初恋・餃子・共通項
結局その日、僕たちは夜九時までミスダツの話を聞いた。
警備会社のスタッフが巡回に来なければ、夜中まで続いていたかもしれない。
ミスダツは、色んな話を聞かせてくれた。
僕にとって、どれも面白いものばかりだった。しかし、それを全部話すとなると、途方もない長さになる。ということで、脳サーチに関するものだけに絞る。
いつものミスダツの授業は、始発駅を出発して、二つ目の駅を過ぎたあたりから徐々に本線を外れていく脱線パターン。
レールのない道なき道を、あっちに行ったり、こっちに行ったり。
授業が終わる頃になると、始発駅がどこだったか、終着駅をどこに定めていたのかさえも分からなくなり、野原の真ん中でとつぜん旅は終わる。まるでミステリーツアー。
しかし、その日に限って彼は、それとはまったく逆のパターンをとった。
ミスダツは、何かを箸で摘まんで、天井に向けた。
箸の先にあったのは、餃子。
弁当のおかずを、残しておいたらしい。
「これは、何だ。分かった生徒は、手をあげろ」
あまりにも幼稚な問題。
幼稚園レベルのなぞなぞには、たいてい罠が仕掛けてある。それぐらいのことは誰でも知っている。生徒全員、軽い警戒の表情を浮かべて黙り込んだ。
沈黙は二十秒ぐらい続いた。
「おいおい」
ミスダツが、呆れたような声で言った。
「何をそんなに難しい顔をしているんだ。ここは一流大学の教室じゃないんだぞ。肩の力を抜いて、さらりと行こうじゃないか。考えすぎると、ろくなことはない。だいいち時間の無駄だ」
だが誰も表情を変えない。ミスダツは、すぐ近くの生徒に顔を向けると、低い声で言った。
「思ったことを、何でも言え」
その生徒は、おそるおそる答えた。
「餃子だと、思います……」
当たり前すぎて、面白くもなんともない。ミスダツの反応が気になる。
興味津々、彼を見つめた。
「そう、見ての通り、餃子だ」
ミスダツは、目元に笑みを浮かべて椅子から立ち上がった。
「ここからが、本題だ」
みんなが見つめる中、彼はホワイトボードに三つの言葉を書いた。
『餃子』
『島崎藤村』
『初恋』
その三つを拳で軽く叩いてから、彼は僕たちに顔を向けた。
「誰でもいい。餃子と、島崎藤村の初恋の共通点を上げてみてくれ」
質問の意味がわからなかったのは、僕だけではなかった。何組かの生徒が、複雑な表情を浮かべて、互いに顔を見合わせていた。
「ミスダツらしい問題だな」
Pは、腕組みをして、考える目になった。
野菜ジュースでも飲みながら、高見の見物を決め込もうと思っていた僕は、少し戸惑った。でも、付き合うことにした。となると、真剣に取り組まなければ意味がない。僕も腕組みをした。
ミスダツは、ちょいちょいオヤジギャグを言う。だが、そのほとんどは、失笑すら起きない。しかし、みんなが大爆笑するギャグを口にすることもある。
ミスダツの講義は、面白い、楽しい、分かりやすいの三拍子。
生徒たちの評価が高いのは、たまに放つ、逆転サヨナラ満塁ホームラン的ダジャレのおかげもある。と、僕はひそかに思っている。
もし彼が、今それを狙っているのなら、僕にも協力できそうだ。
誰にも言っていないが、僕はダジャレに関しては、少々自信をもっている。
今の状況を考えると、ミスダツは、それを自分の口から言うつもりはなさそうだ。誰かが、それを言い出すのを待っている。それをきっかけにして、話を脳サーチに持っていこうと考えているのだろう。
僕は、何気なさを装って、三つの文字を目に焼き付けた。
物事を集中して考えるには、目を閉じるのが一番。余計なものが入ってくると、雑念が湧く。
それまでの僕は、そう信じていた。
そっと瞼を閉じた僕は、頭の中で、三つの言葉をバラバラにした。
音の響きの中に、共通したものがあるような気がしたからだ。
ギ・ョ・ウ・ザ。御座。ギョッ、ザ。器用さ。
シ・マ・ザ・キ・ト・ウ・ソ・ン。シーマ先倒産。詩真っ先父さん。島崎ローソン。
ハ・ツ・コ・イ。ハツ濃い。発来い。ハーツ鯉。
何も感じない。ここで、視点を変える。
初恋は一度だけ。餃子は、何回でも食べられる。でも初恋は食べられない。
ここで、共通点を発見した。
食物だ。
初恋の歌詞の中に、リンゴがでてきた。りんごと餃子が結びつくかもしれない。
リ・ン・ゴ。リング。リンゴスター。ビートルズ。アップル。
僕のダジャレ思考は、そこで急ブレーキがかかった。
それ以上、何も浮かんでこなかった。
島崎ローソンと、餃子が、どこかで繋がらないかと思ったが、駄目だった。
弁当を買ったのは、セブンイレブン。
頭の中で、7と11に分解したところで、やめた。
ミスダツの横顔が目に入った。見たこともない真剣な目。
これは、ダジャレではないと、確信した。
五分過ぎたところで、ヒントが出た。
「餃子を作ったことがある生徒は、いるか?」
五人の手が上がった。女子三名。男子二名。
僕の母は、料理が得意だ。
手作り餃子は、お手の物。だが、僕は料理に興味はない。作っているところを見たことはあるが、どうやって作るのか知らない。
ということで、男子二名に、僕は含まれていない。
ミスダツは、その五人に視線を巡らせながら言った。
「ここにある餃子と、君たちの家で作る餃子の相違点を考えてみたら、どうなるかな」
疑問が起きた。
さっき、ミスダツは共通点を探せと言った。でも、どうして今度は、相違点なんだ。
僕と同じこと思った人間がいた。脚本家志望だった。
「さっきは、共通点を探せとおっしゃいましたよね」
彼の質問に、ミスダツは黙ってうなずいた。
「でも、今度は、相違点ですよね。どうして、質問の内容が違うんですか?」
「どうしてだろうね」
ミスダツは、他人事のような口調で言った。でも、からかいの響きはなかった。確たる信念を秘めた声だった。
「じゃあ、僕、それも含めて考えてみます」
と脚本家志望は言った。