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もしかして、わたくしはエドガー様と結婚の約束をしてしまったのでは……?
と気付いたのは、翌日、朝食をいただいてようやく頭が覚めてから。
新年を祝う、年越しパーティーでおこった一連の出来事を思いだし、自分の失敗を思いだし、「そうだ、契約結婚……!!」と、本来の口実を思いだし、昼食まで恥ずかしさといたたまれなさに、クッションに顔を押しつけて奇声をごまかしながら悶え続けた。
間違いなく、エドガー様の中でわたくしのイメージは「割り切った付き合いの出来る大人の女性」ではなくなっているだろう。
………………ああああああ!!!!
その大失敗にクッションをたたきながら自分を罵り続ける。
でも、隣で幸せに笑ってくれる妻が良いとおっしゃったわ。
それなら、契約結婚より、ずっとそっちがいい。
もしかして、あの失敗は正解だったのかしら。
希望が胸をよぎる。
でもでも、あんな醜態をさらして、泣き顔を見られて、変なことばかりを口走って……それは、女性として、本当に妻として求めたい女性の姿……?
……ない。あれはない。やっぱり、無理かも……!!
その日は一日中、そんな期待に浮上しては、自分の言動を思いだし沈むという、浮き沈みを数え切れないほどした。
二日目には、だんだんと不安が勝ってきて、期待に浮きかけては、でも……と沈み続けて。
そして、三日目に、あんな口頭での会話なんて、冗談だったのかもしれない……と、我に返った。
婚約者殿、なんていったくせに、彼からはあれから何の連絡もない。
何を、浮かれていたのかしら。
情けなさに、気持ちはただ沈んでゆく。
奇妙な言動をしたから、きっとからかわれたのだろう。
窓の外を見ながら、小さくため息をつく。
年が明けて十日しか経ってないというのに、今日もまた求婚者の知らせが来た。
エドガー様からは、何の音沙汰もない。
断るにしても一応は確認しておきなさいと、父から渡された封筒をひっくり返したり仰いでみたりと、もてあそぶ。その中は、求婚者の情報とその方からの手紙とのことだが、のぞく気になれずにいる。いつものことなので、家の者からの扱いも粗雑だ。
求婚。その言葉に、ずしんと心が沈んでゆく。いたたまれなさとむなしさと、やりきれなさが胸を占めて、断る言葉を考えるのさえ億劫だ。
求婚者の情報と手紙が封入された封筒を手にしたまま、ふらりと外に足を向ける。
「どう、断ろうかしら……」
玄関を抜け庭に向かおうとしたその時。
「俺をその気にさせておいて、断るのか?」
穏やかそうにも聞こえるが、わずかに険のこもった声が響く。
それは、よく知っている声だった。知っているというより、焦がれているあの人の……。
「……エドガー様!」
振り返れば、無表情にわたくしを見つめる彼の姿があった。女性に対していつも笑顔のポーカーフェイスで感情を隠している彼にしては、とても珍しい表情で、貼り付けた笑顔さえ向けたくないほどの悪感情を向けられているらしいことに、体がこわばる。
「俺はからかわれたのか? あの時はあんなにかわいく振る舞っていたのに……あれは演技か? どうやら噂は本当だったようだな。男をもてあそぶ冷徹な氷姫?」
冷徹な氷姫というのは、わたくしから求婚を断られた男が、お高くとまってんじゃねぇとばかりに、逃げるわたくしをそう呼んだのがきっかけで、面白半分に広がっているらしい。
わたくしが冷徹な氷姫とはずいぶん対極にあるということはエドガー様は十分に実感しているはずだ。というより、なんでエドガー様がここにいるのだろう。
驚いて立ち尽くしている内に、歩み寄ってくるなり乱暴に腕を取られ、何を言われているのかわからずパニックになる。
「君は……ひどい女だな」
「え? あのっ えどがーさま……あれ? え、でも……」
さっき向けられたエドガー様の言葉を頑張って思い返す。
えっと……え? あれ? その気にさせておいて? 断る? なんの話? からかわれたのはわたくしで、その気になってたのもわたくしで……え……?
