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ドイツ人、日本古武術ニ入門ス

クラスメイトにさんざん嫌味を言われてから教室に戻ると、アレクシアさんは自分の机でノートパソコンを開いていた。何か調べものをしているようで、ちらりと見えた画面にはドイツ語でびっしりと文字が書かれている。


 英語でも日本語でもないから、多分ドイツ語だろう。


「アレクシアさんあんなに強かったんだ、剣道部入らない?」


 クラスメイトが話しかけてきても、彼女は昨日のように受け答えをしなかった。


 それどころか不機嫌そうな顔で彼女たちを睨みつける。


「アヤ~、アレクシアさんどうしちゃったの? さっきまで落ち込んでたと思ったら、急にこんな調子で」


「わからないけど…… 仕事関係かな。熱が入ってる感じだから心配はないと思う。とりあえずそっとしておいて。落ち着いたら私から、あらためて聞いてみる」


 やがて放課後が来たが、アレクシアさんは手早く荷物をまとめて帰ろうとしていた。


 だけど机に、エネルギーバーがそっと置かれている。


「はいこれ。ドイツでも売ってるって聞いたから、近くのコンビニで買ってきた。お昼、食べてないでしょ?」


 息を切らせた中島さんが、笑顔を浮かべてアレクシアさんの前に立っていた。


 金髪碧眼の少女はエネルギーバーの封を切り、貪るようにして食べていく。


「ダンケシェーン。お腹がペコペコで、倒れそうでしタ」


 さらに流れるような所作で手渡されたペットボトルのお茶で、食べかすを流し込んでいく。


 その様子を他の女子たちが、微笑みながら見守っていた。


 パソコンの画面から一瞬だけ目を離したアレクシアさんと彼女たちの目が合う。同時、碧眼の少女が慌てふためいて頭を下げた。


「す、すみませン、エス・トゥット・ミア・ライト。見苦しい真似ヲ。せっかく話しかけてくださったのニ、ろくに対応もできズ」


「いいって! 一生懸命にしてるアレクシアさん、かっこいいし」


「落ち着いたらスイーツ食べに行こう」


「ヤー。約束でス」


 ペットボトルとバックを持って席を立った彼女は、もう明るく受け答えしていた。


 今日はバイトが入っていないので、夕方稽古をする日だ。学園のある高台を同じ制服を着た自転車に追い越されながら下り、紺碧の海を眼下に臨む海岸沿いの道を歩く。


 道を挟んだ敷地は防風林として松の木が植えられ、針のような葉を潮風に揺らしていた。


 松林と反対の方向に広がる、錆びついた手すり越しの海には白いうねりが見えた。秋になると海が荒れやすくなる。


 そのまま海岸から離れ、住宅街のある方向へと向かう。


 軽自動車と配達のトラックとすれ違う中、閑静な街並みに似合わない車が一台、向かいから走ってくる。

 黒くやけに長い車体に磨き抜かれたスモークガラス。


 いわゆるリムジンという奴だろうか。お金持ちが乗る車の代名詞の一つだ。北辰一刀流では何台か所有しているらしいけど、柳生流で所有しているのはママチャリくらいだ。


 僕とすれ違うとなめらかな動きで歩道に車が寄せられ、スモークガラスが開かれる。

「お話がありまス」


 中から顔をのぞかせたのはアレクシアさんだった。

 


 僕を乗せたリムジンは、そのまま走り出す。バスと違って発進しても止まっても体が揺さぶられず、シート越しのお尻に衝撃が伝わることもない。


「なんで、こんな中で……」


「重要な話は、それなりの場所でするものでス」


 真っ先に浮かんできた疑問に、アレクシアはドライに返した。


 スモークガラスの隙間は見えなかったけれど、今の彼女は制服でなくスーツに着替えている。それも会社勤めの女性が着るようなシンプルなデザインでなく、ブラウスの部分にフリルが付いたおしゃれかつ高級感のあるものだ。


「適当に回ってくださイ」


 アレクシアがガラス越しの運転手に向かい、手を振りながらそう声をかけた。


 同時に運転席と後部座席のガラスの隙間が閉まり、前からの音が完全に聞こえなくなる。


 映画やアニメなどの印象と違って、後部座席は普通の乗用車と基本的には同じ作り。だがシートの柔らかさ、脚の伸ばしやすさなどと言った乗り心地の良さが段違いだ。


「まずハ、先日の無礼をお詫びさせてくださイ」


 隣に座ったアレクシアは、深々と頭を下げた。


「アナタの強さも知らズ、事情も知らズ、大変失礼をしましタ」


「いや、いいよ」


 頭に来なかったと言えば嘘になるけれど、自分がないがしろにされるなんてよくあることだ。


「そこで改めて、アナタの流派、『柳生流剣術』についてお話を伺いたク。調べられるだけは調べましたガ、情報が少ないのデ。それに学園やアヤの家ではゆっくり話もできないでしょうかラ」


 そのためにわざわざリムジンに乗って、高級そうなスーツに着替えるのか?


