第二部 第二話 ダイヤモンド・アイの少年
アルフォンスを排除して受けても上級官吏登用試験に落ちたジョフロワは、フーリエ大公令嬢ベルナデットの紹介でアルフォンスが筆頭公爵家の家庭教師に推薦され、面談に行くことを知った。栄えあるペタン侯爵家令息として、無職で卒業という情けない姿をさらすわけにはいかないジョフロワは、公爵家家庭教師の仕事をアルフォンスから横取りせんと画策した。ペタン侯爵もそのためにと横槍を入れてきたので、アルフォンスは侯爵とジョフロワと三人で面接に行くことになった。
「お初にお目にかかります」
アルフォンスはきちんと挨拶をする、その横で、どさりと倒れる音がした。
「?」
見ると、ジョフロワが白目を剥いて倒れている。
「ジョフロワ!」
叫んで駆け寄ろうとしたペタンも、レオナールと目が合った瞬間、がくんと膝をついた。
ボワイエ公爵は軽くため息をつき、アルフォンスを見る。
「きみは、なんともないのかね?」
「はい」
「ふむ」
ボワイエは顎に手を当て、アルフォンスを凝視した。
「ペタン侯。立てないようなら家の者を貸しましょう。どうぞお帰り下さい」
ペタンは悔しそうに顔を歪めたけれど、どんなに力を入れても立つことができなかった。断じて認めたくなかったが、腰が抜けたのだとわかった。
それだけではない。金と真珠とダイヤモンドで作った人形のような少年を、正視できない。したらジョフロワと同じように気絶しないという自信が無かった。迂闊に目を合わせたら失禁するかもしれないという恐怖心に、背筋を嫌な汗が滝のように流れる。
ペタンもアルファなので、ボワイエ公爵令息の放つアルファの威圧はわかる。が、いくらなんでも度を越していると思った。まだ就学すらしていない、アルファとして発現していないいたいけな少年なのに、ありえないほどの威圧だった。しかもそれを自身でわかっていないらしい。アルフォンスが自分がダイヤモンド・ヴォイスであることをわかっていなかったのと同じようだが、それよりも質が悪い。見るだけで誰彼構わず威圧する十歳の子どもなんて、手に負えない。
今更になって思い知った。アルフォンスなどを目の仇にしていた自分の愚かさを。
アルフォンスなど可愛いものだった。どんなに優秀だろうと所詮は田舎の貧乏子爵の小倅で、愚鈍なほどに素直だった。ダイヤモンド・ヴォイスなどと言ったって、自身でその価値も利用法もわかっていないような、純朴な少年だった。
それに比べて、今、目の前にいるボワイエ公爵令息は。比べることすら申し訳ない。筆頭公爵令息にして上位アルファ。その威圧は、ペタン程度のアルファでは到底、たちうちできない。まだ少年で発現していないのに帝王のような、下手をすれば王族ですら怯むのではなかろうかというくらいの、圧倒的な覇気を、おそらくは生まれつき、その身に具えているのだ。
斯様に尊貴な、選ばれた御方の家庭教師なんて、自分の息子に務まるはずがないと思い知る。しかし。
―――アルフォンスはどうして平然としていられるんだ・・・?―――
ボワイエ公爵家の家宰に肩を貸してもらい、意識の無いジョフロワを下男たちに馬車まで運んでもらいながら考える。認めたくないけれど、まさかアルフォンスは、あのとんでもないアルファの威圧を感じないのか。
―――そんなバカな・・・!―――
信じたくないけれど、まさかアルフォンスは、自分よりも上位なのか。ペタンは悔しさに歯ぎしりしようとして、できなかった。ボワイエ公爵令息レオナールの威圧によって腑抜けた身体は、まだ思うように動かせないのだ。歯ぎしりどころか歩くのすら儘ならなくて、ボワイエ公爵家の家宰にささえてもらってやっと足を動かしてなんとか玄関までたどり着き、馬車に乗せてもらった。
ペタン親子は這う這うの体でボワイエ公爵邸を後にしたのだった。アルフォンスをおいて。
「さて」
ボワイエ公爵はアルフォンスを振り返って言った。
