第14話 富沢橋
富沢橋を架けたのは、一人の名士だということになっている。
橋のたもとには、私の胸ほどの高さの石碑が立っている。
『富沢栄吉翁顕彰碑』
文字の彫られた面は南を向き、晴れた日はよく日が当たる。碑が建てられたのは昭和三十年代だが、そこに記された話はもっと古い。
明治九年、富沢栄吉が私財を投じて石橋の建設を発案し、自ら工事を指揮した。街の発展を願ったその功績を、後世に伝えるための碑だ。
「先生、こっちから撮ると文字が読めます」
田所俊介が、スマートフォンをかざしていた。
「もう少し右。木の影が入ってる」
「このへんですか」
「そう。それでいいわ」
田所は私の研究室の大学院生で、古い文書にもかなり慣れてきた。
私、柏木恭子は明治期の政治史を専門にしているが、この街の歴史そのものを研究してきたわけではない。
ただ、ここには二十年以上暮らしている。娘を保育園に送っていた頃は、毎朝この橋を渡った。富沢橋も、富沢栄吉の名も、日常の一部だった。
「それにしても、小さな橋ですね」
田所が川を見下ろした。
幅は人が二人並んで通れるほど。十メートルあまりの石造りのアーチ橋で、車は通れない。少し下流には、もっと広い新しい橋がある。
側面の石は川の湿気で黒ずみ、苔が筋を引いていた。
「昔はこの橋が大事な道だったのよ。荷物を運ぶにも、向こうの学校へ通うにも」
「今はほとんど歩行者だけですか」
「そうね。でも、なくなると困る人はいると思う」
ちょうど自転車を押した男性が渡ってきた。私たちは欄干の外側に寄り、道を譲った。
富沢橋は老朽化を理由に撤去が検討されている。
私は、富沢栄吉の曾孫にあたる佐和子さんに誘われ、「富沢翁の橋を守る会」に参加した。代表は佐和子さんで、何十人かが仕事や家事の合間に署名を集め、市に再調査を求めている。
ただ、撤去に賛成する人もいる。安全性を心配する声は当然だった。街に住む全員が、古い橋に特別な愛着を持っているわけでもない。
「会の資料、これからまとめます?」
「ええ。市の審議会に、残す価値のある橋だと示さないといけないの。構造は専門家の報告を待つしかないけど、歴史のほうは私たちの出番」
「富沢栄吉の橋だって、みんな知ってますよね」
「もちろん。でも、誰でも知っている話を並べるだけじゃ、審議会の人たちも読み流すでしょう。まだ知られていない話が一つでも出てくれば、資料にずっと厚みが出るわ」
私はもう一度、石碑を見た。
『翁、私財を以て架橋を成し、往来の便を開く』
富沢栄吉は、この街の人々がよく知る名士だった。図書館前にも銅像がある。橋を架けただけではなく、学校や商いの発展にも力を貸したという。
守る会のチラシにも、その功績が紹介されていた。文面を書いたのは、佐和子さんだった。
「碑文の写真、送っておきます」
「ありがとう。あとは図書館へ寄りましょう」
* * *
図書館で郷土史の本を数冊借り、外へ出た頃には昼を過ぎていた。
「先生、お昼はどうします?」
「この辺りに、入ったことのないお店があるのよ」
大通りから一本入った路地を歩くと、小さな看板が見えた。
『ごはん屋 なつこ』
引き戸を開けると、出汁の香りがした。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうに、髪をまとめた女将が立っている。カウンターの木は飴色に変わり、縁が丸くすり減っていた。
「二人です」
「どうぞ。今日は焼きおにぎりとけんちん汁がおすすめですよ」
田所がメニューを見た。
「僕、それにします」
「私も同じものを」
女将は小さく頷いて、厨房に戻った。
運ばれてきた盆には、焼きおにぎりが二つと、湯気の立つけんちん汁。小皿の漬物も添えられている。
まず汁を飲んだ。ごぼうの香りが立ち、大根と里芋が柔らかく煮えている。豆腐をすくうと、ごま油の香りがほのかにした。