 疑問に思ったけれど、関心を持ってくれたことは嬉しい。


 成り立ちや流派の歴史について簡単に話すことにした。 


 柳生流剣術。かつては徳川将軍家お抱えの剣の流派で、一万二千石という剣士としては破格の報酬で召し抱えられた家柄だ。


 他の剣士は数百石だったことと比較すれば、石高だけ見れば突出している。


 でもその後の時代の変化に乗り遅れ、明治維新では活躍できず衰退した。今はちっぽけな道場が一つ残っているだけだ。Wikiにすら数行しか説明がない。


「まあ、柳生流に限らず今は古流なんてはやらないけどね」


 漫画やアニメで取り上げられても、競技人口は現代格闘技と比べれば雲泥の差だ。


 競技人口が少なければ儲からないし、食べていけないし、道場を畳むしかない。


 プロ格闘技と違って古流一本では食べていけないことが、何よりの証だ。数百年続く流派の宗家ですら、本業が別にある人がほとんどなのだ。


 例外は北辰一刀流をはじめとするメジャーな流派くらいだ。支部道場も全国にあるし、メディアからの取材、公教育への師範派遣などでだいぶ収入があるという。


 リムジンが学園前に差し掛かった。


 学園近くの公園を通り過ぎると、スモークガラス越しに黒っぽい海が見える。


 小さい頃は、父さん母さんと一緒によく泳いだ。


「でも…… そんなに古流に興味があるなら、なんで北辰一刀流に入門しないの?」


 聖演武祭でもここ数年は常に優勝を勝ち取っているし、認めるのは悔しいけれど名実ともに日本の最強流派だ。


 わざわざ転校初日に見学に行ったから、てっきりそのまま入門してくると思ったけど。


「詳しくは言えませン。でも実際に手合わせしテわかりましタ、アナタの腕前は北辰葵に劣るものではありませン」


 お世辞だろうけど、喜びに胸が疼いた。


 これがクラスメイトだったらひねくれて受け取ったかもしれない。だけど日本人離れした容姿の彼女の口から語られると、本音のように感じられた。


 アレクシアさんは拳を握りしめ、僕の目を見据える。


 彼女の緊張感がありありと伝わってきた。

 

「お願いがありまス。ヘル・ヤギュウ。アナタの道場に入門させてくださイ」


 柳生流剣術に入門したい。その言葉を、父さんが死んで初めて聞くことができた。


 彼女の真摯な表情と態度が、僕の胸を熱くする。父さん母さんが生きていたら、なんと言ってくれるだろう。


 でも、少し思うところはある。北辰一刀流が期待外れだから、代わりに柳生流に入門する、と言っているようにも取れるから。


 でもここまで柳生流に興味を持ってくれたことは、正直嬉しい。


「アレクシア・フォン・シーメンス」


 僕は居住まいを正し、腰に脇差を差している心持で彼女の碧眼を真っ直ぐに見た。


「柳生流宗家、柳生宗太は貴公の入門を了承する」


「有り難きこト」


 言い終わると同時に、彼女は大きく息をつき背もたれに体を沈ませる。表情には喜びと安堵の色が広がっていた。

「ダンケシェーン……」


 胸を反らしたためスーツの下のブラウスにくっきりとしわが寄り、下着の形が浮き出る。金色の髪がその上を流れ、胸の谷間を隠した。


 一息つくと彼女はリムジンの座席のポケットからノートパソコンを取り出し、起動させる。スモークガラスの中でドイツ語と英語、数字が乱舞した。


 リムジンの中でスーツに身を包み、キーボードを叩く彼女の姿は高級車の広告のようだ。クラスの女子がアレクシアさんを格好いい、と評したのもわかる気がする。


 やがてパソコンを閉じて眉間をもみほぐすと、彼女は再び僕に向きなおった。

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