「きみはどうやってダイヤモンド・ヴォイスをコントロールしているんだい?」
「コントロール・・・?」
貴族学校に在籍していた八年間、オーブリー学長やベルナデットにいろいろと指導されたり教えられて、ダイヤモンド・ヴォイスについては理解した。最初はまったく自覚が無かったが、自分の声は聞いた者を魅了したり、鎮静したり、癒したりできる奇跡の声なのだと言われた。教科書を朗読すればそれが脳の深淵まで届き、忘れようにも忘れられないほどに理解させてしまう。アルフォンスの朗読を聞くだけで、教師の授業よりも頭に沁み入ってしまう。自分がダイヤモンド・ヴォイスであることをわかっていなかった時は、ある程度しっかりと声を張ってしゃべらなければ効果は無かったらしいが、自分でダイヤモンド・ヴォイスについて自覚があり、意図して使う場合、囁いたり睦言でも、効果があるそうだ。高学年になってアルファを発現して、周囲の猥談などで得た知識では、それは色事にも有効で、破廉恥なことを言うなら、声だけで相手をエクスタシーに導くこともできる、らしい。・・・やってみたことはないが。
「コントロールをしているという自覚はありません。でも、僕の声が特殊なんだということは、オーブリー学長やベルナデット嬢から教えていただきました」
アルフォンスはボワイエ公爵と令息のレオナールを見た。
「僕に朗読させてただ聞くだけで、労せず知識を脳に詰め込みたいだけなのか、それともきちんと勉強して、自分の力で勉強しようと思っているのか、教えていただけますか?」
ボワイエ公爵は思わず我が子を見た。アルフォンスは言葉を続ける。
「ただ朗読するのを聞きたいだけなのでしたら、このお話は辞退させていただきたく思います」
それではペタン侯爵親子と同じで、ただアルフォンスは利用されるだけだ。もう子どもではない。利用されるのは真っ平だ。たとえ、筆頭公爵令息の家庭教師というのがものすごく名誉ある立派な仕事で、高額の報酬がもらえるのだとしても。
レオナールがアルフォンスを睨みつけている。その眼力は確かに強く、なるほど、ダイヤモンド・アイなのだなとわかったけれど、アルフォンスはまっすぐに見返した。不敬なのかもしれないが、子どもにおべっかをつかって機嫌を取るような家庭教師になることを求められるのなら、他をあたってくれと思った。
ボワイエ公爵は穏やかな笑みを浮かべて言った。
「きみの能力に頼りたいわけでも、利用しようとしているわけでもない。きちんと勉強を教えてほしいと思っているよ。そうだな? レオナール」
「はい、父上」
睨みつけていると思ったのはダイヤモンド・アイだからで、実際には睨みつけていなかったらしい。鷹の目が二十四時間いつでも獲物に狙いを定めているわけではないように。つまりレオナールは、睨んでいるつもりもなくただ見ているだけで相手を威圧してしまうということだ。なかなかに厄介なものだ。声は、喋らなければ他者に影響を及ぼすことはないが、レオナールはただ見ているだけで他者を威圧してしまうのだ。
ボワイエ公爵は言う。
「息子のダイヤモンド・アイに平然としているだけでも、たいしたものだよ。ただ朗読を聞かせるだけではなく、きみの持つ知識や教養を、息子に授けてほしい」
報酬に関しては少し減らしてもいいから、ペタン侯爵に居場所を知られない住まいを紹介して欲しい、と希望を出したところ、ボワイエ公爵は笑って言った。
「ならば、うちに住み込んでくれないか。レオナールの隣の部屋がちょうど空いているからね」
貴族学校の寮を去る前日。
アルフォンスは荷造りの合間に寮を抜け出して、ジャンの家に行った。
「いろいろお世話になりました」
そう言って頭を下げると、ジャンは皺だらけの顔で優しく微笑む。
「行くところが無かったら、上の部屋に来ればいいって思っていたんだけどな」
