2.デメテル
「まぁた、あたしゃ、あの娘が兄妹でも産んだのかと思ったよ」
デメテルと名乗る長い黒髪の細身の女性が茶を運びながら笑った。
ここは森の中に建つ、木材で出来た小さな小屋。テンパレンスの後を追い辿り着いた俺達を玄関で出迎えてくれたのが彼女、デメテルだ。
「あのこ?」
「あのこって?」
ほぼ同時に訊き返す俺とリキュールに、さらさらとしたストレートの黒髪を揺らしながらデメテルは苦笑する。
「しっかし。随分大所帯になっちまったもんだね。表にいる奴といい、適格者はガキばかりじゃないか。世代交代と言えど大丈夫かね本当に」
淡白だが整った造りをした美人の口から漏れた言葉に、俺とリキュールは目を点にする。
「問題ない」
デメテルの視線を受けたディンが戸口に立ち腕を組んだまま低い声を返した。
細い腰に手を当てると、やれやれと大きなため息を漏らすデメテル。
「久しぶりだというのに愛想無しかい。すっかり陰気になっちまって」
『あんたこそちょっと見ない間に老けたなデメテル。昔は歳を出すほどヤボな性格じゃなかったはずだが』
「そういうあんたは憎たらしい程全然変わっていないね。口の悪さは相変わらずだ。エンペラー」
「ディンはそうなんだろうけどさ、エンペラーもこの人と顔見知りなのか?」
俺の顔を見、頷くエンペラー。
『俺様とデメテル、それとそこにいるディンは全員、前のフール戦の時に、一緒に旅した仲間だ』
「……マジ?」
見上げると、デメテルはにっと笑った。
「エビルと言ったっけ? あんたがエンペラーの新しい適格者だね」
ズバリ言われてびっくりする。
「刻印見てないのに、なんでわかるんだ?」
「そりゃわかるさ。そんなに似てちゃあさ」
「似てる? 誰に?」
「誰ってもちろん……」
『デメテル、茶のおかわり』
ぶしつけにテーブルの上に太い腕とカップが置かれた。
「……って、人が喋ってる時になんだい。ダイニングのポットに入ってるよ。そんくらい自分でやっとくれ」
「って、おっまえわざわざ実体化して茶飲んだのか?」
アルカナは適格者と繋がっている。一心同体な訳だからして適格者が栄養を摂っていれば基本、飲まず食わずでも存在できるのだが。
俺の視線を受け、けっとなるエンペラー。
『久々に呑みたい気分だったんだよ』
「おっまえそれじゃあタダの酒飲みおやじ……」
『うっせ。それになデメテル。俺様は客人だぞ。持て成すのは家主の役目だろ』
「ふん、そんな偉そうでふてぶてしい客人、呼んだ覚えは無いがね。第一あんたいっちょまえに喉なんて乾くのかい?」
『あんだけずっと俺様の近くに居て気づかなかったってのか? 俺様は誰かさんと違ってデリケートなんだよ。だから口の悪いあんたに久々に会って、警戒してんの。で、喉が渇く。全ー部あんたのせいって訳だ』
「そうやって全て女のせいにしちまう所なんかが恐らく、最近男の価値が下がっちまってるなんて言われちまう所以なんだろうね。男だったらもうちょっと……ってちょっと、変な所触ってんじゃないよ! あんたも知ってるはずだろ。わたしゃ生まれてこの方、片付けっていう四文字が大嫌いなんだよ。とっ散らかしたら承知しないよ!」
『だったらハナからおまえがやれっての!』
デメテルとエンペラーがぎゃあぎゃあ憎まれ口を叩き合いながらダイニングに入っていく。
……仲がいいようだ。
『仲がよいのですね』
声に見上げると、テンパレンスが唖然としたような、呆れたような視線をダイニングに向けていた。
「そう、見える?」
リキュールが不思議そうに見上げるから、テンパレンスと俺はしっかり頷いた。
「ねぇ、ディンさん。ディンさんも彼等と旅をしたの?」
リキュールが不思議そうな目を戸口に向ける。
そういえば、ホイールオブフォーチュンが言ってたっけ。エンペラーがフールと戦う前、ディンが自分の下を訪れたって。それってそういう事だったのか。てっきり、ディンが聖職者としてエンペラーを追い回して……っていう仲なのかと思ってた。まさか一緒に旅をしていたとは。
エンペラーに訊いても、あいつ、はぐらかして教えてくれなかったもんな。
エンペラーのことだ。フールに負けた時の事、思い出すのも訊かれるのも話すのも嫌だったんだろう。そう解釈して深くは追求しなかったのだが。
俺たちの反応を受け、ディンが少し顔を上げた。
「言っていなかったか」
「ああ。さすがにエンペラーの態度で、あんたと奴は顔見知りかなって事くらいは気づいたけどさ」
「……そうか」
短く会話を切って、再び顔を伏せるディンに、俺とリキュールは顔を見合わせる。
なんとなく訊きづらい感じ……っていうか、訊いてほしくないオーラを放っているような気がする。
……いや、いつもこんなだったっけ?
