優日と広人(2)
「お前、なんであんなに挑発するんだよ?」
帰り道、なんとなく派世についていく俺。
「あいつの発言が差別的で気に食わんからだ」
ちなみに、派世が悪く言われて一番怒っているのは佐鳥さん。
人を殺す一歩手前の目だね、あれは。
「しかしよ、あのやり方じゃあ殴り合いに発展する可能性だってある。そんな危険な方法取らなくても……」
「なんらかの方法で人間は能力で測れるようなちっぽけな存在じゃないと証明する必要がある。人間は人間だ。数字じゃない」
「いやまあ、その通りだとは、思うけどよ……」
「できることに違いがあるだけだ。それは、実質的には、サッカー選手と観客の違い、あるいは、サッカー選手と野球選手の違いでしかない」
その例えは正しいのか?
「選手と観客の間で優劣はないし、サッカー選手と野球選手では優劣のつけようがない。あいつはそれで、人の優劣を決めていたんだよ。つまりは差別だ」
とても中一の発言とは思えない発言。
たしかに差別だと思うけどな。
「お前はもう俺に関わるな」
派世の優しさからの発言……だと思う。
巻き込んでしまうからか、俺が邪魔なのか、それは分からない。
「なんでだ?」
「あいつが何をしでかすか分からないからだ。もしかしたら、お前が狙われることになるかもしれない」
派世の言っていることはなんとなく分かる。
だが、俺はそうすべきじゃないとなんとなく思いながら、それでも派世の味方でいたいと思う。
「関係ねーよ。俺に矛先が向いたなら、俺が返り討ちにすればいい」
「あーあー、頼もしいね」
「心にもないことを言うなよ」
「粉微塵ほどには思ってるよ」
「それは思ってねーんだよ!」
佐鳥さんがあれこれ見て回り、いくつかの食材を揃えていく。
「お前らっていつもここで買ってるのか?」
「ああ。安いし美味いし、サービスしてくれることもある。たまに手伝いを頼まれるが、その時は給料出るから」
「もっと早く言えよ!」
派世に言われて俺はすぐにおっちゃんに話しを聞きに行く。
「おっちゃん!」
「おう!どうした坊主?」
「俺をここで働かせてくれ!」
「働かせるって、坊主、今何歳だ?」
「12歳です!」
「それじゃあダメだな〜。働かせることはできねぇよ」
「そこをなんとか!」
「ダメったらダメ!」
なぜだ、なぜ派世は良くて俺はダメなんだ……
「日溜君?そんな頼み方じゃダメだよー?」
「なら、どうすればええんや!」
「手伝わせてって言うんだよー」
手伝う?
それじゃあ給料は発生しないよな?
いや、待て、派世はなんて言った?
「俺に、手伝いをさせてくれ!」
「おう!それなら構わねえよ!そのかわり、ビシバシ動いてもらうからな!」
「任せてくれ!」
「とりあえず、店の手伝いってことにするから、もし人に聞かれたら、手伝いだって、言ってくれよ?じゃねぇとオレが怒られちまうよ」
「任せてくれ!」
「そうだなぁ……出勤日は土曜に話そう。そこで給料なんかも決めるが、来れるか?」
「ああ!任せてくれ!」
「やってる間ならいつ来てもいいからな」
「ありがとうこざいます!」
「そんなに金に困っているのか?」
「ああ。ものすごい困ってるぜ」
「そうか。頑張れよ」
興味なさそうに言うなぁ……
派世らしいっちゃあ派世らしいけど。
ついでだし、俺も何か買っていこ。
「サービスしとくぜ」
「なにそれ良心的!」
「これから頑張ってもらうからな!ま!難しいことはこれっぽっちもねえけどな!」
大声で笑うおっちゃんに、地域の繋がりってこんなものだったなと、大阪にいた頃を思い出す。
ああ、いいな、こういうの。
派世たちと別れて、家に帰る途中で、杖をつくランドセルを背負ったポニーテールの少女を見かける。
人通りの少ない道だな。
そう思いながら、俺はその少女に追いつく。
「よっ」
軽い挨拶で気付かせると、黄色い帽子の似合わない、そこそこ成長した少女は、可愛いツリ目のお目目で振り向き、整った顔立ちを警戒から安堵に変える。
「なんや、アニキか」
「せや」
「妹が心配なって探しにきたんか?」
俺の妹、日溜秋が、杖をついて、しっかりと一歩一歩を踏みしめる。
「たまたまや」
「ふーん。ま、そういうことにしといたるわ」
この妹は俺をシスコンにしたいのだろうか?
