12 魔物の襲来 4
「考えてもみてくださいよ。録音に魔力が通ってると思います? あんなの力不足の聖歌隊への非難を避けるための方便ですよ。あとは魔法省の体面を保つためですかね」
魔法は、魔術師や聖女などの限られた人たちが勉強する特別なものというのが一般認識である。ゆえに国民のほとんどは、魔法について無知なのだ。
属性を問わず魔法を使える者は、世間から一目置かれている。ましてや魔法省の魔術師ともなれば、専門知識を兼ね備えた超エリートである。国王とて、おいそれとは口出しできない。
スラスラと解説するブノワも、祖母の小間使いをしながら徐々に知識を増やしていったのだそうだ。
「それに歌は、楽譜通りに正しく歌えばいいってもんじゃありません。先々代もよくおっしゃっていました。『歌は心だ』と。ルチル聖歌隊の歌は綺麗なだけで、心などありゃしません。ましてや録音したものでは」
「そう……だったのね」
ショックである。そういうことはもっと早く教えて欲しかった。聞いたところで、聖歌放送は領主の義務なのだけれど。
突如、窓の外でパーンと撤退を意味する緑の照明弾が光った。
「トロール一体を討伐完了。陽動作戦中止。西の砦を放棄。第二防衛ラインまで撤退せよ、とのことです」
「何が起こった?!」
部下が読み上げる伝令の内容に、ボランさんは焦りを隠せない。
第二防衛ラインとは、西の砦と本館の間に建っているこの中央砦だ。ゴブリンは苦戦するほど強くない。交戦中だとしても、撤退までの時間が早すぎると思っているのだろう。
「室長……これは、不味いです。まさか……そんな…………」
「どうした?!」
「アルゴスです! トロールの後方にアルゴス……と、もう一体、ヘカトンケイル!」
「何だって!」
報告を聞いて、場が騒然となった。「夜闇だから、見間違えているんじゃないか」との声が上がる。
アルゴスとヘカトンケイルは巨人の魔物だ。トロールよりもずっと強くて賢い。アルゴスは体中にたくさん目がついていて死角がないので、攻撃する隙がない。ヘカトンケイルは腕が何本もある。一夜で王都が滅ぶと言われるほど攻撃力が高い。
共に『魔物の森』の番人と呼ばれている伝説の魔物だ。森の奥深くにいて滅多に姿を現すことはなく、街を襲うことなど歴史上、大昔に一度あったかどうかというくらいだ。しかも二体同時に出現することなど、聞いたことがない。
「これはいけませんな。下手するとベルタン領どころか国が滅びます。『魔物の森』に一体何が起こったのでしょう」
ブノワはとうに覚悟を決めているので冷静な態度である。私はブノワほど人生経験がない。恐怖で足がすくんでいた。
「ど、ど、どうしよう、ブノワ」と、情けない声を漏らす。
「落ち着いてください、ヴィヴィアーヌ様。この領を盾に時間稼ぎして、我が国の聖女が無理なら、他国の聖女の到着を待つしかないでしょうな。あの二体を物理で倒すのは難しいのです。先々代なら一撃で倒せたでしょうが……まあ、今更ジタバタしても始まりません」
この領を盾にするということは、国に被害が及ばないように全滅覚悟で足止めするということで――――私は、既にブノワがベルタン辺境伯領ではなく、国の存亡を考えて意見していることに慄いていた。
後方でも「王都へ通信……」「近隣の領に警報発令……」などと、にわかに動きが活発化している。彼らは絶望的な状況でも、己の職務を全うしようとしているのだ。私もシャンとしなければ。
さりとて、今の私にできることはないのだけれど、でも―――――。
私は手に持っていたシワシワの譜面を伸ばし始めた。
「ヴィヴィアーヌ様?」
ブノワが怪訝そうな表情をしている。
「ロジェ様がね、歌っていいって言ったのよ。このマイクは高性能だから、戦っていても聴こえるって。私の歌を聴きたがっていたから……もう最後かもしれないし、音痴でもいいと思う?」
「もちろんですとも。歌は心です。こちらをお使いください。爺は新しいレモネードを淹れて参ります」
ブノワが、私の聖歌集を懐から取り出した。持って来ていたのだ。
私は、馴染みのある少し茶ばんだ歌集のページを丁寧に捲った。
どの歌にしようか。
やっぱりロジェ様が褒めていたという、歌唱力審査で歌った『聖なる清めの一撃』は外せない。あの時は、最後まで歌えなかったから。
その前に、ウォーミングアップで『魔よけの雷』か『聖なるオーロラ』。これは基本だからね。
『百目の子守歌』もゆっくりで優しい感じがして好き。『静かなる心』もいい。
ラストは『聖なる癒し』。幼い頃、祖母が「おつかれさま」の歌だから、最後に必ず歌うと笑っていたのを憶えている。
よくよく振り返ってみれば、祖母が病に倒れて代わりの音楽教師がやって来るまでは、私は誰に怒られることなく自由に歌っていたのだ。
「奥様っ! まだいらしたんですか」
いきなり、思考を遮られた。
声のした方に視線を向けると、血まみれのアルシェさんだった。西の砦から退却して来たばかりらしい。黒い軍服だから目立たないが、よく見ると指の先まで赤く染まっていた。
「アルシェさん、血が」
「返り血ですのでご心配なく。それより早く避難しないと――ここにいるのがロジェのヤツに知れたら俺が殺されます」
「ロジェ様は?」
「まだ西の砦ですが無事です。さ、早く」
有無を言わさぬ口調である。このまま無理に連れ出されては堪らないと、私も声を振り絞った。




