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夢見がちなご令嬢と悪役令嬢(?)な私

 いつもの昼下がりいつもの日常。結婚すれば、悠々自適な自堕落ヒッキー生活……の、はずだった。


「はぁ……」


 我が弟エイドリアンの疲れ切った顔を見るまでは。会話が途切れた途端漏れる溜息。どうかしたのと聞いても、何でもありませんと憂い顔で微笑むばかり。

 いや、何でもないわけがないでしょう。一体何があったのかしら?


 エイドリアンが公爵家に入り浸るのはもう日常茶飯事のこととなってきたけれど、会話が途切れた途端溜息を吐いたのは初めてだわ。旦那様がいない時間に来ては、いかに自分の方が長く私といられたかと自慢して旦那様を凹ませるのが最近の習慣になっていたのに。

 本当、凹んだ旦那様を慰めるのがうざく……ではなく、とてもかわいそうだったから、今日こそはそんな子供みたいなことはやめて欲しいと言うつもりだった。けれどそんな顔をされては、注意もできないわ。


「それでは姉上、また明日来ます」

「明日は授業があるでしょう?」

「……そうでした」


 気付いてすぐまた溜息。本当にもう、どうしたのかしら。

 早く帰城するよう言われていたエイドリアンは、旦那様をからかうこともなく帰っていく。その後ろ姿に疲労が見え隠れして……姉として心配で居ても立ってもいられない。侍女のクレアに調べさせようとしたのだけれど、どうやら彼女はある噂を小耳に挟んでいたようで。


「え? エイドリアンがご学友に悩まされている、ですって?」

「はい、私も噂を耳にしただけなので確かなことは分かりませんが、どうやらそのことで少し困ったことになっているようなのです」


 困ったこと、とは一体何なのかしら。いかにシスコンを拗らせていても、腐ってもこの帝国の皇太子。帝国の威厳を保たなければならない立場。勿論、シスコンだという事実は秘匿すべき最重要機密なのだけど、まさか守勢術を心得ているはずのあの子の恥部が露呈してしまったのかしら!? と危惧したのだけど、そうではなかった。


「ある男爵令嬢が、皇太子殿下を追い掛け回……いえ、偶然遭遇しては、その度に事件を起こしているそうなのです」


 ……ん? 事件? というか、追い掛け回しているって言おうとしていなかった? 一体何が起きているの?

 こんなクレアは珍しいわね。中立的な人格者なのに、そのような言葉を使うだなんて。余程、そのご令嬢の素行に不信感を抱いているということかしら。まぁ確かに、あんなエイドリアンの顔を見てしまっては私も心配になってしまうけれど。


 はぁ、これから先もゆったりと、病弱を理由に交流を絶って生きていこうと思っていた。公爵夫人として行うべき社交界やお茶会など、交流すべき事態を避けて生きていきたいのが本音。だけど可愛い弟の窮地に、何もしない姉でいたくはない。

 まだ少し、人の多い場所に公爵夫人の立場で近付くのは怖いのだけど……騎士団に赴いた時のように、奮起すればきっと行けるはずよ。あの時は売り言葉に買い言葉だったけれど、思った以上に不安はなかったのだし。


 そう、失念していたわ。私はアリアナであると同時にサキでもある。トラウマと罪悪感に押し潰されていても、活発な性格のサキなのよ。予想外の婚姻だったけれど、旦那様との仲も悪くはない。私のことを思ってくれている人達にも囲まれている。

 大丈夫。きっと……似非皇女の似非公爵夫人だと思われるような失態は犯さないはず!! 貞淑な婦女子としての教育はきちんとされているから、恐らく大丈夫!!


 そこを心配する必要があるか、と思われるかもしれないけれど、本当に心配なのよ。だって、引き籠っている間にどんどん皇女像が肥大化して、それもうアリアナ皇女という名の私ではない誰かなのですが、なイメージ像で国内外に広まってしまったのだもの!

 帝国内にある複数の学び舎の中でも、王侯貴族が多く通っている学園にエイドリアンは通っている。当然そこには、架空の生き物と化したアリアナ皇女像を想像している方達が多いわけで……失態は許されない。決して!

 彼等の理想像を壊さないように振舞わなくては!!






