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ケルツェ山の温泉

 夕方になってアルドリック様のところから戻ってきた私は、火を浮かせて明かりにしながらレーヴェレンツ邸から持ってきた本を読む事にした。

 今読んでいるのはリッサが探し出してきてくれた図鑑だ。非常に文字が細かく内容も小難しいが、前世の私の常識では考えられないような不思議生物がたくさんいて面白い。


 しばらく本を読んでいると兵士達が戻ってきたのか、ベアノンが私のもとへと報告にやってきた。

 私は本を閉じて少しわくわくしながらベアノンに結果をせがんだ。


「それで狩りの結果はどうだったのかしら」

「えぇ、それがヴルイデクセの方はそこそこ順調に集まったんですがね、ラオッタァはてんで駄目でした。生きたラオッタァを持ってきてもくれたんですが、あらぁ難しいと私も思いましたね」


 ベアノンは髭に触れながら思い出すようにちょっと顔を顰めつつそう答えた。

 私としてはどちらがだけでも必要量とれればいいのでラオッタァから取れなくてもそう困らないが、一体どんな蛇だったのだろうか。


「難しいというのは毒を取るのがという事かしら」

「あー……まぁそうですね、毒を絞り出すというか、蛇から出すのはそれほど難しくないんですか、何せラオッタァの毒が空気に触れた瞬間燃えだすもんですからね、集められそうにないんですよ」


 それは確かに無理だろう、もし注射器が存在するなら何とかなりそうだが、液体を密閉するために特殊な皮袋に入れている様な現状では出来そうにない。

 私は納得して頷いてみせた。


「それは仕方がないわね、ありがとう。では明日以降はヴルイデクセだけに絞って貰えるかしら」

「承知しやした。ラオッタァを狩らなくなった分、風呂掘りの方に人数を持って行ってもいいですかね」

「えぇ、構わないわ。お願いね」



 その日の夜は村長がから全員にぎりぎり行き届くくらいの量のお肉が差し入れられた。

 村にあるお肉の絶対量もそれほど多くない筈なので、非常に申し訳なく感じ、村長が固辞するのも無視して料金を押し付けた。予期せぬ出費ではあったが、兵士と騎士の士気は非常に高まったのでありがたい。


 次の日から私とリッサとアルドリック様はお留守番だ、私達がうろうろするとどうしても護衛が多く必要になるし、実際特に手伝えることもない。

 私はやろうとすれば山の木を焼き切って温泉までの道を作る事は出来るかもしれないが、やってもいいとは言われないだろう。


 そんなわけでリッサから礼儀作法の授業を受けたりベアノンから剣の訓練を受けたりと、食事やお風呂以外はレーヴェレンツ邸にいるのと大差ない生活を送っていた。


 ただ、ここにいる騎士は私とアルドリック様がレーヴェレンツ邸で試合をしているのを知らないものばかりなのか、私がアルドリック様に一方的に勝っている所を見てかなり驚かれた。

 もしかしたらご機嫌取りにわざと負けたりしないことを驚かれていたのかもしれないが。


 一方のアルドリック様はご飯が美味しくなかったりするのもまるで気にしていないようで、ずっとご機嫌だ。普段の四割増しくらいでずっとテンションが高い。

 やはり初めての非日常体験というのは気分が高揚してしまうものなのだろう。


 浮かれすぎて礼儀作法の授業ではミスをして注意されていたし、剣でも隙が多くなっていつも以上にわたしに負けていたが、それでも高いままだった。

 もしかしたら城での生活はあまり羽目を外せないものなのかも知れないなと思い、私は特に気にしない事にした。


 

 到着から九日目を迎えた日の夕方、いつにも増してニコニコ顔のベアノンが本を読んでいる私の所にやってきた。


「お嬢様、ついに出来ましたよ」


 唐突な言葉にキョトンとしてしまう、私が渡した温泉の設計図は直ぐに完成出来る物ではない。ヴルイデクセの体液が規定量集まったという事だろうか。

 私がどう反応したものかと言葉に詰まっていると、ベアノンがそのまま続けた。


「お嬢様が入りたがってた温泉に入れるようになりました」


 やはり温泉の方であっていたようだ、しかしながらいくら早くても二、三カ月は掛かると踏んでいたものがこう短時間で出来上がるものだろうか。私はそのまま首を傾げてしまう。


