3.精霊ハーミット
デメテルの肩に座る爺さんを上から下までまじまじと見る。
「あんたが……ハーミット?」
まるで猿のぬいぐるみだった。
着衣の裾が地を引きずる程に長かったり、背中が大きく丸まっていたりで正確には解らないが、ぱっと見、身長三十センチってとこだろうか。羽毛のようにふわふわした薄い金の毛が頭のてっぺんにだけ申し訳ない程度に生えている。風が吹けばどこかへ飛んでいってしまいそうな程細い体に、深い藍色の厚い生地のローブを纏って全身を覆い隠していた。俺の言葉を受け、持っていた長い長い杖の先を地につけると、どっこいしょとデメテルの肩を降りる。
……いや。降り立ったかと思えば、その小さな体は地面から大体百センチ上にふよふよ浮かんでいる。
猿のぬいぐるみは無言のまま、杖をつきながらこちらにゆっくりと近づいてきた。
デスのものよりも厚手のローブの裾が移動のたびにゆらゆらと揺れる。デメテルと俺の中間の位置に到達すると、しわしわの顔の大半を占める程大きな三白眼がギョロリと俺を見た。
『人に名を尋ねる前に、自ら名乗らんかい』
しわがれ声でそう言うと、俺の背と同じくらいの高さの――己の身の丈の五倍以上はある太い木の杖を器用に振りまわし――その頭を俺の目前に突きつけた。
…………なんだこいつ。
「こ、こんにちは。リキュールです」
『お久しぶりです』
俺がむっとしている間に、リキュールとテンパレンスが爺さんに対してペコリと頭を下げる。
声に険を解くと俺の目前をふいよふいよと素通りし、彼女達の前でしわしわの顔をくちゃくちゃにして笑う摩訶不思議生命体。
『お~お~本当に久しいの~テンパレンス。そちらのめんこいお嬢ちゃんはあんたの主かい。こりゃまた清浄な気をしとるの~』
言うや否や、リキュールの胸に飛び込んで顔をすりすりさせやがった。
これにはさすがに多少驚いた様子のリキュールだったが、すぐにぬいぐるみ感覚でうれしそうにだっこする。
……なんだこいつ。
『俺様ガン無視とは……爺。あんたも命が惜しくないと見た』
不機嫌そうなエンペラーの声にリキュールに抱かれたままくるりと振り返ると大きな目を異様に細める猿のぬいぐるみ。
『なんじゃおったんかい木偶の坊。無駄にでかくて視界に入らなんだ』
『久々だっつうのに随分な挨拶だなぁじじい』
『挨拶なんぞした覚えは無いわい。知能が足らず言葉もロクに理解出来ぬような木偶の坊に挨拶しようなんぞ無駄な話じゃろ』
『なんだとぉ~?』
『そんなことより木偶の坊。そこの小僧はおまえの主じゃろ。アルカナ共々野蛮な気をしとる』
なんだこいつ。
『おい。こんな偏屈エロ爺に一体何訊くっつうんだ?』
「ディン。この偏屈エロ猿に一体何訊くっつうんだ?」
「……………………」
一斉に首だけぐるりと振り返った俺達に、無表情のまま、いつもの無言の圧力を投げてよこすディン。
例によってテンパレンスの盛大なため息が聞こえてきた。
『まったく世にも愚かな……』
「エビル! エンペラーも……目上の人に対して失礼でしょう」
『な~リキュールちゃん。こいつら野蛮じゃろ?』
リキュールが声を上げると猿爺は彼女の胸から抜け出し首を伝って背中に回り込んだ。
くすぐったそうに目を細めたリキュールの頭の上から覗くしわしわ顔が、明らかに俺達にざまみろって言ってる。
「そうはいうけどさリキュール、失礼は断然猿爺の方が上だって……っていうかそれ、気にならないのか?」
「? なんで?」
『けーっ 言うだけ言って女の影に隠れやがるたぁ男の風上にも置けねぇな』
「あんたらもいい加減にしな。ハーミットはあんたらをおもちゃにしてからかってるだけさ」
「おもちゃ?」
『おもちゃだ?』
