第39話 第五誓約の中身と、ベルク卿が守りたかったもの
【主な登場人物】オズワルド・ベルク卿(外交顧問室の貴族)/マティアス(記録監査官)/ドラウゼン侯爵(息子との縁談を申し込んだ当主)
「まずは、息子さんご本人のお気持ちを確認させていただけますか?」
俺がそう尋ねると、ギルベルト・ドラウゼン侯爵は、ほんの一瞬だけ笑みを止めた。
今日、エレノア王女とアドリアンさんの二回目のお見合いが終わったばかりだ。
そこへ突然現れた、新たな縁談の申し込み。
しかも、相手は侯爵家の御曹司。
……いやあ。
異世界の婚活業界、なかなか休ませてくれない。
「息子の意思、ですか」
「はい」
「ラウルは、家の務めを理解しております」
「なるほど。ですが、それと結婚したいかどうかは、別のお話です」
俺は、できるだけ穏やかに答えた。
「ご本人と一度、お話しする機会をいただけますか?」
侯爵は、少し考えてから頷いた。
「よろしいでしょう。息子にも、あなたの考えを聞かせてやりたい」
「ありがとうございます」
「ただし、王女殿下との面談は、ぜひ前向きにご検討いただきたい」
「もちろん、申し込みは正式にお預かりします」
俺は頭を下げた。
「ただ、王女様が面談を希望されるかどうかも、確認させてください」
侯爵は、静かに微笑んだ。
「……慎重な仲人殿だ」
「職業病みたいなものでして」
俺も営業用スマイルを返した。
……うん。
ここは譲れない。
どんなに立派な家柄でも、本人の気持ちを飛ばして話を進めるわけにはいかないからな。
『――おじさん!』
「ん?」
『――新しいお見合いですか?』
「……まだ、申し込みを受けただけだよ」
『――じゃあ、お祝いのパンはまだですね!』
「……そもそも、何のお祝いなのかな?」
◇◆◇
侯爵が帰ったあと。
俺は、エレノア王女に面談の申し込みがあったことを伝えた。
「ドラウゼン侯爵家から、ですか」
「はい。息子さんのラウルさん、二十七歳だそうです」
「……存じています。宮廷の行事で、何度かお会いしたことがあります」
「どんな方でした?」
「物静かで、礼儀正しい方です」
王女は、少し考え込んだ。
「ドラウゼン領は、北方へ向かう街道の入口にある家です。昔から、交易路の管理にも関わってきたと聞いています」
「……北方への街道、ですか」
「はい。ですが、ラウル様ご自身は、あまり家のことを積極的にお話しになる方ではありません」
王女は、少し言葉を探した。
「結婚相手として考えたことも、ありませんでした」
「でしたら、今すぐ決めなくていいんです」
「……そうでしょうか」
「はい。面談をするかどうかも、王女様が選んでいいんですよ」
王女は、ゆっくり頷いた。
「……少し、考える時間をいただけますか」
「もちろんです」
俺は笑った。
「お見合いの申し込みには、返事を待っていただくこともありますから」
……これでいい。
申し込まれたから、受けなければならない。
そんなことはない。
それは、日本でも異世界でも同じだ。
◇◆◇
昼前。
王宮の記録室に戻る途中、俺は廊下の向こうに見覚えのある人物を見かけた。
ベルク卿の補佐官、ユリウス・ハーゼンさんだ。
そのユリウスさんが、誰かに深々と頭を下げている。
……あれ?
相手は、さっき会ったばかりのドラウゼン侯爵だった。
侯爵は何か短く言い、ユリウスさんが頷く。
それだけだった。
貴族と王宮の職員が話している。
別に、珍しい光景でもない。
俺は軽く会釈して、そのまま記録室へ向かった。
◇◆◇
「成田さん。ちょうどよいところに」
記録室では、ルークさんとマティアスさんが古い資料を広げていた。
「何かわかったんですか?」
「第五誓約原本の確認について、許可が下りました」
マティアスさんが答えた。
「……原本を開けるんですか?」
「はい。ただし、保管係と監査担当者の立ち会いのもとで、必要な部分だけを確認します」
「なるほど」
昨日、保管庫で見つかった原本。
正規の手続きで移されていたことは確認できた。
だが、中身までは見ていなかった。
「ルークさんも、同行されるんですか?」
俺が尋ねると、ルークさんは首を振った。
「私は、まだ閲覧記録の件で疑いを受けています。原本の確認には参加できません」
「……そうですか」
原本を盗んだ疑いは、崩れた。
だが、ルークさんの権限で閲覧履歴が消されていた問題は残っている。
昨日見つかった、借りた人の名前が空欄の貸与記録。
あれが何を意味するのか、まだわからない。
「……結果は、きちんとお伝えします」
俺が言うと、ルークさんは小さく笑った。
「ありがとうございます」
◇◆◇
王宮の奥にある保管庫。
昨日と同じ木箱が、机の上に置かれていた。
保管係が管理番号を読み上げる。
マティアスさんが記録と照合する。
セリスさんが封印の状態を確認する。
……うん。
昨日も思ったが、こういう手続きは大切だ。
人の信用を守るためには、誰が何を確認したかを残しておく必要がある。
保管係が、慎重に封印を解いた。
木箱の中から、古い巻物が取り出される。
黄ばんだ紙。
かすれた文字。
そして、端に押された古い印章。
「……これが」
俺は、思わず息をのんだ。
「第五誓約原本です」
マティアスさんが、静かに答えた。
保管係が巻物を広げ、マティアスさんが必要な箇所を読み上げた。
「『双方の意思が揃わぬ限り、門を開いてはならない』」
……。
門?