おにぎりの表面には、醤油の焼けた色がむらなくついていた。手に持つと、指先が温かい。
ひと口かじる。
表面が軽く割れ、中からほぐれた米が出てきた。少し焦げたところが香ばしい。
「これ、おいしいですね」
田所が言ったので、私は頷いた。
もうひと口食べようとしたとき、割れ目から白い湯気が上がった。
湯気が、光った。
湯気はいつまでも消えず、おにぎりを持つ自分の指を隠した。田所の声も、厨房の物音も、白い光の向こうへ遠ざかった。
代わりに聞こえてきたのは、硬いものを叩く音だった。
――水谷喜一の記憶――
鑿を握る手が痛む。
さっきから同じ石に向かっている。ひと打ちするたび、白い欠片が膝の上に落ちた。
川の向こうでは、男たちが縄を引いている。掛け声が上がり、大きな石がわずかに動いた。
「喜一、まだか」
「あと少しだ」
目の前の石には、文字を刻むための薄い線が引かれていた。
ひと文字ずつ鑿を当てる。線から外れないように、少しずつ削った。
「そんな細けえ字、あとで読めるのか」
「さあな。俺は頼まれた通り彫るだけだ」
相手は笑いもせず、川のほうへ戻っていった。
少しして、向こう岸から声がした。
「明日は西組だったな」
「ああ、そう聞いてる」
誰かが返事をした。
腹が減ったので、手を止めた。
布の包みには、米に麦が混じったおにぎりが二つ入っている。漬物をひと切れつまみ、それからおにぎりにかぶりついた。
塩がよくきいていた。
川風が吹き、手の甲についた石の粉をさらっていく。
白い粉が陽を受け、目の前で光った。
* * *
「先生?」
はっとして顔を上げた。
田所が箸を止めている。
「大丈夫ですか」
「……ええ」
私はまだ、おにぎりを手に持っていた。
「急に黙ったので」
「考えごとをしていたみたい」
そう答えて、皿に戻した。
夢を見た、という感じではなかった。あの石の硬さも、指の痛みも、今でもはっきり分かる。
喜一。
自分の知らない名前まで、なぜ覚えているのだろう。
私はけんちん汁を飲んだ。味は変わらず、よくできていた。
「田所くん」
「はい」
「食べ終わったら、もう一度橋へ行きましょう」
「何か見落としましたか」
「確かめたいところがあるの」
会計を済ませると、女将が顔を上げた。
「ありがとうございました。またどうぞ」
* * *
石碑の前では、小さな子供を連れた女性が写真を撮っていた。
私たちは橋の下へ続く遊歩道に降りた。
「どこを探すんです?」
「橋の側面。長方形の石が並んでいるでしょう」
私は記憶の中の石を思い浮かべた。
あの石が、橋のどこに据えられたのかは分からない。けれど、文字を彫った石なら、人の目に触れる面に組み込まれたはずだ。
低い位置の石は苔や汚れに覆われ、近づいてもよく見えない。
「文字があるように見えません?」
田所が膝を折った。
「……ありますね。彫り跡でしょうか」
彼はスマートフォンで写真を撮り、拡大した。
「一文字目は『稲』ですかね」
指先に、鑿の重みが戻ってきた。
「二文字目は」
「『村』……だと思います。先生、どうしてここに字があるって?」
私は答えられなかった。
写真の中の二文字は、「稲村」と読めた。
あの石だ、と思った。確かめる方法は、何もなかった。
別の石にも彫り跡があったが、ほとんど読めなかった。
「これは富沢さんの名じゃありませんね」
「そうね」
「職人の名前でしょうか」
「分からない。でも、調べられるかもしれない」
その日の午後、図書館で古い地図を開くと、橋からそれほど離れていない場所に稲村家の屋敷が記されていた。今も古い商家の建物が残る家だった。
佐和子さんに事情を話すと、当主に話を通してくれた。
* * *
「橋にうちの名前があるんですか」
稲村家の当主は、田所の撮った写真を見て驚いた。