少し前に住人が退去して空き部屋がひとつあったので、もしもアルフォンスがペタン侯爵の家に連れて行かれるようなら逃げてその部屋に来て住めばいいと、備えてくれていたのだそうだ。
「お心遣い、ありがとうございます」
「あと、これ、持っていきな」
渡されたのは、結構な厚さの封筒だ。中には、アルフォンスにとっては大金と言っていい金額が入っている。
「そんな、いただけません」
「八年間ずっと、この部屋、ピカピカにしてくれただろ? ここだけじゃねえ、ピエールの店も、上の階の廊下なんかも。その給金だよ。受け取っておくれ」
「ありがとうございます」
アルフォンスにしてみれば、ひもじかった時にピエールの店でご飯を食べさせてもらえただけでもものすごくありがたいことだったのに、これでは貰いすぎだと思った。しかし、それを言うとジャンは笑って、アルフォンスの肩をポンポンと叩いた。
「お前みたいな若くて純粋な奴が、一生懸命頑張っているとな、あの戦争を死に物狂いで戦ったのも無駄じゃなかった、って思えるよ」
もちろん、戦争なんて無いに越したことはねえけどな、と言って、ジャンは送り出してくれた。なんだか、生家を出た時の祖父に似ていた。
アルフォンスから家庭教師の職を奪うことはできなくても、自分の家からアルフォンスを通わせることでボワイエ公爵家に取り入りたいと、ペタン侯爵親子はあの手この手でアルフォンスが公爵家に住み込みで養育係を勤める邪魔をした。しかしアルフォンスはモーリスとベルナデットの手助けによって、なんとか公爵家に引っ越して、家庭教師兼養育係としての仕事をスタートさせた。
その後も、侯爵とジョフロワはアルフォンスを貶めようと陰謀をめぐらせたが、上級学校に進学して医学の勉強をしているベルナデットやガブリエル、近衛騎士の幹部候補生として王宮に勤務しながら勉強もしているマクシミリアンに助けられて、アルフォンスは家庭教師の仕事に打ち込んだ。ダイヤモンド・ヴォイスでただ朗読を聞かせるのではなくて、考えさせるように導き、自分で答えを出させる。それは、オーブリーがしていたことの踏襲だ。それと、レオナールの父親であるボワイエ公爵や、フーリエ大公夫人の仕事ぶりを教科書にさせてもらった。なんといってもアルフォンスは下級貴族で、上級貴族の生活だとか仕事、あるべき姿について疎い。身近によい教科書がいるなら、利用しない手はない。
「全体を見ることです」
というアルフォンスに、レオナールは最初、首をかしげた。
「レオナールさまがひとりを見つめてしまうと、その人は戸惑います。レオナールさまによい意味で見られているのか、悪い意味で見られているのか、相手はわからない、残念なことにアルファの威圧は、相手を委縮させます。つまり、悪い意味で見られているのだと、相手は受け止めます」
「威圧は、悪いこと?」
「そうですね・・・、相手が悪い人や犯罪者だったら、威圧することも必要かもしれません。しかし悪い人や犯罪者なのに、自分はまったく悪くないと思っている人を威圧してしまうのは、レオナールさまの身に危険が及ぶ可能性があります」
ですから、誰彼構わず威圧することはなさらないでください、と言うアルフォンスにしっかりと肯くレオナールは、強い眼光を誰かひとりに向けないように気をつけるようになった。おかげで公爵邸の使用人たちのストレスが軽減された。
アルフォンスの家庭教師兼養育係としての手腕は素晴らしく、レオナールは強すぎる威嚇フェロモンのコントロールができるようになり、高位貴族の令息としての行儀や作法も習得し、勉学の面でも申し分のない成績を修めて筆頭公爵令息という立場に恥じない立派な貴公子となった。二年間の勉強の後、貴族学校の入学試験では、十年前にアルフォンス自身が叩き出した得点を上回り、最高得点で入学した。
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