俺は、思わず顔を上げた。
「……門って、何の門ですか?」
「そこまでは、この一節だけではわかりません」
「……そうですか」
「ただ、北方境界に関する誓約の一部であることは確かです」
俺は、巻物を見つめた。
双方の意思。
門を開く。
……これって。
「なんだか、婚活の話みたいですね」
マティアスさんが、こちらを見た。
「婚活、ですか?」
「はい。結婚だって、どちらか一方が望んだだけでは成立しませんから」
俺は、少し笑った。
「二人とも、自分の意思で選んで、初めて先へ進めるんです」
セリスさんが、静かに頷いた。
「……確かに、似ていますね」
ただし。
この誓約の『双方』が、誰と誰を指しているのか。
それは、まだわからない。
王家と、誰か。
あるいは、別の立場の二者なのか。
勝手に決めつけるわけにはいかない。
◇◆◇
原本の確認を終えたあと。
俺たちは、王宮の小さな会議室へ移った。
そこには、見覚えのある年配の男性が待っていた。
「……ベルク卿?」
俺が名前を呼ぶと、男は静かに頷いた。
「成田殿。お時間をいただき、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ」
ベルク卿。
王宮で何度か顔を合わせたことのある、落ち着いた雰囲気の貴族だ。
彼は、マティアスさんとセリスさんに目を向けた。
「お二人にも、聞いていただきたい話があります」
マティアスさんが、静かに頷いた。
「……第五誓約の件ですね」
「はい」
ベルク卿は、深く息をついた。
「十年前、私は北方境界に関する記録の一部を、神殿の保管場所から移しました」
……!
「ベルク卿が、ですか?」
「ええ。ただし、第五誓約の原本ではありません。あの原本は二十年前に、正規の手続きで移されています」
ベルク卿は、はっきりと続けた。
「私が移したのは、二十年前の調査に関わる神殿側の記録です」
「……別の資料だったんですね」
「はい」
「どうして、そんなことを?」
ベルク卿は、しばらく黙っていた。
そして。
「……王女殿下を守るためです」
俺は、思わず目を見開いた。
◇◆◇
「十年前、エレノア殿下は、まだ幼い少女でした」
ベルク卿は、ゆっくり話し始めた。
「ですが、すでに王家の婚姻をめぐって、いくつもの思惑が動いていました」
「……婚姻?」
「はい。王女殿下がどの家に嫁ぐか。それによって、王家との関係を強めようとする者たちがいたのです」
……なるほど。
政略結婚。
この世界では、珍しい話じゃないのだろう。
「第五誓約には、『双方の意思』という言葉があります」
「はい」
「そして、古い解釈の中には、王家の婚姻を、その一方の意思と結びつけようとするものがありました」
「……え?」
俺は、思わず聞き返した。
「結婚しただけで、門を開くことに同意した扱いになる、ということですか?」
「そう主張する余地があった、ということです」
ベルク卿は、慎重に答えた。
「実際に、その解釈が正しいかどうかは、私にも断定できません」
「……でも」
「ええ。誰かが、その理屈を利用しようとする危険はありました」
……。
俺は、思わず黙り込んだ。
結婚する。
それだけで、本人の知らない何かに同意したことにされる。
そんなことが、あっていいはずがない。
「……だから、記録を移したんですか?」
「はい」
ベルク卿は頷いた。
「神殿の資料が、婚姻交渉の道具として使われることを恐れました」
「ですが、記録を移したことで、かえって疑惑が生まれたのでは?」
マティアスさんが尋ねた。
「……そのとおりです」
ベルク卿は、目を伏せた。
「私は、正しいことをしたつもりでした。しかし、すべての記録を十分に整理できたわけではありません」
「……なるほど」
「結果として、後の調査を難しくしてしまった。その責任は、私にもあります」
そこで、俺は思い出した。
「……そういえば、ベルク卿」
「はい」
「十年前に、王家の結婚についての提案書も書かれていましたよね?」
ベルク卿は、驚いたように俺を見た。
「『王家婚姻同盟の再編に関する長期計画』のことですか」
「はい。それです」
以前、その提案書の存在を知った時、俺も少し引っかかっていた。
王家の結婚を、長期計画として扱う。
文字だけ見れば、いかにも誰かが縁談を操ろうとしているように思える。
「……あの提案書は、何のためのものだったんですか?」
ベルク卿は、静かに答えた。
「殿下の縁談を、一つの家に握らせないための計画でした」
「……え?」
「特定の貴族家が王家との婚姻を独占すれば、殿下の選択肢は狭まります。私は、候補となる家を複数に分け、面談や検討の機会を確保する仕組みを提案したのです」
「……なるほど」
「もちろん、当時の私にも、王家の婚姻を政治の枠組みで考えていたところはあります」
ベルク卿は、苦く笑った。
「ですが、少なくとも、一つの家の都合だけで殿下の将来が決まることは避けたかった」
……そうだったのか。
怪しく見えた提案書。
その裏には、王女様の選択肢を守ろうとする考えがあった。