「ベアノン、確かに入れるなら嬉しいけれど、早く見積もっても二カ月程度は掛かるものだった筈よ、本当にしっかりと完成したの?」

「設計図全部が出来たわけじゃあないですが、道や小屋が無くても風呂にゃ入れますよね。んなわけで、風呂周りや目隠しの柵を優先して作って貰ったんですよ」


 どうやらベアノンは私が温泉を楽しみにしていたのを見て、何とか帰る前に入れるように調整してくれたらしい。


「ありがとうベアノン。もしかしてこれからすぐ入れるのかしら」


 望外の喜びに私は目を輝かせてお礼を言った、入れるのならすぐにでも入りたいところだ。


「そう仰るかと思って準備しておきました。入浴中はたとえ王子だろうと近づけないようにしますんで、安心して入って来てください」

「ありがとう、でも身分からするとアルドリック様が先に入られるべきなのではないかしら。一度聞いてみないといけないわね」


 アルドリック様自身は先に私が入っても大して気にしないかもしれないが、一応了承を得ておいた方が周りからの印象は良いだろう。


「それなら問題ありません、先に王子には聞いてきましたんで。帰るまでに一度は入っておきたいと仰ってましたが一番に入るのはお嬢様で構わないそうですよ」


 気が利くベアノンはもうアルドリック様にも聞いてくれていたらしい。本当に後はそのまま私が入れるように準備してくれたようだ。

 私はすぐにうきうきしながら支度を始めて、リッサと共にケルツェ山を登り始めた。


 明かりは兵士の持っている松明だけだが、ロープが張ってあるので道に迷う事は無い。

 それに遠くの、恐らく温泉の付近に火の気配をいくつも感じる。私がいざとなったら身を守れるように火を置いてあると言っていたので、おそらくそれの気配だろう。

 遠くにある火を辿っていると、ふと気づいた。


 ……ここに来てから感じてた違和感、多分これと同じ気配だ。


 地下の、ずっとずっと深い所から、猛烈に感じる溶岩の気配が恐らくここに来てからの違和感の正体だ。普通はそれほど遠い地下の気配なんて感じられるわけが無いと思うのだが、溶岩は何か特殊なのかもしれない。


 そんな事を考えているうちに、私達は温泉まで着いた。木に埋もれていたそこは少し切り開かれ、温泉の周りは背の高い木の板で出来た塀できっちりと囲まれて中が見えないようになっていた。

 更衣室はまだ作っている最中で、男湯女湯も分かれてはいないが、今私だけが入る分にはさほど問題ない。


 兵士が少し離れたところで温泉に背を向けて守っている所を通り過ぎて、私とリッサは塀の中に入った。

 温泉特有の臭いを感じながら中を見回すと、少し前来た時とはまるでちがってしっかりとした温泉が出来上がっていた。


 床は短期間で敷いたとは思えない石畳と、大きめの岩で囲まれた温泉、そしてそこに入っている乳白色のお湯。

 旅館の温泉もかくやという素晴らしい出来だ。確かに設計図を渡したが、ここまでしっかり出来ると実は思っていなかった。日本的な風景に飢えていた私はそういう意味でも感動した。


「これが温泉、ですか」


 後ろからふとリッサの声がして振り返る。リッサもこの光景に心動かされるところがあったようで、ちょっと驚いた顔になっている。


「えぇ、リッサが見つけてくれたからこそ出来た温泉よ」


 そのまま少し見渡して堪能した後、私は柵に隙間などが無い事を一応見てから服を脱いだ。

 ちなみに山の中で一件無防備にも見えるが、塀の中にも明かりとしていくつも松明があり、また温泉という水辺の近くなので私とリッサがここではとても強い。兵士達の目をかいくぐって来れる者がいるとも思えないが、もしも来たところで無駄に命を散らせるだけと言ってもいい程だ。