『こりゃデメテル。ようやく遊びがいのある玩具が戻ってきたというに、余計な知恵を与えてはいかん』
口先を尖らせぶーぶー文句を言う猿爺の首根っこを後ろから摘み上げるデメテル。そのままツカツカと木製のテーブルまで戻ると手にしたハーミットごと、くるりとこちらを振り返った。
「あんたも気にしてただろ? ラヴァーズの件。なんならこいつらに頼めばいいじゃないか」
「ラヴァーズ!?」
ラヴァーズ……テンパレンスが言っていた、フォンスにいるというアルカナだ。
特殊な能力を持つアルカナらしく、アルカナ狩りが行われている街中を平然と行き来しているようなのだが……。
「フォンスではアルカナ狩りが行われていると聞きました。やっぱり危ないの?」
リキュールが身を乗り出す。
「なんだ。知っていたのかい」
言うとデメテルはすぐに真剣な表情になり、爺を摘み上げていない方の手を顎に当てた。
「ラヴァーズの阿呆の事は心配なんざしていないが……適格者の方が少しね。それにこの爺が言うには……」
『誰が爺じゃ!』
「……この混乱に乗じ、いつフールがやってきてもおかしくないと」
「フール!?」
リキュールの顔が青ざめる。
……彼女の父、クレイドゥル王がフールに憑かれて亡くなってから、まだ二週間と経っていない。
『安心してくださいリキュ。結界に阻まれ感知が難しいのは事実ですが、今のフォンスにフールの気配は感じられない』
リキュールのそばについていたテンパレンスがそっと囁いた。
「わからぬぞ。混乱の影にフールあり、じゃ。結界なんぞ、すり抜ける方は幾らでもある。肝心のマジシャンが暴走しとるしの」
「暴走?」
『暴走しとるだ?』
声を上げた俺とエンペラー以外も同様に驚きの反応を示した。……いや。驚きって言うよりも、「はぁ?」って顔。ディンは眉毛をぴくりと動かしただけだったけど。
そりゃあそうだ。マジシャンはこのメリクリィ大陸――土地に憑く聖霊。人々から神と呼ばれ、メリクリィ大陸で一番大きな聖堂に奉られている存在。……それが暴走してるって、一体。
『その辺は直に会えばわかるじゃろ。まぁとにかく、奴に頼るのは無謀だと言う話じゃ。して、おまえら。大方そこの小僧にハングドマンを憑ける為にここまで来たのじゃろうが……それも、できるかの~』
摘み上げられたまま、はてさてふむ~と歌う、ふざけた様子の猿爺。
「あんたなぁ……ふざけてる場合じゃ……!」
「ならばどうすればいい」
珍しく、ディンが前に出た。
大股で二歩。悠然と立つ。
「そのために。ここまできた」
猿爺は神妙な顔つきでそれを聞くと、大きな目を細めてディンを、頭の上から足の先まで凝視した。
それから後ろに控えている俺達一同を見回し、ため息を一つ。
『ま、おまえさんとは長い付き合いじゃしの~。しかもそんなナリして堂々と儂等を訪ねてきた……その根性も天晴れじゃ。教えてやらん事もない』
そう口にしながら、拗ねたようにそっぽを向く。
『なんだ、方法があるのかよ。だったら先に教えろっつの。ったく、散々人を驚かせやがって……』
『それほどに、気を引き締めてかからないと成し得ない、という事でしょう』
憎まれ口を叩くエンペラーを諌めるテンパレンス。
「本当に、フールが来るというのならば急がなくては……」
リキュールの言葉にしっかりと頷いてから猿爺を見た。
「どうすればいいんだよ?」
『………………』
そこで、ようやくデメテルの手を振り払った猿爺は、持っていた杖の上に着地すると、器用にもその場で胡坐を掻きつつ、細めたままの片目で俺を見た。
『今のままじゃ埒があかん』
「いまのまま?」
鸚鵡返しに問うと、猿爺はまたしてもそっぽを向いた。
『外にいる二人を連れてきてもらおうか。でなけりゃ話にならんわい』




