の佳き日、我が愚息を含むきみたちの入学式を恙無く迎えることができたのは、ひとえにアルフォンス君の活躍があったからだ。私は彼に感謝と敬意を表して制服が無いのなら是非とも贈らせてほしいと申し出たのだが、固辞されてしまった。とても慎み深い少年だと感動したよ。ペタン侯がアルフォンス君に支給された支度金を代理に受け取ったと事務員に聞いてね。だから手続きだけはせめてと思って私がしたのだよ、身分を笠に着て、少々我儘を通させてもらったから、アルフォンス君の制服は明日には届くよ」

大惨事? 大惨事ってなんだ? 大惨事を防いだヒーロー? アルフォンスが?

 情報が多すぎて理解できず、ジョフロワは混乱する。いや、それよりも・・・。

 父の代わりに、サインを? アルフォンスの制服のために? なんで自分が、あのクソいまいましい田舎者なんかのためにサインをしなければならない?

 しかし、目の前にはマクロン辺境伯がいて、自分にサインをしろと穏やかながらも強大な圧をかけてくる。いや、マクロンは圧をかけているという自覚など微塵もない。ジョフロワが勝手に、圧をかけられていると思い込んでいるだけだ。

 その圧に逆らえず、ジョフロワは必死に歯ぎしりを押し隠して、書類にサインをする。その手はマクロンの圧にぶるぶると震え、書かれたサインはおおよそ読めた文字ではなかった。書類をよく読みもせずにサインをするジョフロワを、マクロンは冷めた目で見ていたが、見られているジョフロワは気づかなかった。




 用は済んだとばかりに退出を促されたジョフロワは、アルフォンスを睨もうとして、アルフォンスに制服を貸したお節介野郎と目が合い、慌てて目を逸らした。王都在住の貴族の子女の集まりなどで見た記憶が無い顔だから、あのお節介野郎も地方から出て来た田舎者なのだろうと思う。しかしマクロン辺境伯の縁戚なのだとしたら、迂闊に難癖をつけたり貶めるわけにはいかない。

 ペタン侯爵は領地に赴く前に、ガサツで無神経な田舎者なんかが貴族学校にいたら良家の子女たちに迷惑がかかるから、自分が領地から帰ってくるまでにアルフォンスが入学辞退するように説得しろとジョフロワに命じた。

―――説得、って・・・?―――

いつも横柄に命令すれば使用人たちは言うことを聞く。だからジョフロワは、説得、というものそのものがわからなくて、結局、父に命じられてから今日まで、アルフォンスに入学辞退しろとか言わないまま、今日にいたっている。そしてマクロン辺境伯が言うようにアルフォンスがなにかマクロンの目に留まるような活躍をしたなら、今から説得して入学辞退させるなんて、無理だ。もっと早くあの田舎者をなんとかしておけばよかったと、ジョフロワはくちびるを噛んだ。



ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました。

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