残念だが、俺にはもう心に決めた人がいるんでね、まあ、今は東京に移動してきて、かなり距離が離れて、簡単には会えないようになっちゃったけどな。
それでもその少女を愛する俺は、妹を家族としてしか愛せんのだ。
すまんの、妹よ。
「なんやの?その…えーと……なんて言うたらええか分からんわ」
「慈愛に満ちた目ぇや」
「じあい?なにそれ?」
「まあええ。それより、こない人通り少ない道、一人で歩いとったら危ないで?」
「しゃーないやん。だってウチん家、ここの道通らな帰れへんもん」
「うーん……遠回りさせるのも、体に障るしなぁ……」
「触る?誰が触るん?」
「そー言うんとちゃうわ。お前体弱いやろ?せやからあまり距離歩けへんやんって意味や」
「なんや、一丁前に妹の心配なんてしよって、頭でも打ったんか?」
「昔からずっと心配しとるわ」
俺が迎えに行くのが一番安全だが、そうしてばかりもいかないんだよな。
俺だって学校があるし、カリキュラム見たが、帰る時間が俺の方が遅い。
小学校と中学校ではそれなりに距離もあり、歩いて移動するのでは時間がかかりすぎる。
だがまあ、安全第一だな。
「ええか?これからは俺が迎え行くまで待っとるんやで?こないな時間帯に一人で歩いとったら、危ないおっさんに連れてかれてしまうかもしれへんからな」
「そない心配せんでもええって。ウチだってもうこない大きいんやから」
「そりゃ身長だけなら、小学生ん中では大きい方や思うけども、それでもおまんは小学生なんや。そりゃ心配にもなるわ」
「ええて。そないな迷惑かけたないし」
家族同士で迷惑もクソもあるかい!と思ったが、秋は母が倒れたことを気にしてるんだろうなと思う。
父が居なくなってから追い討ちをかけるように病気になり、母は苦労と疲労に心を壊した。
そう、自分のせいだと、思っているんだろうな。
俺が同じようにならないか、心配しているんだろう。
今は母方の祖母と暮らしているが、それだって、いつまで続くか分からない。
今では車椅子だしな。
制度的な家族は何人かいるが、心の繋がりでいう家族ってものは、俺たちには一人ずつ、俺たち兄妹だけしかいないんだ。
「しゃあないなぁ。せやったら、絶対に知らへん人についてったらあかんで?」
「言われんでも分かっとるよ」
俺は絶対にこいつを守り続ける。
唯一の家族、秋を。
バイトを土日に入れて、俺は早速バイトした帰り道に、欲しがっていたそれを買う。
再来週の今日、この時間に取りにくると伝えて、俺は家に向かう。
その途中で派世を見かける。
「よっ!広人、こんなところで何してるんだ?」
人通りの少ない小道に入ろうとしていた派世は、俺の呼びかけで足を止める。
「優日か……呼び出されたんだ」
「呼び出された?」
いったい誰に、というか、なぜこんなところに?