彼に握られた手から、封筒が落ちる。
ばさばさという音に、はっと我に返る。
地面に散らばった求婚者の情報を見られたくなくて、慌ててそちらに目を向けたわたくしは紙に書かれてある名前を見て固まった。
「……えどがーさま……?」
新年早々求婚してきた図々しい男性……だと思っていた。
けれど、その求婚者の名前は、ずっと焦がれていた目の前の人の名前で。呆然としてわたくしの腕を握りしめているその人を見上げる。
「わ、わたくしに、求婚を……? 本当に……?」
「……からかわれていただけのようだったがな」
眉間にしわを寄せて吐き捨てるようにつぶやかれて、胸が潰れそうになる。
「ち、ちがっ」
震えて言葉が詰まる。縋るようにあいているもう片方の手を彼に伸ばす。
「……ちが?」
冷めた声で彼がつぶやく。
「この前は、「ちが」の続きは「いません」だったな」
「あれはっ」
彼の冷めた態度に涙がにじむ。どうして、こんなに怒ったような声で……? ひどいのはエドガー様の方なのに……。
「あれは?」
「だ、だって、か、からっ、かわれたんだ、と……っ」
ちゃんと説明したいのに、言葉が詰まって声がだせない。何が言いたかったのかもわからなくなって、からかわれたと結論づけた時の気持ちがこみ上げて、彼が怒っているようだという事実に胸が苦しくなって、言葉にならない。
「だ、だって……っっ わ、わたくし、はっ変な事ばかりっ、口ばしってっ」
「シェルマ嬢……?」
いぶかしげな声に、言葉を失って、唇をかみしめてうつむく。
「……君は、俺からの求婚を断ろうと思っていたんだろう……?」
確認するような声に、慌てて首を横に振る。
違います、違いますっ
ちゃんと否定したいのに、声がだせない。顔を上げる勇気がでない。
バカみたいに、何度も首を横に振る。
視界が歪む。目が熱くなって、瞬きをすると涙がこぼれた。
「これを持って、断るとつぶやいていたじゃないか」
「それはっ、まだ、中を、見てなくて……」
「俺からだとは思わなかった?」
「だって、あの時の、本気じゃなかったかもって……」
何度もうなずいていると、ため息が上から落ちてきて、また呆れられたのだと体が震える。
「結婚なんて事は、冗談で言える内容ではないな。……だが、俺の態度も本気というには褒められた物ではなかったのだろうな。……悪かった」
悩ませたか? という柔らかな声色の問いかけに、ようやくほっとして小さくうなずく。
「……まずは、君に会いに来るべきだったな」
声が、とても優しくなった。
おずおずと顔を上げてみれば、苦笑するエドガー様がいる。
「乱暴にして悪かった。俺の早とちりだったようだ」
すまない、と彼は私の手を優しく握り直す。
「身辺整理を先にしていた。それと、正式な申し込みをしてからと思ってね」
「……わたくしの、ため、に……?」
彼は小首をかしげて肩をすくめる。
「君を悩ませてしまったこと、許してもらえるだろうか?」
うなずけば、彼はふたたびわたくしの手を握り直し、片膝を立ててひざまずく。
「シェルマ嬢。……私はあの庭での愛らしい貴女の様子に心を奪われました。貴女のことが気になって夜も眠れない始末です。気高く美しいだけではない貴女の姿を見せるのは、私だけに……だといい。私こそがそんな貴女を護る存在になりたいと思うのです。あのひととき過ごした時間を思いだすだけで、愛おしいと感じるのです。そんな貴女を私だけの物にしたい」
どこか芝居がかった口調。けれど、わたくしを見上げるその瞳は、何処までも真摯にわたくしを捉えている。
胸が痛い。張り裂けてしまいそうだ。顔が熱くて、きっと真っ赤になってしまっている。でも彼が手を取っているから、顔を隠せない。
彼の目がわたくしの目を捉えて放さない。
「シェルマ嬢どうか、私と結婚してください」
その言葉が耳に届いた瞬間、足の力ががくんと抜けた。
「……シェルマ……!!」
とっさに彼が受け止めてくれて、尻餅はつかずにすんだ。
「も、申し訳ございませんっ」
叫ぶようにだした声は、思いのほかか細く力の抜けた物で。
「わたくし、エドガー様には、本当にみっともない姿ばかりをお見せしてしまって……」
彼の腕の中で、ぼそぼそと言い訳をする。
「俺の前でなら、いくらでもどうぞ」
楽しげな声が耳をくすぐる。
「エドガー様の前だからこそ、ちゃんとしたいのに……」
拗ねるような気持ちで、聞こえなくても良いと思ってつぶやいた言葉は、しっかりと彼にも聞こえていたようだ。
笑いながら「シェルマ、返事を」とささやかれ、「はい……!」と彼の腕の中でこたえた。
わたくしを抱きしめる腕に力がこもり「君は本当にかわいいな」とクスクスと笑われて。わたくしは、その腕の中に顔を埋めて隠れるしか出来なくなった。
それから、休みの日ごとにエドガー様がわたくしを訪ねてデートに誘ってくださるようになって。わたくしとエドガー様の婚約は瞬く間に社交界に広がり、噂の的になった。
エドガー様の浮いた噂は聞こえなくなり、代わりにわたくしのために浮ついた関係を全て切ったらしいという噂が聞こえてきた時には挙動不審になってしまい、エドガー様にひどい含み笑いをされた。
