勇者編
「パパ、ママ、これなんのあそび?」
こころは首に巻きついたリボンを不思議そうに見つめました。
「こころ、絶対に動くなよ。パパが今から外してやるからな。ママは今混乱しているんだ」
「こころ、パパの言ってることは嘘よ。パパは今からママとこころを殺すの」
「ころすって、なあに?」
またもやきょとんとした表情で、カタツムリくんとなめちゃんを交互に見ます。
「ふざけるな!」
カタツムリくんは叫びました。
「うわあああああああああん」
カタツムリくんの大声にこころが泣きだします。
「なめ、自分の娘になんてことを……。自分で何を言ったのか分かってるのか!」
「あなたこそ、何を言っているの。わたしも、こころもただの夢だって言ったばかりでしょ。ここで情をうつして殺さなかったら、現実のあなたが死んじゃうんだよ。わたしは、あなたに死んでほしくはないの」
「それは……」
なめとこころが幻想だというのは受け入れがたいことでしたが、話を進めるうちに最後には受け入れざるを得ませんでした。それでも、殺すなんて――
「カタツムリくん、弱い自分が嫌で試練を受けたんでしょ。思い出して。昔のあなたは紛れもない勇者だった」
「ぼくはこんなことをするために強くなりたかったんじゃない。こころを守るために……」
「簡単に強くなる方法なんてない。強くなるには痛みが必要なの。これは受け入れなければならない痛み。それに、わたしたちは偽物。躊躇する必要なんてないんだよ」
「……」
カタツムリくんはリボンが首に巻きついた二匹を見ました。偽物、幻影、夢。本物ではない。確かにそうです。カタツムリくんはこの世界で過ごすうちに、本当は薄々気づいていました。必死に気づかないふりをしていました。
夢に気を取られて、現実をおろそかにするなんて馬鹿げたことです。ここにいるなめちゃんは偽物です。本物のなめちゃんは現実で待っているはずなのです。
カタツムリくんは震えながら、リボンが括り付けられた角をゆっくりと引きました。
◆◆
「嘘だ」
『聞こえなかった? カタツムリくんは死んだわよ』
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」
なめちゃんはのぞみが言ったことに対して必死に否定を重ね続けました。
『嘘だと思うなら、木の裏に隠した彼を見に行って来たら?』
木の裏へ回ると、干からびていたはずカタツムリくんは粉状になっていました。
「カタツムリくん……」
なめちゃんが近づくと、粉になったカタツムリくんは宙に浮かびました。そのまま風に乗って移動します。
「待って!」
なめちゃんはカタツムリくんを追って校庭まで走ります。霧が集まったかのようなカタツムリくんは更に校門を抜けて、いつもなめちゃんが進んでいる通学路に沿って進みました。
なめちゃんはカタツムリくんを必死に追います。
霧になったカタツムリくんは、なめちゃんの家の前まで来るとどこかに消えてしまいました。必死に見回しますがどこにもカタツムリくんはいませんでした。
がっくりとうなだれます。なめちゃんにはカタツムリくんがもうここにいないとわかりました。全身から力が抜けて、何もする気がおきませんでした。
このまま、家に入ってベッドで寝てしまおうか。そんな弱音が一瞬、胸の内に湧き上がりました。駆けてきた方角をぼんやりと見つめます。いつもカタツムリくんと一緒に登校した道でもあります。
なめちゃんは体を上げて、元来た道をたどっていきました。
「そっか、ここでいつも……」
次々と思い浮かぶのはカタツムリくんとの思い出でした。
「あのときは一緒に笑ってくれて、あのときは一緒に悲しんでくれて、それから――」
再び登校しながら追う景色にカタツムリくんの背中はありません。これから永遠に見ることはありません。なめちゃんの勇者はいなくなりました。たとえ偽物でも、嘘でもいいからカタツムリくんに会いたいと願いましたが、視界がにじむだけで誰も現れてくれませんでした。
魂が抜けたように進めば気がつくと、目の前はあの光が降り注ぐ場所でした。真ん中にはつのっちくんが倒れています。隣には巨大な殻がありました。何度願っても現れなかったなめちゃんの殻です。中から甘いにおいが漂っています。
なめちゃんはそれを見て強さとは何なのかをようやく理解しました。カタツムリくんは勇者ではありませんでした。弱くて臆病なところもある普通のなめくじでした。
虚空のような穴を、なめちゃんも同じく空虚な目で見つめます。初めて間近にした時は恐怖を感じたはずのその穴に、今となっては穏やかな気持ちにさせられました。
なめちゃんは、いったん光から出て石を探しました。綺麗な楕円形の石を三つ見つけると、カタツムリくんを隠していた木の正面に横一列に立てて並べます。
「カタツムリくん、わたしも会いに行くからね」
なめちゃんはカタツムリくんが返してくれたリボンを外して、真ん中の石の上に置きました。
再び光に入ります。決意を新たに殻の中へ飛び込みました。
◆◆
首が締まった二匹の顔は歪んでいました。膨れ上がって今にも破裂しそうです。
「そう、それでいいのよ、あなた」
「パ、パ。くる、しいよ」
カタツムリくんは見ていられずに、リボンの紐を引く力を弱めました。
「どうして緩めるの? 勇者だった頃のあなたなら、この紐を引けるはずよ」