この小道の先は、たしか入り組んでいて、最後は行き止まりだったはず。
穏やかじゃないな。
「俺もついて行ってもいいか?」
自分も行くと言うと、派世は困ったような渋い顔をする。
「どうした?」
「いや、おすすめは、しないぞ?」
「ダメだ、とは言わないのか?」
「そこはお前の意思を尊重するさ。来てはいけない、とは思っていないからな」
俺も派世に続いて入っていくが、進めば進むほど不気味になっていって、入ったことを後悔する。
暗い。
今はまだ日が沈んでいない。
なのに……
暗い。
怖いとか、そういうのはないが、街の喧騒が聞こえる中に、ぽっかりと空いた空白地帯のような、もはや別世界であるかのような気さえして、俺は一層警戒を強める。
見上げれば空が見えていたはずだ。
しかしここからは飛び出した屋根や室外機、建物と建物の間にかかった紐で吊るされた洗濯物なんかが、空を覆い隠そうとしていた。
隙間から見える空は、その青が際立って、いつもより綺麗に見える。
ここは普段俺が暮らしている世界とは別世界なんだと、確信する。
なんとなく、引き返した方がいい気がする。
しかしどんどんと進んでいってしまう派世を、放っていくわけにはいかない。
車の走る音くらいしか聞こえないほど奥に来て、俺はそこで待ち構えていた人物を目にする。
やはり、と言うべきか、そこにいたのは大曽根だった。
「呼び出しに応じてやったぞ。さて、何をするんだ?」
「なんだ?そいつはギャラリーか?まあいたところで何も変わらねぇが。テメェには痛い目を見てもらう」
「俺に?お前が見るんじゃないのか?」
「無能なテメェが、言ってくれるじゃねぇか!」
こんなところでこっそりとやり合おうとしていたのか。
まったく、俺に知られずになんて、水臭いな。
こいつ、まさか佐鳥さんにも黙ってここにいるんじゃないだろうな?
「お前、何一人で抱え込んでんだよ?」
そう言うと、怪訝そうな顔を返される。
「一人で?いや、俺は夢花には行って出てきたぞ?夢花以外にも何人かには言ってあるし、みんな行ってらっしゃいって送り出してくれた」
「はあ?いや、それならなんで俺には相談しないんだよ!」
「いや、連絡入れたぞ?今日から店の手伝いでもしてたのか?繋がらなかったんだが……」
派世の言葉を聞いてスマホを確認する。
電話来てた……
「あれぇ?」
「悪いな大曽根、少し遅れて。さて、やろうか」
「チッ、威勢がいいな。無能力者の紫の分際で、この俺には向かうな!」
影の手が出現する。
これまで見た中で最も大きく、指が機敏に動く、怪しげに蠢く手が、大曽根の右肩より少し高いあたりに浮かぶ。
「お前は引っ込んでろ。これはサシでやるべき戦いだ」
「無能力者が、粋がってんじゃねぇ!」
素早く動くその巨大な手が、派世の体を握り潰そうとする。
「広人おおおおおお!!!」
完全に手に目がいっていた。
だからその音がなんの音なのか、分からなかった。
鈍い音。
ガラガラと何かが散らばる音。
手が消えるとそこには誰もいない。
俺はゆっくりと首を動かす。
そこにいるはずの大曽根、そこにいないはずの派世。
さっきまで大曽根が立っていた場所には派世が立ち、大曽根は壁際でひっくり返ったゴミ箱の近く、積み上げられた段ボールに突っ込んで寝転がっていた。
なんだ?
派世が、やったのか?
一瞬のように思えた出来事。
派世は手を払い帰ろうとする。
なんだ、これ?
手が視界から派世を隠した時、きっと派世が何かをしたんだ。
能力なんか使わずとも、視界が切れた一瞬で取りにいく。
なんなんだ、この戦い方は……
「帰らないのか?」
「あ、ああ。そうだな」
何がなんだか分からないが、まあ無事ならそれでいいか。
気になるが聞かずに帰る。
大曽根を放っておいていいのだろうか?
