第20章 Kの恍惚
「しばらく、ここで暮らした方がいいよ」Kが言う。「食糧はあるし、一週間は暮らせるかな」
姉ヶ崎姫香は落ち着かなかった。
電脳潜水空母《スサノウ3号》の中は、それほど狭くなかったが、こんなところに一週間も閉じ込められるのは耐えられない。
パトカーから脱出した後、人型電脳戦闘機《アマテラス2号》は姫香を東京湾に連れてきた。
スサノウ3号が東京湾の海上へ浮上しており、アマテラス2号はそこに姫香を降ろした。
出迎えたKはハッチから姫香を潜水艦の中へ案内した。
「東京に戻ると危険だよ。姫香さんは指名手配されてる。さっき、警察のサーバーに侵入してみたから間違いないよ」
「警察のサーバー?そんなことできるの?」
「実は最近、ガイアに没入する技術を修得したんだ。つまり、地球上のあらゆるコンピュータ・ネットワークを、ぼくはほとんどすべて覗き見できるんだ。まあ全知全能の神様みたなもんだよ」
真日本帝国の軍事用AI《ガイア1号》のことは、これまでKから聞かされていた。
Kの話では、軍事開発技術本部がセキュリティーシステムを解除しないと、本来、《ガイア1号》には没入できないが、一番最初に没入したときにパスワードを盗み出したので、セキュリティーシステムが有効なときでも自由に没入できるようになった、ということだった。
リラクゼーション室は中央にアイソレーション・タンクが置かれた殺風景な部屋だった。
「浦島桃子博士の遠隔ニュークリア装置の件だけど」Kが言う。「結局、姫香さんの雑誌では当局が差し押さえて発表できなかったみたいだね」
「どうしてそんなこと知ってるの?」
「さっき言ったでしょう。ぼくは全知全能の神様になったんだ。
何でもお見通しなんだ。姫香さんが出版社を解雇されてフリーになったことも」
「驚いたわ」
「そんなことより、遠隔ニュークリア装置の情報をネットに拡散することが重要だよ。
世界中の、特に発展途上国の政府機関や科学技術機関、民間のSNS、マスメディアにバラまくんだ。
そうすればこの世から核兵器が根絶できる」
「うまくいくかしら。大手マスメディアはまちがいなく政府に情報操作されているのよ。
核保有国の政府は遠隔ニュークリア装置が発展途上国に普及することを阻止するはずよ。
PCでネットに拡散しても、すぐに消されてしまうわ」
「だからガイアと一体化してばら撒くんだよ。普通のPCとちがって、ガイアなら消される前にうまく立ち回れるよ」
Kはリラクゼーション室に姫香を残し、電脳戦闘服に着替え、一人で司令室に入る。
「遠隔ニュークリア装置の設計データだけど」Kが言う。「ガイアは持ってる?」
「マーシャルの個人データとして、スサノウ内のサーバーにセーブしてあるわ」
「じゃあ、これから君に没入するけど、データを見やすい場所に出してくれない?」
「わかったわ」
Kは操縦席に座る。
《ガイア1号》への没入はこれまでのとの電脳装置への没入よりも刺激的だった。
1と〇で構成される宇宙空間がKの全身を取り囲む。
そこには時間や空間の概念はなかった。
無限大とゼロの区別はなく、あらゆる公理体系がそこでは破綻していた。
Kの全身は透明だった。
あらゆるデータがKの全身を通過していく。
今、Kの目の前に一つの原子がある。
原子の周囲を電子が回り、それが集まって分子を作り、分子は物質を構成する。
これらの物質は地球の一部であり、地球は太陽の周りを回り、やがてそれは原子と電子の関係になる。
銀河系は分子を作り、それは物質を構成する。
宇宙はいくつものミクロコスモスとマクロコスモスの連続体だった。
光が見える。
光はKと一体となり、七色に輝く。
Kは宇宙に秘められた奥義のすべてを理解した。
Kは歓喜した。
宇宙全体が限りなく透明になっていく・・・・・。
ダイニング・キッチン室でKはトマトジュースを一気に飲んだ。
「気分はどう?」姫香が訊く。「顔色はいいみたいだけど」
リラクゼーション室に戻ってくると、Kは姫香の目の前でいきなり電脳戦闘服を脱いで全裸になり、何も言わずにアイソレーション・タンクの中に飛び込んだ。
二〇分後、Kはアイソレーション・タンクから出ると普段着に着替え、ほとんど無言のまま姫香をダイニング・キッチン室に連れてきた。
姫香は自分で淹れたコーヒーをすする。
何が起きているのか見当もつかない。
「遠隔リニューアル装置だけど」Kが口を開く。「なんとか無事、世界中に拡散できそうだ。きっと世界は変わるよ。核兵器のない社会の到来だ」
「本当?」
「それからぼくたちの新しい住居も見つかりそうだ。
実は真日本帝国は太平洋上にウォーターフロントの海上要塞を建設したんだ。
誰もいないみたいだから、ぼくたち住めるよ」
「ちょっと待って。あたし、早く東京に帰りたいのよ」
「それはやめた方がいい。逮捕されるよ」
「君は有明のビルに帰らないの?」
「あそこは危険だ。磯さんがぼくの命を狙ってる」