「私も知りませんでした。ご先祖が工事に関わっていたのかもしれません」
「昔の書き物なら、蔵にいくらか残っていますよ。祖父がまとめて箱に入れたものですが」
私たちは許可をもらい、箱の中身を確かめた。
古い帳面、手紙、金銭の控え。年代が違うものも入り混じっている。
田所は写真を撮りながら、日付を付箋に書き出した。私は紙の状態を見て、一枚ずつめくった。
昼を過ぎた頃、富沢栄吉の署名がある手紙が出てきた。
「先生、富沢ですよ」
「本当ね」
稲村家の先祖に宛てた書状だった。
「富沢さんのお宅とは、昔から商いのお付き合いがあったそうです。うちは問屋でしたから。富沢さんのところは、生糸を横浜から海外へ出していたと聞いています」
様子を見に来た当主が、そう言った。
明治九年七月。差出地はパリ。
最初は何気なく読み進めた。異国の様子と、帰国までにはまだ時間がかかりそうだという近況が書かれていた。
私は日付を見直した。
「田所くん、さっきの碑文の写真を出して」
彼が画面を開いた。
『明治九年、翁自ら架橋の計を起こし、造営を指揮す』
「七月には、工事はもう進んでいたはずです」
「そうね」
私たちはほかの箱も調べた。
前年の暮れに届いた便り。翌年の春に届いた便り。どれも海外からのものだった。
少なくとも工事のあいだ、富沢は日本にいなかったことになる。
田所が、画面に映った石碑の文字と、手元の手紙を何度も見比べた。
「これ……碑に書いてあることと違いますよね」
私は返事をせず、手紙の上に薄紙を戻した。
日付の読み違いなら、まだよかった。
だが、三通とも署名は同じで、差出地と年月がはっきりしている。
「いったん写真を全部整理しましょう」
ようやく、それだけ言った。
* * *
翌週、田所が海外渡航の記録を当たった。富沢はやはり、工事のあいだ日本にいなかった。
「先生、これを会の人たちに伝えますか」
机の隅には、保存運動のチラシがあった。
富沢栄吉が私財を投じて建設した橋。その言葉を、私は何の疑いもなく読んできた。
「まだよ。分かっていることが、まだ少ない」
橋にまったく関わらなかったと断定できる資料はない。だが、自ら計画し工事を指揮したという話は、もう成り立たない。
図書館前を通ると、富沢の銅像が目に入った。
その下で、学生らしい二人が待ち合わせをしている。買い物帰りの人が通り過ぎ、誰も銅像を見上げなかった。
私は立ち止まってしまった。
「先生?」
「橋がなくなったら、あの銅像の話だけが残るのね」
田所は銅像を見た。
「なくさないために、動いてるんじゃないですか」
「そうね。そうだったわね」
少し先の市民センターでは、保存運動の打ち合わせが始まる時間だった。
私は歩き出した。
* * *
会合では、市に提出する資料の確認をした。
追加の安全調査を求める要望書、署名の集計、他の地域で石橋を補修した事例。
私も配布資料をまとめた。田所は枚数を数え、不足した分をコピーしに行った。
保存を求める人々の中には、橋を渡って学校に通ったという年配の人もいる。橋の近くで店を営む人もいる。最近越してきて、散歩で橋を気に入ったという若い夫婦もいた。
富沢の名前を知らない人だっている。
会が終わり、皆が椅子を片づけ始めた。
私は、チラシの束の角を何度も揃えていた。
「先生、そちら持ちます」
戻ってきた田所が半分を受け取った。
「ありがとう」
出口で、佐和子さんが残ったチラシを配っていた。
「ひいおじいさんの橋だからね。自分で石を運んだんですって。祖母がよく話してくれたの」
佐和子さんは、チラシの束を胸に抱え直した。
「最後まで頑張らないと」
頬を上気させたまま、私にも一枚差し出した。
受け取ったチラシの、富沢栄吉の名前の上に、私の親指が乗っていた。
* * *