あれからしばらく、学校で大曽根はおとなしかった。
派世と佐鳥さんがイチャイチャしていても、舌打ちして教室を出て行くだけ。
特に何かをしようという気概は感じられなかった。
だから俺は油断していた。
もう何も起こらない、不安がることはないと、安心していた。
「おう、ちゃんと働いてるみたいだな」
「お、広人。買い物か?」
「いや、様子を見にきた」
「おうヒロ坊!せっかくだからなんか買ってけ!」
おっちゃんがそう言っているが、派世は佐鳥さんが昨日買いに来ただろうと断る。
完全に夫婦なんだよなぁ、こいつら。
「そういえば、お前傘持ってないけど、今日雨降るぞ?」
「そうなの?参ったなぁ……夢花に持ってきてもらうか……」
「彼氏彼女を否定するのはすでに夫婦になってたからか」
「俺たちはそんな関係じゃないんだがな」
「説得力皆無だぜ?」
「なぜ信じてもらえないのか……」
もう子供がいるって言われても信じられるぜ。
「うっし、そろそろ上がりだな。坊主、帰っていいぞ!忙しい時間は脱したしな!」
この商店街はかなり繁盛しているらしく、そこそこ身入りがいい。
本当なら働けない中学生を働かせて、さらにサービスしてくれるくらいには繁盛している。
平日も土日もずっと賑わっていて、やはり住宅街と駅の間にあるのが功を奏しているのだろう。
派世と歩いて帰ろうとすると、派世のスマホに電話がかかってくる。
「はいよー」
誰からだろうか?
「あー、うん。ちょうど頼もうと思ってたとこ。ああ。ああ?今商店街だ。ああ。もう少しぶらぶらしてから帰るつもりだったんだが……特にすることもないし、このまま帰るよ」
嫁さんとの電話かな?
「佐鳥さんか?」
「よく分かったな」
「夫婦の会話に聞こえたからな」
「いやいや、夫婦の会話って……俺たちの認識だと、兄妹の感覚が一番近いと思うんだがなぁ……」
「いやいやいや!兄妹そんな爛れた関係じゃないから!」
「俺たちの関係も爛れてはいないだろ」
「なら、兄妹の関係はそんなエッチなものじゃないから!」
「いや、肉体関係は一切ないんだが……」
「そもそも、兄妹は一定の距離感があるものなの!お前らのは近すぎだから!」
「いや、兄妹ったって色々あるだろ?それの一種だ」
「まさか、近親相姦……?」
「体の関係はないって言ったよな?」
くだらないことを話しながら歩いていると、気がつけば周りにはガラの悪いやつらが集まっていた。
「なんだ?急に雰囲気が変わったが……」
「こいつら、ここらの住人じゃないな」
派世は結構地域との関わりがある。
だから住人かどうかも見分けることができる。
「この制服、問題の不良校だ」
「ンだテンメェ?何道の真ん中歩いてンだよコラァ!」
あまりに理不尽な言いがかり。
喧嘩をするつもりはなかったが、仕方ない。
胸ぐらを掴む腕を、俺は握力70の右手で握る。
「あだだだだだ!」
痛みで簡単に離れた腕を突き放すように解放する。
「テンメェコノヤロォ……やんのかオラァ!」
「やられてやられっぱなしの俺だと思うなよ?」
俺の能力は戦闘向きじゃないが、やるか。
派世もやる気みたいだしな。
両手を合わせて鎖を展開する。
それを伸ばして纏い、気休め程度の鎧とする。
「どっからでもかかって来いやあ!」
俺が威勢よくそう叫ぶと、周囲の不良たちが一斉に向かってくる。
十数人が相手、二人で勝てるのか?
それに俺は戦闘向きじゃなく、派世は紫なのに?
そんな心配はすぐに杞憂だと気付く。
不良の叫び声。
何が起きたのかと、そちらを見る。
「やる気あるのか?お前ら」
不良たちを弄ぶ派世。
何をどうしてこうなった?
