温泉探し
翌日、朝食を終えた私達はケルツェ山に行く班とピュロマネ山まで行く班に分かれて準備をしていた。準備と言っても殆どはリッサが用意してくれているので、私は身だしなみを少し確認するくらいだ。
ケルツェ山に行く班は私とリッサ、アルドリック様の他に護衛がベアノンとキーランドを含めた八人という構成で、ピュロマネ山に行くのはそれ以外の騎士と兵士だ。
彼らは既にピュロマネ山に移動を開始している、ベアノンに聞いた所、折角の演習の機会なので合同軍として陣を組みつつ山に入るらしい。
アルドリック様の騎士たちも狩りに参加してくださる事になり、予定よりもたくさんの材料が手に入りそうなのはとてもありがたい。
むしろ狩り過ぎないかどうかが心配なのだが、村の人の話によると年々増えて困っているそうなのでそれほど気にしなくてもよさそうだ。
「それでヴァレーリア、その温泉だったか? それを探してどうするのだ?」
「この地の名物として利用します。温泉が私の想定している通りであればお風呂として使えますし、入れば美容や健康にも良い筈です」
ケルツェ山を登りながら私は今日の目的についてアルドリック様と話していた。水の探知についてはリッサに任せきりなので、私達は付いて回るだけだ。
正直いなくてもいいといえばその通りだが、私達とリッサにそれぞれ護衛をつけるよりは一緒に回った方が効率的であるのと、私としても皆が動き回っている中自分だけ待っているのは気分がよろしくないのでこれが最適解だ。
私の温泉に関する返答を受けてアルドリック様は半信半疑という表情を浮かべて口を開いた。
「入れば健康になる天然の風呂か……まるで御伽噺のようだな」
「もちろん入ればたちどころに病が治ったり痛みが消えたりするわけではありませんよ、野菜が健康に良いのと同じようなものです」
温泉の効能は前世で知っている限りでも多岐にわたっていた。私もそこまで詳しいわけでは無いし、ここの温泉が何に効くのかも分からない。
ただ、硫黄が含まれているのであれば血行促進と疲労回復には効くはずだ。
アルドリック様は少し納得した様子で頷いていた。
「あぁ、それならば私も理解出来る。しかし名物としてもこの立地では人が中々訪れないのではないか?」
「どうでしょう、ここにしかない健康に効く特別な湯、となれば時間とお金に余裕のある方は訪れるのではないかと思います。それに、もしここまで人が来なかった場合にも、温泉に効能を出している素を採取して販売することが出来れば、それだけでも十分利益になります。どちらも顧客は貴族となりますのでそこにうまく広げる事が肝要とはなりそうですね」
「なるほどな……」
アルドリック様は得心がいったのか、少し考えこむように黙ってしまった。
そんな話をした後、道なき道を登り続けていたが川から派生したような湧き水くらいしか特に見つからず、一度昼食を挟んで更に私達は登り続けた。
ケルツェ山は意外と高い。私は前世で山登り何て遠足でしかしたことが無いのでどれくらいの高さなのか分からないが、体力に自信のある私でも少し疲労を感じていた。
日数には一応余裕を見ているし、直ぐに見つからなくても仕方ないか、などと考えているうちにふとリッサが立ち止まった。
「こちらから川ではない水がございます」
「では向かいましょうか、今度こそ温泉だといいのだけれど」
リッサには水の温度までは分からず、不純物の有無についても操作しないと分からないらしい。
あっさりとは見つからなくても仕方ないと思いながらリッサに従って付いていくと、近づくほどに独特の卵が腐ったような匂いが漂い始め、そしてその先には見事に湯気の立つ湧き水が変色した岩の隙間から流れ出ていた。
「何やら酷い匂いがするのだが、ヴァレーリア、これが其方が言っていた温泉なのか?」
アルドリック様は想像していたものと違ったのか少し顔を顰めて嫌そうにしている。
確かにこの匂いは私も最初苦手だったし今でも特別好きというわけでは無いが、それでも今の私にとってはわくわくするような希望の香りだ。
「はい、アルドリック様。この匂いは温泉の成分によるものです。ベアノン、これを杯に汲んで持ってきた水に入れてくれるかしら」
「承知しました」
ベアノンは湧き出ているやや濁ったお湯に近付いて、担いで来た水が入れてある鍋にお湯を入れる。
このお湯が果たして温泉としてそのまま使える温度なのか確かめるためだ。温度計があれば楽なのだがそんなのもが無い以上こうやって確かめるのが一番手っ取り早い。
二対三程度の比率でお湯と水を混ぜた所やや熱めのお湯になった。これなら源泉として十分だろう。
「ベアノン、この温泉をお風呂として利用できるよう、予定通り明日から近隣の者を雇ってこの辺りを掘って貰います。この立地なら用意していた設計図に利用できるものがあるから、それを基にお願いね」
ベアノンは直ぐにそれに応じてロープの用意を始めた、ここから帰り道までロープを辿って通えるようにするのだろう。
幸いここはあまり急な斜面でもないし、登れない程の高さでもない。道を整備すれば麓からやってきて十分楽しめる立地だ。
流石に天然でお湯が溜まっているような事は無かったので今回私は入れない可能性が高いが、それは仕方がない。
ロープの準備が終わり、私達は下山を始めた。リッサも遠くの水を辿り続けて疲れているだろうし、早く戻って休ませてあげたい。
ベアノンはロープを巻き付けながら戻るという事で私達は一足先に麓にある小屋まで戻ってきた。