富沢橋の石に刻まれた「稲村」の写真を、私は机の上に置いていた。
何度見ても、あの鑿の音が甦ってくる。
水谷喜一が見た川辺。運ばれていた石。掌の上のおにぎり。
それから、誰かの声。
『明日は西組だったな』
私はノートにその言葉を書いた。
どこかで、同じ字を見た気がした。
稲村家で撮った写真を、一枚ずつ戻していく。金銭の控えの端に、小さく『西組』と書かれたものがあった。
「西組……」
田所が手を止めた。
「何ですか」
「昔、この辺りに西組という区分がなかったか調べてくれる?」
「当たってみます」
その日の夕方、彼が古い村の図面を持ってきた。
「ありました。西組という区分が。東組と北組もあります」
紙の上には、今の道路とは少し違う町並みが描かれていた。
「この名前で、残っている資料は?」
「目録に何冊か載っています。市の資料整理室に。『西組諸記録』、内容は『未整理』とだけ」
「橋の名前では?」
「出てきません。富沢でも、橋でも」
町史を編んだ人たちも、きっと「富沢」や「橋」で探したのだろう。
翌週、二人で閲覧の予約を取った。
係の人が奥から運んできたのは、埃をかぶった箱だった。閲覧票の記入欄は、一行も埋まっていなかった。
中には、長く紐で綴じられた帳面が入っていた。結び目は固く、ほどくのに少し手間取った。
田所が表紙を読んだ。
「『橋普請』……ですね」
私は隣で、最初の頁を開いた。
組ごとに、家の名前と金額が並んでいた。
その下には、木材、石、縄、米。さらに別の帳面には、日付ごとに人足の人数が記されている。
西組、東組、北組。
田所が、資料を指で追った。
「先生、この名前」
稲村。
続いて、私たちが橋の側面で読めなかった別の家の名も出てきた。
私は写真を取り出した。石の彫り跡と、帳面の名を見比べる。
「同じ……」
声が漏れた。
頁をめくると、現金を出した家と、働き手を出した家が並んでいた。何度も出てくる名前がある。石を運んだ日数だけ記され、金額の欄が空白の家もある。
人足の控えの終わり近くに、一行だけ、職人の名があった。
石工 水谷喜一。
金額の欄は空いていて、代わりに「米」とだけ書き添えてあった。
別の控えには、橋の工事に使った金の出入りがあった。各組から集めた金と品物が、資材の購入や石工への支払いに充てられている。
私たちは帳面を突き合わせた。
工事費は住民たちの拠出で賄われていた。国や県からの補助金を受けた形跡はなく、帳尻も合っていた。
「富沢さんの名前は……」
田所が頁を戻した。
西組の列の中ほどに、一行だけあった。
富沢 金五円。
ほかの家と、同じ大きさの字だった。
私は手を伸ばし、次の帳面を開いた。
そこにも、同じように家の名が並んでいる。
誰か一人の名前を探していたはずなのに、目に入るのは、数え切れない人の名前ばかりだった。
私は、記憶の中の石を思い出した。
鑿の先でたどった、あの二つの文字。
田所が何か言いかけて、やめた。
私も黙って、帳面を見つめた。
帰りに、橋のたもとの石碑の裏へ回った。
『昭和三十二年建立 発起人 富沢栄一郎』
栄吉の孫の名だった。
百五十年のあいだに、帳面の名前は蔵にしまわれ、碑の名前だけが日に当たり続けた。
* * *
保存運動の会合の日、田所と二人で市民センターへ行った。
机には、署名用紙が何束も積まれていた。
田所が一束を持ち上げた。
「これ、僕が集計します」
「お願い。私は向こうの資料を見てくる」
彼が紙を揃えた拍子に、一枚が滑り落ちた。
私は拾い上げ、机に戻そうとした。
名前。地区。日付。
昼間まで見ていた、あの帳面の頁が頭に浮かんだ。
目の前では、誰かが署名を数えている。別の誰かが補修の資料を運んでいる。
私は署名用紙を、そっと束の上に戻した。
「先生、そっちは終わりました?」
「ええ」
田所が顔を上げた。