派世は不良たちを軽くあしらっていく。
その姿はまるで、光り輝くミラーボールの下で一際注目を集めるダンサーのようである。
俺は不良の一人を殴り飛ばしながら、視界の端では派世の姿を捉えている。
戦い方が常軌を逸している。
拳を体を回転させることで払い、その勢いのまま肘を後頭部に入れる。
両脚を振り上げ頭を挟み、戸惑う間に体を起こす力で相手の体を下げさせて頭突き、仰け反る頭に両手を置き、足を天高く伸ばしたかと思えば股を開いて両の踵を二人の不良めがけて落とす。
さらにはそれを踏み場として綺麗に着地する始末。
無能力者であるが故の、戦闘の工夫と身体能力だ。
階級赤の俺より、ずっと強いと感じさせる戦いぶり。
俺も負けじと不良たちを倒していくが、派世の圧倒的なまでの戦闘センスには遠く及ばない。
俺が一人倒す間に、派世は三、四人倒していく。
ふざけているとしか思えない戦い方だが、派世はそれで敵を倒しているのだから、きっと真面目なんだろう。
俺が能力で硬くなっている不良に手間取っていると、派世が俺の頭に手を置き、なぜだか俺の頭上で逆立ちする。
さっきまでの戦いぶりを見て、これ俺を不良と間違えて攻撃しようとしてるんじゃ、なんて心配になるが、決してそんなことはなく、そのまま手で跳ね一回転して不良の頭に踵落としをする。
硬いなら火力を上げればいい、か。
「どうした?俺はまだまだ踊り足りないぞ?」
この程度の人数では俺は倒せない、と挑発するように見下す派世は、起き上がろうとしていた不良を宙に蹴り上げ、くるりと前宙してその腹に膝を乗せて地面に叩きつける。
華麗だが残酷な技だ。
戦い慣れている。
人を傷つけ慣れている。
その時の派世の表情は、人を傷つけることに一切の感情を持たない、機械的な表情をしていた。
「終わってみれば他愛なかったぜ」
「ほとんど俺が倒したのに、よく言うよ」
「そうだな。そういえばそうだった」
俺たちがそうやって笑顔を向けあっていると、派世からはその笑顔が突如として消え、その表情を強張らせる。
「おい、どうしたんだ?」
ーーーーパァン!
鳴り響く高い破裂音。
それが銃声であると気付くまでしばらく固まっている。
俺に痛みはない。
「広人!」
まさか、と焦って広人に焦点を合わせる。
全身に視線を這わせるが、撃たれたような痕跡はない。
俺の背後から聞こえた銃声。
倒れていた不良の、誰かが撃ったのか?
銃弾はどこへいった……?
一瞬のことで、俺はその変化に気付くのが遅れた。
派世の右手が、何かを握るような形で、体の前に持ち上げられていた。
派世がその手を開くと、そこから小さな金属がアスファルトの道路に落ちる。
さっきの銃声とは比べものにならないほど小さな音。
気がつけば土砂降りの雨が降っていた。
それが地面に叩きつけられる音でほとんど隠された銃弾の落下音。
天から降り注ぐ小さな水の粒は、どこからか発せられた紅い光に彩られる。
ネオンがつくにはまだ早い時間帯。
その事実を受け入れるには、少し時間がかかった。
発光する派世の瞳。
右の目を発光させて、真っ直ぐなにかを見つめている。
髪もいつもの派世じゃない。
普段なら派世の髪は、髪質の違う二種の髪によって構成されている。
女性的な絹のように滑らかな、そして艶やかな黒髪。
少し跳ねた力強い黒髪。
その二種によって構成された髪が、今ではそのどちらも存在しない。
その髪は、暴力的な闇色に染まっている。
二度、三度と響く銃声。
派世は手だけで反応する。
再びカランと地面に落ちる銃弾。
派世の目は揺らいでいる。
俺は思い出したように、銃を握る不良に駆ける。
そんな俺の横を風が吹き抜ける。
紅く瞳を染めた派世は、地面に伏したまま銃を構えるそいつの手を蹴り飛ばし、銃を落とさせる。
そして振り上げた足を、そのまま腕を壊すかのように振り下ろす。
「お前が……お前らが……」
何度も何度も、執拗に踏みつける。
派世は視線を不良の下の方へと移す。
やりすぎだ!