 身体を洗って汚れを落とした後、私はついに温泉に入った。やや熱めのお湯にゆっくりと身体を入れていくと芯まで熱さが染み渡るような心地で、久しぶりのお風呂というのもあり極楽だ。

 思わず深く息を吐いてリラックスしてしまう。


 ふとリッサを見ると、服を着たまま濡れた部分から水を取っていた。水をそうやって取れるのはすごいな、なんて一瞬思ったが、リッサはお風呂に入らないつもりなのだろうか。


「リッサも温泉に入らない? リッサにとってもお風呂に入れない生活は辛かったでしょう?」

「……私はお嬢様のメイドですので、主と一緒に入るわけにはいきません」


 間違いなく気になっているだろうにリッサはとことん頑固だと思う。


「私は気にしないし、他には誰もいないのだから入ってもいいのよ?」

「私は気にします」


 リッサは本当につくづく限りなく頑固だと思う。お澄まし顔が少し崩れて少し羨ましそうな目になっているから揺れているだろうに、真面目過ぎるというか融通が利かないというか。


「そう……リッサ、私は一人でこれだけ広いお風呂に入るのも寂しいから、出来れば一緒に入って欲しいのだけれど駄目かしら」


 一応断る余地程度はあるその言葉にリッサはちょっと俯いた後、軽くため息を吐いてからかしこまりましたと返し、そのまま服を脱いで軽く畳むと温泉に入った。

 足を入れてちょっとびっくりしたように一度引っ込めた後、そろそろと全身をつけたリッサは全身が浸かると一度目を閉じて息を吐いた。


「熱い、ですね」

「えぇ、リッサは熱いお風呂は苦手?」

「苦手という程ではありません、ただ少し久しぶりだっただけです」


 そういうリッサもとてもリラックスしているように見える。私も岩にもたれ掛かりながら力を抜く。

 やはり温泉を作って良かったと思う、これは地上の極楽と言っても過言ではない。


「お嬢様が温泉に固執していた理由が分かった気がします、これは確かに良いものですね」

「そうでしょう?」


 リッサの声も普段より柔らかい、気に入って貰えたようで何よりだ。

 その後、私達はちょっとのぼせかけるくらいまでの間至福の時を温泉で味わってから、名残惜しい気持ちを抑えてケルツェ山を降りた。


 小屋がある麓まで戻ってきた私は、これは是非アルドリック様にも楽しんで貰わなければとそのままアルドリック様の小屋まで向かった。

 時間が時間なので中に入るのもと思い、アルドリック様の騎士に声を掛けた後扉の前で待っていると、すぐにアルドリック様がやってきた。


「アルドリック様、先にお風呂を入らせてくださってありがとうございます、とてもいいお湯でしたのでアルドリック様も是非と思い、声を掛けに参りました」

「そ、そうか。ヴァレーリアが満足出来たようならとてもいいと思う」


 何故かこちらから目を逸らしながらアルドリック様がそう言う。暗くて表情ははっきりと見えないが、もしかして服にどこかおかしな所があるのだろうか。

 温泉で着たままなのでもしかしたらはだけているのかなと思い見下ろしたが、特にそんな事は無さそうだ。


「アルドリック様も入られてはいかがでしょうか、私が入ったばかりなので、今なら松明等もそのまま使えるかと思います」

「いや、私は今は、いい。私は明日入らせて貰う、ヴァレーリアも今日はそろそろ寝た方がいいのではないか?」


 それ程遅い時間でも無いのに寝るのを勧められるのも、首を痛めたかのように頑なにこちらを見ないのも気になるが、別に怒っているわけでもなさそうなので首を傾げながらも私はそれに従う事にした。


「えぇと、そうですね。では私も今日はもうお休みさせて頂きます。おやすみなさいませ、アルドリック様」

「あぁ、おやすみ。ヴァレーリア」


 最後までこちらをしっかりと見ないアルドリック様だったが、扉の向こうに消える前に見えたその顔は気のせいか少し赤い気がした。


 

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