「どうしました」
「……何でもない。続きをお願い」
私は立ち上がり、窓の外を見た。
遠くに、川沿いの並木が見えていた。
* * *
市は追加の安全調査の結果を公表した。石材の傷んだ部分を補修すれば、歩行者用の橋として残せる見込みがあるという。
残せる、と、残す、は違う。補修には費用がかかる。それに見合う橋かどうかを決めるのは、審議会だった。
会は補修案を提出し、市との協議を続けることになった。
審議会に出した歴史の資料に、碑文と町史の記述は引かなかった。載せたのは、この橋を渡って学校へ通った人たちの話と、各地で石橋が補修された例だった。
最後に、一行だけ書き足した。
『橋の側面の石材には、工事に関わった人々のものと思われる名が刻まれている。現在では、その大半が判読困難である』
西組の帳面の写しは、入れなかった。
田所と研究室へ戻った夜、私は集めた資料を机に広げた。
稲村家の手紙。西組の帳面。橋に刻まれた名前の写真。
田所が椅子を引いた。
「先生、論文にするんですか」
「小さな地域史の報告にはできると思う」
「そうですよね。史料も揃っていますし」
私はパソコンを開いた。
「……先生?」
「何?」
「発表したくないんですか」
すぐには答えられなかった。
「正確に書くことはできるわ。けれど、それを今、この街で公表することが何につながるのかは分からない」
田所は手紙の写しに目を落とした。
「反対されるでしょうか」
「人によると思う。気にしない人も、受け入れる人もいるでしょうね」
「それでも、揉めるかもしれない」
私は頷いた。
「でも、誤りだと分かっていて、黙っていていいんでしょうか」
チラシを差し出した佐和子さんの、上気した頬が浮かんだ。
「この橋を残そうって集まった人たちの真ん中には、富沢栄吉の名前があるの。チラシにも、要望書にも」
言いかけて、やめた。
田所が続きを待っている。
「今、碑文が間違っていると言い出したら、その誤りを差し出すのは私たちのほうになるのよ」
「先生が見つけたのは、いい話でもありますよね」
「そうね」
私は石に刻まれた文字の写真を手に取った。
「だから、余計に迷うのよ」
田所はしばらく黙っていた。
「資料は残しますよね」
「もちろん」
私は新しい文書を開き、題名を入力した。
『富沢橋の建設に関する調査覚書』
その下に、調べた資料の出所と日付を書き始めた。
公表するためではなく、まず、確かめたことを残すために。
* * *
ひと月後、富沢橋は補修して保存されることになった。
市民センターの掲示板に、その知らせが貼り出された。
会の人たちは喜び、互いに頭を下げたり、手を握ったりしていた。
佐和子さんが、私の手を両手で包んだ。
「あなたが資料をまとめてくれたおかげよ」
私も、その手を握り返した。
帰り道、田所と橋に寄った。
たもとの石碑は、いつものように夕日に照らされていた。
『富沢栄吉翁顕彰碑』
田所は碑を見て、それから私を見た。
「先生、あれは」
「今は、あのままでいいと思う」
彼は頷かなかった。反対もしなかった。
私たちは橋へ上がった。
向こう岸から、ランドセルを背負った子供が二人歩いてくる。欄干の上を指でなぞりながら、何か話していた。
娘も、ああやって欄干をなぞりながら渡っていた。
私は二人をよけて立ち止まり、足元の石を見た。
ここを渡る人のほとんどは、この橋の石に名前が彫られていることを知らない。
その文字を刻んだ喜一自身の名前が、橋の石には見当たらないことも。
田所は欄干から身を乗り出し、橋の側面の石を、一枚ずつ写真に収めていた。
「先生の覚書、僕にも一部ください」
「どうするの」
「持っておきます。いつか、要るときが来るかもしれないので」
私は、頷いた。
川の水音を聞きながら、私は橋を渡った。
――了――