「広人!」
俺は押さえに行こうとして、派世を中心に起こった風に押し飛ばされる。
「……なんだ…今の?」
派世はその不良のあそこに、高く上げた足を、踵を確実に潰すように下ろす。
嫌な音が響く。
ズボンの布地から、様々な液体の混ざったような、見ていて気分の悪くなるような液体が染み出している。
泣き叫ぶ不良。
「お前らがしてきたことは、こんなモンじゃない……!」
何をどうして派世はああなった……?
初めて感じる、派世の全力の殺気。
大阪を経験したからこそ、この殺気がどれほど凶悪なものなのか分かる。
「広人!ダメだ!それ以上は、そいつが死んじまう!」
しかし俺の言葉は届かない。
ついさっきまで普通だったのに、なぜ?
「お前らが、あいつらを……!」
派世が何のことを言っているのか分からない。
だが、止めなくちゃならないのは間違いない。
その不良にまたがり、痛みに叫び唾を吐きちらすその顔を、やはり必要以上に殴る。
最初の一撃で舌を噛んでしまったのだろう。大量の血が周囲に飛び散り、元々ピンク色であったであろうそれが、ペチャリと濡れた地面に落ちる。
血色に染まったそれは、雨に色を戻していく。
俺は今まで耐えてきた吐き気を抑えられず、胃の中身を道路に吐き出す。
なんなんだよ、それ……
なんでそんなひどいことが、そんな簡単にできるんだよ……
「クソックソックソッ!殺す!殺す!殺す!お前ら全員、ぶっ殺してやる!」
再び謎の風に突き飛ばされる。
派世はもう死んでいるであろうそいつにとどめを刺すように、立ち上がりその頭に狙いをつける。
派世が足を振り上げた時、派世を止めるようにと誰かが正面から抱きつく。
「ヒロ君!」
回る視界、耳に届いた声でその人物が分かる。
体を起こしてその様子を見る。
派世は、勢いよくぶつかってきたその人によって、死んだ不良から引き剥がされる。
「殺す!殺すんだ!全部!全部!全部ううぅ……!」
俺は立ち上がり派世に向かおうとしてやめる。
俺には近づくことさえできなかった。
巻き起こった風に抗うことなく、流されるままに流された。
そんな俺が、あいつの隣に立てるだろうか?
「ヒロ君!もういいんだよ!もう!殺さなくていいんだよ……」
気がつけば、紅い光が消えていた。
遠くでガードレールに引っかかっている布地が逆になった傘が、派世の起こした風の威力を示している。
濡れた服、風で飛ばされた小石なんかが当たったのか、負傷した佐鳥さんは、そんなになっても派世を止めるためにその華奢な体で派世の体を抱き止める。
頰から血を流す佐鳥さん。
鎖で身を守っている俺は、それなのに風に抗えず吹き飛ばされていた。
そんな俺が、二人のそばに行ってもいいのか……?
俺は二人を呆然と眺める。
荒い息が整っていく派世。
そして派世は佐鳥さんから離れ、道の端で体中のもの全部を吐き出す勢いでひどい呻き声とともに吐き出す。
苦しそうにしている派世を、佐鳥さんんは後ろから優しく抱きしめる。
「あ、ああ……う、ああ……」
ポロポロと溢れているであろう涙。
それは雨と混ざり合って、跡も残さず静かに消える。
闇色だった髪は、雨に濡れたこともあり、ぴったりと体に力なく張り付いている。
色は血が混ざって分かりづらくなってはいるが、それは弱々しい灰色がかった薄い黒のように見える。
駆けつけた警察によって、派世と不良たちが連れて行かれる。
派世には佐鳥さんが付き添って、そして当然、俺も他の警官によって連れて行かれる。
救急車も来たが、あいつはもう手遅れだろう。
派世、大丈夫かな……?
今は派世の罪のことよりも、心のことが心配だった。