婚約をしてから、少しずつ本物のエドガー様に触れ、憧れじみた恋心だけではない愛情を積み重ねてゆく。
エドガー様もきっと、興味半分だけではない気持ちをわたくしに向けてくれるようになっているのではないかと思う。
「好きだよ」という軽く向けられていた言葉が、いつの間にか「愛してる」と熱のこもった物へと変化していったように。
あれから、私たちはいろんな事を話した。
記念すべき日を迎え、ついにはあの日の出来事まで白状させられてしまう。
「それじゃあ、あの時契約結婚を持ちかけようとしてたの?」
彼があの日の真実を知って「正反対じゃないか!」と、もうこらえきれないというように笑いだした。
「必死だったんですもの…!!」
「……失敗してくれて、良かった」
笑いを納めた彼が、かみしめるようにつぶやく。
「君と知り合えて、良かった」
彼は、優しい。以前のような紳士然とした軽薄な物ではなく、ほんの少し乱暴な雰囲気になったけれど。それは、初めて会った頃のあなたを彷彿させる。これがきっと、本来の肩の力が抜けた彼の姿なのだろう。社交界でも紳士的な態度はそのままに、女性との距離を適切に保つようになって、わたくしにだけ気のおけない笑顔を向けてくれるようになった。
それが出来るようになったのは君のおかげだとささやいてくれたことが誇らしい。
わたくしはというと、相変わらず外では落ち着いて完璧な令嬢を気取っている。家とエドガー様の前だけが、私の憩いの場だ。そんなわたくしの外面を人前で崩そうとするのが、目下エドガー様の楽しみとなっているのは、ひどいと思っている。
「エドガー様のために頑張っているのに!」そう訴えれば、「そんなに頑張るほど、俺のどこを好きになったの」とからかい半分にたずねられ、騎士になったばかりのあなたに助けられたことがあるのだと、それからずっとだからわからなくなってしまったと耳打ちしたら、彼がくすぐったそうに笑って、わたくしを力一杯抱きしめた。「俺を慰めてくれたおてんばな天使は、君だったのか」といって。
まもなく結婚式が始まる。
わたくしたちは、これから愛情の上に結婚生活を築こうとしている。
そのごのはなし。
「エドガー様の奥さまって、あの冷徹な氷姫でしょう? 私の方が熱く楽しませて差し上げましてよ?」
未だに何かを勘違いした女性がすり寄ってくることがある。これは、感性の合わない上流の女性達とばかり関わったために、女性という物に失望し、妻に会う前は女性なんて体だけでいいと自棄になって遊び倒したツケなのだろう。
どうも自分は苦手な系統の女性ばかり引き寄せてしまうタチらしい。
腕を絡ませてこようとする女性からするりと体を離し、笑顔を貼り付ける。
こういった女性を冷たくあしらいすぎると、社交界では面倒になるのは既に体験済みだ。その対策として、笑顔を貼り付けるのは自分なりの処世術だった。妻にとっても災難となり得る為、それは今も継続中なのだが、面倒迷惑きわまりない。
が、最近はそういった女性をあしらうのはとてもたやすくなった。
「私にとって、この世で妻ほどすばらしい女性はいないよ」
妻が如何にすばらしいのかを語れば良いのだから。
特大の猫をかぶって見栄をはる姿も、あのきつい顔立ちが、へにゃりと気を緩ませて笑いかけてくる姿も、こちらが気をはることなく紳士とは言いがたい反応をしても全く気にした様子もなく受けいれてくれる姿も。少し手のかかる面倒なところだって、それは俺だけに見せてくれる姿だから、どれもが愛おしくて、これ以上ないほどすばらしい妻だ。
「だって、私は、妻を誰よりも愛しているからね」
シェルマのはにかんだ顔を思いだし、思わず本心からの笑みをこぼすと、目の端で先ほどの女性が盛大に引きつっていた。
「愛してるよ、奥さん」
酔っ払って帰ってきたエドガー様が、そう言ってわたくしを抱きしめると、頬をグリグリと押しつけてくる。朝から少しのびたひげが、少しちくちくジョリジョリとする。
私、愛されてる……!
ぎゅうっと抱きしめ返しながらわたくしもうれしくて
「わたくしも、愛しれ……っっ」
また噛んだ……!!
もごっと口を押さえる。
「愛しれ……?」
ニヤニヤと続きを促される。
いじわる!!
にらみつけて、でももうそんなことで恥ずかしくなったりなんてしないから、気にせずに続けるんだから……!
「ま、ふっっっ」
また噛んだ……!!
彼は、本当に楽しそうに大笑いをする。
わたくしの前でだけ、彼は心からの笑顔を見せる。
わたくしはは涙目で「笑わないで!」と怒る。
それを見て、また笑う彼に、私はそっぽを向きながらすねてみせる。
「ねぇ、奥さん。幸せ?」
あなたが結婚してくれたらそれだけで幸せだと思っていた。
エドガー様は今日も楽しそうに笑ってわたくしの隣にいてくれる。わたくしだけに見せてくれる笑顔で、わたくしだけを見て、愛していると言って。
「……幸せでふっ」
最後のは噛んだんじゃなくて、彼がわたくしを抱きしめたから。
「シェルマ、君は本当に最高だ!」
酔っ払いに脈絡なんてない。何がそんなに楽しいのやら。でも、そんな彼の笑顔がわたくしは大好きだと心がほんわかとあたたまる。
幸せだとわたくしが笑って、幸せだとあなたも笑う。
それって、想像していたのより断然素敵。