 旦那様には事の次第を説明し、エイドリアンの通う学園へと向かうことにした。とはいえ、まさか昨日の今日で訪れることになるとは思わなかったわ。きっと学園の方は今頃大騒ぎね。立場のある公爵夫妻が突然訪ねて来るなんて、学園側からしたら勘弁してくれよ、な事態でしょうから。どうか許して。

 件の事件以降、旦那様のいない状況で外出はできなくなったため旦那様の休暇を利用しての視察名目で来てみたけれど……視線という視線が、すべて私達に向けられている気がする。

 はぁ、もうすでに帰りたい。けれど、ここまで来て帰るなんておかしいし……


 不安を表情には出さずにいたけど、目聡く気付いた旦那様に気遣われた。


「大丈夫かい? 気分が悪くなったら遠慮せずに言っていいからね? すぐにでも、今すぐにでも抱きかかえて帰ってあげるから」

「はい、旦那様」


 圧が凄い。すぐにでも、に今を付け加えて二回言ったわよ? どれだけ私を連れ帰ろうとしていらっしゃるの?

 笑顔なのに、念の押し方が異常。来たばかりだというのに、もう私を帰らせようとしているのはなんで? いつも以上に密着したエスコートなのも気になるわ。まるで、鉄壁のガードをされている気分。


 学園長や講師のドワイド卿やオブライアン伯爵まで出て来て案内をされたけれど、特別問題があるようには見えない。ご令嬢に悩まされているのはエイドリアンだけで、学園内の風紀に問題はないみたいね。まぁ、皇太子だから仕方ないわ。立場的にも、婚約者がいないという点でも、ご令嬢の興味を引いてしまうでしょうから。

 エイドリアンの学園での様子はどうですかと聞こうとしたその時、ミレニアム公爵夫妻の訪問という噂を聞きつけたエイドリアンに見つかってしまう。あら、まぁ。せっかく、授業中なのを見計らってきたのに。

 走ってきたのか、少し息が上がっていた。


「姉上! どうして!」


 うーむ、何と言ったらいいのかしら。貴方が心配で来たのよ、なんて言った日には旦那様と離縁させられてしまいそうだし、かと言って引き籠りの姉が何の理由もなく学園にやってくるわけもないものね。

 まぁ、いざとなればエイドリアンを誤魔化すことは難しくない。だってこの子、超が付くほどシスコンですし! お姉様の言うことならまるっとすべて信じてくれるから……ちょろい。


 そんなことより、授業中に出て来たということの方が問題だわ。なに、抜け出してきているのよ。駄目じゃない。ちゃんと教室に戻りなさい。

 注意しようと思った言葉が出て来なかったのは、エイドリアンの友人である護衛騎士のハボック公子と宰相の嫡男のエリック公子とは別の小柄な令嬢の存在に気付いたから。エイドリアンに負けず劣らずの美丈夫な彼等の礼儀作法は完璧で、私達に挨拶をした後学園長や講師にもきちんと挨拶していた。

 そんな彼等の後ろに控えめにいても見劣りすることのない目がくりくりしていてとてもかわいらしいご令嬢は、驚いているのか言葉に詰まっている。顔を真っ赤にして呆けている彼女のなんて可愛らしいこと。

 まぁ愛らしいご令嬢ね、とほのぼのしたのもつかの間、キッと眉を吊り上げた彼女の口から意味不明な言葉が飛び出した。


「出たわね! 悪役令嬢!!」


 ずびしっとこちらに向かって指をさしている。言葉の意味が皆目分からない。ふっと、実は私のことを言っているのではないのではないか、と彼女の指し示す方向を確認してみたけれど、どう考えても私のことを言っているようで。

 場の空気が戦慄したのも一瞬だけ、エイドリアンは青筋を立てて怒り狂う寸前でハボック公子とエリック公子に羽交い絞めにされて止められ、旦那様も笑顔を崩さないままブチ切れている。うちの侍女達や騎士達もわなわなと震えていた。

