5. 忍びくる影
かなり遅くなりました。(_ _)
それは、午前の講義が終わり、思い思いに昼休憩に入る前のこと。エレオノーラがクラスの異なるロザーリアと落ち合うために、片付けをしていたときのことだった。
「あのぅ、エレオノーラさん。前の講義のメモ、見せてくれませんか??」
そう言って声をかけてきたのは、エレオノーラの隣に座る女の子だった。薄い茶髪は肩口のあたりをふわふわと覆い、緑の瞳は柔和そうな印象を受ける。
恐る恐る、といった様子で話しかけてきた彼女の名はマリ・クルート。外見の雰囲気そのままな性格だとみている。
エレオノーラがヴィル・ハーツ魔導学院に通い始めて3週間。通常講義が始まり、忙しいながらも新鮮な毎日だ。クラスメイトとも打ち解け、なかなかに充実した日々を送っている。
しかし、エレオノーラにあってクラスメイトには無いもの────つまり、“伯爵家”という身分が邪魔をして少なからず遠巻きにはされていた。
まだ“貴族”というものに固定概念をもつクラスメイトにとって、エレオノーラも同じ括りに入っている。エレオノーラにもその自覚は少なからずあり、小さな悩み事の1つでもあった。
そんな中、マリは『ある意味』で勇者だった。
「ええと、魔導史学でいいの?」
「…!はい!」
文字通り、ぱぁっと表情を輝かせたマリはエレオノーラから受け取ったノートを嬉しそうに抱きしめる。
それを遠目に見ていたクラスメイトたちは2人の様子に驚いた。『とっつきにくかった貴族のお嬢さま』というエレオノーラの偶像がマリによって取り払われた…ように思えたのだ。
つまり、『意外と話せるかも』と。
「…。よかったら、一緒にお昼食べませんか?」
エレオノーラとて、クラスで浮くのは嫌だ。それなりに仲良くしたいし、一度きりの学院生活を満喫したい。何かと疎遠な父に、無理を言って通わせてもらっているのもあるし。
「……ええっ!!いいんですか!!?」
マリは「予定に無い!」とばかりに驚いた声を上げた。無理なら構わないの、と控えめに言うとブンブンと首を横に振る。
「ぜひ…ご一緒させてください!」
よかった、と微笑んだエレオノーラだが、マリはポカンとした様子で固まってしまう。はて、と首をかしげていると ロザーリアがなかなか来ないエレオノーラを呼びに来た。彼女は薬草学の講義の後なのだろう。いつもの花の香りでは無い、ツンとした薬草の匂いが混じっている。
「エレオノーラったら遅いわ。一体何を……あ、ごめんなさい。お話し中だったのね」
マリの存在に気が付いてはにかむようにロザーリアが笑いかける。本人は照れ隠しのようなつもりなのだろう。だがロザーリアのような特級の美少女に笑いかけられると、人は固まってしまうのだ。もちろん、マリも例外ではなかったらしい。「…え?あの、えっ?」とかわいそうなぐらい戸惑っている。
「お昼ご一緒しましょう、って誘っていたの。リアも構わないでしょう?」
「…。そうね!私は賑やかで楽しそうだと思うわ」
マリはまだ目を白黒させているが、エレオノーラはそんな彼女の手をとって歩き出した。ロザーリアは肩をすくめてその後をついてく。
嵐のような数分間の出来事に、残されたクラスメイトたちは互いに顔を見合わせた。
教室を出るのが遅かったのもあって、屋内のテーブル席はほぼ満席だった。エレオノーラ、ロザーリア、そしてマリの3人で座るにはどれも椅子が足りない。3人はベーグルサンドをカウンターで受け取り、陽の当たるテラスに出て、丸いテーブルに腰を下ろした。春らしくテラスを彩る花々がとても綺麗だ。
「ん〜!美味しい!」と、一口食べたロザーリアが顔をとろけさせる。テンションがあがっているようだが、その仕草はどこまでも優雅だ。さすがは侯爵令嬢。
「マリさん、…この方はロザーリア。私のお友達です」
ナプキンで口元を拭い、にこっ、とロザーリアが笑った。
「初めまして、マリさん。ロザーリアです。…リアって呼んでね?」
緊張しているマリにロザーリアは砕けた話し方をする。ロザーリアの打ち合わせもなにもしていないのに、この順応能力はどこから来ているのだろうか。不思議に思うエレオノーラだ。
「えええ、っと、マリ・クルートです。あの、 ……お会いできて光栄です、お嬢さま」
ぺこり、とマリがロザーリアへ向かって頭をさげる。「え?」と素で驚いたロザーリアは慌てた。
「…わたし、何かした?」
この会話でロザーリアが「お嬢さま」だと分かる要素はない。エレオノーラと一緒にいるから、ということで判別はできたとしても不確定だろう。
そう思ったエレオノーラだったが、マリは違ったらしい。
「私は、ハイドベルン侯爵家さまにパンを卸している『クールトベーカリー』の娘です。ご愛顧ありがとうございます」