何だかんだ想定より早く終わったのでまだ日はかなり高い。リッサを先に戻らせた後、私はアルドリック様に呼ばれて私が泊まっていない方の大きい小屋でお茶を飲んでいた。
兎に角無事に温泉が見つかって本当に良かった。きっとあると信じて来たものの、空振りになる可能性も十分にあったのだ、その場合でも燃料は手に入るので完全な無駄足にはならないが、課題としては別の物を探さなければならなかった。
ほっと一安心しながらお茶に口をつけると、アルドリック様がケルツェ山の方向を見ながら口を開いた。
「本当にヴァレーリアはここに風呂を作るつもりなのだな」
「はい、無事に見つかって安心致しました。見つからなければどうしようかと心配でしたもの」
私の答えにアルドリック様は少し不安げに揺れる目でこちらを見た。
そのような表情をされる理由が思い当たらずどうしたのだろうかと私が首を傾げると、アルドリック様はやや躊躇いがちに聞いてきた。
「ヴァレーリア、もしや其方はそうまでして温泉を探さねばならない程体調が悪いのか? そうであれば私にも出来る限りの協力をさせて欲しい。王子としての私の伝手はヴァレーリアの役に立てるはずだ」
「ち、違いますアルドリック様! 私は特にどこも悪いわけではありません」
王子の真剣な目に私は慌てて否定する。確かに改めて考えると健康に良いという眉唾ものの伝承を必死に探している私の姿は、不治の病に罹った者が藁にもすがる思いで霊薬を探す姿にも見えると気付いたが私はそうでは無い。
なおも不審そうな目を向けているアルドリック様に、やや迷った末私は事情を話す事にした。
「その、私が温泉を探していたのは父からの課題を達成する為だったのです」
「課題?」
「はい、恥ずかしながら、私が私の周りの人を守ろうとしている姿は公爵令嬢として相応しくないと叱責を受けてしまったのです。」
そう私が言うとアルドリック様は腕を組んで眉を顰め、どうにも納得いかないという顔を見せた。
「そうなのか? 自分の周りの者を守るのは上に立つ者ならば必要な事ではないのか?」
「いいえ、お父様が言うには公爵令嬢が守るべきは自分自身と領民であり、身の回りの者ではないと。私はその相応しくない行動の罰として、何かしらの成果を上げろという課題を受けておりました」
アルドリック様はその答えを聞くと何故か表情を険しくして顎に手を当て、やや俯いたまま黙ってしまった。
これはお父様のフォローをいれるべきなのだろうかと私がしばし逡巡していると、アルドリック様は少し影の入った顔で重々しく口を開いた。
「ヴァレーリア、私はレーヴェレンツ公爵を否定するつもりはない。だが、周りの者を守ろうとする事が公爵として相応しくないとは決して思えない。自身の周りの者すら安易に切り捨てられるような者が真に他の民の事など考えらえるものか? 自身と領地の為ならば周りの者を犠牲にする事も厭わないような考えを私は正しいとは思えない」
アルドリック様の声はどこか怒りか或いは後悔のようなものが滲み出ている様な気がした。私はその声に少したじろぎながらも反論した。
「しかしアルドリック様、領民をおいて自らが大切に思う者だけを守るようでは公爵令嬢としては失格です。公爵令嬢として生まれた以上はその責任を果たさなければなりません」
「ヴァレーリア、何故どちらかを切り捨てなくてはならないのだ? 両方を守ればいいではないか」
「……え?」
アルドリック様がさも当然のように言った言葉に、私は目をパチパチと瞬いてしまう。
「確かにどちらかを選択しなければならない時はあるだろうと思う、私も歴史の中で苦渋の末国と天秤にかけて身内を切り捨てた王の話をいくつも聞いた。だが、その選択を避けられない時までは両方を守れば良いではないか。私は、私の目に映る者も、目に映らない者も、この国の全て皆を守れるようになるつもりだ」
それは本当に年相応の我が儘のような言葉で、それでいて私を見る彼の目が持った決意と哀しみの色はとても大人びていて、何故かどきどきとしてしまうような真剣さを帯びていた。
「出来ればヴァレーリアにも……」
そこまで言いかけて止めたアルドリック様は一度目を伏せ、それからもう顔をあげると今度は少し恥ずかし気にはにかんで言葉を続けた。
「ヴァレーリアも私と同じ夢を持っていたら嬉しいと思ったのだ」
思わずくらりとしてしまうような笑顔でそんなことを言われた私は、照れを誤魔化すように微笑みながら言葉を返した。
「ありがとうございます、アルドリック様。私はアルドリック様に教えられてばかりですね」
アルドリック様の言う通り、必ずどちらかを選ばなければならない時まで両方を守ればいいのだ。私は、ヴァレーリア・レーヴェンツとして私の周りの者もレーヴェンツ領の者も全力で守ればいい。
とても単純でそれでいてとても難しい、とても当たり前の新たな決意だ。
けれどこの当たり前に気付かなければ、きっと私はそう遠くないうちに酷く後悔したのではないかと思う。
……教えられてというよりは、救われて、の方が正しいのかもしれないな。
そんな事を思いながら私がくすりと笑うと、アルドリック様はちょっと口を尖らせて冗談っぽく漏らした。
「いつも私の教師役をしているヴァレーリアに教えられてばかり、などと言われても素直に受け取る事が出来ないぞ」
「あら、私は本心でしたのに」
そう私がちょっとおどけて返すと、一拍置いて私とアルドリック様は二人で同時に笑い出した。
春の温かな日差しが差し込む中、私達は穏やかな時間を過ごしていた。
投稿途中で寝落ちて日付変わってしまいました……




