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技術よりもなによりも

初出:2007年11月13日

今回のタイトル、『技術がないから』という逃げにも聞こえますね(笑)。

でも、けっしてそんなつもりではありませんよ。ええ、本当に。


今回は創作論は創作論でも、『精神面』を主題にしていこうと思います。執筆する際の心がけとか、そういうものですね。

言っておきますが、『技術面』のネタがなくなったわけではありませんよ。ただ、『技術面』よりも『精神面』のほうが大事だと判断しただけです。


さて、最近『文才がない』という言葉をよく耳にします。

これは僕もよく感じることですので、嘆く気持ちもよくわかるのですよね。

『よくわかる』なんて言うのは、おこがましいもいいところなのですが。


でも僕はこうも思うのです。小説を書く際に必要なのは『文才』――すなわち『技術』ではない、と。

一番必要なのは、面白く読んでもらいたいと思う気持ち、読んでくれた人をいい意味で裏切りたいという気持ち、読み手のことを考えて物語を紡ぐ気持ち――すなわち『精神』なんじゃないか、と。


生まれてこの方、僕は『文章の上手い小説』は数多く読んできました。文法がしっかりしていて、すらすらと読める、そういう小説を。

主に、ファミ通文庫から出ているゲームのノベライズ作品に多かったですね。

でもそういう小説には同時に、どこか虚しさを覚えたりもしました。確かに上手いのです。さすがプロ、という文章レベルではあるのです。なのに、なにか物足りない。

その物足りなさはきっと、作者自身の工夫だったり、気持ちだったりの不足からくるものなのでしょう。少なくとも、僕はそう思うのです。


そして拙い文章で書かれた、新人賞をとった小説を大絶賛したりもしました。さて、なぜそれを大絶賛したのかというと――まあ、これについては、また別の機会にでも語るとしましょう。


つまりは大事なのは『文才』などの『技術』ではなく、『読み手にいかに楽しんでもらうか』などの『精神』だと思うのです。

実際、そういう『精神』で書かれた物語は、多少文章が稚拙であろうと、人の胸を打つものです。楽しんでもらえるものです。僕はそう信じています。


また、本当に『読んでもらうために』書いているのならば、そのために頭を使います。

優れた作品に積極的に目を通し、頭をフル回転させて意外な展開を考え、その展開で驚いてもらうために一生懸命構図を練る。それくらいの努力は、自然に出来るようになるはずです。惜しまないはずです。

それをするのが面倒くさいという人は、言っては失礼だと思いますが、読み手のことを考えていないのだろうと、書くことに向いていないのだろうと思います。


そうそう、僕は小説賞に応募していたころ、自分が楽しむことを忘れてまで読み手を楽しませることを考え、書くのがイヤになってしまいました。

まあ、それも執筆断ちのひとつの要因だったりするのですが、それはそれとして。


あれは、本当にマズかったです。当時の僕がしていたのは『読み手を楽しませる』のではなく『選考委員に媚びていた』だけだったのですから。

『媚びた』作品は面白くありません。あからさますぎて、きっと『心』が入ってないのだと思います。楽しんで書いているときにはある『のびのびさ』が失われていることと思います。

プロを目指して新人賞に応募しようと思っている方、また、している方はご注意ください。経験者は語る、ですよ。


それと、葵せきな先生(『生徒会の一存』の著者)のブログに行き着くまでは僕も好きな作品の二次創作小説サイトを転々としていたのですが、そこで目立ったのが『これは自分が書きたいから書いているだけであって、別に無理をしてまで読んでもらおうとは思っていない』という前書きでした。


『書きたいから書いている』――なるほど、いいことです。

小説はその気持ちで書いたほうが、ずっといい作品が書けるものです。


『別に無理をしてまで読んでもらおうとは思っていない』――なるほどなるほど。

そりゃ、人には好みというものがありますからね。

無理してまで読んでもらっては、書いているほうとしても迷惑かもしれません。

僕の場合は、迷惑とまでは思いませんが。


でも、ですね。

サイトの説明文の最後に『感想ください』はやめましょうよ。そう書くのなら、『書きたいから』だけではなく、『読み手のためにも』書くべきです。

そもそも、感想は『催促するもの』ではなく『もらうもの』です。

自分の作品を面白いと認めてくれた人が『くれるもの』です。自分から執拗に催促するべきものではありません。


そりゃ、催促するのを全面的に『悪い』とは言いません。

それはむしろ、書き手にとって自然な欲求ですから。

でもそれをするなら、やっぱり読み手のことを考えて書くべきだと思うのですよ。

読み手のことを考えて書いた書き手にのみ、『感想、お待ちしてます』とか書く権利が生じるのだと思うのです。我ながらカタイこと言ってるとは思いますけどね(苦笑)。


それにしても、ああ、この言葉を半年くらい前の僕に言ってやりたいなぁ。あの頃の僕は、小説を書くたびにやたらと宣伝して回ってたから……。ああ、あのころの僕の大馬鹿……。


まあ、なにが言いたいかというとですね。

つまりは『感想くれと言うなら、感想を書きたくなるようなものを書く努力をしようよ』と言いたいわけなのですよ。『努力』でいいのです。大事なのは『心がけ』なのですよ。

結果として感想をもらうに値しない作品になってしまった、と思うのはいいと思うのです。書き手がそう思っても、読み手が『価値がある』と思ってくれるかもしれませんし。

要は、作品を書き終えるまでにそういう『努力』をしたか否かが重要なのですよ。


少なくとも、僕はそういう努力をしているつもりです。

『読み手のために』も書いているつもりです。自己満足だけに留まらないよう、書いているつもりです。

その結果がどうなっているかは、まあ、別として。


とにかく、お世辞でしかない感想をくれと叫ぶ努力をするよりも、心の篭もった感想をもらえる小説を書こうと努力をしようと思っていますし、しているつもりではあるのですよ。

あ、こんなこと書いたら、お世辞で感想をくれている人が感想くれなくなってしまいそうな気がしてきました(笑)。忘れてください忘れてください(笑)。

どんな形であれ、感想をもらえるのは嬉しいのですよ、いえ、本当に。


それとですね、『書きたいから書いているだけ、感想なんて欲しいとは思わない』というのは、なんか寂しい感じがします。

少なくとも僕は欲しいですしね、感想。だから読み手のことを考えたりもするわけで。


それになにより、本当に小説を書きたいのなら、いままで語ってきた『努力』なんて、『努力』のうちには入らないんじゃないかな、とも思うのです。

実際、僕は仕事中や睡眠時以外は、ほぼずっと物語の構成を考えてますからね。どうすれば一番魅力的な形で真実を明らかにできるか、とか。

読み手を楽しませる『努力』は惜しんでいませんよ、本当に。


また、読み手のことを考えて書いてさえいれば、驚かせるための構成やすらすら読めるようにするための文章力――すなわち『技術』は自然とつくと思います。

といっても……まあ、僕が言っても説得力ないですかね(苦笑)。

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