ただし。
俺は、少しだけ考えた。
「……ベルク卿」
「はい」
「複数の候補を用意するのは、大切なことだと思います」
「……ええ」
「でも、最後に選ぶのは、王女様ご本人です」
ベルク卿は、静かに頷いた。
「……おっしゃるとおりです」
◇◆◇
「ベルク卿」
「はい」
「王女様は、そのことをご存じなんですか?」
ベルク卿は、静かに首を振った。
「いいえ。まだ、お伝えしていません」
「……そうですか」
「幼い殿下に、重荷を背負わせたくなかったのです」
俺は、少し考えた。
守りたい。
その気持ちは、わかる。
俺だって、悠斗や結衣に余計な心配をかけたくないと思ったことは何度もある。
だが。
子供は、いつまでも子供じゃない。
自分で考えて、選ぶ日が来る。
「……ベルク卿」
「はい」
「王女様は、もうご自分の考えを持っていらっしゃいます」
ベルク卿が、こちらを見た。
「結婚についても、国のことについても。まだ迷ってはいますが、ちゃんと考えておられます」
「……そうですか」
「だから、いつかは、ご本人にも説明する必要があると思います」
ベルク卿は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくり頷いた。
「……おっしゃるとおりです」
◇◆◇
会議が終わったあと。
俺は、王女の執務室へ向かった。
「成田さん。何かありましたか?」
「少し、お話ししたいことがありまして」
俺は、椅子に座った。
「ドラウゼン侯爵家からの申し込みについてです」
「……はい」
「考えてみて、いかがでしたか?」
王女は、少し迷ったようだった。
「ラウル様は、礼儀正しい方です。ですが、私自身が面談を望んでいるのかと聞かれると……まだ、わかりません」
「でしたら、今は返事を急がなくていいと思います」
「……よろしいのでしょうか」
「はい」
俺は頷いた。
「お見合いは、申し込まれた側にも選ぶ権利がありますから」
王女は、少しだけ微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「いえいえ」
俺は、少し考えてから続けた。
「それから、もうひとつ。結婚に関係する古い記録について、確認が進んでいます」
「……古い記録?」
「はい。ただ、まだ調査中の部分があります。正式に説明できる段階になったら、関係者からお話しすることになると思います」
王女は、真剣な表情で頷いた。
「……わかりました」
俺は、少しだけ胸をなで下ろした。
まだ、全部を話せるわけじゃない。
だが、本人の知らないところで結婚の意味が決められてしまう。
そんなことだけは、避けなければならない。
◇◆◇
夕方。
記録室へ戻ると、マティアスさんが、第五誓約の写しを広げていた。
「成田さん。少し、よろしいですか」
「はい?」
「ベルク卿の話を踏まえて、誓約の記録を整理していたのですが……」
彼は、ある一文を指さした。
『双方の意思が揃わぬ限り、門を開いてはならない』
「……これですね」
「はい」
「何かわかったんですか?」
「いいえ。むしろ、わからないことが増えました」
「……え?」
マティアスさんは、静かに言った。
「この誓約には、『双方』が誰なのか、明記されていないのです」
……。
俺は、思わず写しを見つめた。
王家と、誰か。
門を守る者と、誰か。
あるいは、まったく別の立場の二者。
まだ、何も確定していない。
「……じゃあ」
俺は、ゆっくり口を開いた。
「誰かが勝手に『王女様の結婚が同意になる』って決めつけたら、危ないですね」
「……ええ」
マティアスさんは頷いた。
「その解釈を利用する者がいれば、なおさらです」
俺は、写しを見つめた。
結婚は、本人たちが選ぶもの。
それは、俺がずっと大切にしてきた考え方だ。
だが、この世界では。
王女様の結婚が、古い門を開くための道具にされるかもしれない。
……待てよ。
もし、そうだとしたら。
ドラウゼン侯爵は、なぜ今、このタイミングで息子との縁談を申し込んできたんだ?
俺は、さっきの侯爵の笑みを思い出した。
王家にとっても、悪い話ではないはずです。
……あの言葉が、急に違って聞こえた。
――第39話・完――
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第39話では、第五誓約の核心となる一文が明らかになりました。
『双方の意思が揃わぬ限り、門を開いてはならない』
そして、ベルク卿が十年前に移したのは、第五誓約原本ではなく、二十年前の調査に関わる神殿側の記録でした。
かつて怪しく見えた『王家婚姻同盟の再編に関する長期計画』も、王女の縁談を一つの家に独占させないための提案だったことが判明します。
しかし、ドラウゼン侯爵の縁談申し込みには、まだ不明な点が残っています。
次回もお楽しみいただけると嬉しいです!
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