 ヤバい。これは非常にまずい。


「な、なんてことを言うんだねシェリー嬢! この方はホライゾン王国の皇女にして、ミレニアム公爵夫人のアリアナ・ミレニアム公爵夫人ですぞ!」


 さすが学園長。生徒の奇行をすぐに諫められたわ。しかしご令嬢は懲りた様子は一切なく、どこまでも不遜だった。


「学園長こそ何を言っているんです!? こんなにイケメンを侍らせておきながら悪びれもしないのは、悪役令嬢と決まっているではないですか!!」


 はべ!? いやいやいや、侍らせるもなにも、そのイケメンのうち一人は旦那様で、もう一人は弟なんですけど!? 後の四人のうち二人は学園長に付き添っているだけで、残りの二人も弟に付き添っているだけでしょう。侍らせた、というにはあまりにも合点のいかない言い分なのだけど。

 そもそも、悪びれもなくイケメンを侍らせる悪役令嬢ってなに? 悪役? 悪女というのならばまだしも、悪役って言い方は演劇か何かの配役みたいじゃない?


 どうもおかしい。このご令嬢の知識がこのエレメンタルでの知識ではないような気がする。イケメンという言葉然り、前世の記憶を持って生まれた方だったりするのでは?

 もしそうだとしても、それをここで確認する術はない。むしろこんな往来でそんなことを口にできないわ。


 前世の記憶を思い出してしまった人達がこのエレメンタルにどれだけいるのか、正確な数は分からない。できるだけ多く見つけて対策を立てようと方々手を尽くしているけれど、事が事だけに公にできないためとても難しい状況にある。ステファニー令嬢やマグノリア令嬢は、比較的早く見つけることができた例なのよね。

 それもこれも、あの時私が光の柱に触れてしまったせいなのだけど……


 私が長らく引き籠っていたのは、このエレメンタルで魂の傷を癒すべき人達に、前世の辛い記憶を思い出させてしまったことへの後悔も含まれている。前世を思い出すことなくこの世界で幸せになるはずだった人達に前世を思い出させてしまった事実は、到底幼い私には受け止めきれないもので、罪悪感に押し潰され、おかしくなりそうだった。

 幸いにしてステファニー令嬢やマグノリア令嬢やその他の方達はとても優しく、私のことを攻めなかった。思い出さないなら思い出さないで、思い出したら思い出したでいいじゃないか、と言ってくれたのよね。けれど、そんな人達ばかりではないはずだわ。もしも思い出すことが苦しみだという方が現れたら、私はどう償えばいいのだろうかと今でも怯えている。


 彼女も、もしかしたらそうなのかしら? 前世の記憶を持っているの? そうなのだとしたら、彼女にとって私は正に悪役そのものなのかもしれないわね。

 勝手な邪推かもしれないけれど、前世の記憶を持っている可能性を考えて気落ちする。なにを言われても受け止めなければと身構えていたけれど、だんだんと話が噛み合わなくなってきた。


「私と殿下の仲を引き裂く悪役令嬢! その上こんなイケメンにエスコートされているなんて、やっぱり『夜鷹の如く舞い踊る悪女の転落』の主人公に違いないわ!」


 ……ん? ん!? なんの主人公ですって!? タイトルにツッコミどころが多すぎる。開いた口が塞がらない。夜鷹の如くって、きっと鳥のことじゃないのよね? だとすると、そのタイトルから想像される内容はご令嬢の読み物としては不適切な内容であると推察される……破廉恥!!


 夜鷹が、娼婦のことを意味することは知る人ぞ知るという感じで、知らない人はあの通り、エイドリアンのように首を傾げる。あの子ったら、本当に純粋なんだから。

 けれど、当然大人であればその意味を知らない者はいない。現に、学園長は慌てて不敬罪ですぞとご令嬢を叱責している。ドワイド卿やオブライアン伯爵も憤慨しておられたけれど、一番恐ろしいくらいに怒っているのが旦那様だった。

 笑顔が、冷気を放っている。周囲を凍り付かせんばかりに沸点に達しておられたけど、旦那様落ち着いて、と小声で諭す。私の必死な思いも虚しく、旦那様から笑顔が消えた。

 オワタ。


「シェリー・オールストン男爵令嬢。私の妻をどなたかと勘違いされているようですが、妻ほど高潔で誠実な女性はいないので、そのようにおっしゃるのはおやめ下さい」


 と、匠の彫刻がおっしゃっております。諭す際は笑顔に戻っておいでだったけど、場の空気が凍り付いているので、言葉通りの丁重さで言っているわけではないのは明白だわ。

 旦那様がこんなに怒るなんて……予想外です!!

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