「あんなのは嘘だ。たまたまなんだよ。ぼくは強くなんかない、勇者でもない」
「カタツムリくん、それがあなたの選んだ答えなの?」
カタツムリくんは、自らの手で命が失われそうな二匹を見て、それから現実のなめちゃんの顔を思い浮かべました。
もう一度、強くリボンを握り締めます。
「パパ、た、たすけ……」
娘の助けを求める声を聞いて、完全に心が折れました。リボンはほどけ、向かい合う間のテーブルに力なく垂れ下がります。
カタツムリくんは近づいてなめちゃんとこころを抱きしめました。
「なめ、こころ、ごめん。ぼくは――」
カタツムリくんは言葉を続けようとしましたがそれ以上は声になりませんでした。
「パパぁ、こわ、かったよぉ」
「本当、あなたはわたしがいないとだめなんだから……」
「これでよかったんだ。ぼくにはきみたちを見捨てることなんてできない。たとえ偽物だったとしても」
なめちゃんはぽつり、ぽつりと話し始めました。
「ねえ、あなた。わたしはずっと苦しかった。まがい物に過ぎないわたしが生きててもしょうがないって思ってた。偽物でもここにいていいのかな。偽物でもわたしを選んでくれるの?」
「もちろん。ぼくだって偽物だ。本物は現実に置いてきた。現実で、ぼくの弱さは誰にも必要とされなかった。これでいい、これがいいんだ。必要だからきみはここにいる。偽物が本物に敵わないなんてことはないんだよ」
「ありがとう、偽物のわたしを選んでくれて」
なめちゃんはカタツムリくんを強く抱きしめ返しました。
離れて、カタツムリくんに告げます。
「最後にお願いがあるの」
「なに?」
「このリボンを現実のわたしに届けてあげて。それでこの世界と現実とのつながりが断たれるから」
「わかった。でも、どうやって」
「今、現実のわたしは寝てるの。あの子の夢だったら、あなたは移動できる。リボンを渡したら最後、それもできなくなるけど」
なめちゃんが角を揺らすと、何もなかったはずの空間にぽっかりと黒い穴が空きました。リボンは宙に浮き、元の結び目を作ってからカタツムリくんの体の中へ入ります。
「これに入ればいいんだね。じゃあ、行ってくるよ」
「うん、わたしによろしくね」
カタツムリくんは黒い空間に体をくぐらせました。
◆◆
殻の向こう側は無限の花畑でした。爽やかな風が通り抜けて、フローラルな香りに包まれます。
カタツムリくんはどこだろうと、なめちゃんは探します。
「おーい、なめちゃん」
後ろから懐かしい声がしました。心臓が、とくんと高鳴ります。なめちゃんは、ゆっくりと振り返りました。そこには、本物のカタツムリくんがいました。
「カタツムリくん!」
カタツムリくんに向かって突進します。なめちゃんは全てを包み込むような柔らかい抱擁で迎え入れられました。
「何も言わずにいなくなっちゃうなんて、ひどいよ。どこ行ってたの? わたし、カタツムリくんに会うためにこんなにがんばったんだよ」
「ありがとう、なめちゃん。ぼくを探してくれて。大丈夫、これからはずっと一緒だから」
カタツムリくんはなめちゃんの頭をなで続けます。
「ったくよー、なに二人だけでいちゃついてんだよ。おれも忘れてもらちゃあ困るぜ」
カタツムリくんの後ろから、つのっちくんがやってきました。
「つのっちくん! ごめん、わたし――」
なめちゃんは、つのっちくんを巻き込んだこと謝ろうとしましたが、つのっちくんに先に言葉を続けられました。
「まあ、気にすんなって。こうしてまた会えたんだしな。それに、これからはずっと一緒だ」
「本当? もうみんなどこにもいかないの?」
「本当だよ」
「本当だぜ」
カタツムリくんとつのっちくんが同時に言いました。
「よかった、信じられない。夢みたい」
なめちゃんは、心の底から笑いました。
それからなめちゃんは、カタツムリくんとつのっちくんと一緒にこの世界で暮らしました。ここには悲しいことも辛いこともありませんでした。とても甘く、幸せに満ちていました。どんな願いでも欲しいものでも手に入りました。
ただ、あの時貰ったリボンだけは手に入ることはありませんでした。
◆◆
「ただいま」
カタツムリくんは現実のなめちゃんに夢の中でリボンを返し終えました。家に戻ると、なめちゃんとこころが並んで待っていてくれました。
「おかえりなさい、あなた。これからはずっと一緒だよ」
「うん、これでよかったんだ……」
ふいに、両目から涙がこぼれました。
「パパ、かなしいの?」
「ううん、悲しくないんだ。悲しくあってほしいのに、悲しくないんだよ」
「パパ、だいじょうぶ。こころがいるからね」
こころが抱きついて角でカタツムリくんの頭を撫でました。
「ありがとう。パパもずっと一緒だ」
◆◆
むかしむかしあるところに、なめくじの学校に通う一匹の子供がいました。そのなめくじは、臆病な自分を変えたいと願っていました。
立ち入り禁止の東校舎裏にいけば勇者になれるという噂を聞きつけ、そのなめくじは勇気を振り絞り立ち入り禁止の札をくぐり抜けました。
くぐり抜けるとそこは眩しい光の筋が地面を円状に照らしています。隣の木には墓標が三つ並んでいました。真ん中の石には、ボロボロになった紐のようなものが垂れています。
なめくじの子供は、震えながら光の中へ飛び込みました。
『殻わあ、殻はいりませんか~』