まぁ、とロザーリアは目を瞬かせた。
「言われてみれば…。いつもありがとうございます、とお伝えください。私、あなたのお店のパンが大好きだから…」
「…!そのように仰ってくださって光栄です!」
「私も。お会いできて嬉しいです」
本当に嬉しそうな笑みをこぼしたマリは、自分のトレーに乗せたサンドを頬張る。そんなマリを見つめていたロザーリアは「…でもね、」と続けた。
「学院にいるときは、私もエレオノーラも一介の生徒。実家のことは気にしないでくれると嬉しい…かな」
控えめなロザーリアのお願い。それはマリの心にストンと落ちた。しかし、その“お願い”はマリにとって少なからず抵抗がある。ロザーリアはお得意さまであり、もし彼女の機嫌を損ねたら両親に迷惑をかけるかもしれない…。そんな考えがマリの脳裏をかすめ、ロザーリアやエレオノーラにも伝わった。
「…正直言うと、お二人みたいな貴族のお嬢さまは…ちょっと苦手で…」
2人は口を閉じる。やはり、それに正しい答えを見つけ出す事は出来ない。自分たちがここで「異質」であることは変わらないからだ。
「でも、お二人のことを見ていると少し考え方が変わった気がします…。その、私でよければなのですが」
マリはぎゅっと目を閉じる。
「お友達に、なりたいです」
ひどいことをする方々ではないと理解していても、「お嬢さま」にこんなことをお願いするなんて言語道断だ、と言われても仕方がないと思った。
「そのお願いは、願ったり叶ったりなのだけど…。そうねぇ、とりあえず敬語はナシよ」
「…ダメ、ですか?」
「友人に敬語なんていらないもの」
そうでしょ?とロザーリアは笑う。どうしよう、と戸惑うマリが視線で助けを求めたのはエレオノーラだ。
「…呼んでみて?」
まさに青天の霹靂。うずうずと呼ばれるのを待っているロザーリアや、にこにこと微笑んでいるエレオノーラを無視できるほどマリは図太くない。
「……り、リアさん!!エレオノーラさんっ」
エレオノーラとロザーリアは、同時に笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆◇
その日の夕方、マリは家に向かう大通りを歩きながら新しくできた友人2人のことを思い浮かべていた。
2人とも所作や仕草がとても上品なのに対して、とても親しみやすい雰囲気を醸し出している。その1人であるロザーリアが、まさか両親が商品を卸している侯爵家のお嬢さまなんて考えもしなかったけれど。
リアさんとエレオノーラさんはとってもお綺麗だったなぁ、と年相応の憧れを抱きながら、一緒に食べた昼食が夢だったのではないかと思ってしまう。
しかし、それが夢ではないと分かるのは「来週の週末、2人が店に来る」という約束をしたことだ。
このふわふわした気持ちがパンの香りみたいだなぁ、なんてね、と今までにないポエミーな気持ちに浸っていると家に着く。勢いよく開けたドアをくぐり、カランカランというベルの音とともに「ただいまー!」と声をかけた。
しかし、店内でおしゃべりをする近所のおばさま方や店の奥から母の「おかえり!」という声はない。いつもなら鳥の巣を突いたような大騒ぎをしているのに、だ。
店内を見渡すとお客さまは1人だけで、接客をしているはずの母や、この時間は店番をする妹もいない。お客さまはちょうどカウンターの前で立っており、マリは慌ててお客さまの背後から声をかけた。
「すみません!今、店員がみんな出払ってるみたい……で、」
スッと左に寄ったお客さまの影から見えた光景に、マリは言葉を失う。
そこには、カウンターにもたれかかりピクリとも動かない母や妹、カフェスペースで机に突っ伏したおばさま方の姿があった。
「…!!」
「ここは、とってもいい香りがするよ」
お客さまは二の句が継げないマリに関係なく、独り言のように呟く。今すぐにでも母たちのもとへ駆け寄りたいのに、まるで固まってしまったように動けない。魔導を使っていることを直感的に感じ、そして目の前の “お客さま” が只者ではないことにマリは戦慄を覚えた。
「…君からは “あの子” の残り香がするから。相当近しいんだね。…ねぇ、僕に協力してくれる?」
“お客さま”が手をかざし、マリに向かって魔導が行使される。なけなしの防御は完璧に消し去られ、マリの意識は深い水の底に閉じ込められていく。
誰、あなたの目的は、何のために私を…。
直後、力を失ったマリの身体を受け止め、“お客さま” はマリに答えを返す。
「僕?僕の名前か…。そうだね、クロとでも言っておこうかなぁ。目的は──────秘密、だよ」
マリに黒い痣を刻みながら、クロは微笑んだ。