『……貴方は』
声にそちらを振り返ると、テンパレンスが水のように清らかな碧い瞳をディンに向けていた。
『前の戦いの直前にホイールを訪ねたと聞きました。エンペラーは知らなかったようですが。貴方や彼女や彼は、負ける事が解っていて――こうなる事が解っていて、それでもフールに挑んだのですか?』
「あたしも知らなかったよ。このキンピカ赤毛男と同じでさ。まんまとそいつとホイールにハメられたって訳。知ってたら好きにはさせなかったよ」
不機嫌そうに眉根を寄せたデメテルが、エンペラーを引き連れてダイニングから戻ってきた。
「はめられたって?」
俺が声をかけるも、デメテルは苦笑を返すのみだ。
「そのままの意味さ。知らなかったんだよ、最初から負け戦だって話を。真剣に挑んだ私ら、馬鹿みたいじゃないか。まぁ、あたしゃてっきりこのキンピカ赤毛男もグルだと思っていたんだがね。あいつが死んで、すぐにエンペラー飛ばされちまったし。おかげでこっちは散々なメにあったさ。あそこから逃げ出すのにどんだけ苦労したかって話だよ」
睨み上げるデメテルに、しかたねーだろと悪態つくエンペラー。
『なら、やはり』
「ホイールオブフォーチュンの元へ俺を寄越したのはハーミットだ」
『彼は知っていたという訳ですか……なるほど』
言うと何事かを思案するテンパレンス。
これ以上口を開く気配がないので、俺はさっきからずっと気になっていた事を口にした。
「そういえば結局ハーミットって、このおねーさんの事なのか? 確か、そいつに知恵を請うって、フォンスと反対方向のここまで来たんじゃ……」
『オネーサンって……馬鹿言えエビル、こいつはもう三十路をゆうに過ぎ……』
エンペラーの顔に拳が飛ぶ。
「知らないとは言え、あたしとあの猿を一緒にしないでほしいね」
『……ハーミットはこのクソ女のアルカナだ』
満面に作り笑いを浮かべたデメテルの拳を顔面に減り込ませたままエンペラーがくぐもった声で告げた。
「アルカナ?」
「デメテルさん、適格者なんですか?」
リキュールが大きな目をさらに見開いてデメテルを見上げる。
エンペラーを睨んでいた黒目が、驚いたように俺等を見た。
「こいつらに同行してたって話で気づいてほしかったね」
デメテルは苦笑すると手にしていたポットをテーブルの上に置いた。その細腕をゆるく広げると、口元に笑みを湛え、目を閉じる。
「さぁ。今代の適格者達があんたに用があるそうだ。出てきてもらうよ」
デメテルの体が一瞬、光を帯び――
『なんじゃ。ついこの間ダイニングを片付けろと呼び出されたと思ったら次は厄介ごとかい。……相変わらず爺使いが荒い女じゃの』
――気づけば。その細い肩に、背の丸まった小さな小さな老人が乗っかっていた。