第22章 Kの韜晦
《ミナカヌシ6号》は太平洋上に浮かぶ人工島だった。
しかしその巨大さから島とされるだけで、見方によっては戦艦だ。水上を推進できるのだ。
姉ヶ崎姫香は電脳眼鏡にうつる仮想キーボードの操作に慣れてきた。
第三情報室は《ミナカヌシ6号》のほぼ中央に位置し、通常のPCの他、サーバーやスーパー・コンピュータも複数並んでいる。
目の前の仮想ディスプレイには黒田俊二がうつっている。
スカイプで通信しているのだ。
「とりあえず」黒田が言う。「今回の原稿料は満州共和国内の口座に支払っておく。ジャパン共和国内の銀行はどこも使えなかった。
満州共和国は永世中立国だから、君みたいなジャパン共和国の犯罪者にも預金封鎖はしないんだ」
「犯罪者?」姫香が言う。「それってひどくないですか?」
「何のんきなことを言ってるんだ。君の指名手配写真がすぐそこの電信柱にも貼ってあるよ。
振込総額は2000カズマだ。それとも日本円がいいかな」
「どちらでもいいです」
満州共和国の銀行口座は霧島カズマ名義だった。
Kによれば、自分で作った覚えがなく、おそらくまだここが中国の領土だった頃、磯崎たちが昔作った口座とのことだ。
全長840メートル、幅580メートル、高さ80メートル、喫水10メートルの人工島。
イージス・システムを備えているが、戦艦にしてはやや寸胴だ。
《ミナカヌシ6号》は、真日本帝国が秘密裡の建設した海上要塞だが、太平洋上の放置したままになっていた。
なぜ磯崎たちがこれを放置したままにしているのか、Kにはわからなかった。
《ガイア1号》に没入したときに、《ミナカヌシ6号》の存在を知ったが、放置した理由まではネットに落ちてなかった。
甲板には巨大な透明ガラスのドームがあり、食用の様々な農作物が栽培されている他、牧畜や植林、魚の養殖用プールもあり、十数人程度の食料は完全自給できた。
しかもロボットがほぼ全自動でこれらの農林水産業を行うのである。
採掘装置を持ち、海底の石油や天然ガスを入手する他、開閉式ソーラパネルなど各種自家発電装置を備えており、エネルギーは完全自給が可能だった。
採掘装置はまた海洋鉱物資源の入手にも利用できた。
上水は海水を淡水化して得る他、雨水を利用するシステムも備えていた。
艦内はロボットのよるオートメーション工場があり、ほぼあらゆる種類の工業製品を自給できた。
医療室ではロボットによる全自動医科歯科サービスが利用でき、問診の全知識は《ガイア1号》が修得していた。
つまり《ミナカヌシ6号》は完全な自給自足が可能であり、少人数なら、貨幣経済に頼らずに人間が暮らすことのできる人工島なのだ。
もちろん紙幣を印刷したり、硬貨を鋳造したりすることは艦内の工場で可能だった。
ここに暮らす住民が生活のためにしなくてはならない唯一の仕事は、これらのオートメーションシステムを監視し、不具合がないか点検することだけだった。
Kは《ミナカヌシ6号》を気に入っていた。
「マーシャル、夕飯の時間よ」《ガイア1号》の声が天井から響く。「今日は何を食べたいの?それとも、わたしが献立を提案した方がいいかしら?」
ダイニング・キッチン室は電脳潜水空母《スサノウ3号》のそれとはくらべものにならないくらい豪華だが、姫香の気持ちは虚ろだった。
広い空間に赤い絨毯が敷かれ、テーブルにはKが姫香と向き合って座っている。
「姫香さんはどうする?」Kが訊く。「ぼくは君と同じでいい」
この人工島に来てからKが自分のことを”君”と呼ぶようになったのを姫香は気づいていた。
それをうれしく思うこともあったが、今はちがった。
「じゃあ、そうねえ」姫香が言う。「たらこスパゲティーでもいただこうかしら」
「ガイア、たらこスパゲティーを二つ頼むよ」
しばらくすると、黒いマネキン人形がスパゲティーを二つ運んでくる。人形に形状変身した人型電脳戦闘機《アマテラス2号》だ。
「いつ東京に帰れるの?」
姫香がふと口を開く。
「帰る?姫香さん、ここが君の家だよ。なぜ帰る必要があるの?」
「冗談じゃないわ。わたし帰りたいのよ」
「もうジャパン共和国には戻らない方がいいよ。君はあの国では指名手配犯なんだし・・・」
「そんなあ、親だって千葉に住んでるのよ」
「じゃあこう考えて。この戦艦は一つの独立国家だ。ジャパン共和国でも真日本帝国でもない」
「わたしと君しかいないのよ。国のわけないじゃない。それに何ていう名前の国なのよ」
「考えたんだけど・・・・。ぼくたちがいまいるこの場所だけど、”日本”という名前の国でいいんじゃないかなあ。
すでに日本は消滅した。
だからこそ、ぼくたちが今もう一度、”日本”を名乗ってもいいんじゃないかな。
ぼくたち二人が本当の”日本人”なんだ。
二人しかいないから、ぼくが日本の天皇で、君が皇后というのはどうかなあ」
姫香は音をたててフォークを皿に置く。
「ちょっと君、勘違いしないで。
君には何回も命を助けてもらっている。それは感謝してるわ。
でも、わたしは君のお嫁さんになるつもりはないの」
姫香は立ち上がり、ダイニング・キッチン室を後にする。
Kが後を追う。
「姫香さん、ぼくのこと嫌いなの?」
廊下で姫香は立ちどまる。
振り返るとKは泣いているようだ。
カズマ君って、わがまま坊やだと思ってたけど、わりとナイーブなのかしら。
少年なのに周囲から国家元首ともれはやされ、いつも一日中一人で潜水艦で時間を過ごしているなんて、きっと精神的にも普通の男の子じゃないわ。
姫香は目の前で泣いている少年が、無償にかわしらしく思えてくる。
「もう泣かないで」姫香がKの肩を叩く。「”日本の天皇”がそんなに泣き虫でどうするの?」
「・・・・」
「だけど、とにかく東京には一度は帰してもらうわよ」




